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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 2


 船がデルフィアの港に近づくにつれ、乗船者たちははっきりと異変を感じ取った。
「こ、これは……?」
 芸術の都として名高かった王都は、遠目からでもわかるほど、見る影もなくその様を変えていた。
 優美な曲線が特徴のデルフィア様式の円柱はことごとく倒され、ユーカリの街路樹は焼け焦げ、今なお燻る煙がここそこに立ち昇っている。
 そして、人影は桟橋にも市街にも1つとてない。
「艦長」
 アシュレイは蒼白な顔色で操舵室に飛びこんだ。
「お願いがあります。一隻だけこのまま急いで取って返して、サルデス王にこの現状を報告していただけませんか」
「それはかまわぬが、これは一体……?」
「我々は間違っていました。魔王軍は以前より弱体化したと思っていた。が、これはどうも違う。
以前より明らかに強力になっているらしいと。各国に呼びかけて、速やかな厳重防衛体制を敷いてくださるよう、王にお伝えいただきたいのです」
「わかり申した。船足が一番速いオルデュース艦に命じましょう」
 伝令が出されると、ギュスターヴとアローテが近づいてきた。
「ギュス……」
「わかってる。俺も感じるよ」
 ギュスターヴは灰色の瞳に、あまり見せたことのない焦燥の光を宿していた。
「わずか2ヶ月のうちにこの都をこんなにしてしまうほどの力を、奴らは手に入れたようだな」
 港に接岸すると、軍艦を桟橋に待たせ、彼らだけで偵察に入った。
 市街地は近くで見ると、さらに悲惨だった。
 石造りの家屋は大きく抉れ、高熱で鉄の桟が飴のように曲がったり、ところによっては明らかに石や金属が消滅したとしか思えない場所もあった。
「一体どんな手を使えば、鉄がこんなふうに蒸発したりするんだ?」
 ギュスターヴは慄然と立ち竦んだ。
「魔法……?」
 アローテが訊ねた。
「少なくともこんな魔法、俺たちは知らない」
 王宮内もくまなく巡ったが、猫の子一匹も発見することはできず、3人は艦に戻った。
「どうやら住民もろとも、奴らはこの都を離れたようです」
 アシュレイは、中隊長以上を集めて、崩れかけた港の税関の一室で作戦会議を開いた。
「一体どこへ行ったというのか……」
「近隣の村を拠点として、我々を待ち伏せているということも考えられます。
今晩はここで明かして、明日早朝からこのあたり一帯をくまなく調べましょう」


 翌朝、部隊をいくつかに分けると、徹底的な付近の扇状調査が行なわれた。
 見渡す限り、魔王軍の爪痕の残る荒れ果てた大地が広がっていた。
 畑は焼かれ、死体や骨が無数にころがる。
 村々は焼き掃われ、蹂躙の限りを尽くされていた。
「ひどい……」
 アローテは両腕を抱き寄せ、身震いを抑えた。
「こんなの見たことないわ。まるで破壊することそのものを楽しんでいるよう……」
 勇者のもとには、続々と各部隊の伝令が報告をもたらしたが、やはり生きている者の姿を見た者はなかった。
「いったい何なんだろう、ギュス。何かが違う」
 アシュレイは報告の紙束を握りしめながら、呟いた。
「魔王軍と3年間戦って、少なくとも奴らの行動は誰よりもわかってるつもりだった。でも今度は、今までの奴らのやりかたではない」
 ギュスターヴは同意の印にうなずく。
「これまで俺たちが知らなかった何者かが、魔王軍に加担している、と見るのが自然だな。巧妙でずる賢い、悪鬼のような何者か、だ」
「恐い……。何か、とても嫌な予感がする……」
 魔王軍を警戒しながらも、生存者のいるかすかな期待を捨て切れず、サルデス王立軍は大陸の北端から徐々に南下した。
「アシュレイ殿! 住民が見つかりました!」
 待ちに待ったその吉報は、4日目にもたらされた。
 西方の村の礼拝堂の地下に50人ほどの村人が隠れていたというのだ。
 アシュレイたちは馬を飛ばして急いだ。
 小さな山間の村は、やはりあちこちに破壊や焼き討ちの痕があったが、今まで見た村々と異なり、どこか中途半端な感じがした。
 軍の支給した食料や毛布を受け取り、一様にぐったりと、焼け残った礼拝堂の床に横たわる村人たちの傍らを足早に、講壇脇の小部屋に入る。
 サルデス軍の隊長とともに、デルフィアの青い軍服を纏った若い下士官が、すっくと立ちあがった。
 額から目にかけて血で汚れた包帯で被われ、服も血や泥や汗でかなり変色している。
