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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

Chapter 9


 明けの空。
 はるか南の山の端から差し込む朝陽を浴びて、魔王軍と勇者の陣営が狭い斜面をはさみ、相対してにらみ合っていた。
 下方の陣営の先頭にひとり立つのはルギド。
 早朝の湿気を含んだ冷たい風に黒いマントがあおられ、鈍色の胸甲が見え隠れする。
 膝まで達する銀色の髪は光を撒き散らしながらなびき、紅い尊大な瞳は、茜色の陽に染まって熾き火が燃えているごとく輝く。
 肩には、翼を広げ牙を剥き出した濃灰色の魔物を留まらせている。
 その美しさと高貴さだけで、対する相手側の魔将軍と比べ、いったいどちらが上に立つ者であるかを示すには十分だった。
「おまえらはそこに坐って見物していろ。寝ていてもいいぞ」
 後方に控えるアシュレイたちに背中越しに呼びかける。
「こんな相手は俺ひとりで十分だ。邪魔はするなよ」
 素直に坐りこんだギュスターヴは、頬杖をついてぼやいた。
「あーあ。元気になっちまって。ゼダの手前、俺たちを家臣扱いしたいってのが見え見えだぜ」
『ルギドサマ。アイツハ、アトデ殺シテオキマス』
 ゼダが彼のつぶやきを聞きとがめて、金切り声を出す。
『ああ、そうしてくれ』
「こらーッ、てめえ調子に乗るな!」
 上方の魔王軍が谷の形状に合わせて細長く陣形を敷くと、敵の大将が数歩進み出た。
『久しぶりよのお。ルギド王子』
 ハガシムは醜く広がった鼻から蒸気のような白い息を吹き上げ、にやりと笑った。
『いや、今はもう王子ではなかったか。人間に加担する魔族の面汚し、裏切り者ルギド。そう呼んだほうがふさわしいかな?』
 その言葉を完全に黙殺すると、ルギドは敵の部隊をじっと見遣っていた。
『俺の軍の兵はひとりも加わっていないようだな。ハガシム』
『ふははっ。当たり前だとも。裏切り者の貴様に率いられていた兵卒など加えて、寝首をかかれても困るからな。
あいつらはエペで奴隷として、架橋工事に使役しておるわ。人間どもと同じく鞭打たれながらなあ」
『フン、そうか。それじゃ手加減する必要もなく、思いきり殺れるな』
『不遜な輩め! 俺は端から貴様の反逆を見ぬいておったわ! わが王のご寵愛を良いことに、やりたい放題しおって……。我々魔将軍をよくもよくも、あれだけコケにしおって!』
 激昂し、少し涙声になったハガシムの雷鳴のごとき叫びは、谷に幾重にもこだまする。
「ルギドってどこでも、敵を作りやすい性格だよな」
 頭を掻きながら、アシュレイが半分敵に同情している。
『だがもう、そうは行かんぞ!わが王が貴様のことを何と仰せられたか知っておるか?
――もし悔い改めて降伏するようなら、生きて我が前に引きたてよ。今度こそすべての記憶を消し、人間どもを皆殺しにする忠実な殺戮者として生まれ変わらせる。しかし、もし我らに抗うようなら、ためらわず殺せ、と』
『……』
『フハハッ。とは言え、貴様がどんなに命乞いをしても、俺は貴様を生かしておくつもりはないがな』
『泣いて命乞いをするのはおまえの方だ、ハガシム』
 彼は凍てついた笑みを浮かべた。
『そのときは助けてやってもいいぞ。どこかのドブに橋でも架けてもらおうか』
『クッ……、赦さん! ルギド!』
 魔将軍は両手に、柄の長い特別製の手斧をそれぞれ握りしめた。
『行くぞ、ゼダ』
 大剣を鮮やかに鞘から放つ。と同時に肩の従者が『キキィッ』と、一声鳴いて空に舞い上がる。
 長躯の剣士は、急斜面とは思えぬ速さで駆け登り、敵将に切りかかろうとした。
『トマホーク!』
 ハガシムが一瞬速く、両腕を交差させぶるんと振り下ろすと、2本の手斧がまるで生き物のように回転しながら襲いかかった。
 一歩後退し、軽々といなす。
『フッ、ハガシム。自分の技の名を叫ぶとは時代遅れだぞ!』
 だがハガシムの攻撃は少なくとも、ルギドの足止めをするだけの効果は持っていた。
 狙いあやまたず、後方に陣取る弓兵が一斉に矢を射掛けてきた。
「ほらっ、言わんこっちゃない」
 ギュスターヴが弾かれたように立ちあがる。
「だから敵が降りてくるのを待て、下からの攻撃は不利だってあれほど言ったのに!
