猫の秘密〜異世界の姫君アスリア
岡野 なおみ
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(18) 太郎丸、死す
ハガシムがこの庭にやってくるときに、扉を壊して入っていた。その音を聞きつけた太郎丸は、臭いを追って庭に来ていた。
「アスリア、覚悟!」
ハガシムが斧を振り回すのが見えた。美子の悲鳴。太郎丸は、すぐさまかけだしていた。どう見ても、美子の命が狙われていると思ったからだ。膝の上のアスリアは、美子の陰に隠れて見えない。
激しく吠えると、太郎丸は美子に体当たりした。美子はぐらりと縁側から転がり落ち、横に倒れる。アスリアが、膝からこぼれ落ちた。斧はスピードを下げなかった。重量が重いので、とっさに方向転換ができないのだ。威圧するような空気の流れが、刃の周りに渦巻いている。美子は振り返った。そして、刃の真下に太郎丸が横たわっているのを見て、立ち上がろうとした。
もし、彼女が健常者であったなら、あるいは太郎丸を救えたかも知れない。だが、美子の足は動かなかった。ぴくりとも。
もし、アスリアが子猫でなかったなら、ハガシムに体当たりをして太郎丸に振り下ろされる斧の目的地を、縁側にできたかもしれない。だが、アスリアにはその力はなかった。
斧は、まっしぐらに太郎丸の後頭部につきささった。
空が裂けるような悲鳴が、太郎丸の口から響き渡った。ぐしゃり、という音とともに、頭蓋骨が陥没する。まっ赤な血が、最初はためらいがちに、次にいきなり堰を切ったように噴き出してきた。
「太郎丸!」
美子は、倒れながら、必死で立ち上がろうとした。無駄だった。
「太郎丸さん!」
アスリアは、庭に叩きつけられた太郎丸に駆け寄った。
しかし、太郎丸は絶命していた。
どくん、どくん、どくん。
アスリアの胸が、喉もとにまでこみあげてくる涙と一緒に波打っている。
「ひ、ひどい……」
アスリアは、その場に座り込んだ。
美子は、はいつくばってそのそばに近づいた。縁側に横たわる太郎丸に手を延ばす。
「太郎丸……」
美子は、その血だらけの遺体を、胸に抱きしめた。ブラウスは血だらけになったが、美子は全然構わなかった。
「太郎丸!」
ゆさぶってみても、つねってみても、あるいは殴りつけても、その体にはなんの反応も戻ってこない。
「ふ、ふ、ふ、ふ」
ハガシムは、アスリアと美子の顔を見て、含み笑いをした。
「こりゃ、手元が狂ったな。次はお前だ!」
ハガシムが斧を、もう一度とりあげようとしたとき、アスリアの額が輝いた。額に見知らぬ文字が浮かび上がっている。
どくん、どくん、どくん。
アスリアの心臓と同じように、光が強く、弱く、脈打っている。ハガシムは、近づこうとしたが、その光の放つ「なにか」が、ハガシムをそれ以上前に進ませなかった。
しかも、ハガシムは、だんだん力がなくなって来つつあるのを感じた。
毒が回り始めたのだ。俺はもうじき死ぬ。
ルギド様。ルギド様のために、なんとしてもアスリアを殺さねば。
ハガシムは、焦りを感じた。アスリアを守る光のバリアーは、大きなシャボン玉のように丸く虹色に輝いている。
「太郎丸を、なぜ殺したの!」
アスリアは、涙を浮かべていた。
「お前が死ぬはずだったんだ」
ハガシムは、息が苦しくなるのを感じた。
「お前が死ねば、邪悪な水晶は力を失う……。魔族のためには、そうするしかない」
ハガシムは荒い息をはずませた。
「邪悪な水晶……?」
アスリアは眉をしかめた。
「エンチャント・ジュエルのこと?」
「なんでもいい。死ね!」
ハガシムは、最後に残った力を振り絞って、斧を投げつけた。が、なんと、斧は光のバリアーに触れたとたん、塵になってしあった。「くそ……」
ハガシムは、膝をついた。
チュチュはそれを見て、後悔していた。たしかにアスリアは嫌いだが、太郎丸は好きだったのである。
――自分が手引きしたから、太郎丸が死んでしまった。
チュチュは悄然とその場を立ち去った。
数分後、死体は二つになり、鳴きじゃくる美子とアスリアが、その場に残された。
(19) エンチャント・ジュエルと猫
太郎丸は死んだ。アスリアは何も言わない遺体を見つめている内に、激しい憎しみがわいてくるのを感じた。
どくん、どくん、どくん。
今までは、ただ卑怯なまねをするルギドに対して、正義感からくる怒りがあっただけだった。だが、いまは違う。愛する人を殺されて、平気でいられるひとはいない。
