TOP  | HOME
DOGmatic


 一年間通っていて、学校にそんな部屋があるとは知らなかった。
 放課後の別館二階の廊下は、しんと静まり返っていた。カツカツという靴音だけが……ゴムの上履きじゃ響くはずもないか。
 生物実験室。生物実験準備室。図工教室。扉の上に掲げられたプレートの下を次々と通り過ぎる。
「どこまで行くんですか、先生」
 たまりかねた俺の問いかけに、先頭を歩いていた生徒会顧問の英語教師、丹垣(にがき)は、糖尿病特有のこけた頬を緩めて、にっと笑った。
「もう十数年続いている行事でね。就任式がすんだら、生徒会執行部には最初にここへ来てもらうことになっているんだよ」
 俺は後ろを振り返った。心配そうな顔でついてくるのが、書記の里森。
 会計の茂は、俺の視線を受けて、黙って肩をすくめた。
 廊下の突き当たり、カモフラージュの衝立と段ボール箱の山に隠れて、扉があった。
 顧問はノックのあと数秒して、扉を開けた。
「連れてきました」
 窓には、視聴覚室と同じ分厚い黒のカーテン。薄れかけた夕陽さえ完全にさえぎった室内は、暗がりの中に沈んでいる。
 正面の車椅子に、皺だらけの老婆が座っていた。その傍らに立っているのは背の曲がった老人。いかにもホラーな組み合わせだ。
 顧問が一礼して、うやうやしく言った。
「今年の執行部三役です。会長の能瀬良太、書記の大島里森、会計の石翅(いしばね)茂」
「そう」
 鈴がころがるような若々しい声が響いて、俺たちはぎょっとした。見れば車椅子に座っているのは、セーラー服の少女。隣は、詰め襟を着た小柄な少年だ。制服のデザインこそ一昔前を思わせるが、まぎれもなく彼らは現役高校生に見えた。
 思わず眼鏡をはずして目をこすった。老人だと思ったのは、単なる光線のいたずらか。いや、先入観による錯覚だ。そうに決まってる。
 少女は車椅子から立ち上がると、すたすたと俺たちのほうに歩いてきた。
 (その車椅子、何のためだ)というクエスチョンマークがくっきり表われている俺たちの顔をじろりと見て、「まあまあじゃない、今年は。ねえ」と超生意気なセリフをのたまいながら、後ろの少年を振り返った。
「はい」
 と少年は無表情にうなずく。
 顧問の丹垣は、俺たちに向かって、抑揚のない声でぼそぼそと説明を始めた。
「この方たちは、この一年間にわが校にふりかかるであろう災厄を、すべて的確に予言してくださる」
「予言?」
「その災厄を回避するための方策を見出し、必要ならば学校行事に変更を加えていくのが、わが校歴代の執行部の役割だ」
「まさか先生、俺たちに、そんな下らないことをやれというんじゃないでしょうね」
「命令を聞けないというのか?」
「全っ然、聞く気になりませんね」
「冗談は顔だけにしろ」
「ついでに、板書のスペルミスを減らせ」
 言いたい放題の俺たちの前に、丹垣はすっと一枚の書類を掲げた。
『任期中に執行部の職務を怠るときは、退学処分を受けても文句を言わないことを誓います』
 就任式の前に、いやに念の入った誓約書を書かされたのは、このためだったのか。
「もう、話は終わったかしら」
 腰に手を当てて待っていた少女が、つかつかと前に進み出た。「そろそろ、予言を始めたいんだけど」
 少女は、小さく畳まれた一枚のルーズリーフ紙をポケットから取り出すと、テレビの番組表をチェックするような軽い調子で読みあげた。
「4月22日、路線バスの急ブレーキによって乗客が将棋倒しとなり、わが高の生徒三人が重軽傷を負う」
 しょっぱなから、ショッキングな傷害事故だ。……おおっ、みごとに頭韻を踏んでる。
「6月15日、二年生男子、イジメを苦にして飛び降り自殺。後日、保護者が学校を相手取って民事裁判を起こす」
「8月27日、夏休み中の三年男女生徒四人が、二人乗りバイク事故を起こし逮捕」
「10月8日、修学旅行宿泊先にて集団喫煙が発覚。八人補導」
 顔を上げると、少女はにっこりと小悪魔のように微笑んだ。よく見れば、黒目がちの濡れたような瞳、目鼻立ちのはっきりしたエキゾチックな顔立ち。もったいぶらずに言えば、絶世の美少女だった。
「ま、今わかってるのは、こんなとこかしら」
 彼女は、また丁寧に紙を畳むと、ポケットにしまった。
「きみたちは、今の予言を参考に、粛々と防止策を練ってほしい」
 丹垣がおごそかな調子で命令する。
「待ってください。なぜ生徒にすぎない僕たちに任せるんですか。そんなの教師の仕事です」
「きみたちは、このためにこそ、はげしい選挙戦を勝ち抜いたんだろう」
「こんな大変なことを押しつけられるとわかってたら、立候補なんかしなかった」
「教師横暴」
「ひとりよがりは顔だけにしろ」
「授業で教えなかった範囲をテストに出すな」
「そんなことを言っていいのかな?」
 顧問は勝ち誇ったように、ひらひらと誓約書を振る。
 くっそー。嵌められた。俺たちはだまされたんだ。
 三人は顔を見合わせ、視線を少女に注いだ。
「何をどうすれば、予言を回避できるんだ」
 彼女は「ふん」と顎を持ち上げた。「そんなことくらい、自分たちで考えなさい。わたしの役目はここまでよ」
 すたすたと車椅子に戻り、あやつり人形のように頭をかくんと垂れた。傍らの少年が車椅子を押して、ゆっくりと部屋を出て行く。その後ろ姿は、最初に見た老婆と老人だった。
「……何なんだ、いったい」
 訳がわからない。ホラーだオカルトだ学校ミステリーだトイレの花子さんだ恐怖を通り越すと人間なぜか笑いたくなるもんだな誰かまともな説明してくれ。
「他言無用だよ。誓約書のとおり」
 混乱した俺たちを愉快そうに覗きこんだあと、丹垣は、手刀で首を切る真似をしてみせた。
 確かに誓約書には、もうひとつ条項があった――もし守秘義務に違反した場合、即座に退学処分になると。


