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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 11


 宿屋の一室でゼダが今までの経緯を説明し終えた頃、アローテは幼い兄妹を風呂に入れ、買ってきた服に着替えさせ、食事をさせて寝かしつけたところだった。
「何だか……かなり大変だったみたいだなあ」
 アシュレイは目撃したことの滑稽さに、時おり笑いの発作に襲われながらも、控えめな感想を洩らした。
「アローテ、あの二人は?」
「今やっと寝たわ。妹がリグちゃんで7歳、お兄ちゃんのジルくんは8歳。そこまで聞き出すだけで一苦労だった。まったく誰かさんのおかげで、かわいそうにおびえきってたもんね」
 アローテの送った視線の先の、その「誰かさん」は一同から背を向けた格好で、一心不乱に生肉を頬張っている。
『アーッ、ルギドサマ! ワタクシノ分ハ?』
 ゼダはルギドの座る椅子の腕に舞い降りて、騒ぎ始めた。
『ズルイデスヨ。ワタクシ一人ニシャベラセテオイテ、全部食ベチャウナンテ!』
『うるさい! 使い魔は主人の爪についた肉を掃除して、腹を満たすものだ』
 ギュスターヴは、まだ腹を抱えて、ひいひい笑っていた。
「ゼダと二人の子どもに囲まれてるルギドってさ……、なんか似合うよな。3人の子連れのお母さんみたいで」
「何か言ったか、ギュスターヴ?」
 ルギドは血だらけの口を腕でグイと拭きながら、ふりむいて睨む。
『マタァ、ルギドサマ。チャント、コレデ拭イテクダサイ!』
「そうか、ルギドの方が子どもで、ゼダがお母さんか」 とさらに追い討ちをかけるギュスターヴ。
「それにしても、どうする? あの子たち」
 母性本能に目覚めたアローテは、ほっと吐息をついた。
「この都に残していくのは、とても危険よ」
「奴隷売買がなかば公認の都だからな。遅かれ早かれまた捕まる。役人もグルじゃ、王に直訴しても無駄みたいだしな」
 アシュレイは悲しげにつぶやいた。
「ペルガで思い知らされたよ。もう勇者ではない僕には、何の力もない。王に拝謁を願うことも、役人たちに話を聞いてもらうことすらできなかった。 北の小さな村の村長が申し出てくれなかったら、あの人たちは未だに落ち着く先さえ決まらなかったろう」
「この都であんな善人を見つけるのは、至難の業だな。近隣の村も全滅状態だし……」
「あの子たち……、いっしょに連れて行けない?」
「何言ってるんだ、アローテ。僕たちの行く先には、戦いしかないんだぞ。子どもを連れて行けるわけがない」
「せめて、信頼のおける人を見つけて、あの子たちの世話を頼めるまで……」
「今のこの戦乱の世の中だぞ」
 アシュレイは当惑して首を振った。
「僕にはもう、信頼のおける人はいない。祖国も失った。親しかった人もみな……」
「テアテラは? ユツビ村なら同じ年頃の子どもも多いし」
 アローテが提案する。
「今エルド大陸に戻るのは、得策じゃない。第一、テアテラには結界があってルギドとゼダが入れない」
 アシュレイはふと、何か思いつき顔を上げた。
「スミルナなら……、ラダイ大陸のスミルナ王なら、僕が勇者でなくともきっと助けてくださるはずだが」
「魔王軍に征服されて以来、スミルナ王国の消息は聞こえてこないぞ」
 ギュスターヴが即座に否定した。
「ルギド、おまえなら知ってるはずだ。いったいスミルナとデルフィアの人々は……」
 そのとき隣室との仕切り布が動き、一同がふりむくと、夜着姿の少年が立ってこちらを見ていた。
「ジルちゃん」
 アローテがあわてて駆け寄る。「もう起きちゃったの?」
「リグはよく寝てる。俺は夢を見て起きてしまった」
 ジルは真っすぐににらみつけた。
「紅い目の悪魔が村を襲う夢……。寝るたびに見る。だから夜は眠れない」
 ルギドは頬杖をついたまま、少年の顔をじっと見つめ返した。
「紅い目の悪魔! なぜ俺たちを助けたんだ! 父ちゃんと母ちゃんは殺したくせに。なんで俺たちを助けたりする?」
「待って、ジル。ルギドは……」
