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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 15




 2日後、旅立ちの準備を終えたアシュレイたちは、ゼリク王の用意してくれたスミルナの軍船に乗り、テーネ河口から船出した。
 エトル海を北上し、デルフィアの沖をかすめ、外海を横断してアスハ大陸にいたる。
 距離的にも長く、難所のルートである。何よりも、アスハ大陸の沖には人を寄せ付けない寒流の渦が起きることが多い。
 いったん渦ができると、島影に船を係留して、渦の消えるまで何日も待たねばならない。
 しかし、船の中のもろもろの雑事はスミルナの海兵がすべて引き受けてくれるので、彼らは何もすることがなく、のんびりとした船旅を味わった。
 ルギドは口で言う以上にひどい疲労におそわれているらしく、ほとんどの時間を甲板の隅の船荷にもたれて過ごしていた。
 それにひきかえ元気なのは子どもたちで、ジルは暇さえあればアシュレイから剣の稽古をつけてもらっていたし、リグはアローテから簡単な回復呪文を何度も口移しで覚えていた。
 彼女は幼女らしい人なつこさで、甲板上の水兵たちの人気者だった。
 そのうち、それと同じ調子でルギドにもまとわりつき、「恐い顔のおじちゃん」と呼んでは、そのだらけきった生活ぶりをからかった。
 「紅い目の悪魔」から「おじちゃん」に降格させられたルギドは、抵抗する気力もないという風に、リグの甘えた行動を受け入れるようになっていた。
 絶えず新しいことを吸収し成長を続けるリグの心はすでに、自分の村を焼き父を殺した魔族と、目の前の静かな男とは、まったく別の存在であると決めてしまったかのごとくだった。
 いっぽう兄のジルは、そう簡単に忘れてやるわけにはいかないとばかりに、今でもルギドを時折じっとにらむ。しかしその彼でさえ、もう切りかかってくることはなくなった。
 「殺してやる」とも言わなくなった。
 1日ごとに背丈が伸び、もう一人前と呼んでもおかしくないようなその大人びた表情の裏では、ルギドの背負っている何かわからないが重たい秘密、それに気づいてしまったジルのとまどいが感じられた。
 2週間を過ぎるころ、係留をくりかえしていた軍船も、ようやくアスハ大陸に接岸する日が来た。
「私たちはここで停泊して、みなさんをお待ちしております。世界のどこへなりとお供するようにとの、ゼリク王の命令を受けておりますので」
 最敬礼する艦長たちに見送られながら、彼らはアスハ大陸への一歩を踏み記した。


 アスハは寒冷地である。しかし季節は今、初夏。
 ごつごつと荒れたむきだしの赤い岩肌のすきまから、わずかな緑の草、それに黄水仙、けし、矢車草といった目にあざやかな花々が顔をのそかせている。
 しかし内陸部にさらに踏み込むと、一気に地面は大地溝帯へと落ち込んでゆき、そこはひたすら荒涼とした風景が広がるばかりである。
 さらにその奥を見晴らすと、巨大なクレーターのような窪みがうがたれており、そこには年間を通じて凍りついた湖――凍結湖が存在する。
 その凍結湖の底にしずんでいると言われるのが、四神殿のひとつ、「氷の殿(みとの)」だ。
 地溝帯に降りる直前、馬に最後の休憩をあたえるため、アシュレイたちは思い思いの場所に坐っていた。
 数時間ひたすら内陸に向かって進軍を続けてきたほてった身体には、すこし冷たさの残る、乾いた微風は心地よい。
 ギュスターヴとアローテは、薬草やアイテムの確認をしている。
 ジルはアシュレイに草笛の作り方を教えてもらい、一所懸命鳴らしている。
 ルギドはこれから向かう凍結湖のあたりを見やりながら岩にもたれ、その後ろでは、ゼダとリグが指の爪で、ルギドの長い髪の毛を無心にくしけずっている。
 リグは近くの岩場のかげに咲く花を手折っては、かって彼女の母親がしてくれたと同じに、銀色の髪の毛に編みこんでゆく。
 魔族は迷惑そうに眉根をよせてはいるが、何も言わない。
「ゼダちゃん。お花よ。お・は・な。わかる?」
