第1章 「新しい一歩」(3)                      BACK | TOP | HOME




 部屋の奥の仰々しいデスクにふんぞりかえって、柏新所長はセフィロトを迎えた。
「こっちへ」
 意識的に落とした低い声。不必要に遠いデスクまでの距離。顔を隠すために、あえて逆光気味の照明を選んでいる。
 気の弱い科学者ならそれだけで震え上がってしまうことを、計算しつくした室内だった。
 もちろん、この位置からでも彼の顔の細かい特徴まで見えてしまうロボットのセフィロトに対しては、無駄なことだったが。
 鋭く切れ上がった眼。高い頬骨。しゃくれた顎といった部品でできた精悍な顔。
 小柄ながらも相変わらずのその存在感は、駆け引きがなくても十分威圧的だ。
「所長へのご栄転、おめでとうございます」
 そう祝辞を述べて頭を下げるセフィロトに、彼はにやりと笑った。
「犬槙博士にそう言えと教えられたのか」
「いえ」
「奴は俺の転任のことをなんと言ってた?」
「柏さんはトップに立つ人材でいらっしゃると」
「はは」
 いきなり哄笑する。
「相変わらず、ふてぶてしい野郎だな。ま、それだから気に入ってるんだが」
 彼は腰をあげると、デスクの前で直立しているセフィロトの前に立ち、上目遣いにじろりと彼の顔をのぞきこんだ。
「今日呼んだ理由はわかっているだろう?」
「はい、わたしが科学省の特別任務に就くという件ですね」
「そうだ。実験室も開けて待ってやってるのに、いつまで経っても姿を見せない。ちょっと礼儀に反するんじゃねえか?」
「すみません。でも、あのときとは事情が変わりました。わたしは間違った結論を導いてしまったことに気づいたのです」
「ほう」
「わたしは胡桃のそばにいるように作られたロボットです。そのことを忘れていました」
「忘れていた、だと」
 あからさまな侮蔑の念が、彼の口調ににじみでた。
「ロボットのくせに、『忘れていた』だと。そんな人間用語を使うとはね」
「記憶回路に不正確なアクセスをしました」
 冷静な視線を返しながら、セフィロトは自分のことばを言い直した。
「約束を破ってしまったことは申し訳ないと思っています。でも今のわたしには、科学省の任務のために、胡桃をいたずらに心配させたり、彼女から離れて遠隔地に行くことはできません。それはわたしの存在理由に反します。たとえ廃棄処分にされても、そういうことはできません」
「ふたことめには、胡桃、胡桃か。ロボットが人間の女に恋愛感情を抱くなんて、俺だって廃棄処分にされようと信じられんね」
 また含み笑いをすると、肩をすくめる。
「まあ。あの美人未亡人に恨まれても困るしね。この件はあきらめよう。そのかわり、いつかデートに誘いたいと伝えておいてくれ」
「お断りいたします。――それでは」
「待て、話はもうひとつある」
「え?」
 柏所長は、ふたたびデスクの椅子に戻って、ゆったりと膝の上で両手を組んだ。
 表情がいくぶんさっきより和らいでいるように見えるのは、気のせいか。
「約束は、約束だ。それだけは守ってもらおう。科学省のためには働いてもらう。ただし、最初の話とは違うやりかたで、だ」
「……どんなことでしょう」
「知ってのとおり、例の軍国主義者のクーデター計画は一応阻止された。しかし」
 口の中で舌をころがす。
「あれは、ほんの枝葉の一部だ。本当の奴らの計画は、俺が知り得ただけでももっと大きい」
「本当の計画……」
 AR型を大量生産してロボットの軍隊を作ること。
 それよりも巨大な陰謀が、全容をまだ見せていないというのか。
「俺はずっと、その巨悪のほうを暴こうと画策していた。それがあの鏑木の阿呆の先走りのせいで、おじゃんになっちまった。俺の内偵は失敗に終わったわけだ」
 柏所長がぎりぎりと歯噛みをするのが、聞こえた。
「おまけに今回の騒動で、俺の身元も奴らにばれ、こんなところの所長におさまるしかなくなった。
栄転だと? 俺にとっては左遷もいいところだ。だが、俺はこれをチャンスに代えるつもりだ。奴らの尻尾をふん捕まえるまで、あきらめたりはしない」
 セフィロトは絶句した。
 柏がぐいとデスクに身を乗り出し、何かに飢えた野獣のように輝く目で、彼をにらみつけたからだ。
「そのために、おまえに俺の右腕になってもらいたい」
「わたしが……ですか」
「俺のために動いてもらいたいんだ。俺はもはや大っぴらには奴らの懐にもぐりこめない。だが、おまえのその、コンピュータを自由に操る力。人間離れした聴力、視力、瞬発力さえあれば何だってできる。おまえは申し分のない内偵役だ」
 腰をすとんと椅子におさめると、尊大なポーズで天井をあおいで、ふふっと鼻で笑う。
「自分でもバカだと思うよ。この俺がロボットなぞを信用して、これほどの国家機密を洩らすなんてな。
だがな。これは日本という国が国際社会で存続できるかどうかの瀬戸際なんだ。
おまえの愛している未亡人や、大勢の人々を守ることにもなる。それこそ、おまえの存在理由に合致するものだ」
 そして、次の瞬間、深々と頭を下げていた。
「頼む。俺のために働いてくれないか」


