TOP | MAP | HOME



The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 26


 旧暦3644年。
 全人類の、魔王軍への総攻撃の日を迎えた。
 エトル海の魔王城から、5キロ東に浮かぶ小島ワードック島。そこに、サルデス・スミルナ・デルフィアの全艦隊が集結した。
 ワードックは天然の良港でありながら、3年前一夜にして魔王城が出現したことで、ほとんどの島民は逃げ出し、夏の間だけ漁民が隠れるようにして寄航するさびれた村となってしまった。
 しかし今は、数万の連合軍の駐留基地として徴用されていた。
 すべての準備が整った青竜月6日の早朝、まずアシュレイ率いるサルデス王室軍が、魔王城の島に上陸した。
 次いで、ゼリク王を先頭にスミルナ・デルフィア連合軍。サキニ大陸義勇軍と続き、ジルとリグが率いる旧魔王軍が側面から上陸。
 最後にギュスターヴ・アローテがテアテラ魔導士軍を指揮して到着する。
 総勢6万人の大軍勢である。
 対する魔王軍は、黒々とした岩山とその上空に鈴なりになって迎え撃つ数だけでも、目分量で10万を越えていた。
 後世の歴史家によると、攻撃の火蓋が切られたのは、朝8時だった。
「歩兵団。突撃せよ!」
 アシュレイが風のレイピアを右手に、全軍の先頭に立った。
「前に出すぎるな。弓兵、敵の先陣を目がけて、足並みを乱すんだ!」
「魔法結界を全軍に張れ! 敵の精神攻撃をなんとしてでも、食い止めろ!」
 ギュスターヴが黒檀の杖をふりかざし、魔導士らに命じる。
『歩く者は、岩山を側面から叩け』
 ジルも同じ頃、魔族のことばで叫んでいた。
『飛べる者は、空から奇襲しろ。泳ぐ者は、海からの攻撃に備えろ』
『行っけええ、【緑の森軍】!』
 リグが伸び上がるように、大声で声援する。
 【緑の森軍】は、北の森に住む旧魔王軍に、彼女がつけた呼び名だ。ジルはかっこ悪いと嫌がっているが。
 リグの提案で、敵と見分けられるように、ひとりひとりが鮮やかな緑の腕章をしていた。
「おい、てめえら! おちびちゃんたちの軍に引けを取るんじゃねえぞ。負けたら、ルギドに何を言われるか、わからねえからな!」
 と、味方を鼓舞しているのは、スミルナ・デルフィア連合軍を指揮するゼリク王だ。
 70才を当に越えているのに、前線に出るやいなや、50年前に勇者として鳴らしたころの言葉遣いと身のこなしに立ち戻ってしまう。
 そしてルギドは、総大将として岩山の上に立って、自軍を見守っていた。
 黒く輝く抜き身の剣を左手に、盲いてなお鋭く光る紅い瞳で戦場を見下ろし、銀色の長い髪は、潮風に狂ったようになびく。
 その鬼気迫る姿は、敵軍の恐怖心を掻き立て、味方には幾万の援軍に勝る勇気を与えた。
 日が南天に登りつめた頃、アシュレイは戦列を離れ、ルギドのもとに登ってきた。
「大勢は決した」
「ああ」
「だが、アブドゥールの姿が見えん」
「よし」
 ルギドは剣を鞘に収めると、自軍の本陣目指して、岩を下り始める。
「魔王城に突入するぞ」


 本陣では、ギュスターヴ、アローテ、ゼリク王とユツビ村の長老が、すでにそろっていた。
「行くのか」
 長老がルギドを、真直ぐに見つめる。
「ああ」
「気をつけろ。アブドゥールをまだ仕留めておらぬ。危なければいつでも戻ってまいれよ」
「だいじょうぶだ」
 ルギドは、ゼリク王に顔を向けた。「全軍の指揮を任せる、スミルナ王」
「よし! 大船に乗った気でいろ」
「ジルたちを頼む。援護してやってくれ」
「まかしておけ」
 ゼリクは、自分の胸をポンと叩いた。「ちゃっちゃっと終わらせて戻って来い。いっしょに祝杯をあげようぜ」
「ああ」
 ルギドは微笑んで、うなずく。
「行くぞ。アシュレイ、ギュスターヴ、アローテ」


