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Chapter 13
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ルギドは一晩中、最上階の回廊の縁にもたれて、円錐の頂点からさしこむ月の光が少しずつ位置を変えながら、彼の建てた要塞を階下まで照らし出してゆくのを眺めていた。 やがて朝の陽光がそれに取って代わり、黒光る内壁をうっすらとバラ色に染める時刻になると、ラミルが軍靴の音を響かせて近づいてきた。 『何だ。こんなところにいたのか。探したぞ』 優しい微笑をうろこのある顔に浮かべながら、彼女はルギドを見つめた。 『眠れなかったのか』 『ああ』 『心は決まったのか?』 『ああ。やはりおまえと組む』 『人間たちは承諾したのか?』 『あいつらとは……別れた』 ラミルは甲高い突き抜けるような声で笑った。 『そうなると思ったよ。魔族が人間とともに生きるなど、人間が魔族を受け入れるなど、そんなことはありうるはずはなかったのだ』 『……』 『奴らは必ずおまえに弓を引く。私はそう思っていたよ』 『……』 『でもよかったではないか。早く奴らの真意に気づいて』 ラミルは腰をかがめ、うなだれて坐っているルギドの耳にささやいた。 『それでは、あいつらを始末した私の判断は正しかったわけだな』 『なにっ?』 彼は目を見開いて振り向いた。 『昨夜遅く、奴らの寝所に毒をまいた。ぐっすり眠ったままあの世に行けただろうよ』 『貴様……ッ』 ルギドはギリッと歯噛みした。 『何だ、女にだけは未練があったとでも言うのか?』 ラミルはたるんだ瞼を半分閉じ、鼻で笑った。 『女にだらしない王子さまのことだ。魔族でも人間でも相手かまわず抱いていたのだろう?』 『……ラミル!』 立ち上がったルギドの手の届く範囲から素早くしりぞくと、 『もうこれで、おまえは人間のところに戻れまい。勇者たちを見殺しにした卑怯者と見なされるだけだ』 彼女は勝ち誇って言った。 『だが魔王軍のもとにも戻れる道理はないぞ。一度裏切って人間の味方をしたのだからな。 わかるかね、ルギド王子。魔王軍のどこにも、おまえの居場所などないのだよ。 家畜の肉を食らう指揮官などには!』 『……』 『なんなら私のしもべとして使ってやろう。私にひざまずいて懇願するならな』 突然ルギドは、我慢していたものを全身から噴き出すような大声で笑い始めた。 『……狂ったか?』 ラミルは面食らって、さらに2、3歩後ずさった。 『失礼、これほど笑うつもりはなかったのだが』 ルギドは回廊のへりに再びもたれかかって、声を整えた。 『おまえの能力を、これほど見誤っていた自分がおかしくてな』 『な……に?』 『夕べ、俺の部屋を監視していたはずなのにわからなかったのか。俺の使い魔のゼダがまったく姿を見せなかったことに』 ラミルが息を呑むのが手に取るようにわかった。もし彼女の顔が緑色でなかったなら、すっと血の気が引いてゆくのが見えたろう。 『まさか……』 『昨夜撒く予定だった毒は、撒き役の部下たちといっしょにゼダが始末した。……そうそう、その毒はきちんと使わせてもらったぞ。兵舎の各部屋に少しずつ撒かせたから、今ごろは死んでないにせよ、痺れて動けんだろう』 『クッ』 『静かで平和な朝だとでも思っていたのか? 兵の姿がひとりも見えないのに、なぜ気づかなかった?』 『ルギド!』 鋭く叫ぶと、ラミルは剣を鞘から抜いた。 『初めから、気づいておったのか?』 『そうだな。あの使者の大仰な口上で、おまえの意図はあらかた察しがついた。俺を人間の疑心の的とすること。人間から孤立させること。……そうであろう?』 『……』 『かなり以前から、おまえはこの計画を始めていたようだったな。