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万華鏡




 船場長堀せんばながほりから帝塚山てづかやまの本家のお屋敷までは、子どもの足で2時間かかった。
 それでも私が足繁くそこに通ったのは、半年前に養子に入った弟の身を案じたからである。
 本家の長男は大正7年のスペイン風邪で亡くなったと聞く。ほかに跡取りとなる息子もいなかったことから、分家の次男である弟が是非にと乞われたのだ。
 弟は当時、私よりふたつ年下の10歳だった。
 長男の私が小さい頃から病弱で、暗い性格だったのにひきかえ、弟は人当たりのよい闊達な気性で、ただでさえ商売が先細っていた我が家は、弟が去ったあと火が消えたようになった。
「分家が本家に逆らえるわけがない」
「まるで身売りや」
 そう言って母は身も世もなく嘆き暮らすありさまで、私が弟のもとに通ったのは、母を安心させる意味もあったのだと思う。


 本家は船場でも有数の糸屋商で、日露戦争の軍需景気で店の間口を広げた。大正のはじめ、帝塚山に新築されたお屋敷はその羽振りのよさをあらわした豪奢な造りだった。
 私は玄関の横の、マントルピースのある板張りの洋間に通された。
 弟はすぐにやってきた。当時の小学生はまだほとんどが着物姿で、白襟に紺の上着とズボンの洋装はめずらしかった。
 その日の弟はいつもと違っていた。普段なら私の顔を見たとたん、泣き顔とも笑顔ともつかぬ表情を見せてむしゃぶりついてくるのに、その日は一種余裕とも呼べるような、大人びた微笑を浮かべていた。
 私が着物の懐から母の手作りのおはぎの包みを取り出すと、興味のなさそうに一瞥し、
「それよりもっと美味いものを兄さんに食わせてやるよ。三宮に新しくでけた、ドイツ人の洋菓子の店から取り寄せてもろたんや」
 女中が紅茶とともに盆に載せて運んできたそれは、白く光った磁器の皿に、繊細な筋模様を描いた扇形の菓子だった。
「バウムクーヘン、言うんや」
 弟は手づかみでひとくち頬張ると、顔をほころばせた。
「とろけるみたいに美味いで」
 強いられて、しぶしぶ端をかじった。確かに口に含んだとたん、鼻から甘い芳香が突き抜け、私をたじろがせた。
「な、美味いやろ。おはぎなんかより数段も」
「うん」
「もう食べへんのか」
「今はええ。おなかいっぱいや」
「それなら、包んでもらい。父さんと母さんの分もあるよってに」
 それから小一時間、饒舌に話し続ける弟の話に相槌を打ったあと、彼のもとを辞した。
 いったん門に向かいかけてから、考えを変えて屋敷の裏に回った。
 裏手には立派な日本庭園がしつらえられている。
 私は人気のないのを確かめると、懐から和紙にくるまれたバウムクーヘンを取り出し、それをちぎっては池に投げ入れた。
 上等の菓子がゆっくりと水にふやけて、ほろほろと崩れ、そして鯉どもの餌になっていくのを、長いあいだぼんやりと見つめていた。
 そのとき私は、ようやく気づいた。
 自分は弟が心配で、様子を見に来ていたのではなかったことに。
 私は、弟が不幸になるのを見たかったのだ。
 食卓で悲しげに黙り込む両親の姿に、私よりも弟のほうが愛されていたことを毎日見せ付けられた私は、弟のことを気づかっていると自らの心に欺瞞しながら、寂しがるその泣き顔を見て満足していたのだ。
 弟には洋々たる未来が開け、私は停滞し没落する家に取り残されていく。
 私は弟を憎み、弟の分けてくれた西洋菓子を憎んだ。


