BACK | TOP | HOME Chapter 2-3 愛海の部屋に戻ったのは、翌日の明け方だった。 愛海は寝ぼけまなこでベッドから飛び起き、俺をまじまじと見つめると、わっと俺に抱きついた。 ……はずはない。またいつものように、すかっとベッドから落ちるのを、霊指の力で寸前で抱きとめてやった。愛海の全体重をとっさに受け止めることができたのだから、あの薬桃のパワーも相当なものらしい。 「ばかぁ。またいきなり、いなくなったりして。心配したんだから」 「ああ、ごめんな」 「成仏しちゃって、もう二度と会えないんじゃないかって……、ひっく。思ったんだからぁ」 愛海は本気で涙を流していた。たった半日いなくなっただけで、これだけ心配されたということは、こいつマジで俺に惚れたかな。 もつれた髪の毛を梳いてやると、愛海はぶるっと小さく身震いした。 唇にそっとキス。愛海の口から、うわずった声が漏れた。 間違いなく、愛海は感じていた。だが俺のほうは、かろうじて、触れているという感覚しかない。 地上では、俺は霊だけの存在。身体というものがない。だから、生まれてはじめて本気で惚れた女と抱き合っているというのに、愛海の柔らかさも、暖かさも、何も感じられないのだ。 生きているとき、さんざん悪事を重ねたゆえの、これが罰なのか。 切なくなった俺は、愛海から離れて、言った。 「そんなことより、あの婆さんを殺した犯人がわかった」 「え、ほんと?」 とたんに、愛海はあっさりと刑事モードに入った。 「どこの、誰なの?」 「今からくわしく説明する。俺の言うとおりに動けば、きっと一週間以内に犯人を逮捕させてやる」 それから、きっちり一週間後の冷え冷えとした夜。 遺言状をさがすために、老婆の家のあちこちを引っ掻き回していた相楽ゆき子は、玄関の物音にハッと全身をこわばらせた。 「誰?」 「おれだ」 暗闇の中からすっと押し入るようにして玄関に入ってきたのは、弁護士の酒井だ。 「遺言状が見つかったそうだな。どこだ」 「……何の話?」 「何って、メールでそう言ってきただろう」 「私、そんなメール送ってない」 「なに?」 ふたりは、顔を見合わせて立ち尽くした。 天井の電灯の笠が、風もないのにユラユラと揺れて、ふたりのひきつった顔を舐めている。 ふたたびガタンという音がし、ふたりはびくりと玄関のほうを見た。 上背のある、ヒゲ面の男がのっそりと入ってきて、ふたりをにらんだ。 「いったい、何の用だ。こんなところに呼び出しやがって」 「……そんな、バカな。いったい誰が……」 種明かしをすると、こうなる。 まず、愛海が適当な理由をつけて、相楽ゆき子のもとを訪れた。玄関先で、愛海がゆき子の気をそらせているうちに、俺は彼女のケータイを探し当て、酒井へメールを打つ。 『遺言状が見つかったが、どうしても、ひとりでは取れない場所にある。来て手伝ってくれ』という文面だ。 送信の電波を伝って、俺は酒井の事務所に転送される。 そして、ふたたびヤツの隙をねらって、ケータイを操作し、ヨシムラに『例の家に来い』とメールを送った。 念のために、ヨシムラの元にも転送され、じっくり人相や居場所を確かめてやった。そして帰りは『はざまの世界』経由で、愛海の元に帰った、というわけだ。 「いったい、誰がこんなことを」 「不可能だ。ケータイは肌身はなさずに持ってる。誰かに使われるはずはない」 ――それが、ちゃんと使われてるんだよ。おまえたちには見えない存在の手でな。 「失礼します」 玄関から、今度は愛海の声がした。 「南原警察署のものです。少しお話をうかがいたいのですが」 入ってきた愛海は、余裕の笑みを浮かべて部屋の中を見渡した。彼女のうしろには、上司の木下はじめ、数人の警察官が立っている。 「なんですか、あんたたちは」 酒井が居丈高に叫んだ。「勝手に人の家に入ってくるなんで、令状をお持ちなのですか」 「令状だなんて。少しお話をうかがいたいだけです」 愛海が、相楽ゆき子を見つめながら答えた。 「実は、警察のホームページに匿名のメールがありまして。今日この家に、相楽さんのお義母さまを殺した犯人が来るという内容でした」 「な、なんですって」 「相楽さん、そちらの方たちはお知り合いですか?」 「わたしは、亡くなられた相楽トキさんから、法律上の相談を受けていた弁護士の酒井と言います」 憮然とした表情で、酒井は自己紹介をした。 「隣にいるのは、わたしの知り合いの私立探偵ですが、それがなにか?」 「顧問弁護士さんですか。