伯爵家の秘密/番外編

8. 伯爵の謀反



(3)

 その年の冷夏は、小麦の収獲に大打撃を与えた。
 平年ならば温暖であるはずの南部が、特に作柄がひどかった。北部でも、冬蒔き小麦に切り替える余裕のあった富裕な所領は比較的ましだが、そうでない零細な所領ほど、被害は大きかった。
 小麦の小売価格は暴騰し、王都ナヴィルに暮らす市民たちも悲鳴を上げた。王宮政府は国庫を開いて、備蓄していた小麦を放出し、価格を下げようと努めたが、思うような結果は出なかった。
 隣国のリオニアもアルバキアも、不作の影響をこうむっていたからだ。仲買の大商人たちは相場をつり上げて富を得る一方、貧しい人々は明日食べるパンにも事欠く。平民のあいだにさえ、格差が広がる一方だ。
 クライン王国全体に、じわじわと民衆の不満が高まっていく。
「だから、どうしてダメなんだ」
 リンド侯爵の執務室のソファに寝ころんで、エドゥアールは駄々っ子のように足をばたばたさせた。
「今、この法案を提出しねえと、冬至祭で議会は閉会になっちまう。来年になってから審議を始めたんじゃ、採決まで行かない。また何か月も待つハメになる」
「時期が悪すぎるのだ」
 氷のように冷静に、セルジュは返した。「どの貴族も、多かれ少なかれ小麦の不作で打撃を受けている。今いたずらに刺激するのは得策ではない」
 ふたりの国務大臣が、議会に提出しようとしている法案は、貴族会と平民会の決議に関するものだ。
 現行の法律は、貴族会の優位を定めている。もし平民会で可決しても、貴族会で否決すれば、どんな議案も廃案になる。つまり貴族会の意向がすべてを定めることになっているのだ。
 この、どう考えても不平等な状態を是正しようというのが、今度の法案の趣旨だった。
 新しい法案には、平民会と貴族会の議決が分かれた場合、大臣会議の進言にもとづき、国王が最終的な決定を下すと定められている。
 国王の権限を強化することで、貴族会の平民会に対する絶対優位が崩れるのだ。
「大臣会議は貴族で構成されている以上、貴族の不利になるような決定には歯止めがかけられる。だから安心していい――その説明に、貴族会もいったんは納得したはずだ」
 少なくとも、エドゥアールが勉強会を開いて何年もかけて育ててきた、若手の貴族議員たちは賛成してくれるはずだと信じていた。
「ところが、ここへ来て貴族会は、この法案に猛反対を唱え出している」
 侯爵の蒼い瞳がこちらを意味ありげに見つめていることに気づいて、エドゥアールは上半身をむくりと起こした。
「俺のせいか」
「国王陛下は、共和主義者の甥に支配されている。いずれは、貴族制度を廃するよう唆(そそのか)され、クラインはリオニアのような共和主義国になると、みなが恐れ始めたのだ」
「ばかばかしい。俺ごときが、あのひねくれ王サマを支配できるもんか」
「陛下のもとには連日、陳情団が列をなしている。『どうか、あの共和主義かぶれの甥御どのに騙されませぬよう』」
 いらだたしげに、トントンと指で机を叩く音が混じる。「わたしのところにも、旧プレンヌ公派がやってくるぞ。『ラヴァレ伯爵を国務大臣から解任してください』と泣きつかれる」
 エドゥアールは吐息をついた。「俺、かなり嫌われてるんだなあ」
「こそこそと平民会の議員と会って食事をしたり、陰からやつらを支援したりするからだ」
 ロナン・デュシュマンと会ったことも、とうに調べ上げられている。
「きさまが焦るのは、わかる」
 セルジュは口調をやわらげた。「国のあちこちで、飢えている者の姿を目のあたりにしてしまったのだからな」
「ポルタンスのイサドラ女将からも手紙が来たよ」
 エドゥアールは自分の両手を見つめた。何もできない自分に苛立つように。「娼館に売られてくる娘たちが、急に増えたそうだ。外国からの航路も減っているし、水夫たちも金離れが悪い」