スミルナ王と接するとき、何か秘密でも持っているように装っていたろう。意味あり気な視線。含み笑い。――おまえの得意技だ」 彼は薄く笑みをうかべた。 『案の定、あの人のいい爺さんは、俺に会ったときからすっかり疑い深くなっていた。そしてその疑いは家臣団にも伝わり、そしてアシュレイにも……』 『あの勇者どもは、おまえと決裂したのではなかった、というのか』 自分の犯したミスを見直すことに没頭して、ラミルはうつろな視線を漂わせた。 『もしおまえが夕べ、俺たちの声だけでなく部屋の様子もうかがっていたというなら、俺の手元に気づくべきだったな。俺が落書きに見せかけて、人間の文字であいつらに調子を合わせるように命じていたのを』 『芝居だったのか』 『約一名、本気で怒っていた奴もいたようだがな』 「ルギド!」 にぎやかな足音が響き、アシュレイたち三人が階段を駆け上がってきた。 「作戦完了だ。魔王軍の奴ら、一匹残らず縛り上げておいたぜ」 ギュスターヴが陽気に報告した。 「ゼダを王宮に使いに出した」 アシュレイが続ける。 「書状を持たせてあるから、まもなくスミルナ軍がこちらに向けて出発するだろう」 「よくやった。ご苦労」 「くそーっ、ムカつく! その指揮官ぶった口調はやめろって」 四人は微笑んだまま、応酬する。 『そうか……』 ラミルは屈辱に身を震わせながらつぶやいた。 『結局私は、おまえに何もかもかなわなかった……というわけだな』 『ラミル。おとなしくこの大陸から出てゆけ』 『笑止!』 彼女はいきなり、ルギドに切りかかった。 『貴様の首取るまでは、ここから一歩も動くわけにはいかぬ!』 ラミルの電光石火の攻撃を、鞘に入ったままの大剣で受け止めると、ルギドは加勢に入ろうとする仲間を肩越しに制した。 「ふたりとも手出しはするな。アローテ、防御呪文もかけるな。これは俺とラミルだけの戦いだ」 鞘からするりと剣を引き抜くと、ふたたび刃を合わせる。 しんと静まりかえった要塞に、幾重にも反響した硬質の衝撃音と、交差した剣からはじける火花が飛び散る。 ラミルは腕力に劣る分、猛烈な速さと人の意表を突く剣技で襲いかかって来る。 だが所詮、実力は遠く及ばなかった。 数十閃にわたる無言の打ち合いの末、ルギドの剣が彼女の鎧の継ぎ目を打ち砕いた。 胸から真っ黒な血しぶきをあげて、ラミルは回廊の真ん中に仰向けに倒れる。 『ラミル』 彼は血に濡れた大剣をぶらさげたまま、息絶えようとする女剣士のもとに近づき、膝をついた。 『ルギド……さま』 ひゅうひゅうと鳴る、せわしい息の合間に、彼女は微笑もうとした。 『私は、ほんとうに……、本当にあなたのことを……愛して……』 ルギドはゆっくりと彼女の上にかがみこんだ。銀色の髪を死に行く者の顔や胸にヴェールのように落とすと、優しい声で耳元にささやいた。 『誰が信じるか。おまえの言うことなど』 『フ、フフ……』 ラミルはとぎれとぎれの笑い声をあげると、そのまま最後の息を吐き切って、動かなくなった。 それから1ヶ月というもの、スミルナ王国は歴史の教科書の四分の一を書き換えるほどのできごとの連続に沸いていた。 捕虜となった魔王軍兵士たちは、指揮官の死でもはや抵抗する気力を失い、ルギドの命令に従って自分たちの軍船で魔王城へと撤退した。 そのうち数百人は、もともとルギドの配下にあった兵士たちだった。 つかのまの再会を果たしたあと、彼らも一隻の船で、サキニ大陸の風の階(きざはし)のある北の森に、仲間と合流するために向かって行った。 テーネ要塞はスミルナ軍によって封印された。 王宮、王都、いや国中の村で祝勝の宴が何日ももよおされ、スミルナ国民もデルフィア国民も、乏しい酒と食料を分け合いながら、待ち望んでいた解放の喜びを謳歌した。 アシュレイはスミルナ王ゼリクの手により、ふたたび勇者の称号を与えられ、その印であるプラチナのサークレットを与えられた。 