「勇者アシュレイ様。私はデルフィア軍第3歩兵大隊所属のカルツェ少尉です」
 気丈にも彼は震える手で最敬礼した。
「アシュレイ・ド・オーギュスティンです。どうかお休みください。大怪我をしておられるのですから」
「いえ。勇者様やサルデス軍の方々に、私どもの国に起きたことを話し終えるまでは、私の任務は終わりません。今話を聞いてください」
 それではと一同、長椅子に腰を下ろす。
 カルツェ少尉の驚くべき話が始まった。
「1月ほど前のことです。南のスミルナとの往来が少し以前より途絶え、不審に思っていた矢先、突如魔王軍がスミルナ国境線を突破し、わが国の町や村を襲い始めたのです。
奴らの進軍はまるで空を飛ぶかのような勢いでした。
我々は速やかに王都の守りを固め、万全の体制で奴らとの戦いに臨みました。
私も大通り門の城壁に配備され、奴らの軍が近づいてくる様を固唾を飲んで見つめておりました。
そのときの我らはまだ自信がありました。いざ戦いとなれば、城壁を挟んで2ヶ月は持ちこたえるはずでした。それなのに……」
 彼は辛そうに何度も声を飲み込むと、続けた。
「奴らが門に近づいたかと思うや、数秒後には厚さ60センチの鉄の門が蒸気の煙をもうもうと上げながら、真二つになって内側に倒れこんだのです。
私は自分の目が信じられませんでした。魔王軍は怒涛のごとく都を襲い始め……」
 少尉が絶句して目をしばたいている間、誰一人身じろぎする者もなかった。
 彼はふたたび、辛い記憶を紡ぎ始めた。
「デルフィア軍は、奴らの圧倒的な数と力の前に次第に押され、王城へと後退して行きました。
城壁からも必死で矢を射掛けましたが、焼け石に水とはこのことでしょう。
私の眼下に、敵の大将の姿が間近に見えました。
最初のうち奴は残骸と成り果てた大門の上で、抜き身の剣を持って仁王立ちとなり、戦況を見ていました。時折兵に向かって何やら命令を下していました。
都中の門を閉ざし、一人の人間も逃がすなと言っているようでした。
そのうち思うように進まぬ状況に苛立った素振りで、自ら最前線に向かって歩いていったのです」
 彼はこわばった面持ちで首を振った。
「あのとき見たことは、私の目の中に焼き付いてしまったようです。
奴が剣を天にかざしたかと思うと、その剣に炎が宿り、それを一振りしただけで、数百人の友軍兵士とあたり数区画の建物が一瞬のうちに炎に包まれて消え去ったのです」
 ギュスターヴが席を蹴って立ちあがった。
「……魔法剣だ!」
「奴は戻ってくるとき、地獄の悪魔のようなうすら笑いを浮かべていました。
小隊長がそのとき、私のところに這い寄ってきて、もうまもなくこの都は落ちる、私に脱出して、一刻も早く他国に救援を求めてくれと命じました。
私はそっと城壁の外側を伝い降りると、必死に走り始めました。
後ろも振り向かずに、一目散に。
スミルナはもう敵の手に落ちていることがわかっていましたから、西を目指しました。海岸に出られれば、小船を手に入れ、エルド大陸に渡れると思ったのです」
 サルデス兵士の一人が水を差し出したので、彼は喉を鳴らして一息に飲み干した。
「途中の村で何とか馬が手に入ればと思いましたが、行く先々すべて焼き払われ、人間どころか、魔物一匹見当たりません。
何もかも消えてしまった。私はこの国で生きているただひとりの人間になってしまったのではないかと、恐れおののきました。
しかし3日後、ようやくこの村に辿り着きました。ここは山合いに隠れた村なのでまだ魔物の手は伸びていませんでした。
私は急いで村人たちを集め、事情を説明しました。しかし、何も決まらないうちに、魔王軍が迫っていることがわかりました。
私はもしかして、尾けられていたのかもしれません。あいつらはわざと私を逃がし、追手を差し向けて、 私が無事な村を探し出すのをほくそえんで待っていたのかも、そう思えてなりません……」
 彼は頭を抱えて項垂れた。しかし、自分のすべきことを思い出すと、
「女子どもを地下室に避難させると、戦える村人全員で奴らを迎え撃ちました。
追手はたかだか、20匹ほどの雑兵でしたが、こちらには満足な武器とてなく、ひとりふたりと倒され、 村はあっというまに炎に包まれ、私も深手を負い、死を覚悟しました。
ところがそのとき、空を飛ぶ魔物が一匹現われて何事か叫んだかと思うと、奴らはあたふたと西に向かって 撤退していきました。
帰還命令か何かが出たのでしょう。間一髪で私たちは命拾いしました。
それが、4日前のことです。私も含め多くの村人が深手を負い、そのまま地下室に潜んでいました。