 伯爵家が支援している聖マルディラ孤児院の院長も、窮状を訴えてきた。このところ捨て子が増えて、孤児院はパンク寸前になっていると。
 淡つかに伏せていた水色の瞳をまっすぐに上げて、伯爵は訴えた。「セルジュ、この不況は長く続くぞ。食いつめた農民は、来年の種もみまで食べてしまっている。来年は、もっとひどいことになるだろう。もし、このうえ法案が否決されでもしたら、平民会の怒りは誰にも止められなくなる」
「きさまが悪いのだ」
 リンド候は、挑発的に口角を上げた。「十年前まで平民は大麦を食べて満足していた。今は、こぞって白いパンをほしがる。農民の子にまで読み書きを教えた結果、誰もかも小賢しくなって、平気で政府を批判するようになる」
「彼らは真実を知っただけだ。昔は誰もが、貴族は平民より優れた血筋に生まれついていると信じ込んでいた。だから貴族は特別扱いされて当然なのだと。だが、それは真実じゃない。貴族も平民と同じ人間だ。平等の権利を持っているんだ」
「いったん権利を与えられた人間は、現状で満足しなくなる。要求が大きくなるばかりだ」
 ふたりは、ひたと睨み合った。
 セルジュは苦々しげに言った。「重ねて言うが、わたしがこの法案に賛成するのは、貴族の力を削いで、国王に権力を集中させるためだ。もともと、平民を政治に参加させるのには反対だった。政治は、貴族だけのものだ」
「ああ、わかってるよ」
 セルジュとは無二の友ではあるが、ふたりの間には越えられぬ大きな隔たりがある。エドゥアールはそのことに改めて気づき、やるせない心地だった。「おまえの考えは、よくわかっている」
 リンド候は執務机に両手をついて、立ち上がった。
「貴族は、わたしがなだめておく。そのかわり法案提出は来年春まで待て。きさまは、平民会をなんとしてでも落ち着かせろ」
「……やってみる」
「それはそうと、一家をあげて王都に来ているそうだな」
 話題を変えられることに安堵したように、貴公子の顔がやわらかく笑んでいた。彼もエドゥアールと好んで諍いをしたいわけではないのだ。
「久しぶりに、週末はわたしの領館で過ごさないか」
「ああ、それもいいな。ヒルデ姫にもしばらく会っていないし」
「それに……」
 セルジュが照れ隠しに咳払いする。「実に不本意だが、ニコルもジョエルと遊びたいようなのだ」


 ラヴァレ家の居館の中庭では、ミルドレッドが貴族の婦人たちを招いてお茶会を開いていた。
 その冬、王都は冷夏の埋め合わせをするような暖かい気候に恵まれている。あずまやは火鉢なしでも過ごせるほどだ。
 女たちの小鳥のような笑いさざめきを聞きながら、エドゥアールは階段を上がって、父伯のいる居室に向かった。
 エルンストとエドゥアールがともに王都で冬至祭を迎えるのは、これがはじめてだ。生まれ故郷から離れることをエルンストが好まなかったし、領主としての責任が、領地を離れることを許さなかったからだ。
 しかし、領民にほとんどの権限を委譲している今、ふたりが同時に留守をしても不都合はない。加えて、極寒のラヴァレ谷よりも温暖な王都のほうが、病人にとっても具合がよい。
 だが、そういったことを別にして、何より大伯爵自身が王都に行くことを望んだのだ。
「ただいま」
 暖炉の前の安楽椅子でくつろいでいたエルンストは、国務大臣の息子に敬意をはらって立ち上がり、挨拶を受けた。
「親父、体の具合はどうだ」
「ああ、これほど暖かいと、身体も楽だ。ラヴァレの冬の寒さは、いつも骨をきしませるからな」
「今ごろはもう、谷は新雪に埋もれているころでございましょうね」
 と、メイド長のアデライドがティーセットをテーブルに並べる。
「ああ、そうだな」