でも、相楽さんが養子縁組の手続きをしたときは、違う弁護士事務所を通されたはずですが」 「あのときは、あいにく、わたしが多忙をきわめておりましてね。書類の作成だけのことですので、下請けに出したんです。よくあることですよ」 「そういえば、2005年にY県でひき逃げで亡くなられた方も、別の弁護士さんが、あなたの下請けで養子縁組の手続きをなさったんですよね。偶然にも今回の事件と似ていますね」 愛海は、悠然とほほえんだ。 俺の教えこんだとおりにしているだけだが、百戦錬磨の犯罪者相手に堂々と渡り合っている。 たいした度胸だ。もしかすると、愛海には詐欺師の素質があるかもしれない。 「何がおっしゃりたいんですか」 「いえ、不思議な偶然の一致というものは、あるものだと思いまして。不思議といえば、そのネコ」 愛海は、すーっと不気味な緩慢さで、指を窓の外に向けた。 暗闇に包まれた縁側で、金色に光る目をした三毛猫が、じっと中を見つめている。 「私たちが到着したとき、玄関の外で出迎えてくれていました。私はそれを見たときに……」 愛海は、そこで意味ありげに声を落とした。 「犯人がいるというメールを警察に送ってきたのは、このネコではないかと思いましたよ」 「ば、ばかな。そんなことが」 酒井弁護士は、小ばかにしたように口元をゆがめたが、相楽ゆき子はすでに顔面蒼白だったし、ヨシムラに至っては、土気色の顔をしていた。 老婆が殺されたとき、そばにネコがいたのは間違いないことのようだ。 「あるはずはないと思いますよ。でも、じゃあ誰があのメールを送ってきたんでしょう。まさか、亡くなった方が、あの世から送ったとでも?」 愛海は芝居がかった仕草で、縁側に近づくと、窓をガラリと開けた。 「自分を殺した犯人は、ここにいるんだよって……」 ここまで打ち合わせどおりに進んだ。あとは、俺の出番だ。 俺はフー公の鼻を思いっきりつついてやった。 「ふぎゃああッ」 三毛猫は、世にも恐ろしい叫びを上げて、俺に向かって毛を逆立てた。 そして、ヨシムラの背後に回った俺めがけて、飛びかかってきた。 俺の姿が見えない人間からすれば、ネコはまっしぐらに、ヨシムラに向かって飛びかかったように見えるだろう。 「うわああっ」 ヨシムラは、飛びついてきたネコから逃げ出すどころか、その場を一歩も動けない。ガクガクと震えだし、今にも泡を吹いてぶっ倒れそうだ。 こいつはプロの殺し屋というわけではないみたいだ。酒井に何か弱みを握られて、仕方なく殺害を実行しただけの男だろう。 相楽ゆき子は「ひいっ」という弱々しい悲鳴をあげ、頭を抱えて畳にへたへたと座り込んだ。 「赦して、ゆるしてえっ。そんなつもりじゃなかったの。まさか殺すだなんて」 さすがの酒井弁護士でさえ、今起きたことの不条理さに、声もでない様子だった。 「さあ、それじゃ、ダレにナニを赦してほしいのか、ゆっくり話を聞かせてもらおうじゃないか」 木下警部補が、後ろにいた制服警官に命じて、茫然自失している三人を署まで連行させた。 「それにしても、いったい今、何が起きたんだ?」 あたりがようやく落ち着いて、部屋の隅で毛づくろいを始めたネコを見ながら、木下は首をかしげた。 「ネコは本当に、飼い主を殺した犯人を教えようとしたのか?」 「まあまあ、あまり深く考えると、よけいにハゲますよ」 愛海は話をそらそうとして、上司の心の傷をえぐってしまった。 南原署に戻ると、三人の取調べが始まった。俺は姿が見えないのをいいことに、一部始終をたっぷりとおがませてもらった。 相楽ゆき子がさめざめと泣きながら、すべてを告白し、ついでヨシムラが落ち、最後まで否認を続けていた酒井も、とうとう観念した。 老婆は最初、親身になって世話をしてくれるゆき子を信頼し、強引に養子縁組を勧められても、疑うことなく判を押したそうだ。 しかし、縁組が終わったとたん、ゆき子が豹変した。 釣った魚にエサはいらないとばかりに、老婆のもとにも寄りつかなくなったのだ。 詐欺師としては失格だ。金が手元に入るまで手を抜かないのが、本当のプロというものだろう。 ゆき子が来ないことを恨み始めた老婆は、ある日、ゆき子に宣言した。 『わたしゃ、あんたには遺産はやらない。全部、福祉団体に寄付するように遺書を書いた』 その日たまたま見ていたテレビ番組で、福祉団体への協力を呼びかけていたのだという。 今から考えると、ゆき子の気を引くための嘘だったのだろう。遺書なんてものは、結局見つからなかった。 だが、そうとは知らないゆき子は仰天した。