「殺してやる! 恩になんか着るものか。どこまでだって追っかけてって、おまえを殺してやる!」
「殺せるものなら、そうしてみろ」
 抑揚のない声が答える。
「……ルギド?」
「おまえに剣を買ってやろう。好きなときに切りつけて来い。昼でも夜でもいい。ただし、俺はおまえに殺される隙など見せんがな」
「覚悟しろ。俺は絶対、おまえを殺す」
 ジルの瞳は、先ほどとはまるで別人のように、青く虹彩を燃やした。
「安心して眠ることもできないようにしてやる。おまえが俺にしたように!」
 ルギドはアシュレイの方に体を傾けた。
「そういうことだ。しばらくこいつらは俺が連れてゆく。口出しも手出しもするな」
「ルギド、おまえ……」
 アローテがジルを再び隣室の寝床に連れて行ったあと、アシュレイは非難のことばを口にした。
「もっと別の言い方があったろう」
「憎しみは生きる力の中で最大のものだ。子どもでもわかる」
「でも……」
 ギュスターヴが背後からアシュレイの肩を引き戻した。
「思うようにさせてやれよ」
「え?」
「それよりも」
 ルギドは足を組み直して、一同を注目させた。「さっきの話だ」
「さっきの話?」
「スミルナのことだ」
「……話してくれ。いったい何が起こったんだ」
「スミルナの人間どもは無事のはずだ。……多分」
「多分とは、どういう意味だ」
「俺が魔王軍を離れて、もう何ヶ月経つと思っている? あれから大きく情勢も変わった。……だが」
 彼は考え込むように右手を顎に当てた。
「もしあの女が、あのまま俺の計画を進めているとすれば、スミルナの人間は生かしてあるはずだ。それにデルフィアの人間も」
「デルフィア? 連れ去られたデルフィアの国民もスミルナにいるのか?」
「そうだ」
「おまえの計画って何だったんだ?」
「スミルナとデルフィアの国境のテーネ川に、巨大な要塞を築くことだ。そのために多量の労働力を必要とした」
「それに、あの女って誰だ?」
「魔王軍上級指揮官のひとり、ラミルという女だ」


 それから5日が過ぎ、一行はラダイ大陸へ向かう小型の貨物帆船の中にいた。
 そもそも船を出港させてくれる船主を探すのに困難をきわめた。
 エペは国民が激減した中、船乗りのうちかなりを兵として徴用せざるをえなくなり、商業航路以外に遊んでいる船員など皆無だったのである。
 結局莫大な金を支払って、スミルナ沖を通過だけするという約束を取り付けて、ようやく貨物とともに同乗させてもらったわけだ。
 波は毎日おだやかで、空は晴れ渡り、甲板には心地よい微風が吹きぬけていた。
「待ってぇ……、おねえちゃん」
 あどけない少女の声が響いてきて、ギュスターヴは長い髪を押さえながら振り返った。
 アローテとリグが追いかけっこをしながら、船倉から甲板に上がってくる。
 リグは髪を切りそろえてもらい、こざっぱりとした女の子らしい長衣を着て、最初の煤だらけの姿から比べると、見違えるほどかわいらしかった。
 古くから多民族が入り混じったサキニ大陸ならではの彫りの深い顔だちと深く青い瞳を、ジルとリグは共有している。
「おねえちゃん、今度は呪文を教えて」
「いいわよ、一番簡単なのからね」
 アローテの献身的な世話の甲斐あって、5日のあいだにリグは、本来の子どもらしい明るさを取り戻していた。
 一方ジルのほうは、兄という責務も手伝って、いまだに妹を自分の陰にかばい、他人を疑い深そうに見る癖がぬけない。
「あ、三つ編みのおじちゃん」
 リグは、船べりにいるギュスターヴを認めて、走りよってきた。
「これは三つ編みじゃねえ!」
 憤慨して彼は怒鳴った。
「ましてや俺はおじさんなんかじゃねえ! まだ二十歳だぞ」
 どこかおどけた彼の口調に、リグはキャッキャッと笑った。
「おじさんだよねえ。いっつも疲れた疲れたって言ってるもんねえ」
 アローテが笑いながら、リグと額をこつんと合わせる。
「ちえっ、アローテはあの二人が来てから、すっかりお母さんだな。ま、楽しそうだからいいけど」
 彼らのもとを離れ、ぶつぶつ呟きながら船尾まで来ると、ジルが両手に顎をうずめて、ひとり海を見ているのに気づいた。