「オ・ヒャナ……。オヒャニャ……?」
 人間のことばをしゃべれないゼダのために、リグは根気よく教えているが、何しろ舌を切り取られたゼダには、うまく発音ができない。
「さあ、準備万端だ。いつでも魔王軍を迎え撃てるぜ」
 魔導士たちが、全員に配る回復アイテム用の小袋を両手にかかえて歩いてきた。
「げっ、何だよ。ルギド、その頭は」
「美人よぉ」
 くすくす笑う仲間を上目でにらんでから、ルギドはすっと立ち上がった。
「そろそろ出発するぞ。アシュレイ、このままでは下に降りきる前に夜になってしまう」
 六人は4頭の馬に分乗すると、傾斜の強い坂道をそろそろと降りはじめた。
 リグがアローテの馬に乗って先に進んでいったのを見計らって、ルギドが馬上で髪の毛を一振りして花をこっそり落としたのを、ギュスターヴは見逃さなかった。


 球体といわれている世界の、その中心部まで降りてゆくような錯覚を起こすほど長い時間をかけて、彼らはようやく地溝帯の底に着いた。
 せまい地溝が縦横に走る道となり、その両岸は赤茶けた岸壁がおおいかぶさるようにそそり立つ。
 日没までまだ数時間あるというのに、足元は夜の闇に沈み、青空は宇宙のように濃い青の円鏡と化している。
 いくつかの地溝のうち、王都ラオキアへと続くもっとも人や馬に踏みしだかれた道をとった。
 しかし人影は見当たらない。
 ラオキア王国はもともと他国との交渉を好まない、孤立した国だ。
 冬は全土を氷に閉ざされ、わずかな国民が酪農や泥炭作りと、湖沼地帯の夏の漁業によって、細々とした自給自足の生活をいとなんでいる。
 そのことが幸いして、古来より人間どうしの争いに巻き込まれることもなく、また魔王軍にとっても征服する魅力にとぼしい土地だったのだ。
 しかし今は違う。
 そのことを最初に敏感に感じとったのは、彼らの馬だった。
 馬がおびえたように歩みを止め、次いでゼダが低いうなり声を上げ始め、ルギドの腕の筋肉が緊張した。
「来たぞ」
 押し殺した彼の声を合図に、全員馬を降り、岩かげの藪に手綱をくくりつける。
 空の色が変わり、霧が蜂の群れのようにうごめきながら、あたりを覆い隠す。
 そして道の向こうにぼうっと無数の影が現われる。その後ろから当たっているのであろう陽光が、霧の幕にその大軍の影を映し出し、無数の巨人が彼らを取り囲んでいるように見える。
 リグはおびえて、ブルブル震えはじめた。
「やつら、僕たちが来るのを知って待ち伏せていたのか……」
 悔しげにアシュレイがうめいた。
「しかし崖に囲まれたこんな狭い道で、いったい何をしようとしている?」
 ルギドは一歩進み出ると大声を張り上げた。
『ゲハジ!』
 その木霊が消え去ろうとするとき、大軍のうしろから、ひとつの巨大な影がゆらりと動いた。
『ルギド』
『やはりおまえか。ゲハジ』
 ゲハジは2メートルを越す巨体を揺すってさらに近づき、太ってみにくく垂れた口の端を持ち上げた。
『この日を心待ちにしておったぞ、ルギド。おぬしをこの手で屠ることのできる、この日をな』
『そうか。俺はおまえに二度と会わぬことを願っていたが』
 ルギドは腕組みして、せせら笑った。
『おまえの豚のような顔は、あいにく俺の美意識に反するのでな』
『減らず口は、我らの歓迎を受けてからにしてもらおう。特別念入りな準備をさせていただいた』
『身にあまるご好意、謹んでお受けしよう』
 敵意に満ち満ちた口上が終わると、ゲハジは軍の後方に消えた。
「気をつけろ、みんな」
 ルギドは低い声で、肩越しに言った。
「あんな成りをしているが、ゲハジは魔将軍の中では唯一の魔導士だ」
「魔導士? 魔法を使ってくるのか?」
「すこし違う。奴は死霊使い【ネクロマンサー】だ」
「死霊使い?」
「死んだ兵士を魔力によって操る術だ。痛みも恐怖も感じぬから、何度倒しても起き上がって戦おうとする。ある意味最強の軍団だ」
「ひ、ひでえ……」
「前線はすべて死体で守りを固める。そうしておいて後衛の飛行部隊で奇襲攻撃をかける。ゲハジの作戦はいつもそれだった」
「それで、この狭い場所を戦闘に選んだのか!」
 アシュレイが歯噛みをした。
