§1 星に願いを §2 遅れてきたサンタクロース §3 聖夜のトランペット §4 冬の静かな炉端で |
![]() クリスマスの真夜中0時きっかりに星に祈ると、願い事がかなう。こんな簡単なことに、案外誰も気づいていないものだ。 9歳のときにそれを母親から教えてもらった僕は、さっそく母のために祈った。 母のシキュウキンシュという病気はたちどころに治った。10歳のときは父のために祈った。父は課長に昇進した。 ただ、ひとつだけ気をつけなければならない。 それは、決して自分自身のために祈ってはならないこと。人のために祈るときしか願いは聞かれないのだ。僕はそのことを11歳のときに学んだ。 12歳のときは、親友のために祈った。すると翌春、いっしょに受けた私立中学に彼だけが受かった。13歳のときに初恋の女の子のために祈った。彼女は、僕よりもずっと成績のいい背の高い男とラブラブになった。 馬鹿馬鹿しくなって、14歳から23歳まで僕は星に祈らなくなった。 24歳のクリスマス、久しぶりに僕は星を仰いだ。そしてかたわらにいる女性のために心をこめて祈った。 彼女の願いは、未来の夫となる男を世界一幸せにすることだった。 そして、僕たちは世界一幸せな夫婦になった。 |
![]() 僕の家の近所に、「クリスマス・ハウス」と呼ばれている家がある。 春の雨に打たれる出窓から中を覗くと、天井まで届くクリスマスツリー。夏の陽光に映える赤い三角屋根を飾る点滅豆電球。秋のハーブが植わっている花壇の前には、雪ぞりを引くトナカイの置物。 そう、そこは一年中クリスマスの家なのだ。 僕は去年勤めていた会社を辞め、趣味の日曜大工を活かした「創作家具屋」なんぞをやっていた。 そして、その家の主は僕のお得意さんだった。自宅で音楽教室を開いている30歳くらいの女性。生徒たちの楽器を置く木製のカラフルな棚や楽譜立て、子どもの背に合わせた椅子なんかを、ときどき注文してくれるのだ。 汗を拭き拭き、ニスの匂いをさせた家具を納めに行くと、家の壁や暖炉の上にもずらりとクリスマスの飾り。 「ふと気がついたら、もう何ヶ月も経っていたのよ」 かちりとアイスティーのグラスを僕の前に置きながら、彼女は恥ずかしそうに言った。 「そして、そのあとも、片付けることができなくって。だからそのまま」 ご近所だから、うすうす知っている。僕がまだ高校生のときだった。 彼女のご主人はクリスマスイブの夜、たくさんのプレゼントを小脇に抱えて家路を急いでいた途中、交通事故で亡くなられたのだ。 新婚一年目。道路に散らばった紙袋の中には、赤いサンタクロースの衣装も入っていたという。ひょうきんな性格だったというご主人は、それに着替えて彼女をびっくりさせるつもりだったのだろう。 もう二度と訪れることのないサンタクロース。 寂しげに微笑みながらクリスマスツリーを見やる彼女の瞳は、五年経った今でも、ご主人への愛の中だけにたゆたっていた。 彼女は毎日、サンタクロースが来るのを待っている。だから彼女の生きている世界では、クリスマスは永遠に終わらない。 そんなのおかしいと思う。 人は誰だって、否応なしに前に向かって歩いている。過去に生きられる人なんて、誰もいないのだ。 だけど、どうしても言えなかった。そう言ったとたん悲しそうにゆがむ彼女の顔を面と向かって見られるほど、僕は強い男でもヒーローでもないから。 だから、僕はサンタクロースになった。顔にいっぱい綿でできた白いひげをくっつけ、モコモコの衣装を着込み、赤い帽子を目深にかぶり、クリスマスイブの夜、彼女の家を訪れようと思った。 そして、ひとことだけ伝えるんだ。彼女をこんなにも愛している男がここにいるってことを。 暗い夜空にきらきら瞬く豆電球。楽しげにバラのアーチをジャンプするトナカイたち。 2時間はさんざん迷って、やっと彼女の家の前に立つ決心ができたとき、すれ違うようにもうひとりのサンタクロースが中から出てきた。そいつは僕に向かってにやりと笑うと、そのまま何処ともなく消えてしまった。 玄関は開けっぱなし。あわてて彼女の名前を呼びながら家に入ると、呆然とグランドピアノのそばに座り込んでいる彼女が見えた。 「え、どうして……。あなたは、シュウジくん?」 「さっきのヤツは誰です? まさか、あいつに何かされたんですか?」 青ざめて走り寄る僕に、彼女はただ首を振った。 「いいえ、気がつくといきなりドアのところに立っていたの。『僕のあとから来るヤツが、君が待っていた本物のサンタクロースだから』 それだけ言うと、あっというまにいなくなってしまったわ」 「本物のサンタクロース……」 僕たちは同時にはっと顔を見合わせた。 走り出た玄関のポーチから見上げると、雪ぞりが一台夜空に飛び立ち、星くずが金の粉を吹いたように、庭に舞い落ちるところだった。 「あなた……」 彼女がつぶやき、はらはらと涙を落とした。 僕はその身体をこれ以上ないというほど、しっかりと腕の中に抱きしめた。 |