 その腰には、エペでルギドが見立てたブロンズナイフがぶらさがっている。まだ小さなジルの体には、それでも長剣のように見えるのだ。
「よっ。ジル」
「あ、ギ、ギュス……」
 ジルは恥ずかしそうに振り向く。まるで彼の名を呼ぶことが、新米には許されていないとでも思っているようだ。
「どうだ、調子は? ルギドの奴の髪の毛一本くらいはむしり取ってやったか?」
 ジルは強く首を振った。
「あいつ、全然隙がない。ぐっすり眠ってるはずなのに、一瞬の差で俺の剣をかわすんだ。まるで遊んでるみたいに」
「ははは。そりゃ遊んでるな」
 ギュスターヴは船べりを叩いて笑った。
「ま、人間のときから並外れた奴だったからな。魔族になった今じゃ、隙なんか捜せっこないだろうよ」
 彼は、ジルがもの問いたげに自分を見ているのに気づいた。
「アローテから聞いてるよな。ルギドが昔、人間だったこと。俺たちの仲間だったことを」
「うん」
「その記憶を取り戻して、自分から死のうとしたことも知ってるな」
「……うん」
「じゃあ、おまえの父親を殺した奴と、今のルギドが全く別人なんだってこともわかるな?」
「わかんないよ!」
 ジルはうなずくことを、必死で拒んだ。
「だって、おんなじ顔じゃないか。おんなじ紅い眼じゃないか。……父ちゃんを殺したおんなじ手じゃないか!」
「そうだよな。こういうのは理屈じゃないよな」
 ギュスターヴは空を見上げて、ほうっとため息をつく。
「……実を言えば、俺もアシュレイも……、多分アローテも、ときどき無性に奴を赦せなく感じるときがあるんだ。もちろんすぐに自分に言いきかすんだけど」
「……」
「たぶん、ルギド自身も自分に対してそう感じてるんだと思うぜ。だからすごく苦しい表情をするときがある。いつもは威張ってるように見えるけどな」
「……」
「ルギドがおまえたち二人を連れて行くって決めたとき、俺はもしかすると、おまえたちがあいつを救ってくれるんじゃないか、って思ったんだ」
「救う? 俺たちが、あいつを?」
 信じられないという風に、ジルは問い返した。
 ギュスターヴはうなずいた。
「ずっと昔、まだ人間だったあいつから身の上話を聞いたことがある。魔物に親を殺されてひとりぼっちだったんだ。4歳のときから」
「それも聞いた。アローテから」
「それから転々といろんな人のところを渡り歩いた。そして8歳のとき、ついに奴隷に売られたそうだ」
「え……」
「ここから先は、アローテには話してないと思う。俺だけが聞いたはずだ。だから黙っておけよ」 と念を押したあと、
「ただの奴隷じゃなかったんだ。男娼って言って……。男の夜の相手をする奴隷だった」
「……なに?」
「わかんないだろうな。汚い話だからよ。あいつはあの通りのきれいな顔だから、きっと子どもの頃は女みたいに可愛かったんだろう。 こんな戦乱の時代には、可愛いことはいいことじゃない。
男に体を弄ばれて、汚いことをさせられて、気絶するまでぶたれて……。強くなりたい、こんな奴ら殺せるほど強くなりたいって思ったそうだ」
「……」
「何ヶ月かして、ようやくそこを脱走して。……でもそれから長い間、夜になると夢にうなされたそうだ。魔物が親を殺す夢を。人間が自分を襲う夢を」
「……ッ!」
 ジルは身震いした。
「そんなとき、助けてくれた放浪民族の族長が、一本の剣をくれたそうだ。必死になって使い方を覚えた。毎日毎日、手が動かなくなるまで稽古した。
それ以来夢にうなされなくなったと言ってた」
「そ、それじゃあ……」
 ジルはぼんやりと、自分の腰のナイフを見た。
「ルギドがおまえにそのナイフを買ってやったとき、俺はわかった。自分と同じ思いをさせたくないって奴が思ってるのをな」
 ギュスターヴはジルを見てにっこりと笑った。
「おまえ、もう悪夢を見なくなったろう?」
 だがジルは、怒りに顔をひきつらせていた。眼に涙をいっぱいためながら。
「なんで、何で、あいつはそんなに俺と似てるんだ? 魔物に父ちゃんたちを殺されて、奴隷に売られて、夢にうなされて、強くなりたいと思って!