「前衛に取りつくしまもなく、上空からも攻撃されたんじゃ、こちらは圧倒的に不利だ」
「どうする? ルギド」
「前衛には俺ひとりで立つ」
 魔王軍の元指揮官は、もう全ての作戦をすばやく組み立てていた。
「この狭さでは、俺とアシュレイ2人で並んで剣をふるうことはできん。俺が奴らの動きを止めているあいだに、アシュレイとギュスターヴは魔法攻撃で全体を叩く。
死体を仕留めるには、地獄の炎で焼き消すしかない」
「わ、私はホーリーウィンドを唱えてみるわ」
 アローテが申し出た。
「死霊には聖属性の攻撃が効くと教わったことがあるの。そのかわり、回復魔法に割く魔法力がなくなっちゃうけど」
「わかった。そうしてくれ」
 ルギドは剣を鞘走らせた。
『ゼダ。おまえは上空からの攻撃に目を光らせていろ』
『ハイ、ルギドサマ』
「ジル。おまえは後ろにいて、俺の取りこぼした敵を食い止めろ。リグを守れよ」
「言われなくても、わかってる!」
「行くぞ!」


 ルギドが打って出たあと、アローテはすぐさま杖をかかげ、ホーリーウィンドの呪文を唱えはじめた。
 ギュスターヴはアシュレイの腕をつかんだ。
「ためしてみたい技があるんだ、炎の初級魔法を俺に向かって撃ってくれないか?」
「おまえに向かって?」
「そうだ。俺の不得意な炎をおまえに撃ってもらって、俺は風の上級魔法をその上にかける。ファイアーストームという合体魔法だ。練習もなしに普通はやらん技だが」
「失敗したら、またルギドに阿呆よばわりされるぞ」
「そのときはアッシュが、にっこり笑ってごまかす!」
 魔導士は勇者の背中をぽんと叩いた。
「俺が詠唱を開始して30数えたら、始めてくれ」
 ルギドはその頃にはもう、敵の前線に突っ込んでいた。
 刃が霧を断ち切りながらふるわれるたびに、敵兵の四肢が飛ぶ。しかし、まったく頓着していないかのように、ゾンビどもは立ち上がってまた襲いかかる。
 立ち上がれない者は、地をはってでも向かってこようとする。
「な、何なんだよ。あれは!」
 ジルは総毛だって叫んだ。「気持ちわるすぎる……」
「くそっ!」
 ルギドは口の中で呪いのことばを吐きながら、かがみこんで右手を地面に圧しあてた。
 魔球の爆発が地面をえぐり、バラバラと無数の肉片が空中に舞い上がる。
 リグはあわてて目を両手でおおう。
「ボルゲンの火の山の頂より、来たりて我が力となれ!」
 アシュレイはレイピアを両手で下向きにかかげる姿勢で呪文を唱えた。
 魔法を使う者はそれぞれ、自分がもっとも集中できるポーズを無意識に取る。
 アローテは杖を水平にかかげ持ち、ギュスターヴは両腕をまっすぐ胸の前に突き出す。
「行ったぞ。ギュス!」
「おう!」
 2人の呼吸はぴったりと合った。
 ギュスターヴの手の先からは、ぐるぐると横向きに旋回する竜巻が生み出され、アシュレイの放った炎をまきこんで、放物線を描いて空中をつらぬき、攻撃をしかけようとしていた翼のある魔物どもに直撃した。
 目もくらむばかりの炎のうずがあたりを吹き荒れ、肉の焼け焦げる匂いが充満した。
『ヤッターッ!』
 はるか上空で一部始終を目撃していたゼダは、乱舞して攻撃の成功を自軍に報告した。
 それまでにもう、彼自身もひと仕事していた。崖の上から岩を落とそうと待ちかまえていたゲハジ軍をかみ殺して回っていたのである。
 敵軍の混乱が収拾にむかおうとしている頃、アローテの呪文は最後の局面に入っていた。
「聖なるかな。主の栄光、神殿に満ち、死の苗床をことごとく打ち砕きたまわん。願わくばギルアテの全軍よ。わがまわりの悪しき者どもを、大いなる深淵に追い落としたまえ」
 アローテの持つ新しい水晶の杖が、まばゆいほどの光輝をはなったかと思うと、上空の霧が晴れ、ひとすじの光が天から魔王軍のまん中にむかって射し込み、音のない大爆発となって、兵士たちの体を溶かしていった。
「お、おい、アローテ!」
 ギュスターヴは腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「何だ、今のは! ホーリーウィンドじゃねえぞ!」
「わ、私も、知らない……」