しかしそれ以来、奴らは戻ってきませんでした」
 話し終えると、カルツェ少尉は長いため息を洩らした。それは自分に与えられた任務を果たした安堵と、 多くの村人を巻き添えにした己れへの罪責感が入り混じったため息だったのだろう。
「ありがとうございます。カルツェ少尉。……最後にもう1つだけ伺いたいのですが」
 アシュレイは身を乗り出した。
「その敵の大将というのは、どんな風貌ですか?」
「背が高く、一見すると人間の姿形をしていました。竜を彫り出した黒い鎧を身につけ、甲はなく、 銀色の髪を長く伸ばしていました。肌は浅黒く、目は紅く、奴の剣から迸る、燃える炎のようでした。
そして、禍々しい細身の長剣を手にしていました」
「少尉、あなたの勇気に感謝いたします」
 勇者は静かに立ちあがった。
「あとは僕たちに任せて、お休みください。あとでアローテを手当てによこします」
 部屋を出るとき、彼はギュスターヴを小声で呼びとめた。
「ギュス。魔法剣というのは、一体何なんだ?」
「村の図書館の古い書物に数行の記述があるだけだが、いにしえの時代、大魔導士が編み出した術らしい。
魔力を剣に送りこみ、剣を振るうたびその魔法が発動される。剣の威力と魔法との相乗効果で5倍とも10倍とも言われる破壊力を生み出すことができる」
「それじゃ、敵将がデルフィアを攻撃したときに用いたのが……」
「おそらくそれだ。ちくしょう、ただのおとぎ話と思っていたのに」
「あの……、アシュレイ様」
 入り口で立ち話をしている彼らに、長椅子で横たわっていたカルツェ少尉がおずおずと呼びかけた。
「お二人のお耳に入れておきたかったことなのですが…」
 アシュレイたちはすぐ、彼のそばにひざまずいた。
「何でもおっしゃってください」
「あの……。勇者様のお仲間のリュート様……、行方不明と伺っておりますが、本当なのでしょうか?」
「え? ええ」
「あまりに馬鹿げているので、言うまいと思っていたのですが…。
デルフィアの王宮の入り口近く、大広間につながる廊下に、宮廷画家のリスボが、かってリュート様をモデルにして描いた軍神の大きな絵が掲げてあるのです。
……私は以前、近衛隊におり、入り口の警備にたびたび就いておりました。その絵は私の立ち位置の真正面にあったのです」
「……」
「敵の大将の顔は、その絵に描かれたアクティオスの顔にうりふたつでした」
 アシュレイとギュスターヴは声もなく、部屋を退出した。
「リュートに……似ていた。だと?」
 ようやく途切れ途切れのことばがギュスターヴの口を突いて出る。
「ばかな! 少尉の見た敵の将軍がリュートであるはずがない。あいつは魔法剣なんて使えるわけないし、第一そいつは魔族なんだぞ!」
「……ああ」
「少尉は直接リュートに会ったことはない。きっとよっぽどその宮廷画家の腕がヘボだったんだろうよ」
「そうだな」
 ギュスターヴは、友の呆然とした横顔を盗み見て、目を伏せた。
「この話、アローテにはするなよ」
「わかってる……」
 広い礼拝堂では、アローテが負傷し疲れ果てた村人たちに、回復呪文を唱えたり、励ましのことばをかけたりして、甲斐甲斐しく動き回っていた。
「アッシュ、ギュス。何かわかった?」
 汗びっしょりの笑顔に、アシュレイは反射的に笑みを返した。
「いや、これと言ってなにも」
「これから、どうするの?」
「この人たちの落ち着き先を決めなきゃならない。それが済んだら、一度王都に戻ろう」
 すでに敵の支配下にあるらしいスミルナ王国や、国境の町や村まで探索の手を広げるには、物資も人手もあまりに乏しい。
 一度デルフィア王都まで戻り、態勢を立て直すべきだというアシュレイの主張はその夜の軍議で承認された。
 村人たちの護送の準備になお半日費やしたが、翌日一行は来た道を北上し始めた。
 アシュレイは道中もいつもと変わらず、てきぱきと色々な処理事項をこなしていたが、ときどき馬上でぼんやりと虚空を見つめていることが多くなった。
「アッシュ……」
 アローテは彼の横に轡を並べて、心配げに声をかけた。
「何を考えてるの?」
「うん、何だか、取り返しのつかない過ちを犯しているような、そんなもやもやした気分が消えないんだ。胸騒ぎというのか……」
「みんなそうよ。この国に遺された魔王軍の爪痕を見て、誰もが言いようのない恐ろしい予兆を感じている。
まだいたいけない赤ん坊でさえも怯えきってしまって。……5日前からぐずり続けて眠ろうとしないと、お母さんが泣いていたわ」