そのとき、彼女の背後で静かな声がした。
「アスリアさん。ルギド様を憎んではいけない」
振り返ると、ノガルの姿があった。顔色はあまり良くない。
「ルギド様を、憎んではいけない。あの方は、利用されているだけなのです」
そっとハガシムの遺体に手を触れると、ハガシムの遺体は小さな光粒になって、タンポポの綿毛のように四方に消えていった。
「利用されている……?」
ノガルの言葉に、アスリアは眉を寄せた。
「エンチャント・ジュエルのことはご存じですね。あなたを猫に変身させ、この世界に送り込んだ」
ノガルは言った。
「あの水晶は、人の邪悪さを食って成長するのです。だからこそ、アローテさまが復活したとき、あっさりともう一度あの世に送ってしまった。邪魔なヤツは、さっさとあの世に送ってしまう。だからあの水晶は怖ろしい。あなたの憎しみこそが、水晶のもっとものぞむもの。与えてはなりません」
アスリアはノガルから背を向けた。
「でも、太郎丸を殺したのは、ルギドだわ!」
「ルギド様は、アローテ様の仇をうつつもりなのです。ご存じですよね、アローテ様がどうして亡くなられたか。そして、アローテ様はまったくそれを、恨んでいなかったことも」
「――そうね」
アスリアは少し、たじろいだ。十二歳の彼女にとって、アローテのあの態度は、見習うべき姉の行動のように思えた。
「あなたも、アローテ様のようになれとはいいません。ですが、みすみす利用されることもありますまい」
「――あなたは、どうしてそんなことを私に教えてくれるの」
「もう、なにもかもイヤになったのです」
ノガルは、うんざりしたように言った。
「私の兄を捜すためには、どうしても水晶の助けが必要でした。だから契約をルギドと結び、水晶を少し使わせてもらおうと思っていました。ですが、あなたのような小さな猫を、なぜいたぶる必要があるのです。そういう趣味は、私にはありません。私は水晶とは違います。あなたのご先祖でもある七人の魔法使いに作られたわけでもないですし、人の憎しみを楽しみにするなんて、そんな根性は持ってません」
「えっ。私の先祖が水晶を作った――?」
その時、美子の声が遮った。
「なにを話してるの、ノガルさん?」
血だらけの太郎丸の遺体を抱えながら、不思議そうにノガルを見あげている。
「なにも話していませんよ」
ノガルはゆっくり言うと、じっと美子の眸を覗き込んだ。
「そうね」
見つめられたまま、美子は素直に言った。ノガルはほっと息をついだ。マインド・コントロールには集中力が必要なのである。
「太郎丸さんについては、どうすることもできません」
うっとりしている美子をそのままにして、ノガルはアスリアに言った。
「しかし、美子さんについては、なんとかすることができます」
「どういうことですか」
「美子さんは、自分が歩けないと思ってる。だけど、私のみるところ、それは自分の思いこみで、自分にはムリだと思いこんでいるようだ。その思いこみをぬぐい去れば、美子さんは歩けるようになる」
ノガルは言った。
「私はこれから、ルギド様の所へ行って、ハガシムが最後まで気にしていた、邪悪な水晶の陰謀について警告しに行くつもりです。だから、あなたはここにいて、美子さんを慰めてあげてください」
ノガルはかすかに微笑んだ。
「私が一言命じれば、美子さんから、立てないという長年の思いこみは、きれいに消えてしまうでしょう。美子さんは、私には逆らえませんからね。ですが、それは美子さんのためにはなりません。自分で、そのことに気付いて、立ち上がらなければなりません。アスリアさん、あなたが人間になって、美子さんを支えてあげるのです」
「でもそれにはあの水晶が必要――」
「それもまた、あなたの思いこみです」
ノガルは言い捨てると、フラクタル模様の穴がまた開いた。
「それでは、また」
言い置いて、ノガルは立ち去った。
(20) ルギドとアスリア
アスリアに約束したように、ノガルは玉座のルギドに、亡きハガシムと自分の水晶への危惧を語った。ルギドは話を半分しか聞かなかった。
「アローテを諦めろと言うのか!」
ルギドは絶叫した。びりびりと、玉座の間が反響した。
「そんな世迷い言をいうようになるとは、お前も地に落ちたな。よし、それならアスリアをここに連れてこい。あいつの生皮を剥いで、塩を塗り込めば、水晶がもっと成長するに違いない」
ノガルは唇を噛んで動かない。
「どうした。なぜ動かないッ」