 彼女は放心したように、地面にすわりこんでしまった。
「自分でもわからないままに、新しい呪文が次々と頭のなかに浮かんで……。この杖から流れこんでくるみたいに。気づいたら、それを唱えてたの」
「ま、まさか」
 ギュスターヴはアローテから半透明の杖をひったくった。「これは、もしかして賢者の杖!」
「な……」
「聖属性の上級魔法をさずけるという杖。……とすると、今のは【聖なる矢】ホーリーアローだって言うのか!」
「そ、そんな」
「やったな。敵軍の半分はふっとんだぞ」
 魔導士の至福に酔っているふたりを正気に戻すため、アシュレイは大声をあげた。
 だが、前線に振り向いたとき、彼の笑顔は一瞬で凍りついた。


「ル、ルギド……」
 剣士は魔法の連発に巻き込まれないよう、前線から退避していたはずだった。
 爆炎と煙と霧の晴れ間がのぞいたとき、アシュレイたちが見たものは予期せぬ光景だった。
 十数体のゾンビが、ルギドの腕といわず、足といわず、全身にまとわりついていたのだった。そして彼は指ひとつ動かすことなく、呆然とその中で立ちつくしている。
『ルギドさま……。なぜ我々を見捨てたのですか』
『苦しい……。痛い……』
『待っていたのに。あなたが助けに来てくださるのを、最後まで待っていたのに』
 ルギドは声にならないことばをつぶやいた。手足の皮膚が次々と食いちぎられているのにも気づかないようだった。
「しまった! あの死体はルギドの元部下たちだ」
 一瞬で状況を察したアシュレイが、剣を右手に飛び出した。
 そしてレイピアをえぐるように突き立てながら、ひとりずつ引きはがした。
 最後はおもいきり仲間の体にたいあたりして、もろとも後方に倒れこんだ。
「だいじょうぶか!」
「アシュレイ……」
「ルギド、僕の言うことは気休めかもしれないが」
 聖騎士は、くるりと死霊兵に向き直って剣をかまえた。
「僕たちの信じる神の教えでは、人は死ぬとすぐ魂が肉体から離れ、楽園か黄泉に向かう。
 死体は人を憎んだりうらんだりしない。彼らのことばは、死霊使いが言わせているんだ!」
 言い捨てると、彼はふたたび襲いかかるゾンビたちを迎え撃った。
「癒しの神よ、なんじがしもべの傷を、その御手のなかに包みたまえ……」
 いつのまにか、リグがルギドのそばに寄り添い、ひざまずいて腕の傷に手をかざしている。
「リグ、おまえ回復魔法を……」
「戦うのが恐いの?」
 リグは嗚咽にむせびながら、手をかざし続けた。「あたしも恐いよ。……でもがんばるから……。いっしょにがんばろう」
「何やってるんだ!」
 ジルが小さな体いっぱいに怒鳴った。
「なぜ戦おうとしない? 俺やリグを守ってくれるんじゃなかったのか!」
「ジル……」
「もういい! おまえの代わりに俺が戦う!」
 アシュレイは苦戦していた。背後にいる友の心情を思い、本気で敵を切ることができなかったのだ。
「アシュレイ」
 彼の頭を、大きな手がうしろから優しく鷲づかみにして引き戻した。
「ルギド?」
「代われ。俺がやる」
 魔族は、まっすぐ部下たちの死体を見据えたまま、前に出た。
「これは俺が決着をつけるべき戦いだ」
『ルギドさま……』
 口々に悲しげなうめき声をあげるゾンビたちに、ルギドは容赦なく切りかかった。
 大剣をふるうたび、彼らの肉が骨がばらばらと崩れ落ちる。
 やがてそのほとんどが地面にうごめく残骸と成り果てたとき、彼は渾身の魔力をこめた巨大な炎の球を放った。
 白熱の溶鉱炉と化したあたりは、地面さえも焼け溶け、あとには風に散る白い灰しか残らなかった。
『ゲハジ!』
 ルギドの吼える声は、四方の崖に反響し、恐ろしい雷鳴へと変わった。
『どこにいる! おまえだけは赦さん!』


「ギュス! アローテ! ルギドの前に進路を開くんだ、直接ネクロマンサーを叩けるように!」
 アシュレイの怒りに煮えたぎる叫びを聞くまでもなく、ふたりの魔導士はとっくにトランス状態に入っていた。
 自分のなすべきことはわかっていた。彼らの身体には、今まで見たこともない激しいオーラが渦巻いていた。
 ルギドはもはや周囲の状況を判断することも、背後に気を配ることもしていなかった。