 彼らは微笑みながら顔を見合わせた。まだ数週間しか離れていないのに、ラヴァレの谷を思うたびに、なつかしい気持ちがこみあげてくるのだ。
 伯爵一家の王都滞在には、家令のナタンやコック長のシモンなど、領館の使用人たちの多くが従って来ている。そのあいだ、執事のロジェが領館の留守を守り、騎士ジョルジュとトマが、各村の自警団とともに谷全体の警備を担っていた。
 ジョルジュは、ようやくこの春にネネットと結婚式を挙げたばかり。新婚ほやほやだ。
 娼婦だったネネットが、ラトゥール州長官ギルマンの養女となってから三年が経つ。
 これほど長い時間がかかったのは、ネネットが上流階級の礼儀作法を学ぶためでもあったが、ジョルジュが自らの葛藤を乗り越え、また猛反対する養父母を説得するためでもあった。
 貴族にとって身分制度とは、それほどまでに身体にしみついて、容易には離れがたいものなのだ。
 お茶を飲みながら伯爵父子は、懸案事項について声をひそめて話し合う。
「首尾はどうだ?」
「ああ、細心の注意をはらって進めてる。万が一、邪魔が入ると面倒なことになるからな」
「もっと、早くこうすべきだったのだ」
 暖炉の火を見つめながら、父はおだやかに微笑んだ。
「ロナン・デュシュマンと話をしていて、心が躍った。ああやって、理想に燃える若者と話すことが、これほどの喜びだったとは」
「親父の顔をそばで見ていても、十歳は若返ったみたいだったぜ」
「共和主義革命の意義について、功罪について、わたしはもっと伝えるべきだった」
 だが、国王フレデリク三世の妹エレーヌと結婚したことによって、父伯は全てのものを捨てた。世の中から隔離されて、エレーヌの夫として生きることだけを望んだのだ。
「親父。今からでも遅くねえよ」
 励ますように言った。「若いやつらに、いろいろ教えてやってくれ」
「ああ、ぎりぎり間に合ったことを、神に感謝しよう」
 父は自分の寿命について、何らかの覚悟をしているのだと、エドゥアールは胸を痛めた。
 階下に降りると、お茶会を終えたばかりのミルドレッドが明るい声を上げて、駆け寄ってきた。
「あなた。おかえりなさいませ」
「今日の客は、誰だい」
「ルブラン子爵の奥方さまと、アルベール伯爵のおふたりの妹御ですわ。庭においでくだされば、ご紹介できましたのに」
「遠慮したんだ。俺は今、あちこちで煙たがられてる存在だからな」
 夫は肩をすくめた。「きみが茶会を開いてくれて、すごく助かってる。俺が貴族と敵対するつもりがないことが、少しでも伝わる」
「女性同士の情報網は、あなどれないものですわ」
 ミルドレッドは茶目っ気たっぷりに答えながら、夫のそばに寄り添った。「何でもおっしゃってください。わたくし、あなたのお役に立てるのなら、どんなことでもお手伝いします」
 瞳を輝かせている妻をエドゥアールは抱きしめ、頬にキスを落とした。
「きみとジョエルさえ、そばにいてくれればいいんだ。俺はどんな困難にだって立ち向かえる」


 貴族会が催されるのは王宮の【獅子の間】と定まっている。
 だが、平民会は、離宮のホールを議場としてあてがわれていた。かつて、テレーズ王妃がなかば幽閉されていた、あの【アメリア宮】だ。
 王宮内にふさわしい広さの会議場がないことが理由だったが、王宮から露骨に隔離されているという怒りを燃やす者も多かった。
 さらに驚いたことに、冬のある朝、議員たちが集まってみると、離宮の外門が固く閉じられているのだ。
「来年の一月二日まで、冬至祭で閉館されております」
「冗談じゃない。聞いていないぞ!」
 声を張り上げて抗議する議員たちを尻目に、門番はすまして答えた。「集会を持たれるのなら、向こうに球戯場があります。管理人がいるので、頼めば中に入れてもらえるでしょう」
「なんてことだ」
