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江戸化推進計画


 気が重い。
 今日は、年に一度の区役所の相談日なのだ。この日だけは、会社も公休扱いになる。
 朝、家を出るとき「がんばってね」と妻と子どもたちの激励を受け、僕は区役所に向かった。
 向かった窓口は、通称「江戸化推進課」。僕が住んでるのは江戸川区だから、正式には「江戸川区東京江戸化推進計画実行課」という、なんとも長ったらしい名前になる。
 まずは、準備してきたマークシート式の自己申告書類を機械に通す。
 それから、長い順番を待って、ようやく個人面接だ。
「山田さんの御宅の『温暖化指数』は、154点ですな」
 係員は、申告結果の表を見ながら、無表情に宣告する。
「……そんなに多いんですか」
 覚悟はしていたが、ショックだ。
「御宅は何より、自家用車を所有しておられるのが、大きい。これだけで50ポイントですからな」
「でも、仕事の関係で、どうしても車は必要なんです」
「仕事でご入用なら、会社にその50ポイントを負担してもらうという手もあるのですが」
「でも、うちの社も最近、温暖化指数が高すぎると業務改善命令を出されたばかりで、無理は言えないんですよ」
「山田さんの会社は、深夜営業と冷蔵食品の多いコンビニでしたな。確かにそれは苦労が耐えないでしょう」
 係員は、うわべだけ同情した様子で、とんとんと机をボールペンの尻で叩いた。
「それでは、ほかの項目で削っていってもらうしかありませんな」
「わかりました。……エアコンをはずします」
「ほう、それはポイントが高いですが、よろしいんですか」
「はい、妻ともよく相談してきました。迷いはありません」
「で、扇風機を使われると」
「はい」
「山田さん、扇風機をやめて、『うちわ』にすると、さらに8ポイント減らせますよ」
「本当ですか?」
「ええ。ここの8ポイントというのは、他の項目に比べて、かなりお得だと思いますけどねえ」
「……わかりました。『うちわ』にします」
「ほんとうに、よろしいんですね? 係員が夜中でも抜き打ちの監査にまいりますよ?」
「ええ、迷いはありません」
「それでは、決定と」
 係員は、小気味良い音を立てて、はんこをポンと押した。
「あとは、申請事項に参りましょうか。
『敷地内のコンクリート地面をすべて土にして、木を植える』
『ブロック塀を、ウコギの垣根にする』
……ほう、若いのにウコギとは風流な。ウコギ垣は、上杉鷹山公が藩にあまねく奨励したことで有名ですな」
「恐れ入ります。僕の実家が米沢出身なもので」
「これはあなた、新芽をてんぷらにすると美味ですよ」
 係員は、たちまち僕に好感を持ったようだ。これは運が向いてきたぞ。
「次は……
『公道における、朝夕の打ち水ボランティアに参加』
……まあ、このあたりは微々たるポイントですが、しかし確実に減らしていかないとね。
『共同洗濯場の使用』
 ほう、これは大英断ですな。小さなお子さんを抱えて大変だと思いますが、しかし井戸端会議というのも、なかなか慣れるとよいものですよ。あとは、
『公衆浴場の週三回の使用』
と。ふむふむ……」
「ちわ。郵便です」
 そのとき、飛脚が飛び込んできて、区役所の各課に封書や葉書を配り始めた。昔ながらの手甲・脚絆のあの飛脚姿だ。
 今、東京都二十三区内の郵便はすべて、人力によって配達されている。
 来年度から、東海道の飛脚便も復活することになっていると聞いたが、本当だろうか。
 少し目を逸らしていたあいだに、僕の前には、赤いペンで修正された数字が、死刑宣告のように置かれていた。
「……まだ、こんなに残っているんですか」
 目がくらくらする。
 三年前に、この計画が発表されてから、できることはすべてやった。
 生ゴミはすべてコンポストで堆肥にしているし、買い物には風呂敷を必ず持参する。明かりは行灯に切り替えたし、紙だってコウゾ・ミツマタで作った和紙しか使わない。
 まだ足りないというのか。僕たちは、もう東京で暮らしてはいけないのか。
 頭を抱えた僕に、係員はそっと耳打ちしてくれた。
「あなただけに、そっと内緒の情報を教えましょう」
「え?」
「わたしの妻も米沢出身なんですよ」
 彼はにっこりと、息子に見せるような親しげな笑みを浮かべた。
「実は、来月から区では民間ボランティアを募集することになっていましてね。これに参加すると、その人の温暖化指数が自動的に20ポイント減点になるのです。多少格好が悪いのですが、これも江戸化推進計画のアピールの一環ということで」
「20ポイントですって」
 僕は彼の説明をさえぎるようにして、叫んだ。
「やります。格好なんてかまってられません。家族が東京で暮らせるためならば、何でもします」
「そうおっしゃると思っていました。特別にあなたに優先申し込み枠をあげましょう」
「ありがとうございます!」
 僕たちは、がっしりと熱い友情の握手を交わした。

 そして、その翌月から僕は、ねじり鉢巻にわら草履、法被とふんどし姿といういでたちで、毎日過ごすことになった。
 区役所の係員は、「格好悪い」と心配していたが、そんなことはまったくない。
 今、ファッションのコンセプトは、「お江戸ルック」。かんざしや櫛をさしたヘアスタイルや、浴衣調の柄が若い子のあいだで流行っているのだ。僕もみんなの注目の的で、ちょっと気分がいい。
 日本人は昔から、お上の打ち出すキャンペーンには、めっぽうノリやすい民族だ。今や、音楽も文化も、「江戸」がキーワード。
 今年の流行語大賞の最有力候補は、「あたぼうよ」だそうだ。


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