 ただひたすら前のみをにらみながら、自分の前に立ちふさがる敵だけをなぎ払う。
 死霊兵の肉と血の雨の中をまっすぐに駆け続ける。
 自分の正面に必ず目指す敵がいることを疑わない走り方で。
 果たして、敵はいた。
 仲間たちの魔法が魔王軍の中心で炸裂している。その爆風を背中から浴びながら、ルギドは敵将ゲハジの前に立った。
 彼の美しい銀髪も顔も鎧も、すべてが黒い血に染まっている。
『ゲハジ。おまえは楽には死なさん』
『ふははは。自らの手で自分の部下たちを屠る気分はどうだ。裏切り者よ』
 ゲハジは喉の奥が見えるほどのけぞって哄笑した。
『では仕上げに、こいつらではいかがかな?』
 死霊使いの手が踊るようにくねると、いずこからか十体ほどのゾンビの群れが、ゲハジの前後左右に集った。
『ルギド。おぬしの軍議につらなっていた者たちだ。いわばおぬしの腹心の部下。側近中の側近だ。どの顔も見覚えがあろう』
 しかし彼は無表情に、血と脂肪にぬめった剣を一振りして、両手に構えた。
『果たしておぬしにこいつらが切れるか……。な、なに?』
 ゲハジの言葉の終わるのを待たず、ルギドは突風のごとく家臣たちに切りかかった。何のためらいもない太刀筋は、鎧ごと彼らの体を切り裂き、剣を折り、血しぶきが霧のように空中に立ちこめる。
『お、おまえっ!』
 魔将軍はあわてている。
『何の迷いも感じぬのか。自分の一番近しい者たちぞ!』
『だからこそだ!』
 ルギドは狂気したように手も止めない。
『俺はこの者たちをよく知っていた。こいつらは俺のためならいつでも喜んで死んだ。俺に切られたとて、恨む奴などひとりもおらぬ!』
 最後の一体がルギドの手の炎で焼け落ちたとき、ゲハジとのあいだを遮るものはもう何もなかった。
 勝者は剣先をぴたりと敗者の心臓に突きつけた。
『それにひきかえ、見ろ、おまえの部下たちは大将を見捨てて逃げていくようだな』
『なにっ』
 ゲハジが上空を仰ぐと、飛行部隊の生き残りたちが我先にと舞い上がる姿が、目の端をかすめた。
 そして次の瞬間、彼は地面に仰向けに倒れていた。剣が胸に深々と差し入れられている。
『ククク……』
 ルギドは薄笑いを浮かべながら切先を引き抜くと、ゲハジの腹を踏みつけ、剣を地面に突き立てるようにして右腕を切り落とした。
 ついで、右足の付け根。
『グ、グボアッ!』
『どうだ、痛いか』
 その紅い瞳は、このうえない悦楽に酔っていた。
『もっと可愛くしてやるぞ。豚そっくりの短い手足になあ』
 彼はなおもゲハジの四肢を切り刻んで、大きな声で笑った。
「やめて! ルギド!」
 アローテの震えた声が飛んできた。
 ゾンビたちの焼け焦げた肉や骨が累々と横たわる、焦土と化した戦場から仲間たちが駆けつけ、ルギドの残虐な行為を為すすべなく見ていた。
「ルギド、とっくに勝負はついているんだ。もうこれ以上いい!」
 アシュレイの説得に、ルギドは口の端をゆがめた。
 大剣を地面に突き刺すと、ゲハジの体を踏みつけたまま、その首筋をつかんだ。
『ジョカルはどこにいる?』
『……』
『おまえに捕縛されたことはわかっているんだ。ジョカルをどこへやった!』
『フ、フフ……』 ゲハジは弱々しいが不敵な笑いをうかべた。
『あやつは……氷の神殿だ』
『何のために?』
『奴は、氷の守護者の……いけにえに捧げた。守護者に……食われた』
 ルギドはもう一方の手から放たれた魔力で、ゲハジの頭を吹き飛ばした。
 そして手に残った遺骸を地にうち捨てると、剣をぶらさげたまま、仲間たちから背を向けて立っていた。
 アローテがゆっくりと進み出た。
「ルギド……」
「俺はこれから、氷の神殿に行く。ジョカルを助けに」
「ねえ、少し休みましょう。顔も鎧の血も拭くわ。剣も手入れが必要よ」
「だめだ。俺が行かないと、ジョカルは……。ジョカルだけは」
「お願い! ルギド!」
 アローテは悲痛な叫びをあげながら、彼の腕にすがりついた。
「お願い。少し休んで……」
Chapter 15 End

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