……それなのに、自分も魔物になって、俺の父ちゃんを殺して、……俺に同じような思いをさせて!」
「ジルッ!」
 ギュスターヴは少年を自分の両腕に抱き取った。
「すまん、すまん、ジル。こんなこと話さなきゃ良かった……。俺はただ、ルギドもおまえも救われてほしい、そう思っただけなんだ……」


 船室のテーブルの上の大きな地図をはさんで、ルギドとアシュレイは向かい合っていた。
「ここがテーネ川。その南がスミルナ、北がデルフィアだ」
「ああ」
「スミルナは海岸線を高い岩に囲まれた国で、良い港がない。テーネ川の河口から上流にさかのぼる川岸が、唯一船が停泊できるところだ」
「そうだな」
「俺はこの河口に砦と堤防を築き、その上流に魔王城に匹敵する巨大な要塞を建てさせ、俺たちの拠点にする計画を立てた。そのために」
 ルギドの尖った爪は、スミルナの地図を南から北にすっと横切った。
「俺は全軍を投入し、まずスミルナ全土を制圧した。これに一ヶ月かかった」
「このとき、スミルナの王都や村は破壊しなかったんだな」
「ああ、ほとんど無傷で残しておいた。だからこそ三個師団も必要だったのだ。ただ壊すだけなら、俺ひとりで十分だからな」
「ではなぜ……デルフィアはあれほど徹底的に破壊したんだ?」
「デルフィアは初めから、人間を捕らえ移すつもりで制圧したからだ。スミルナという「農場」に、2つの国民を詰め込んで「飼う」ためにな」
「……!」
 ルギドは冷たく微笑んだ。
「いちいち俺のことばに律儀に反応するな。これは魔王軍で使っていたことばだ」
「……すまん、先を続けてくれ」
 顔を赤らめてアシュレイが言う。
「俺はスミルナ王と取引をした。俺たちの監督の下、奴に自治を認め、要塞建設に必要な物資と、人間の奴隷とを供給させる。
奴は、俺が今まで会った人間の王の中では一番ましだった。俺に逆らうことが無駄であることも、もし逆らえば何が起きるのかを瞬時に理解し、服従した」
 アシュレイの指先がかすかに震えているのを、ルギドは見てとった。
 スミルナ王ゼリクは彼がもっとも尊敬する歴戦の勇士であり、勇者としての彼の先輩と呼べる存在だったのである。
「それから俺は二個師団を取って、今度はデルフィアに侵攻した。国境のテーネ川を越え、王都に向かって順番に村々を襲って行った。何せ急いでいたので、かなり荒っぽいやり方だったが」
「ああ、そうだな」
 アシュレイは額を拳で押さえ、目をつぶった。
「初めてあの破壊され尽くした村を見たときは、背筋が凍ったよ」
「村人たちはそのまま、スミルナに送り込んだ。最後に王都を陥としたとき、さらに1ヶ月が経っていた。
デルフィア王都の住民は十万もいたからな。国中の船をかき集め、スミルナまで運ぶのにかなりかかった。
勇者率いるサルデス軍船団がデルフィアに着いたのと、最後の魔王軍を引き上げさせたのは、ほとんど同時くらいだったかな」
 勝ち誇ったように話すルギドを前にして、アシュレイは錯覚に襲われるのを懸命にこらえていた。
 ……こいつは敵じゃないか。なぜ僕は今、こいつと一緒にいるんだろう……。
「アシュレイ?」
「あ、ああ」
 ようやく我に返った。
「それ以来デルフィアの人々は、スミルナで生活しているというのだな」
「スミルナ王はよくやってくれた。新しい町を建設し、乏しい食料を配給した。俺は1日三交代の突貫工事を、2つの国民に一週間ずつ分担させた。工事がはかどらない側の人間を次の週の食料にするというルールを作ってな。
みんなよく働いた。3ヶ月でほとんどの工事は終わったと聞く」
 ルギドは口をつぐんだ。