![]() 掘っ立て小屋が並ぶ夜の河川敷。 霜柱の立つ雑草の上に輝く光を放っているのは、黄金色のトランペットだ。 魅入られたように男は拾い上げて、しげしげとながめた。誰がこんなところに落としていったんだろう。 「それは私のです」 澄んだ声が響いた。見ると暗闇の中に、神々しいまでのまばゆい衣をまとった青年が立っていた。 「たった今、天界から私が落としたものです。今宵はクリスマス。二千年前ベツレヘムで羊飼いたちに聞かせた、神の御子の誕生を祝う歌を吹こうとしたところ、どうしたことか取り落としてしまったのです。 それは人間が持っても仕方のない天使の持ち物。お返しなさい」 男は手の中の楽器と青年の顔を交互に見比べてから、笑いを漏らした。 「イヤだね」 「なぜです」 「落ちていたものは拾った人間のものになる。それがホームレスの掟さ。加えて、俺は昔トランペットを吹いていたことがあるときてる。もしあんたが頭のイカれた野郎なら、こいつは俺が持ってたほうが役に立つ。もし本当に天使だとしたら、この世にふたつとないお宝を、誰がそうですかとおめおめ手放すものか」 「でも、それを失えば私は天使の地位を剥奪されて、天界に帰れなくなります! ただの人間としてこの地上で暮らさなければならないのです」 「そんなことは、俺の知ったことかね」 男はトランペットをしっかりと両腕に抱きかかえて、一目散に土手の斜面を駆け上がった。 「恨むんなら、そんな大事なものを落とした自分と、非情な掟を定めた神様を恨むんだね」 男はそれからというもの、トランペットを肌身はなさず持ち歩いた。 戯れに休日の雑踏で何曲か吹いただけで、あっというまに人だかりができた。子どもたちはうっとりと身体をゆすり、老人たちは華やいだ笑顔でダンスを踊る。 噂をききつけたテレビ局が男を番組で紹介した。市民団体が主催する行事や、会の余興に招かれるようになった。 たちまち男は有名になり、CDを出し、国際コンクールで入賞し、批評家にもてはやされた。 あの青年は幾度となく男のもとにやってきては、トランペットを返してくれと懇願した。だが門前払いをくわせるうちに、いつしか姿を見せなくなった。白い衣は見る影もなく汚れ、ホームレスだった頃の男のようにやつれていた。 何十年かが過ぎた。 男は自宅の豪奢なソファに座り、愛用のトランペットを見つめた。 「今だから言える。確かにこれは天使の持ち物だった。これだけの富と栄誉をもたらしたのは、私の実力であるはずがない」 また、こうも自問した。 「私はすでに現役を退いた。いつまでもこれを手元に置くべきだろうか。あの人に返すべきではなかろうか」 成功した人生を終えようとする今、天使と名乗る青年からこの奇跡の楽器を奪い取った罪に、彼は日ごと心を刺されていたのだ。 まだあの場所にいるとは思えない。半信半疑ながらも河川敷を訪れた。あたりの景色がすっかり変わっても、そこだけは時が凍りついたように元のままだった。 あの日と同じクリスマスイブ。 一軒の小屋の前から弱い灯りが漏れ、入り口に男たちが群がっていた。そっと中を覗くと、ひとりの病人がまさに死の床にあった。 その青白い老いた顔を見たとき、すぐに誰だかわかった。あわてて駆け寄ると、 「あなたでしたか」 彼は待っていたかのように目を開くと、弱々しく微笑んだ。 「最期に会えてよかった。長居をしましたが、私は再び神のみもとに参ります」 「あなたにこのトランペットをお返ししたくて、来たのです」 「いいえ、持っていてください。それは今はあなたのもの。私よりあなたが持つほうがふさわしいと神がお決めになったのです」 老人は晴れやかな顔で、壊れかけた小屋の天井から夜空を仰いだ。 「確かに最初はあなたを恨み、神を恨みました。何よりも、慢心して神の賜物を粗末に扱った自分自身を恨みました。 でも、歳月が私に教えたのです。私は誰をも恨む必要はない。過ちを悔いる必要もない。 私はここにいるべきなのだと。天使の栄光を奪われここで暮らすことが、私にとって最善のことだったと。 