 俺たち執行部は、さっそく行事計画の見直しにとりかかった。
「まずは、4月22日の将棋倒し事故だ」
「バス会社に、混雑時の急ブレーキは危ないのでやめてほしいと、生徒会の名でそれとなく要望を出すのはどうだ?」
「運転手にもプライドがある。きっと取り合ってもらえないよ」
「それじゃ、下校時のバスを混雑させなければいいんじゃないか」
 俺たちは、別の日に予定していた生徒総会を4月22日午後に変更することにし、下校時刻を一時間早めた。しかも、三年生から順番に強制解散させたので、その日の路線バス内は終始混雑はなく、したがって将棋倒しによる怪我人も出るはずはなかった。
「次は、いじめ対策だ」
 生徒会の年間標語は、すでに「イジメの撲滅」に決めた。クラス、部活ごとに自主勉強会を行ない、生活指導委員による校内見回りも徹底することも計画した。
 しかし、今ひとつ決め手に欠ける。
「イジメに対するマイナスイメージを払拭するというのは、どうだ?」
 と、俺は提案した。「文化人、芸能人、スポーツ選手など、子どもの頃にイジメを受けた有名人は多い。その人たちの体験談を集めて、イジメに会うのは人生の成功者への第一歩だというキャンペーンを張る」
「イジメられたと申し出た生徒には、生徒会費から報奨金を出すというのも、ありだな」
「ただの報奨金じゃおもしろくない。専属のスタイリストをつけて、好きな子とお台場デートというのはどうだ」
 奇抜なアイディアが功を奏して、今までイジメを受けたことをひた隠していた生徒たちが、続々とカミングアウトするようになった。
 「わたしは、こうしてイジメられた」という涙と絶叫の告白大会が開かれるに及んで、彼らは一躍、英雄扱い。イジメっ子が周囲に「俺のことをイジメてくれ」と頼む姿も見られるようになった。もちろん、イジメが原因で自殺する生徒はひとりもいなかった。
 俺たち執行部は休む間もなく、バイクの無事故運動を展開した。
 かつて轟々たる非難を浴びた「買わない・乗らない・免許を取らせない」ではない。その逆の「買わせる・乗らせる・免許を取らせる」だ。
 校内にりっぱな二輪用駐車場を整備し、免許取得集中講座も開いた。バイクメーカーに来校してもらって、販売と技術指導を全面的にまかせた。もちろん、メーカーからのリベートは執行部に……げふんげふん。
 運転マナーが格段に良くなり、二人乗り事故は苦もなく防げたというわけだ。
 その一方で美少女予言者は、丹垣を通じて追加の予言を俺たちに伝えてきた。
「一年C組の女生徒○山×子が、夏休み中に援交と家出で補導」
 今度の予言のすごいところは、名前まで特定できていることだ。「直近になればなるほど、予言の精度はあがるものなの」らしい。
 ターゲットが決まれば、あとは簡単だった。頭脳と機動力をフルに駆使して、俺たちは女生徒に罠をしかけた。
 茂がハメ役になって彼女を誘惑し、俺が奴の悪友役となって援助交際をそそのかし、最後に里森がすんでのところで彼女を窮地から救い出して、しっかり抱きしめる。
 これに懲りた女生徒は金輪際、援交には手を出さないだろう。ちなみに、里森のやつは今でもその女生徒と付き合ってる。らしい。
 成功するたびに、俺たちは自分の持つ才能に酔いしれながら祝杯をあげた。もちろん、ウーロン茶でだ。新宿のキャバクラで豪遊だなんて、絶対にしてないからな。
 俺たちは、どんどん高校生らしい生活から逸脱していった。この調子で突き進めば、末はM15かモサドの諜報員だ。
 二学期が始まるころから、さすがに「何かおかしい」という思いが渦巻き始めた。
「これって、本当に予言が的中したことになるのかな」