「俺の話は不愉快だったようだな、アシュレイ」
「いや、話してくれて助かったよ」
 彼は微笑を浮かべたが、決して目を合わせようとしない。
「それで、今スミルナはどうなっていると思う?」
「俺は要塞の完成を見ず、次の戦地に向かった。後を引き継いだのが、さっき言ったラミルという女だ。こいつは魔将軍の中で俺が一番能力を買っていた。頭が切れる。もし今もそいつの指揮下にスミルナがあるなら、少なくとも秩序は保たれているだろう」
「スミルナとデルフィアの国民は無事ってことか?」
「それと同時に、魔王軍も手強いということだ」


 それからさらに5日―― 。
 長い航海のあと、彼らはスミルナ沖で小舟に乗り換え、岸を目指した。
 波はごつごつと飛び出る岩に砕け散り、小舟は木の葉のように舞いながらようやく岸壁にとりついた。
 全員ずぶぬれになり、リグは恐怖と疲労のため、ぐったりと座り込む。
「この岩場を登るのかぁ」
 げんなりしてギュスターヴが叫んだ。
「それしかない」
 リグをひょいと肩に担ぎ上げると、ルギドは岩に手をかけながらジルを見下ろした。
「ひとりで登ってこられるか?」
「あたりまえだ!」
 むきになって怒鳴ると、身軽によじのぼり始める。
『ゼダ』
『ワカッテイマス、ルギドサマ。チャント、ジルノソバニ、ツイテイマス』
 アローテがローブの裾をたくし上げて、ふくらはぎで縛った勇ましい姿で一同を鼓舞した。
「みんな、続くわよ」
 ぬらぬらと塩水と海草でぬめった岩肌を、何度もすべり、擦り傷と青あざだらけになりながら、ようやく頂上に着いたのは、日も海の彼方に沈もうとする頃だった。
「そこの岩の裂け目で風をよけて、夜明けまで待とう」
 アシュレイの提案で、一行は土を掘りその中に焚き火を熾した。浜風と、万が一の魔王軍の偵察を警戒してのことである。
 ふたりの子どもは湿った毛布にくるまると、すぐに寝入った。
「アッシュ」
 ギュスターヴは、岩場に身体をなかば凭れて暗い海を見入っている友に近づいた。
「ギュス、覚えているか。まだ三人だった頃、旅を始めて最初に来たのがここだったな」
「ああ」
「ゼリクさまは僕たちに海釣りを教えてくれたな。釣り糸を垂れながら、まだ十四歳だった僕に勇者の心得や、人間の歴史、いろんなことをたくさん話してくれた」
「アッシュ。言わなくてもいいことだとは思うが……」
「わかってる」
 アシュレイは、海に反射する月の光に薄く照らされた顔を微笑ませた。
「ルギドがゼリクさまにしたことも、スミルナやデルフィアの人々にしたことも、僕は責めるつもりはない。あいつがそのことで苦しんでいることはわかってる」
「なら……」
 勇者はうなだれた。
「だが僕の心のどこかで、いつも奴を責めている部分がある。赦すと言ったのに、……勇者の名において赦すと言ったのに、僕は赦していない!」
 彼は血を吐くように低く叫んだ。「僕の心は……醜い!」
 ギュスターヴは震える友の肩をポンと叩いた。
「人の心は醜い。だから同じように醜いものを赦すことができない」
「……」
「うちの長老さまの至言さ」


 朝日が昇りきる前に、彼らは王都を見下ろす丘の上に立った。
 王都スミルナは低い山に三方を囲まれた、盆地状の平原の中にある。
 夜明け前のひとときの夢に眠る街は、アシュレイたちが以前見た美しい都とは程遠い、バラック小屋が隙間なく敷きつめられたスラム街と化していた。
「これはひどい……。立錐の余地もないじゃないか」
 ギュスターヴがつぶやく。
「この都だけで五万人のデルフィア人を収容している」 ルギドが言った。