 彼らはみじめな気持で、カモの群れのように通りを歩いた。「われわれには、集会の場所もないのか」
 門番のことばどおり、管理人はすぐに鍵を開けてくれた。広い球戯場は、四方の壁に音が反響して、一番気弱な男のためらいがちな呟きでさえもよく聞こえる。
「やはり、僕たちは見下げられている。平民会を開くふりをしてお茶をにごし、われわれのことばを聞く気など、さらさらないのだ」
 議員たちの前に立ったのは、東部の州から選出された、ひとりの新進気鋭の弁護士だった。
「クラインじゅうのどこもかしこも、飢えた民であふれている。この王都にも、どっと貧民が流れ込んで、大勢が寒空の下、路上で暮らしているのだぞ。それなのに、冬至祭の休みだと? 王宮は何をしているんだ!」
 火の出るような勢いに、彼と同じ急進派の議員たちは、拳を振り上げて同調した。
「平民会と貴族会の同等をうたった改正法案など、いくら待っても提出されないではないか」
「おれたちは、だまされたんだ。大臣たちは嘘をついた」
「やはり、リオニアのような革命を我が国にも起こさねばならん」
 怒号のうずと化した球戯場内に、ひとりの男が入ってきた。
 長身だが、ひどく痩せている。濃緑のマントに身を包んでいるところを見ると、元陸軍将校だろうか。彼に気づいた者から順番に口をつぐみ、やがては沈黙が怒号に取って代わった。
「リオニアのような革命がこの国に起きれば、飢える民は減るだろうか」
 男は彼らに近づくと、穏やかに問いかけた。
「どなたですか。あなたは」
 とまどいと猜疑心をこめて、問う声があがった。
「これは、失礼した。わたしの名は、エルンスト・ド・ラヴァレ」
 名を聞いたとたん、みな息をのんだ。
 それでは、この人が。この人がリオニア共和革命の影の立役者の。
「ラヴァレ伯爵だ」
 驚きのささやきが、男たちの間に広がった。
「なくならなかったのだよ、身分の格差は」
 天窓から冬の光がそそぎ、老伯爵の灰色の髪を輝かせている。「今のリオニアは、金を持つ者と持たざる者が新たな身分制度を作っただけだ」
「だが、それでも、我が国のように、貴族と平民の硬直した関係ではありません」
 先ほどの弁護士が、ひるまずに一歩前に進み出た。「誰でも才覚と努力を武器にして働けば、その格差はひっくり返すことができるのではないのですか」
「きみの名前は?」
「ヴィクトル・ジャケ。ジモンド州選出の弁護士です」
「ジャケくん。きみも家に経済的余裕があったからこそ、今の職につけたのではないか」
「……」
「この国では、教育は金で買える。大切なのは、教育制度の改革だ。万民が読み書きを覚え、自分の意見を公に発表できることだ。だが、それは一朝一夕にしてできることではない」
「では、今のこの国の状態を、指をくわえて見過ごせというのですか」
「平民会ができたのに、何も変わらないではないですか」
「やはり、力による革命でなければ、百五十年続いてきたこの体制は変わらない!」
 球戯場に人々の声が重なり、こだまする。
「暴力は欲望を解き放つ」
 エルンストは熱をこめて説いた。「無血革命などと言われてはいるが、実際にはリオニアでは、貴族平民双方に多くの血が流れたのだよ。歴史に書き記されなかっただけだ。目を覆うばかりの焼き討ち、打ちこわし、略奪が起きた。諸君、決してクラインをそのような無秩序と混沌に陥れてはならん」
「おいおい、その男は法螺吹きだぞ」
 朗々たる声とともに、今度は手にラケットを握った金髪の男が入ってきた。「信用するなよ。十のうち、一から九までは法螺だからな」
「おや、一割も真実だと認めてくださるのですか」
 エルンストは、不機嫌な表情で睨みつける闖入者に向かって親しげに微笑んだ。「陛下も、昔に比べて円くなられたものですな」