すべてを失ってもなお、私にはまだ与えるものがあるのだと。 今、私は神に感謝しています。そして、あなたにも心から感謝しています」 入り口に立つ男たちはすすり泣いていた。そして口々に話した、どんなに彼がまわりの人を愛し、自分の持ち物を惜しみなく分け与えたかを。 「赦してください」とトランペットを持つ男は、大粒の涙を地面に落とした。 「あなたも私もすでに赦されています。ですが、ひとつだけ最期の願いを聞いてください。今、私のためにトランペットを吹いてください」 男は拳で涙を拭い、うなずくと、その口に金色の楽器を押し当てた。 【O Holy Night】 美しい音色が狭い小屋を天国に変えた。 天使はそれを聞くと、満足そうに目を閉じた。 のびやかに、高らかに、聖夜をことほぐ賛美はいつまでも、星たちのきらめく夜空に響き渡った。 |
![]() 「♪もおぉいーくつ寝ると クーリスーマスぅ」 妻の大げさなほどに抑揚をつけた鼻歌が、寝室まで聞こえてくる。 せっかくの日曜だってのに、勘弁してくれ。こっちはクライエントの無理難題の要求を満たすべく、徹夜に徹夜を重ねた企画をやっと昨日上げたところなんだ。 「♪クリスマスには ツリー出して チキンを焼いて 食べましょお」 ……おいおい、無理矢理な替え歌だな。 うちの奥さんはアメリカ人。 日本史専攻の元留学生だけあって、生粋の日本人の俺より日本に詳しいし、何よりも日本が大好きなのだ。 結婚してからのこの半年、七夕には笹に短冊をぶらさげるし、ねぶた祭りにはデジカメ下げて、とっとこ出かけていくし、中秋の名月には月見団子を買って来るし、「新嘗祭(にいなめさい)」と称しては新米を炊く。 要するに、元気いっぱいの純和風イベントおたく、なのだ。 アメリカで育った帰国子女の俺には、本当は新嘗祭なんかより七面鳥の出てくるサンクスギビングの方がなじみがあるんだけれどな。 大学でつきあっていたときは、彼女にまさかこんな趣味があるとは知らなかった。結婚とほぼ同時に勤め始めた広告会社の激務も重なり、毎月毎週のようにカレンダーを埋める純和風行事予定に、俺は少々疲れ気味だ。年末ともなると、妻は日本の主婦の習慣を完璧に真似るべく、毎日大掃除にいそしんでいる。 「クリスマスの飾りは25日の深夜に外して、迎春用の飾りに取り替えないと、お嫁にイキオクレルのよねっ」 と、いつのまにか、わけのわからない怪情報まで脳内に蓄積している。西洋渡来のイベントの中でも唯一クリスマスだけは祝うつもりらしい。まあ、これは日本人全体がそうだから当然だろう。 おせち料理の黒豆もきんとんも、俺の実家の母親に電話しまくって、全部手作りする算段を立てている。 いいかげんにしてほしい。今どきの日本で、こんなに律儀に大掃除や正月準備をしてる若い世代なんてまずいない。外人だから珍しがっているだけなのだろう。日本人の女と結婚していたら、これほどまでに行事、行事と騒がなくてすむだろうに。 国際結婚て、やっぱりめんどくさい。 疲労と眠気も手伝って、口には絶対出せないような不満をぐずぐずと頭の中に巡らせながら、俺はまたもう一度、眠り込んでしまった。 「冬の最中の静かな炉端 城も館も雪の中……」 女性の透き通った声が石壁を伝って響いてくる。天井の高い、底冷えのするような長い廊下を俺は四足で歩いていた。 ……四足? 明かりの灯る部屋の扉を隙間からくぐると、中の西洋風の天蓋のあるベッドの傍らに、古めかしいドレスを着たひとりの女性が揺り椅子で編み物をしながら、ドイツ語らしき歌を歌っていた。 「春がいかに優しく笑い いかに新たに目覚めるか 我に教えしは いにしえより伝わる古き本」 興味を引かれて見上げると、黒髪を美しく結い上げた、卵型のあどけない東洋人の女性の顔だった。 「まあ、あなたは」 女は床を見降ろして、大きな目を見開き、そしてまぎれもない日本語をしゃべった。 「どこから入ってきたの? なんだか体の縞模様が日本の三毛猫そっくりだわ」 自分が猫の姿であるのに驚愕する暇もなく、俺は彼女の腕の中にすっと抱き上げられた。 「……ああ、こうして国の言葉をしゃべるのは何年ぶりかしら。あなた、私が言ってることわかる?」 俺はしかたなく返事の代わりに「にゃあん」と鳴いた。 実は俺には不思議な能力がある。夢の中で、歴史上の過去と行き来することができるのだ。こうやって過去らしき場所に飛ばされたのは初めてではなかった。さすがに猫の中に入り込んだのは初めてだが。 