「もう裏通りは全てつぶされて、家が建っている。通れるのは縦横16本の大通りだけだ」
「その大通りの角々に数人ずつ、4つの広場には一個小隊が駐留しているな」
 目を細めながら、アシュレイは薄明かりを頼りに、的確に状況を見てとった。
「ルギド。街の右半分は任せる。僕は左に行く」
「わかった」
「俺の魔法が合図だ。それまで鳴りをひそめててくれ」 とギュスターヴ。
「ああ」
「怪我したら、いつでも戻ってきてね」
 アローテは防御呪文を2人にかけ終えると言った。
「私は、ギュスとジルたちとここにいるから」
「いくぞ!」
 作戦は初め、沈黙のうちに進められた。
 山の端から朝日が、王城の尖塔を貫くように射しこむ頃。
 大音響が都じゅうに鳴り響いた。
「すげえ! やっぱり盆地は音の反響が違う」
 雷撃呪文を放ち終えた手を降ろしたギュスターヴは、両耳を押さえているアローテと2人の子どもににんまりした。
 その音を合図にアシュレイとルギドは、王城わきの左右の広場で同時に攻撃をしかけた。
 剣が一閃、二閃するたびに、バタバタと魔物が倒れ、前触れのない爆発音とあいまって、魔王軍を大混乱におとしいれた。
 もとから敵の全滅を意図したわけではない。
 奇襲で敵の指揮系統をめちゃめちゃにして、王都からの退却を促せばよいのだ。
 アシュレイもルギドも広場の敵将をしとめると、馬を奪い、都の大通りを剣をかざし、雄たけびをあげて駆け抜けた。
 中央広場でふたリは合流した。
 さすがにこのあたりまで来ると、態勢を立て直した魔王軍が彼らを迎撃せんと、隊列を組んで待ち構えている。
 しかし加速のついた2人の敵ではない。
 アシュレイは敵の隊列を飛び越えると、馬から飛び降り、振り向きざま敵の背後から突っ込んだ。
 リーチの短いレイピアは、接近戦に向いている。
 一方ルギドは騎乗したまま長い大剣を振り回して、敵の正面を打ち砕いた。
 みるみるうちに、立っている者より横たわる者が数を増した。
 たった2人の奇襲に翻弄された彼らは、恐怖という名の鎖にからめとられていく。
 ルギドは手綱をしぼり、馬を小隊長らしき魔族の前に立てると、叫んだ。
『クラドゥ エピゲム ジュリス オル ハ? (おまえたちの指揮官の名は?)』
 いきなり自分たち魔族のことばを投げかけられ、当惑した下士官は、馬上の敵を見上げた。
『ティエン・ルギド……』
 半信半疑のまま、彼らの王子の名をつぶやく。
『いかにも、俺はルギドだ。おまえたちの指揮官の名を言え』
『ラ、ラミルさまです』
『フ、やはりな』
 ルギドはにやりと笑うと、
『ラミルの奴に言え! この国は俺がもらう。一国も早く俺の要塞を明け渡せ、とな!』
『は、はい!』
 小隊長は広場にいた全員に長い命令をわめくと、あたふたと退却を始めた。
 ものの半刻で、王都からすべての魔王軍は消えていた。


 王宮。謁見の間。
「ゼリクさま。ご無事でなによりでした」
 アシュレイたちは王の面前にひざまずき、拝礼した。
「アシュレイ、ギュスターヴ、アローテ。よく来てくれた。おまえたちは百万の援軍にまさる活躍をしてくれた」
 ゼリクは玉座から立ち上がった。
 もうとっくに七十才を過ぎているのに、まるで五十才そこそこの壮年のように若々しい肉体。
 肩まで垂れる白髪と白い口ひげが、年齢よりも王者の威厳を感じさせる。
「わが国を襲ったこの1年間の悪夢の日々を思うと、今日の喜びは天に昇る心地だ」
「もっと早くお助けにあがるべきでした。でもわが祖国も……」
「ああ。サルデスの苦難とルシャン王のご不幸については、風のうわさに聞き及んでおる」