「陛下?」
「ま、まさか」
 平民会議員たちはどよめく。フレデリク三世に間近で拝顔するのははじめてだ。まして、シャツにキュロットという軽装では。
「平民会議員諸君」
 すたすたと彼らに近づく国王に、後ろにいた侍従長ギョームは、「陛下、そのくらいで」と控えめにたしなめる。
「余はそなたたちと面と面を合わせて話したいと望んでいたのだ。ラヴァレ伯の力を借りて、このような場を作ってもらった」
 呆然としていた議員たちも、あわてて球戯場の床にひざまずく。
「今回の飢饉については、余も憂いておる」
 フレデリクは、強いまなざしでひとりひとりを見つめた。「かならず救援の手を差し伸べるゆえ、もう少し忍耐してはくれぬか」
「陛下」
   弁護士のジャケが顔を上げた。「今のおことば、必ずとお約束してくださいますか」
「約束しよう」
 「おお」というため息。「国王陛下ばんざい」という叫びが、あちこちから挙がった。
 


 平民会議員と国王との極秘会談が功を奏して、しばらくは平穏を取り戻した王都ナヴィルだが、春が近づくころ再び騒ぎが持ち上がった。
 発端は、『絵入り民衆新聞』の載せたひとつの記事だ。ジョセフ・ボードリエなる記者の署名入りの記事によれば、南部の多くの州で、政府が貧民のために配給した小麦や生活保護金が、貴族の領主たちによって横領されていたというのだ。
 『絵入り民衆新聞』は、エドゥアールがひそかに出資している左派の新聞だ。ボードリエという記者も知っている。正義感が強い、熱心な男だ。まったくの嘘を書くことはないだろう。多くの貴族が不正にかかわっているかもしれないという憶測で締めくくったのは、やりすぎにしても。
 問題は、その記事によって、貴族を糾弾する声が一気に再燃したことだった。
「国王陛下は、飢えている民を救うと約束してくださったのに、俺たちを裏切ったのか!」
「いや、違う。陛下は悪くない。貴族がおれたちの取り分を横取りしてるんだ」
「やはり、そうなんだ。貴族が悪い」
「こっちは毎日のパンに事欠いているのに、ダンスだ、夜会だと、ぜいたくなことだね!」
「生まれが違うってだけで、なぜこんなに差別されなきゃならないんだ!」
 エドゥアールは王都を歩き回るのを日課にして、路地の壁に貼られているビラが、どんどん過激になっていくのを見つめた。
「同じ人間なのに……か」
 感慨をもってつぶやく。十年前ならば、貴族と平民が同じ人間だと叫ぶ市民はいなかっただろう。
 貴族と平民。金髪の征服民族と黒髪の被征服民族。あのころから比べれば、隔ての壁はずいぶんと低くなっている。
 だが、壁が低ければ低いだけ、投げつける石は容易に届いてしまうのだ。
 王宮に着き、いつものように執務室に向かおうとしたとき、侍従のひとりが、会議室に来るようにとのリンド侯爵の言づてを持ってきた。
 会議室では、セルジュ以下の閣僚大臣たちが先に来て待っていた。
 五人が着席すると、首席国務大臣は声を上げた。「入れ」
 入り口脇に直立していた制服の男が、前に進み出た。「閣下がた。王都警察長官のポミエでございます」と一礼する。
「今日は王都警察隊にマスケット銃を配備していただきたく、お願いにまいりました」
「マスケット銃?」
「このところ、王都において、共和主義を叫んでデモ行進をする不穏な輩が増えております。つきましては、都内の守護にあたる警備隊五百のうち、まずは二百にマスケット銃を装備させ―ー」
「デモ隊に発砲するというのか?」
 エドゥアールは、警察長官のことばを問いただした。
「おそれながら、抑止力でございます、閣下」
 ポミエは直立不動の姿勢のまま、返した。「現に、デモ隊の一味がマスケット銃で武装していたという目撃情報もございます。そうなれば、剣や騎馬隊の槍では太刀打ちができません」