「ああ、わかるのね。やっぱり日本の猫だったのだわ。ハインリヒがクリスマスに私や子どものために取り寄せてくれたのかしら。 なんだかなつかしい。東京の牛込の家の垣根でひなたぼっこしていた猫を思い出す」 彼女は俺の背中をゆっくりと撫で、唇で耳を口づけるようにして話し始めた。 「私はもう、何年も日本に帰っていないの。冬は雪に包まれ、夏はライラックの花咲くこのボヘミアのロンスベルク城でずっと暮らしてきた。 ……後悔してるのではないのよ。ハインリヒは、私の夫はとても素晴らしい人。 まだ日本にいるとき、宴の席で同じオーストリア人に「東洋の娘などもらって」とからかわれたの。そのとき、彼は剣を抜いて烈火のごとく怒ったわ、「このような暴言を吐く奴とは徹底的に戦う」と。 私はそれを聞いて、どんなことがあっても地の果てまでもこの人についていくと固く決めました」 その美しい黒い瞳が涙でうるむ。 「社交界のパーティに出ても、私は上手に話すことができない。ウィーンの宮廷のしきたりなど、何も理解できない。でも、いつも楽しそうに微笑んでいようと。毅然とした態度で背筋を伸ばしていようと。それが異国人の私にとって夫を愛することなのだと、私はいつもそう自分に言い聞かせているの」 彼女のレース飾りのついた胸元からは、馥郁とよい香りがした。 どこかから、「ミツコ」と呼ぶ外国人らしい男の声がする。 「おかえりなさい、あなた」 彼女はぱっと華やいだ声を上げて、俺を抱いたまま立ち上がった。 その目くるめく心地よさに陶然としたまま、俺はまた意識を失ってしまった。 「ワタル、ワタルってば」 妻の声とともに、大きく揺り動かされて俺は目を覚ました。彼女の金髪の太陽のように明るい色が視界を覆う。 「どうして、あなたの体から香水の香りがするの?」 「み、ミツコ……」 「ミツコぉ? 私はミツコなんかじゃないわよ。やっぱりゆうべは、どこかでウワキしてたんだ」 「ぐえっ。ち、違うってば、ミツコって名前の昔の女性を知らないか。日本からオーストリアの貴族に嫁いだらしいんだが」 妻はしばらく訝しげに俺を見ていたが、やがて青い目が考えこむように細くなった。 「それは多分、クーデンホーフ光子のことだと思う」 その名前なら、俺も少しは知っていた。妻の説明するには、明治時代、オーストリア・ハンガリー帝国のハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵のもとに嫁いだ青山光子は、夫の死後、ひとりで七人の子どもを育て上げたばかりか、外国人ながらウィーン社交界の名花とまで呼ばれた女性だという。晩年は半身麻痺を患って闘病の末ヨーロッパで没し、ついに日本の地を踏むことはなかった。 彼女の子どものひとりリヒャルトは、ヨーロッパの統合という理想に燃えた「汎ヨーロッパ運動」の創始者であり、ECの母体となったEECの提唱者ともなった人物だ。 「そう言えば、『ミツコ』という香水の名前を聞くと、欧米人は、クーデンホーフ光子のことを思い出すと言うわ。あなたから匂っていたフレグランスとは全然違うけど」 その話を聞きながら、俺はあの古城の中で出会った楚々とした女性の姿を思い浮かべていた。今まで何とはなしに、派手で、粋で、華やかなイメージのあったミツコは、異国の地で孤独に耐え、祖国日本をひそかに懐かしみながらも、ヨーロッパ人として生きようと懸命に努力していた女性だったのだ。 俺はそのとき、新しい目で隣にいる妻を見た。 彼女も日本人の俺と結婚して、一生日本で暮らすことを選んで、時にどうしようもない孤独に襲われているのではないか。 だから余計に、頑ななまでに日本の行事を守ろうとするのだ。心の底から日本人になりきるために。せいいっぱい明るく、楽しげに日本の唄を歌いながら。 それなのに夫である俺は、その寂しさを理解しようともせず、彼女を守ろうともせずに、さんざん心の中で妻への愚痴を言っていた。 「ブリタニー」 俺は彼女をぎゅっと腕の中に引き寄せた。 「気づいてやれなくて、ごめんな」 「え?」 「愛してる、ブリタニー」 「ワタル。日本の男は、愛してるなんてカルガルしく言わないものよ」 くすぐったそうに笑う彼女をもっともっと強く抱きしめる。 罪滅ぼしに、年末の大掃除はいっしょにやろう。正月には凧も揚げる。餅も食う。 そしてクリスマスにはあの人と同じ名前の香水をプレゼントしよう。などと、俺は心の中でこっそり決意した。 ――ところで、香水ってそんなに高くないよな? |