 ふと私は誰かの視線を感じ、顔を上げた。
 障子がかたりと閉まる音がする。
「あそこの離れには、誰ぞ住んどるんか?」
 私はずっと前、弟にそう聞いたことがある。
 弟はおびえたような顔をして首を振った。
「近寄ったらあかんでて言われてる。病気の人がいるからと言うてはった」
 父から聞いた話も、それと符合していた。本家には死んだ長男のほかに娘がいて(弟からすれば、義理の姉にあたる)、長い病に臥せって人目を避けるように暮らしている、と。
 もらった菓子を捨てたのを、見られたかもしれない。
 私はあわてて立ち去ろうとしたが、ふと足を止めた。
 それがなぜか今でもわからない。もしかすると、陰鬱な離れのたたずまいとはそぐわぬ、何やら不可思議であでやかな色彩が、目の端に一瞬のうちにこびりついたからなのかもしれない。
 少しだけ覗いて、肺病みだったらすぐに逃げよう、と思った。
 足音を忍ばせて、離れの広縁に膝ですりあがり、そっと障子のへりに指をかけた。
 わずかな隙間から中を覗き見、あっと声が洩れた。
 洪水のごとき色彩が、私の目を射抜いたのだ。
 十畳ほどの日本間の畳いっぱいに、たくさんの着物がうち広げられ、のたくり、波立ち、それぞれの色を奏でている。
 薄紅梅、藍白にひわ色、桔梗色。
 それらの色彩は天井や壁は言うに及ばず、まるで部屋の空気まで染めあげているように思えた。
 万華鏡の無限の反射。
 その絢爛な絹の花弁の中心のめしべのように、若い女は座っていた。
 茜色の着物の着崩れた襟から、白いすべらかな肌が胸元までのぞき、ほつれた黒髪の幾筋かが、墨絵のひと刷毛のようにその細面に落ちる。
 しんしんと別世界を見ていた目がゆっくりと私にそそがれ、女は立ち上がった。
 ほどけた帯をだらりと下げ、足袋が床に広がる着物を掻き乱しながら、しゅりしゅりと衣擦れの音を立てた。
 障子戸を大きく開け、膝立ちになったまま身じろぎもできない私を無理やり部屋に引き入れると、
「春吉さん」
 誰か知らない男の名前をいとしげに呼んだ。
 この世のものとも思えない微笑みを浮かべて、さらにかがみこみ、私を両の袖で包み込んだ。
「や、やめて……」
 口を開いたとたん、女の帯揚げにはさんだ匂い袋の香りを思い切り吸い込み、脳髄が痺れた。
「春吉さん、会いとうおした……」
 彼女は涙で瞳をうるませながら、何度も男の名前を呼ぶ。その声に含まれた官能的な響きに、私は生まれてはじめて背筋がじんと疼くのを感じた。
 ほうほうの体で逃げ出して外に出ると、日の光にあふれているはずの秋の庭がまるで、色の変わった古い写真のように褪せて見えた。


 店の奉公人の噂を総合すると、あの部屋に住んでいる長女は、十八のときに船場の商家との縁談がまとまり、将来を誓った恋人と生木を裂くように別れさせられたらしい。いったんは嫁いだが、気がふれていることがわかって、戻されたという。
 春吉というのが思い合った男の名前で、彼女はああしてその名を呼びながら、朝から晩まで嫁入り道具の着物を部屋に広げている。
 狂気にまで昇華された情念を胸に抱き、来る日も来る日も恋人が迎えに来るのを待っている。
 まるで万華鏡の中に閉じこもってあそぶ童女のように。


 翌年、私は旧制中学に進んだ。それからも、暇を見つけては帝塚山の本家に足を運んだ。
 弟を愛しむ良き兄を演じながら、細心の注意を払って離れにしのびこみ、女とのひそやかな逢瀬に耽っていたのだ。そうやって皆の目をあざむきながら、私を見下す弟にあたかも意趣返しをしている心地にひたっていたのかもしれない。
 あの背筋の甘い疼きが何かを知りたくて、ときおり錦の重なりにすっぽりともぐりこんで身を隠しながら、ただひたすら彼女を抱きしめた。
 彼女は観音像のように目を閉じて微笑みながら、私の抱擁を受けいれた。
 世の醜さを知れば知るほど日ごとに色彩を失っていく現実の中で、罪の甘美な痛みに酔いながら、そこだけが私に与えられた至福の場所となった。
 しかし、ある日彼女が私の腕で、
「春吉さん……」
 陶然と恋人の名前を叫んだとき、煮えたぎるような熱い哀しみが私の腹をつらぬいた。
 なぜあなたはそのように、憎しみも嘆きもない世界に住んでいられるのだ?
 運命や家のさだめを呪わずに、そんなに心安らかでいられるのだ?
 私は永遠に、あなたの心の住人にはなれない。
 涙があとからあとから湧き上がり、ふたりをくるむ着物に吸い取られていった。
 その日をさかいに、私は本家を訪うことをやめた。


 数年して、昭和の経済大恐慌のためわが家は店を畳まざるを得なくなった。両親と私は住み慣れた船場を離れ、いつしか弟とも疎遠になっていった。
 ただ風の便りに、本家の長女が病のため静かに息をひきとったことを聞いた。
 暗く長い戦争の時代がやってこようとしていた。
 しかし苦い色ひとつに染められた私の記憶の中で、ただあの離れの部屋の光景だけが、万華鏡の鮮烈ささながらに、いつまでも焼きついていたのである。
 








nyansuke/悠馨さんのサイト「コトダマの宮」への二周年記念ささげもの短編です。
「着物」というお題をいただいて書きました。
背景のもみじはnyansukeさんの手作りの二周年配布素材です。美味しそう!(もみじまんじゅうと、ちゃうで)


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