「嘆願は、受理する」
 エドゥアールの反駁よりも早く、セルジュが答えた。
「閣議で検討したうえで、正式に承認する。それまで待つように」
「はっ、ありがとう存じます」
 靴を鳴らして出ていく警察長官を見送ると、エドゥアールは信じられないという表情で僚友を睨みつけた。
「セルジュ、どういうつもりだ」
「わたしのもとにも、警備を強化してほしいとの貴族の懇願が、山ほど寄せられている」
 セルジュは重い口調で答えた。「王都を練り歩くやつらの貴族打倒の声は、日に日に過激になっている。デモ隊などという悠長なものではない。暴動の一歩手前なのだ」
「彼らはきちんと統制を取っている。絶対に暴動など」
「エドゥアール!」
 リンド侯爵の声は、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さを帯びた。「今回のことでは、わたしはきさまの意見は一切入れるつもりはない。頭を冷やせ。きさまは平民会に肩入れしすぎている。クラインを混乱に陥れ、国益に反する行為は、断固として取り締まらねばならぬ」
 ほかの大臣は、みな顔をそむけ、あるいは目をつぶっている。
「わかった」
 エドゥアールは拳をぎゅっと握りしめ、部屋を辞した。
「ラヴァレ伯」
 回廊で呼び止められる。元陸軍元帥、ユルバン・ド・ティボー公爵がカタカタとステッキを鳴らして、ゆっくりと追いかけてきた。
「マスケット銃か」
 ふたりは並んで、冬枯れの中庭を見つめる。
「下品な武器だ。五十年前のラクア戦役ではボウガンが主流だったが、この国の軍備が銃中心となって久しい。時代の流れだな」
 ボウガンは強い威力を持つ武器だが、訓練を受けた者しか命中することはない。初心者では、遠くの的に届くことすらむずかしいのだ。
 だが、マスケット銃は違う。引き金を引く力があれば、幼い子でも歴戦の将をあっけなく倒すことができるのだ。
 それだけに恐ろしい。警察と市民の双方が銃を持てば、ほんの少しのきっかけで、人命がたやすく失われる。
「市民運動の中に銃が持ち込まれるなんて」
 エドゥアールは唇を噛みしめた。「武力で解決しては、なんにもならないんだ!」
 老公はゆっくりと頭(かぶり)を振った。
「王と法の名のもとに、平民と貴族が手をたずさえ、平和のうちにひとつとなる。それが、きみの理想だ。しかし、高すぎる理想は、人には届かぬ。貴族は手中にある権利を決して手放さず、平民は力ずくでそれをもぎとろうとするだろう。このまま平行線が続けば、混乱の世が到来することになる」
 ティボー公のしわがれた声は、エドゥアールの心にひたひたと染み入る。
「おことば、肝に銘じます」
 エドゥアールは深々と一礼して、歩き出した。
「甘かった」
 ほんとうに俺は甘かった。八方丸く治める手段など、そんなものはない。誰を傷つけ、誰を救うか選ぶのが政治なのだ。それはわかっている。
 だが、わかっているからこそ、あきらめたくない。ぎりぎりまであがくしかない。
「もう一度やりなおしだ」
 自分に言い聞かせながら、一歩一歩を踏みしめる。前庭を抜けて離宮に向かおうとしたとき、大臣付きの従者のひとりが、彼のもとに走り寄ってきた。
「伯爵さま、平民会議員がお目通りを願っておりますが、どういたしましょう」
「誰だ?」
 執務室に勢いよく駆けこむと、待たされていた男が立ち上がった。
「大臣閣下、お久しぶりです」
 半年前に会ったときとは見違えるほど、自信と落ち着きに満ちた微笑をたたえている。
「留学先のリオニアから、ただいま戻ってまいりました」
 ロナン・デュシュマンだった。
 

 

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