 執行部室のボロ机でケータリングのフランス料理を食しながら、ポツリとつぶやいた茂のことばに、俺たちは顔を見合わせた。
「これまで、少なくとも予言どおりのことは、ひとつも起きていない。だから、予言が当たったかどうかは、誰も証明できないんだ。俺たちが何もしなくても、結局は何も起こらなかったかもしれないじゃないか」
 里森もうなずいて同調する。「バイク事故もイジメも援交も、高校ならいつでも起こりうることだよ。あっても不思議じゃないし、なくても不思議じゃない。そんなの予言とは言えない」
「だいたい、なんで俺たち、あのとき予言なんて言葉を素直に信じたんだろ」
 誰だって、いきなり目の前の少女が予言者だなどと紹介されたら、まず真偽を疑ってかかるだろう。だが、あのときの俺たちは、あっけなく真実だと信じ込んでしまったのだ。
 そう、まるで催眠術にかかった鶏みたいに。
「確かめてやる」
 俺は、単身あの美少女のいる部屋に向かった。三人で乗りこんでは、大ごとになりすぎるからだ。
 別館の突き当たりの扉をそっと開けると、少女が車椅子に座っていた。あの付き添い役の少年は足元にうずくまっている。
「そろそろ来る頃だと思ってた」
 彼女は、妖艶な仕草でむっちりしたナマ足を組むと、言った。「あなたたちは予想以上によくやってるわ。私の予言をことごとく防いだ執行部は、今年が初めてよ」
「予言なんか、本当は口から出まかせだったんじゃないか」
 俺は、芝居っけたっぷりに人差し指を突き出した。「学校側は、生活指導上の数々の難問、イジメや援交やバイク事故を根絶したがっていた。だから、あんたを使って執行部に予言なんていう戯れ言を吹き込んだ。そうとも知らず、俺たちは予言を回避しようと、夜も寝ないで必死に対策を練った。その結果、学校からはイジメも非行もなくなったんだ」
 とどめとばかりに付け加えた。「一年C組の女生徒だって、いかにも援交しそうな女の中から無作為に選んだだけなんだろう」
「すごい、本当に今年の執行部は頭が切れるのね。ますます気に入ったわ」
 少女は細い腕を伸ばして、隣の少年の頭を撫でた。彼はその手をぺろりと舐めた。
「この子はもう、とっくに十五才を過ぎたの。そろそろ寿命ね。ねえ、生徒会長さん。あなた、この子の代わりにならない?」
「そいつは願ってもな……それより、答えはどうなんだ?」
「なぜ私が文句を言われるのかわからない。トラブルがなくなったのなら、それでいいじゃないの」
「学校の問題は、生徒が自分の力で解決することだ。外部の人間の独善的かつ抑圧的な指図など受けたくない」
「あなたたちは、何も知らないのよ」
 彼女は、ふっと息を漏らして、車椅子から立ち上がった。
「この学校は、そうやって連綿と続いてきたの。ううん、この学校だけじゃない。この国はもう何百年も」
 意味ありげな笑みを浮かべる。ぞくりとするほど老獪な笑みだった。まるで本当に何百年も生きてきたような。
 金縛りに会ったように動けなくなってしまった俺に、彼女は抱きついて冷たい唇を押し当てた。その柔らかい体は綿菓子のように、ふわふわと現実味がない。
「予言は出まかせじゃないわ。真実よ。そのことを証明すればいいんでしょ」
 金縛りが解け、思わず後ろに下がった。「どうやって?」
「丹垣先生は、今晩死ぬわ」
「え?」
「もし、この予言が当たれば、あなたは私の予言を信じるわね」
 キンと固い金属が当たったような衝撃が背筋に走った。「まさか。冗談だろう?」
「冗談かどうか、見ていてごらんなさい」
 その言葉を合図にしたように、うずくまっていた少年が音もなく立ちあがった。
「いい子ね」
 彼が扉を出て行ったあと、少女は俺に振り向いた。
「もうひとつ予言してあげる。あなたたち三人は、一生私から離れられない」