「セフィ、今日は【応用科学研究所】で何かあったの?」
 胡桃がキッチンで並んで食事の支度をしているとき、そうたずねた。
「どうして、ですか?」
「何か、言いたいことがありそうだから」
「あ、そういえば、あの柏審議官が研究所の所長に赴任されたので、挨拶しました」
「え、あの人が!」
 胡桃はあからさまに、イヤな顔をした。
「ばったり顔を会わせる機会が増えちゃったね」
「胡桃は、柏さんが嫌いですか?」
「うーん、確かに私たちを助けようとしてくれたことはわかってるんだけどね。人をバカにした話し方や表情をするところは、やっぱり好きになれない」
「そうですね」
 そう答えながら、セフィロトは眼の前の玉ねぎを細かくみじん切りに刻んだ。
 確かに自分も今日会うまで、柏所長に対してそんな感情を抱いていた。
 今もそれが変わったわけではない。だが今日、軽蔑しているはずのロボットに対して深々と頭を下げる柏所長の姿を見たとき、別の感情が彼の中に生まれ始めたのだ。憎悪のプログラムではなく、まったく正反対の作用をもたらす感情プログラムが。
 だからなのだ。「お引き受けいたします」などという返事をしてしまったのは。
『やってくれるのか』
『はい。ただし条件があります。胡桃との生活に支障がない範囲での任務であること。それから、【すずかけの家】で補助教師を続けさせていただけること』
『わかった、それくらいは飲もう。ただし、こっちにも条件がある。このことは犬槙博士にも、古洞未亡人にも、絶対に他言無用だ。ただ、わたしの事務の手伝いをしているということにしてもらいたい』
『わかりました』


「え、じゃあ、柏さんの手の足りないときに資料の整理のバイトをするってこと?」
「はい。いけませんでしたか?」
「いけなくはないけど……」
 胡桃は心配そうな瞳を向ける。
「だいじょうぶなの。あの人、セフィのことを苛めたりしないかしら」
「だいじょうぶです。黙って苛められたりはしませんから」
 微笑んで答えたセフィロトは、柏所長に最後に聞かれたことを思いだしていた。


『なぜ引き受ける? 俺がロボットなぞくそくらえと思ってることを、おまえも知っているだろうに』
『はい。知っています』
『それに、おまえだって俺のことを嫌っているんだろう』
『はい』
『それじゃ、どうして?』
『【人はおのれの友の中に、おのれの最善の敵を持つべきである】、ということばがありますから』
『ははっ』
 柏は、広い部屋に反響するような大声を出して笑った。
『ロボットに、ニーチェを説かれるとは思わなかったな』
     



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