 魔王城の城扉までは、すでに自軍によって血路が開かれていた。
 重い扉が開け放たれ、4人がそれをくぐった途端、潜んでいた何十もの魔王軍兵たちが一斉に飛び掛ってきたが、 アシュレイとルギドの剣の一閃にて半数が吹き飛び、続いてアシュレイの二太刀目とルギドの魔力の光球によって、残りが倒れた。
「すっげえ」
 ギュスターヴが身震いした。
「これじゃ、負ける気がしねえ」
「前もそう言っていたんだぞ、ギュス」
 アシュレイが、眉を険しい形に引き上げる。「旧魔王城への突入のときも、そうだった。そして、完膚なきまでに叩きのめされた。……油断するな」
「ああ」
「その奥の階段を降りる」
 ルギドは無表情に命じた。「王の謁見の間は地下4階だ。たぶん畏王はそこで待っている」
「おまえにとって、ここは古巣だったな」
 先頭に立つ背中を案じて、アシュレイが声をかける。「懐かしいか?」
「懐かしい、というのかどうかはわからん。俺にとっては、魔族として生まれた場所だ。敵としてふたたびここに足を踏み入れることになるとは、思ってもいなかった。
だが……」
「だが?」
「これさえも、すべて畏王の筋書き通りなのかもしれないという気もしてくる。俺は奴の思惑通りに動いているだけではないかと」
「ルギド……」
 アローテが、励ますように夫の名を呼んだ。
「わかっている」
 彼は振り向くと、彼女に微笑んだ。
「俺は、自分の信じる道を進むしかないんだな」
 階段の踊り場で。廊下の曲がり角で。
 魔王軍は次々と奇襲を仕掛けてくる。だがいずれも、彼らの足を一瞬でも止めることはできなかった。
 そして、地下4階に達したとき。