ルギドはわめいた。
「契約を一方的に破棄すれば、お前は二度と、この世界に来ることは出来ないぞ。ここにいるはずのお前の兄とも、会えなくなるのだ! それでもいいのかッ」
「ルギド様、冷静になってください、そんなことをして何になります。邪悪な水晶の思うつぼ――」
「うるさいっ。さっさと行け!」
ルギドは叫んだ。ぎりぎりと、ノガルをしばる契約の見えない縛めが、ノガルをぎくしゃくとフラクタル模様の穴に向かわせた。
――アスリアを毒殺させるわけにはいかない。美子の姉に頼んで、薬を分けてもらおう。
それくらいなら、契約には反しないだろうと思った。ルギドは『アスリアを連れてこい』と言ったのであって、毒殺してもいいとは言わなかった……。もっけの幸いだ。
アスリアは、事情をノガルから聞いて、マインド・コントロールされた美子の姉からもらった解毒剤を受け取ると、言った。
「いいわ。ティトス界に戻りましょう。一つ条件があるの」
「なんでしょう」
「美子さんが気になるわ。一人残されることになるし――。だから、私と太郎丸のかわりに、チュチュを飼うように、美子さんを説得してくれないかしら」
「チュチュを?」
「あの人が、私をよく思ってないことくらい判ってるわ。でも、本当はいい人なのよ。この間、お腹が減っているのに、マイケルくんに自分のおかずを分けていた。優しい人なの。だから、きっと美子さんとも仲良くできるわ。私は、きっとこの地球にも戻ってくる。ちゃんとした人間として、美子さんを支えに帰ってくるわ」
ノガルはじっとアスリアを見つめた。
「――判りました。伝えましょう」
ルギドのいるサルデス城は、うすぐらくてかびくさかった。ずっと居心地のいい、明るい宮錦家にいたから当然かも知れない。
「よく来たな、アスリア」
声にどす黒い憎しみをしたたらせ、ルギドが玉座から語りかけた。あそこには父が座っていたのに――。アスリアは、少し淋しくなった。
「もっと苦しめてから、ここに連れてくるつもりだったが、面倒くさくなってきた。部下が二人もやられてしまったしな。さっさとお前を片付ける方が、なにかと便利だ」
それを聞いたアスリアは、顔を昂然と上げた。
「私を苦しめて、なんの得があるの。アローテが聞いたら、きっと悲しまれるわ」
「うるさいっ! 知ったようなことを言うなっ!」
ルギドは激昂した。
「そもそも、あのエンチャント・ジュエルを作ったのは、お前の先祖だろうが。あの水晶に憎しみの味を教え、邪悪の業をみっちり仕込んでおいて、今更善良になれだ? ちゃんちゃらおかしいわ」
アスリアは少し、たじろいだ。
「それじゃ、この水晶に邪悪を教えたのは、私の先祖なんですか」
「そうとも。知らなかったのか。一番の邪悪とは、産みの親を飲み込み、踏みつけにすることだろう。水晶はそれをしたがっている。お前を苦しめれば喜ぶのだ。
アローテ復活のためには、水晶を喜ばせる必要がある」
「そう。なら、やがては、水晶に裏切られるでしょうね」
アスリアは言った。
「アローテ様が生き返ったとき、あなたを踏みつけにして喜ぶ人間になってしまう。そんなアローテを、あなたは受け入れられるでしょうか。よく考えてみて」
ルギドは明らかに意表をつかれたようだった。
「それなら、俺が利用されていると――」
ルギドはさっと青ざめ、それからまっ赤になった。
「こしゃくな、命乞いをするつもりか!」
(21) ルギドとの和解
アスリアには判っていた。ルギドはこころのどこかで、自分が利用されていることを知っている。だからこそ、必死で否定しているのだと。
「あなただって判ってるのよ。アローテさんが、こんな水晶で甦っても喜ばないことくらい。なのに、あなたは認めたがらないのね。だって、それを否定したら、もう二度とアローテさんと会える機会はないから……」
アローテさんに会わせてあげたい。アスリアは、強く願った。水晶を作った魔術師の血を引いているのなら、アローテだって呼び出せる。それができないのなら、いっそのこと水晶なんか、なくすほうがいい。
アスリアは、水晶を、燃えるような目で見つめた。創世の時代に命を吹き込まれた、邪悪な存在。消し去るには、アスリアの力は弱すぎる。それに、あれがなければ、猫から人間に戻れない。
――それは、思いこみです。
ノガルの言葉が、アスリアの脳裏にいきなりこだました。
もしかしたら、アローテを復活させる力をこの水晶が持っている、というのも――思いこみ?