 王は悲しげに深くうなずいた。
「アシュレイよ。そなたも辛い経験をしたな」
「もったいないお言葉、かたじけのう存じます」
「それにしても、その広間の隅に立っておられるお方はどなただ?」
 ゼリクはいぶかしげに、頭をめぐらせた。
「名のある剣士とお見受けするが」
「ゼリクさま、実は……」
 そのとき、その長躯の剣士はついと進み出て、アシュレイたちの背後に立った。
「ひさしぶりだな。スミルナ王」
「……そなたは?」
 彼がゆっくりとフードをはずすと、謁見の広間の中に驚愕が走った。
「ルギド!」
 ゼリクは一瞬のうちに身構え、剣の柄に手をかけた。
「おのれ! どこからまぎれこみおったか」
「お待ちください、ゼリクさま!」
 アシュレイが両腕を広げて、ゼリクの行く手にたちはだかった。
「お信じになれないかもしれませんが、ルギドは今は私たちの味方です」
「な、何だと?」
「お願いします。みなさんも私の話が終わるまでお静まりください。私を信用してください!」
 アシュレイの放った凛とした一声が、恐慌に陥りかけた王と家臣たちを治めた。
 続いて彼の語った今までのいきさつに聞き入る人々の間には、しわぶきの音も、身じろぎの気配すらなかった。
「わしには信じられぬ……」
 ゼリク王は、当惑のあまり玉座の腕を握りしめながら、腰をおろした。
「人間の憎むべき宿敵、魔族の子ルギドよ」
 低くかすれた声で、王は問いかけた。
「まことに、そなたは誓って、人間にくみすると言うのか」
「俺は己のすることを、いちいち誓うつもりはない。スミルナ王」
 ルギドは尊大な口調で答えた。
「ただ、この国から魔王軍を撤退させる。これは俺の意思だ」
「そうか……」
 ゼリクはふたたびアシュレイに向き直った。
「勇者アシュレイ」
「おことばながら、私はもう勇者と呼ばれる資格はございません」
「いや、そなたは勇者だ。他の誰が認めずとも、わしが認める。かって勇者の称号をもって呼ばれたこのゼリク・ライオネルがな」
 王は笏(しゃく)を彼に向かって差し出した。
「勇者アシュレイ・ド・オーギュスティンに我が全軍の指揮権を与える。いかようにもして、この国、ひいてはこの大陸より魔王軍を撃退せよ」
「謹んで拝命いたします」
「アシュレイ。……あとでそなただけ、わしの部屋に来てほしい」
 謁見が終わり、与えられた部屋に戻ると、ほどなくアシュレイひとりが王のもとに召喚を受けた。
 通されたのは王の寝室で、そこには式服を半分脱いで、片袖を腰からぶらさげたゼリク王が、腕組みして行きつ戻りつを繰り返していた。
「アシュレイ!」
 ゼリクは満面の笑みを浮かべて飛びついてきた。抱擁というなまやさしいものではない。
「あー、窮屈だったぜえ。まったく謁見なんて堅苦しいものは、なしにしてほしいや」
「ゼ、ゼリクさま、苦しい……」
 家臣の手前ずっと王らしくふるまっていたが、本当のゼリクは、勇者として世界を旅していた二十歳のころと何も変わっていなかった。
「それで、僕ひとりだけお呼びになったのは?」
「ああ、それなんだが、少し気にかかることがある」
「何なりと。ゼリクさま」
 王は、むくれた少年のように唇を突き出して、ぼそりと言った。
「おまえ、あのルギドのことを本当に信用してるのか?」
「え?」
「俺の思い過ごしかもしれん。……けど、俺の勘はよくあたる」
 そして低くつけくわえた。
「あの男、裏切るぞ」


Chapter 11 End

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