そのことを触れる使者が国中を駆け巡り、人々の新たな乾杯のたねとなった。 ひと月後、デルフィアの国に向けての第1陣が、スミルナ軍の護衛に付き添われて、何十隻もの船に分乗して、テーネ河口を出発した。 都と村々の再建がある程度進んでから、第2陣、3陣が続く計画である。 国境近くの村の住民たちの中には、荷車を押しながら徒歩で上流を渡ってゆく者も少なくなかった。 遙かテーネの河口を下る何十隻もの帆影を見晴らす丘の上に、ルギドは腰かけて何時間も過ごしていた。 「おおい」 ギュスターヴの声が聞こえ、続いて彼の姿が向こうの尾根から現われた。 「こんなところで、油売ってやがったのか」 丘を駆けのぼってきた荒い呼吸をしばし整えると、ルギドの横に腰をおろした。 「おお、壮観だな。青い川に緑の平原、白い帆布に羊のように群れをなして旅立つ人々……か」 ギュスターヴは気持ちよさそうに、大きく伸びをして天を仰いだ。 「終わったな。この国での俺たちの仕事は」 「ああ」 ルギドはうなずいた。 「良い国だ。王のもとで民がひとつとなっている。もう魔王軍のつけいる隙を与えることはないだろう」 「ほんとうはおまえ、この世界を支配したいと、少しは本気で思ってたんじゃないか?」 ギュスターヴがさぐるような視線を浴びせた。 「奴隷制度を認めるような国々などより、自分のほうが王にふさわしいって、心のどこかで考えていたろう」 「なんだ。まだ疑っているのか?」 ルギドは横目で彼を見て微笑んだ。 「そんなこと考えてはおらんよ。あれは芝居だ」 「それならいいが、ちょっと……な」 ギュスターヴはくすくす笑った。 「あの夜アローテがなかなか泣き止まなくって往生したよ。本気で泣いちまってたんだ。おまえがほんとうに離れていくような、そんな気がしたんだと。あのとき言ったことが、本当にそう思っているように見えたんだと。 アシュレイもなんだかしょんぼりしてたぞ」 ルギドは草むらに仰向けになった。 「おまえたちこそ、俺には本心を言っているように思えたが」 「え?」 「特にギュスターヴ、おまえは8割がた本心だったな」 「じ、冗談じゃねえよ!」 しどろもどろに彼は叫んだ。 「俺だってあれは芝居だ! た、多少は、ところどころは本心が出たとこもあったけど」 「ハハ……」 「ルギドよぅ」 ギュスターヴは真剣なまなざしでたずねた。 「もし、俺たちのあのいさかいが本心からだったとしたら、おまえどうするんだ? 俺たち、いっときでもおまえを疑ったことは……事実だったと思う。それでも俺たちといっしょに旅を続けられるのか?」 「別にどうということはない」 ルギドは気持ちよさそうに目を閉じた。 「ここにあのリュートとかいう男がいたら、多分こう言うだろう。お互いの本当の心がわかったとき、初めて本当の仲間になれるんだ、と」 「うん。リュートらしいセリフだな」 「俺には、まったく理解できんがな」 「ルギド。おまえ、全然思い出せていないみたいだから言うけど。……ま、リュートの名誉のためにな」 「あ?」 「リュートがわざとアローテの前で、酒場の女といちゃついたのはな。アローテに自分のことをあきらめさせるためだったのさ。 奴も本当はアローテが好きで、でも俺のためにって自分の気持ちを押し殺して……。まったく、そばで見ていてイヤになるくらい不器用な奴だったよ」 ゼリク王は、出発する四人を見送るため、都中の人々とともに王都の城門に立っていた。 「勇者アシュレイ。そなたと仲間の行く道に、神のご加護のあらんことを」 「ありがとう存じます。陛下」 「それから、魔族の子ルギド」 「ああ」 「いろいろとそなたには済まぬことをした。わしの狭量な心と言動を赦してほしい」 「別にかまわぬ。スミルナ王。