 広い階段の間から回廊に続く扉をくぐって、ひとりの魔族が現れた。
『遅かったな。待ちかねたぞ』
『アブドゥール』
 並々ならぬ決意に満ちた黄色の瞳でにらみつけ、両手に一本ずつ禍々しい曲刀をたずさえた彼は、確かに最後の魔将軍の名にふさわしい技量を感じさせた。
『アブドゥール。ここを通せ』
 ルギドは静かに言い放つ。
『おとなしく道を譲れば、楽に殺してやる。俺のせいいっぱいの慈悲だ』
『何をたわけたことを申す』
 嘲った調子で、敵は即答した。
『わが王のたかが操り人形に過ぎぬおまえが、自分の意志を持つとでもいうのか?』
『操られているのは、おまえのほうだ』
 階段を数段降りながら、ルギドは半目で微笑んだ。
『みずから精神支配を得意技としておきながら、己自身が畏王の精神支配を受けているのがわからぬか』
『笑止』
『サルデスで俺の身体に降臨した畏王が、おまえの命など芥子粒ほどにも思わず、人間どもと一緒に滅ぼそうとすることを知り、あわてて逃げだしたのを忘れたのか?
それでもまだ、畏王が魔族の世を作ってくれると信じているのか?』
『黙れ。黙れーッ』
 アブドゥールは、激した表情を浮かべて、2本の曲刀をふりかざした。
「待て、ルギド」
 剣を構えようとした仲間を、アシュレイが横から制した。
「こいつは、僕にやらせてくれ」
「アシュレイ」
「自分の国の復讐などということは、今さら考えてはいない」
 穏やかな声の中に、強い怒りが秘められている。
「ただ、サミュエル王を、王太后様を、サルデスの10万の民を狂わせたこの男と戦うことは、遺された僕にできる唯一の償いなんだ」
「わかった」
 刀を鞘に戻すと、ルギドはギュスターヴやアローテとともに、階段の上に戻った。
「サルデス王国騎士アシュレイ・ド・オーギュスティン、貴殿のお相手つかまつる!」
 仮にも身分ある敵に対する最大限の敬意としての口上を、アブドゥールは無視して切りかかった。
 手元でしなやかに伸びるような錯覚を覚えるほどの神速の曲刀が、次々と繰り出されてくる。
 しかし、アシュレイは、すべてそれらを一本の短いレイピアで受け止める。
「相変わらず美しいな。アシュレイの剣技は」
 腕組みをしながら、うっとりとルギドがつぶやいた。「俺も一度でいいから、あんな正道の剣を使いたかった」
「なに暢気なこと言ってんだよ」
 はらはらと気を揉みながら、ギュスターヴがわめく。
「アッシュのやつ、みるみる傷だらけになっていくじゃねえか!」
「アブドゥールの邪剣などに、あいつは負けはしない」
 しかし、内心アシュレイは焦りを感じていた。
 完璧に相手の太刀筋を見切っているはずなのに、なぜ自分の身体にかすっていくのかわからない。
 それどころか、時間が経つにつれて、アブドゥールの曲刀は、3本にも4本にも増えていくように見えるのだ。
「これは……」
 彼は咄嗟に後ろに飛び退ると、渾身の気合を放った。
「はああっ!」
 その瞬間、幾本にも見えていた曲刀が、2本に戻った。
「く……。危うく敵の術中にはまるところだった」
 アシュレイは一人ごつと、丹田に力を込めながら、再び敵に挑んだ。
 しかしまた、しばらくすると、相手の曲刀は3本にも4本にも見え始めた。
「なぜだ。奴の精神支配に、僕は打ち勝てないのか」
 絶望で、膝から下の力がすっと抜けていきそうになる。
「そんなはずはない。打ち勝つ方法は必ずある!」
 しかし、その決意とは裏腹に、彼の左の二の腕から血しぶきが上がる。
 そして、脳天への直撃は間一髪よけたものの、眉間が斜めにぱっくりと割れる。
「キャアアッ」
「ルギド、助けよう!」
 だが、ルギドは腕をほどかぬまま。
 アブドゥールは勝ち誇ったように、曲刀に付く血をぺろりと舐めた。
 アシュレイは大きく肩であえぎ、その顔を真っ赤に染めた壮絶な姿のまま、立ちつくしていた。
「ハハハ……」
 その口から、誰も予期しなかった愉快気な笑い声がもれた。
「アッシュ!」
 なおも天井を仰ぐようにして、アシュレイは笑った。「何て簡単なことなんだ!」
 言いざま、彼はレイピアを正眼に構えた。
『なんだと』
 アブドゥールの顔つきがわずかに変わる。
「2本が4本に増えたと思うから惑わされる! 最初から4本の剣を相手にしていると思えばいいんだ」
 アシュレイは、短い雄たけびを上げると切りかかった。
 敵の曲刀は、また不思議な動きを見せ始めて本数を増やした。
 しかしアシュレイは、そのどの太刀筋をも読み切り、最小限の足裁きでかわし、そして、まさに芸術的とも呼べる突きで、アブドゥールの喉を掻き切った。
『グハアーッ』
 おぞましい断末魔の声を立てて、魔将軍はどうと仰向けに倒れ、動かなくなった。
 アシュレイは顔の血をぬぐおうともせず、倒したばかりの敵を凝視したのち、鎮魂の祈りの印を結ぶことを忘れなかった。
「アッシュ!」
 アローテがあわてて駆け寄り、勇者を階段に無理矢理座らせて、手当てを始めた。
「やったな、アッシュ」
 ギュスターヴが彼女を手伝い、アシュレイの怪我をした腕の小手を外す。
「手ごわい奴だったな」
「ああ、こいつの精神攻撃がこれほどのものだったとは思わなかった」
 放心したように虚空を見つめながら、アシュレイが答えた。
 ルギドは、アブドゥールの死体から2本の曲刀を足で蹴飛ばすと、そのうちの一つを拾い上げた。
「今のは、精神攻撃などではないぞ」
「え?」
「曲刀が増えたように見えたのは、刀自身のせいだ」
 彼は3人の前に刃を差し出す。
「邪剣――。魔剣とでも呼ぶべきか。剣自身が生命体なのだ。持ち主を意志を感じとり、刀身を変形させかつ2枚に増やして、おのおのが違う動きをすることもできる」
 ことばとともに、ルギドの手から魔力が放たれ、見る間に剣は焼かれる。
「そんなあ!」
 ギュスターヴが非難がましい声で叫んだ。
「そんなこと知ってるんなら、戦いの前に教えてやれよ。そしたらこんな、無用な怪我をせずにすんだのに!」
「無用?」
 ルギドは、片眉を上げた。
「戦いに無用な経験などない。仮に俺がこの場にいなければ、アシュレイはひとりで判断するしかなかった。すべての戦いに予備知識を持った教師がついているとでもいうのか?」
「そ、それは」
「アシュレイが苦戦したのは、アブドゥールが精神支配の術を使っていると頭から思い込み、惑わされてしまったからだ。
何も知らなければ、目の前の状況だけで判断できたはず。……そうだな、アシュレイ?」
「ルギドの言うとおりだ」
 アシュレイは潔く認めた。
「僕は間違った思い込みに囚われて、事実を見誤った。一番の敵は、アブドゥールでも魔剣でもなく、僕自身の先入観だった」
 ルギドはにっこりと微笑むと、アシュレイに屈みこみ、子どものように頭をなでた。「だけど、よくやったな。えれえぞ、アッシュ」
 それはかつてアシュレイがまだ勇者になったばかりの少年のころ、リュートがよく言ったことばであり、仕草だった。
 ギュスターヴもアローテも、そしてアシュレイも、思わず笑い声をこぼした。
 4人の若者は、冒険を始めた6年前、彼らがまだ希望と不安に満ちた少年と少女であったときの懐かしさにしばし浸った。
「さあ、行くぞ」
 回復魔法により怪我を癒されたアシュレイが立ち上がった。
「今度こそ、本当の最後の戦いにする。……いいな、みんな」