「5日前……?」
 突如としてアシュレイは、彼に似合わぬ荒げた声を上げた。
「それだ! あの村が襲われたのはいつだ……? 黄鳳月の18日か? そして明け方に何故かあたふたと移動していったと……。
僕たちがデルフィアの港に着いたのは何日だった?」
 ギュスターヴが素早く暦を数えた。「19日だ」
「奴らは僕たちがデルフィアに着く数時間前に、この大陸を離れたことになる。まるで僕たちの動きを逐一知っていたかのように。しかも全部隊が忽然と消えた。一体どこへ?」
「少尉は、西へ向かったと言っていたな。もし奴らが俺たちの到着を知っていて動いたとなると……」
「しまった……!」
 3人は蒼白な顔を見合わせた。
「しまった。奴ら、僕たちの留守中に……、サルデスを……!」
 言うが早いか、アシュレイは全速力で馬を駆り始めた。ギュスターヴとアローテも、部隊長たちに急いで続くように言い置いてから後を追った。
 もどかしい時間が過ぎる。
 3人がデルフィアの都跡に着いたのは、やっと夕方だった。
 港に走ると、沖に停泊していたはずの軍船が一隻――。
 いや、違う。伝令に帰したはずのオルデュースの艦だ。
 しかも、1週間前に別れたときとは見違えるほど、帆は千切れ、美しかった木造の船体のあちらこちらに抉れた傷跡が残っている。
「オルデュース!」
 桟橋の端に打ち捨てられた麻袋や木箱の山の中に死んだように横たわる、かっての騎士学校の同期生の姿を見つけると、アシュレイは駆け寄った。
「オルデュース、しっかりしろっ」
「アシュレイか……」
 目を開くと、若い騎士は彼の腕をがっしりと掴み、ぶるぶると力をこめて握り締めた。
「いったい何があった?」
「サルデスが……王都が襲われた」
 嗚咽をこらえながら、オルデュースは必死で声を絞った。
「俺たちの船が着いて、国王に事の次第をご報告している最中に、奴らの大軍が海から侵入し、我が海軍は全滅……。王都は……」
「王都はどうした!」
「わずか……3時間で、壊滅した」
 アシュレイはその場にへたりこんだ。
「わずか、3時間で、壊滅……?」
「俺たちも懸命に防戦しようとした。しかし……話にならなかった。敵はたった一人で、たった一人の剣の力で、5千人の騎士団を屠ったんだ」
「ああ……」
 アローテはわずか1週間前まで過ごした美しい都を想って、泣き伏した。
「ルギドと呼ばれていた、その敵将は……。髪も乱さず、鎧にも傷ひとつつけずに平然と入城し、王宮を乗っ取った」
「王は……。王妃は……。サミュエル王子とグウェン王女は……?」
 負傷した同僚に掴みかからんばかりに取り乱して、アシュレイは訊ねた。
「王は……亡くなられた」
 オルデュースは血を吐くような叫びを上げた。「奴に……食われた!」
「なんだって……?」
「ルギドという奴、玉座を簒奪(さんだつ)し、王と王妃をその前に引き立て……、そして、我ら家臣と王子、王女の整列させられているその目の前で爪で王の胸を引き裂き、心臓をえぐり出して……。
食ったんだ! 高笑いしながら……。
王妃と王女はそれをご覧になり、卒倒あそばされた。今は王子とともに地下牢に幽閉されているはずだ……」
 アシュレイもギュスターヴもアローテも声も出なかった。
 サルデスの王宮に起こった地獄絵を思い浮かべる力すら、彼らには残されていなかった。
「ルギドはその後俺を引っ立てると、通訳を介してこう言わせた。
『デルフィアにいる勇者にこのことを伝えよ。歓迎の用意をして待っている』……と」
「くそ……」
 アシュレイはぎりぎりと奥歯を噛み締めて聞いていたが、耐え切れず絶叫した。
「くそぉぉぉぉっ!」
「アシュレイ……。まだ話は終わってない。聞いてくれ……、聞くんだ」
 オルデュースは荒い息づかいの下から訴えた。
「……あれは、ルギドは……リュートだ」
「何……?」
「俺は正気だ。正気で言っている。おまえたちの旅に1年近く、師団とともに同行した。リュートともよく酒を飲んだ。
ルギドの顔も真正面から見たんだ。あんな顔をした奴がふたりといるものか。
あれはリュートだ! あいつは魔道に堕ちたんだ……!」
 アシュレイもギュスターヴも咄嗟に後ろを振り向いた。
 紙のような顔色をしたアローテが、口を半ば開けて、遠くの海を見るような目つきをしたアローテが立っていた。
 その大きな黒い瞳から、一筋だけ涙が流れた。

Chapter 2 End

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