アスリアは、一歩水晶に近づいた。
どくん、どくん、どくん。
水晶が、まるで身をよじるように脈打った。積み重ねてきたウソが見破られるのを、心配しているようにも見える。
その時。アスリアはありありと思い出した。猫に変えられたときに、魔術師の唱えた言葉の一つ一つを。
古代ティトス語のひとつだ。アスリアはそれを思い出した。王女たるもの、教養のひとつとして勉強していたのである。
それを、アスリアは口に出して唱えた。
「ティーナル・ウスールラ、リリル、タリア!」
その次の瞬間、水晶の表面が裂けた。
「エンチャント・ジュエルが……!」
ルギドが叫ぶと同時に、水晶の脈打つ波動が、アスリアの脳裏に痛いほど突き刺さった。
どくん、どくん、どくん。
脈が強くなった。ぴき、ぴき、ぴきっと、氷が裂けるような音がして、水晶が裂けていく。
「やめろぉ!」
ルギドが、血を吐くような声で叫んだ。
その次の瞬間、ぱあっと爆発するように水晶が光り輝き、金属製の音とともに、四方に砕け散った。
その瞬間、その光の洪水のなかに、たしかにアローテが立って、こう言ったのだ。
「ルギド、もう赦してあげて。私は今、しああせなのだから」
そして、アローテは光り輝く指を伸ばして、アスリアの背中をなでた。
「ルギドをお願いするわ」
その声を聞いたルギドは、大きな声をあげてアローテに手を延ばした。
だが、アローテの光はすうっと消えていく。その光が消えると同時に、猫と化したアスリアもまた、姿がだんだんと変わっていく。
みるみるうちに、猫のアスリアは、人間に戻っていったのだった。
「アローテ。おまえはアスリアを赦すというのか……」
ルギドはつぶやいて、がっくりと椅子に腰をおろした。
「今までの俺は、いったいなんだったんだ」
「講和を申し出ます」
アスリアは、言った。
「サルデス国は、あなた方に対して公式に謝罪し、アローテさんの追悼式を王家主催で行うことをお約束します」
ルギドは目を上げた。すっかり落ちくぼんだ、力のない目だった。
「勝手にするがいい。俺にはもう、支えるものはなくなった……」
「そんなことはないわ」
アスリアは言った。
「アローテさんがそんなことを聞いたら、悲しまれるわ。ルギドさん、アローテさんを本当に愛しておられるのなら、いつまでも悲しい過去にこだわってないで、笑ってすべてを受け入れましょう。私もお手伝いします」
ルギドは、潤んだ目でアスリアを見つめた。
「おぬしのその暖かな言葉は、あのサルデス王やサミュエル王子とはまるで違う。太郎丸のことはどう思っているのだ」
「――自分の痛みより、国の利益のほうが優先します」
そういいながら、アスリアは涙を浮かべた。「太郎丸……。いつまでも忘れないわ……」
ルギドはごつい手を延ばした。
「おまえのその、平和を望む本当の勇気に免じて、講和を受け入れよう。憎しみあうのは、もう疲れた」
こうしてティトス界に、平和が訪れた。だが、アスリアにはやるべきことが一つ、残されていた。
(22) 大団円
戦没者追悼式は、無事終了した。ルギドと、異世界から帰ってきたゲハジ(ノガルが美子の姉に命じて解毒剤を持たせていた)は、青空のもと、しずかに祈りを捧げた。
「お前には、借りが出来た」
ルギドは、疲れ切ってはいたが、アスリアのそばに立って言った。
「あの邪悪な水晶がなくなって、はじめて俺は悪夢を見なくなった。あいつが、俺を操るために、あんな夢を見せていたのだと、今なら判る。ありがとう」
「そ、そんな」
アスリアは顔を伏せた。
「俺は、なぜアローテがお前を赦したのか、よく判る気がする」
ルギドは、遠い目になった。
「お前には、そう――勇気がある。俺たちの無くしてしまった無邪気さがある。だから、俺はアローテの遺言通り、この国を二度と襲わない。お前のような為政者がいるというだけでも、俺は嬉しい」
「私、この国の行く末を、国民にゆだねようと思ってるんです」
アスリアは言った。