 扉を開け放つと、中は暗く、澱んだ水の匂いがした。
 中央に一本の通路が、黒い水の上に浮橋のように伸びている。
 奥には、半円形の舞台。
 さらにその奥は、虚無の空間。
 魔将軍たちが魔王と謁見するときにもっぱら用いていた広間だ。
「アシュレイ」
 扉から中に踏み出すときになって、先頭のルギドが背後に続く仲間の名前を呼んだ。
「何だ?」
「ギュスターヴ」
「あ?」
「アローテ」
「はい」
「頼みがある。これからここで俺が何を言っても、俺を信じてくれ」
「……ルギド?」
「何が起こっても俺を疑わずに、したいようにさせてくれ。頼む」
「わかったよ」
 アシュレイは微笑んだ。「おまえを信じる。仲間だからな」
「私も」
「ちぇっ、また何かくだらねえこと考えてんな」
 ギュスターヴが呆れたようにつぶやいた。「ま、いいや。俺も乗ってやるよ」
「ありがとう」
 小さく礼を言うと、ルギドは決然と通路に歩み出た。
 両脇の水面の影がゆらゆらと壁や天井に映りこむ、静寂の広間を抜け、4人は半円の舞台に立った。
『父王よ』
 ルギドは、昔のように虚無に向かって呼びかけた。
 昔。
 自分が魔族の王子だと信じ、人間を食糧と蔑み、父なる魔王のみが絶対であると疑わなかったあのころ。
『出て来い。父王、いや、畏王。おまえの姿を見せよ』
 暗黒の深淵が、ゆらめいた。
 無数の光の綾が織りなされ、やがてそれも消えると、ひとりの男の姿が宙に浮かんだ。
「ルギド……?」
「いや、違う。ルギドじゃない」
 アシュレイが叫んだ。「畏王だ!」
 月の光をちりばめたような銀色の長い髪。夕陽よりも、燃え盛る炎よりも紅い瞳。戦の神の弓に似た眉。彫刻のような鼻梁。強い意志を示す唇。引き締まった長身の肉体。
 古代ティトスの衣裳を身にまとっているほかは、何から何まで、眼の前で向き合っているルギドと変わるところはなかった。
 しかし、何かが決定的に違っていた。
 それは、その瞳に宿るうつろな狂気の光なのか。秀麗な唇を歪ませる憎しみと欲望の笑みなのか。
 アシュレイたちには確信を持って言うことができた。
 同じ肉体を持って生まれながら、畏王とルギドは別人なのだ、と。
[わが息子。わが半身よ――]
 異次元から直接脳髄に語りかけてくる声。
[おまえは、わが器。なぜ我を拒む。我とおまえはもとはひとつの肉体、ひとつの魂。
我らは、ひとつになるべきものではないか……]
『違うことが、ひとつある』
 ルギドは、鞘走らせた剣先を、畏王に突きつけた。
『俺はこの世界が滅びることなど、望んではいない。この世界のすべての生命は滅ぶべきではない。
魔族と人間の真の共存。新しいティトス帝国を俺は創ってみせる。
そのために、おまえはこの世にはいてはならぬ存在なのだ』
 乾いた畏王の笑い声が、部屋を満たす。
[我を倒そうというのか。その不完全な体で]
『俺はおまえを滅ぼす。今日、黄泉に降るがいい、畏王』
 ルギドは、仲間に向かって叫んだ。
「行くぞ!」
「おお!」


 ラストバトルが始まった。


 

Chapter 26 End


NEXT | HOME

Copyright (c) 2002-2003 BUTAPENN.