非は俺にある」 「ルギドよ、あの丘を見よ」 ゼリクが頭をめぐらせて指差したのは、王都を三方から見おろす小高い丘だった。 「木々がほとんど伐採されつくして、無残な姿をしている。あれはデルフィアの民の家と燃料とするために木を刈り取った結果だ。元通りの森になるまでは三十年はかかるだろう」 「……」 「幸いにして、デルフィアの民も春の種まきには間に合うように帰ることができた。しかし荒れ放題の畑を耕し、元通りの収穫を得るのは来年までは難しい。村や王都の再建にも三年は必要だ」 ゼリクは振り返ると、長身の魔族をじっと見つめた。 「木々も村も畑も壊すのは一瞬だが、再生させるには膨大な時間と労力を必要とする。わかるな、このことを」 「ああ」 「ルギドよ。生み出す者となれ。決して破壊者になってはならぬ。そなたの持つ大いなる力をこの世界の再生のために用いよ」 「……わかった」 ルギドは右手を胸に当て、片膝を地面につき、拝礼の姿勢をとった。 「スミルナ王ゼリク。これでおいとまをいただく」 リュートであった期間もふくめ、彼が人間の王に拝礼したのは、これが初めてだった。 城門を出たところで、ギュスターヴが少し悲しげな声を出した。 「ジルとリグに会えないで行くのか……」 「しかたがない」 未練を断ち切るように、アシュレイが馬をせかす。 「あの子たちをいつまでも僕たちの旅に連れてゆくわけにはいかない。ここなら安全だし、王のご加護もある。のびのびと子どもらしく育つことができる」 「ひと目でも会うと、よけい別れが辛くなっちゃうしね」 アローテはすでに涙ぐんでいる。 ルギドだけは手綱をしぼったまま、いつまでも城門を見つめていた。 肩に止まっていたゼダが、ぴくりと翼を半開きにした。『ルギドサマ』 主はおおげさなため息をついた。 『まったく、あいつら…』 ゼダが空に舞い上がるのと、城門で見送る人垣の中から突然、ふたりの子どもが走りだしたのとはほぼ同時だった。 「ジルくん。リグちゃん!」 アローテは澄んだうれしそうな声をあげ、馬から飛び降りた。 ゼダは見守るかのように、ニ人の進路の上空を8の字を描いて回っている。 リグは、アローテの広げた両腕の中に飛び込んだ。 「アローテおねえちゃん!」 「リグちゃん、ごめんね、ごめんね」 「やい、逃げるのか。紅い目の悪魔!」 ジルはルギドの馬の前に立ちはだかると、人差し指を突き出した。 「たった2週間しか一緒に旅しなかったのに、もう俺が恐くなったのか。おまえを殺すまで俺はどこまでもついてくって言っただろ。王宮の中でも兵隊にまじって訓練をしたんだ。 ゼリク王さまは、おまえを殺すためだって言ったら喜んで、剣の使い方を特訓してくれたぞ」 「あのくそ爺。頭なぞ下げるんじゃなかった」 口の中で呪いのことばを吐くと、ルギドはひょいとジルを抱き上げ、鞍の前に坐らせた。 「ルギド」 アシュレイは当惑して、彼を見た。 「アシュレイ、帰そうとしても無駄だ。こいつらをわざと放したのは、ゼリク王本人だぞ。あのたぬき、今ごろ腹をかかえて大笑いしていることだろう」 その間もジルは、ルギドの腕の中で暴れていた。 「くっそう。はなせ! 俺はおまえの馬に乗るのなんかごめんだ。アシュレイといっしょに行く!」 「そうか? 手綱を持っているとき、俺はこのとおり隙だらけだぞ。殺るなら今だと思うが」 「ようし、そんなに言うなら、特訓の成果見せてやる!」 ブロンズナイフをもって切りかかろうとするジルを、やすやすと片手で押さえながら、ルギドの馬は先頭を切って行ってしまった。 「おお。ふたりともけっこう楽しそうだな」 ギュスターヴはにやにや笑いながら、アシュレイの背中をたたいた。 「さ、リーダー、行こうぜ。お荷物がちっとも減らなくて大変だな」 |
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