 次の日のホームルームで、俺は丹垣が死んだことを知らされた。
 直接の死因は虚血性心疾患で、持病の悪化によるものだということだった。
 だが、あちこちで聞きこみをした結果、仰向けの遺体のそばには、大量の犬の毛が落ちていたというのだ。
 俺たち三人は、執行部室で顔を寄せ合った。
「彼女の言ったことは嘘なんかじゃなかった」
 俺は、蒼ざめた仲間たちを見回す。「予言が当たったという意味じゃない。当てていたんだ。あの女は、この学校の代々の執行部を、予言によって操った。それだけじゃない。予言を確実に実行する必要があるときには、自分の直属のしもべを使っていたんだ」
「じゃあ、丹垣先生が亡くなったというのは……」
「犬の毛って、なんだよ……」
 ふたりの震える声を聞きながら、俺は首を振った。「わからない。わかってたまるものか」


 相談の結果、俺たちは彼女に逆らわないことに決めた。
 意に染まねば、命を奪われる。丹垣の死は、そのことを如実に示していた。
 予言者の少女には、それから会うことはなかった。あの突き当たりの部屋は、いつ見ても空っぽだった。
 新しい顧問が伝えてくる予言に対して、俺たちは黙々と忠実に予防策を実施した。欺瞞の平和を学校に作り出すために。
 三年になり、何食わぬ顔をして次の執行部に引き継いだ。
 これで終わりだ。俺たちは鎖から解き放たれて自由になる。あとは知ったこっちゃない。
 執行部を無事に引退した後は、安堵の余りしばらく放心状態だった。あの苦闘の日々に比べれば、受験勉強など、まるでままごとだった。
 翌春、俺も里森も茂も、同じ国立大にトップの成績で合格した。
「また、四年間いっしょだね」
「腐れ縁だな」
 俺たちは、並んで正門をくぐり、門脇の建物へ向かった。そこで第一種奨学金の優先貸与の説明会があるという通知を、三人とも受け取っていたのだ。
 事務員の女性は俺たちを見ると立ちあがり、ぎしぎしときしむ古い木の階段を上がって突き当たりの部屋に導いた。
 扉がすっと開かれる。
「連れてきました。今年の新入生たちです」
 くらりと、目眩がした。
 車椅子の上から笑いかけたのは、あの少女だった。その隣に、あのときとは別の少年が付き従うように立っている。
「だから言ったでしょ、わたしから離れられないって」
 あのぞくぞくするような黒目がちの瞳で俺たちに微笑みかける。「ほら、また予言が当たった」
 こうなることを、俺たちはとっくにわかっていたのかもしれない。だが、わかっていて、避ける道をあえて選ばなかった。ミッションを達成するたびに味わった、あの臓腑が震えるような興奮と快感が、忘れられなかったのだ。
 そうだとしたら、俺たちはもうすでに――。いや、そんなこと認めない。
 見ていろ。全力を尽くして、おまえの予言をことごとく外してやる。そうして、おまえがニセ予言者だということを証明してやる。
 おまえをいつか、足元に這いつくばらせる日まで。


 俺たちは、誰の犬にもならない。
       

犬祭4参加作品です。


Copyright(c) 2010 BUTAPENN.
Template by HY