遺書はどこだと詰め寄ると、貯めていたへそくりといっしょにどこかに隠した、しかし、隠し場所は教えないとうそぶく。 このままでは、一年かけた苦労が水の泡になってしまう。ゆき子が酒井に泣きつき、酒井はヨシムラを送りこんだ。 ゆき子がわざと外出した夜、寝ていた老婆のもとに、強盗に扮したヨシムラが現われ、包丁をつきつけて、へそくりと遺書のありかを吐かせようとした。 しかし、大声で悲鳴をあげた老婆がこわくなったヨシムラは、とっさに首を絞めて殺してしまった。 あわてて庭の窓を開け放して外に逃げ出したのと入れ替わりに、縁側にいたネコが家の中に入ってきた。 ゆき子が翌朝帰宅したとき、ネコは老婆の死体のそばで、恨めしげな目をして寝そべっていたという。 俺はそれを聞いて、やっぱりフー公が、老婆のカタキを取ったのだなと思った。 ヤツがいたおかげで、ゆき子とヨシムラは自分の良心を刺されて、毎日おびえて暮らし、他愛のない芝居にひっかかって、みずからの罪を洗いざらいしゃべることになったのだから。 もちろん南原署では、今回の一番の功労者は愛海だということになった。 共犯者である酒井とヨシムラの存在を、どうやってつきとめたのかと、刑事たちは根掘り葉掘り、愛海にたずねたが、愛海はあっけらかんと、こう答えただけだった。 「目に見えない情報網に、たまたま引っかかっただけですよ」 「かんぱーい!」 愛海はひとりでグラスをかかげ、ひとりでビールをおいしそうに飲んだ。 事件が解決した祝賀会が捜査一係で行なわれた夜、俺とふたりだけの祝賀会をしようと言ってくれたのだ。 と言っても、幽霊の俺はビールも飲めなければ、チキンも食えない。まったく損な役回りだ。 「淳平のおかげで、事件が解決したよ。ありがとう。感謝してます」 もうすっかりできあがっている愛海は、ほにゃりと頭を下げた。 「ああ、なんかいい気持だよぉ。刑事になってよかった。しみじみとうれしいよぉ」 そう言って、口をつぐんだかと思うと、さめざめと泣き始めた。 おいおい、こいつは、泣き上戸だったのか。 きっと、刑事になってから今までの苦労を思い出しているのだろう。テーブルに突っ伏して、声を殺して泣いている愛海の姿を見て、いとしさがこみあげてくる。 「愛海」 俺は彼女の顎を持ち上げて、キスをした。 「俺はずっとおまえのそばにいる。おまえが刑事でいる限り、俺はおまえの、目に見えない情報網になってやる」 「淳平……」 胸にそっと触れても、今日の愛海は何も言わなかった。ただ、俺の霊指の感触に身をまかせている。 大胆になった俺は、指をそろそろと、下へ這わせはじめた。 「あ、ダメ……そんなとこ触っちゃ」 「ふーん。ここが、おまえの弱点か?」 「あ、だめ、だめだって。くすぐったい、フニちゃん」 「へ?」 「足の裏くすぐったらダメでしょ! フニちゃんってば!」 そうなのだ。愛海の部屋には、死んだ老婆の飼い猫、フー公が住みついちまったんだ。 自白した犯人たちを連れて、ふたたびあの家に実況検分に訪れた愛海は、誰にも世話をされず、寂しそうにうずくまっていたフー公が、すっかり哀れになってしまったらしい。 老婆の親族に苦労して連絡を取り、ネコをもらい受ける許可を得た。 実家にいるフーちゃんに似ているからと、「フーちゃん二号」、略して「フニちゃん」という名前までつけて可愛がっている。 ところが、いっしょに暮らしてみて驚いた。 俺が「フー公」と呼んだのは当たっていた。こいつは三毛猫のくせに、なんとオスだったのだ。 一説によれば、オスの三毛が生まれるのは、三万匹に一匹の割合だそうで、ペットショップでは相当な高値で取引されるらしい。 もちろん、愛海はそんなこと知っちゃいない。もしわかったとしても、売ったりはしないだろう。 ことによると、老婆が遺した財産の中でもっとも高価だったのは、こいつかもしれないな。 ……などと暢気なことを言っている場合じゃない。 こいつ、俺と愛海が仲良くしているのを見ると、すぐに邪魔しにきやがる。さすがに、オスだけのことはある。 そして、愛海も「ふかふかで気持いい〜」と、すぐに俺そっちのけで、フー公を膝に乗せてしまう。 身体がない分、俺は完全にこいつに負けているのだ。 くそう、この俺がネコに負けるなんて、納得がいかねえ。 かくて、幽霊と女刑事と、ついでに猫一匹の奇妙な同居生活は、まだまだ続く……らしい。 chapter 2 end NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2006-2007 BUTAPENN. |