「異世界『地球』では、みんながアイデアを出し合って、いい政治をしているようです。私一人ががんばるよりも、みんなで力を合わせることで、国も復興できるはず。私はもう、無用の長物ですわ」
ルギドは驚いたようにアスリアを見つめた。
「王権を放棄するのか」
「いいえ。不幸を放棄するの」
アスリアは言った。
「王権を持つものだけが幸せになるなんて、どこか間違ってるわ。だから」
ルギドはいきなり、アスリアの肩に手を置いた。
「お前には、学ぶことが多いようだ。私的な手紙をやりとりしても、構わないかな?」
アスリアはにっこり笑った。
「恋文以外なら、いいですよ」
人民の、人民による、人民のための政治という概念をサルデス国に伝えたところ、国民も貴族も戸惑い、反対をしているが、結局、たった一人の人物、つまり兄の悪行で、国は滅んだのだ。そんな重大なミスを、今度はアスリアがしないという保障がどこにあるだろうか。
アスリアは、そっと荷支度をした。自分には、とてもそんな重任がこなせない、そう思ったからである。
第一、私には、守るべき約束がある。
戦後処理をするために、ルギドについてきたジョカルが、部屋の向こうに立っている。
「本当に、後悔しないんですね」
「ええ。今後のサルデス国は、ルギドさんに任せます」
アスリアは言った。
「国民は、『アスリアさんが』執政してくれるのを待っているんですよ」
ジョカルは、顔をかすかに振っている。
「責任のがれをするのは、よくない」
「責任のがれじゃないわ。国を治めるには、それなりの資質が必要だと悟ったの。私にはその資質がない。それに、みんなで物事を決めるのは、そんなに悪いことじゃないわ。みんなにそう教えるように、ルギドにお願いしてみてね」
「――判ってます」
ジョカルは頭を振った。自分の限界を知っている人こそが、王権にふさわしいのだという矛盾を口にしても、幼いアスリアには判らない。今年で十三歳、まだまだくちばしは黄色いのだ。
地球で人生経験を積むのもいいだろう。アスリアには戻ってきて欲しい。そして、アローテなきあとのルギドのこころを支えてあげてほしい。
「『地球』に行ったら、やることがいっぱいあるわ! カイじいさんや、マイケルとの約束を、ノガルに守らせなくちゃいけない。猫の天国へ連れていかなくちゃ」
ジョカルは、じっとアスリアを見つめている。数年後――この子はきっと、美子の足を治してしまっている。そして、美子と大親友になっている。その頃にはもっと背が伸びて、きっとアローテを思わせる、たおやかな美女になっているだろう。そうなったとき、ルギドさまをアスリアと会わせよう。きっと、新しい時代が始まる。
「さー、出発よ!」
アスリアは叫んだ。ジョカルは頷いた。
サルデス国のもと王女は、地球に旅立った。今でもサルデス国では、国の危機に必ず『地球』から来るという、聡明な女王の伝説がささやかれている。それがいつの日になるかは、いまのところ、だれにも判らない。
了
注:この「猫の秘密」は、BUTAPENN作「ティトス戦記」の世界観を下敷きに、まったく別のお話として創られたものです。
したがって、この小説の著作権はじぇみ(岡野なおみ)さんに帰属します。
「サルデス国再興記」惹句〜予告〜
ルギドが治めることになったサルデス国。王女アスリアは民衆にこの国を任せたいと言い残し、一人地球に旅立った。ところがサルデス国はアスリアがいなくなったためなのか、疫病やペストが猖獗(しょうけつ)を極め、天変地異のために作物も不作であった。魔族にサルデス国を任せるわけにはいかないーーー苦しむ民衆をみかねたアシュレイとギュスの愛国心が、やがてティトス界全体をゆるがす大陰謀の幕開けになろうとは! 遠い昔から戦いの続いている魔族と人間、そしてその背後にちらつく「超種族」と「古い神」の影。ルギドとアスリアは、結ばれるのか。あるいは、人間と魔族、ティトス界は救われるのか。二〇〇五年十二月ごろ、連載開始! アドレスは、
http://aslia.exblog.jp/
週一連載予定。乞うご期待!