アローテ、俺たちも入るぞ」
「あら、だって一人で十分だって言ってたわよ」
 アローテが涼しい顔で答えた。
 ルギドに邪魔者扱いされたことを、相当根にもっているらしい。
「ただの家臣じゃねえってことをこの際はっきりとわからせてやるんだ! 例の合体魔法行くぞ!」
「はあい」
「さて、どうしようかな僕は」
 取り残されたアシュレイは、大儀そうに伸びをした。「奇襲作戦と行くか……」
 弓兵の矢の雨を振り払ったルギドには、ふたたびハガシムのトマホーク攻撃が待っていた。
 それでも難なくかわすと、魔将軍を大剣でなぎ払う。
 相手はそれを、岩のような腕と、樽のような鉄の小手で受け止める。
 すぐさまルギドは後ろに跳び退った。弧円を描いて、手斧がハガシムの両手に吸い込まれたのである。
『ちっ。あまり長くとりついてはおられんか』
 斧を飛ばす隙を与えない。
 そう心を定めると、威力を犠牲にし、猛烈な手数を繰り出し始めた。
「燃え立つ炎よ。キル・ハサテの水を焼き尽くし、エウリムの川を焦がせ……」
「火の垣もて我を守り、迫り来る悪しき者の剣を折り矛を断たせ給え……」
 2人の魔導士の詠唱が同時に終わるとともに、轟音が谷に鳴り響き、敵味方の頭上に燃える火の障壁が現われた。
 合体魔法による防御呪文、「ファイアウォール」である。
『キキーッ』
 ルギドの真上を飛んで矢をはねのけていたゼダは、その第1号の犠牲者になりかけて、あわてて高度を下げると抗議の声を上げた。
 弓兵が射かけ続けていた矢は、その炎に阻まれ一本残らず燃え尽きた。
 それを知ったルギドは、ハガシムへの攻撃を一層加速させた。
 一方アシュレイは、谷の側面の木立の中を縫うように走り、誰一人気づかぬ間に魔王軍を見下ろす位置に立っていた。
 風のレイピアをするりと引き抜くと、気を集中させ始めた。
 みるみる銀の刀身に大気の渦が集まってゆく。
「えいっ!」
 気合もろとも足もとの岩場に剣を突き刺した。甲高い破裂音とともに岩は無数の塊となって、谷底の魔王軍に雨あられと降り注ぎ、敵陣は大混乱となる。
 彼は身軽にいくつかの岩を飛び移ると、ふたたび木立の中に隠れた。
「さて、今日のお仕事は終了かな。帰ろっと」
 背後で起こった自軍の大騒ぎに、ハガシムがほんのわずか気を取られた瞬間――。
 ルギドの閃光のような太刀筋は、2つの手斧の握りの部分だけを残して、先端をくるくると山の向こうに吹き飛ばした。
 ハガシムは自分の手もとをまじまじと見つめ、『ゲゲッッ!』 とのけぞった。
『なーにがゲゲッだ。余裕だな』
 勝利者は大剣を肩に担ぎ、悪魔のように微笑む。
 そしてぺたんと地面に坐りこむハガシムに屈みこんで、剣先を喉元に突きつけた。
『たっ、たっ……』
『ああ、助けてやるよ』
 脂汗を流してわなないている捕虜に、ルギドは優しくささやいた。
『言ったろう。俺に従うなら助けてもいいって。俺に終生の忠節を誓え。ひざまずくんだ』
『は、はい。ルギド様』
『魔族の儀式にのっとって誓ってもらおうか』
『わ、わかり……』
 ハガシムは両手を地面につき頭を垂れると、震える声で唱え始めた。
『わが主ルギド。我、汝とともに……、命の……』
『ああ、最後のところだけでいい』
『は、はいっ』
 ハガシムが這いつくばり、主君の足に接吻しようと頭を近づけたとき――、
 無表情に見下ろしていたルギドは、いきなり大剣をその脳天に突き刺した。
『すまん、気が変わった。やっぱり死ね』
『スゴイ、スゴイ、ルギドサマ』
 空中のゼダがぱちぱちと翼を打ち合せながら、ふわりと舞い降りた。
『オ強クテ、残忍デ、賢クテ……。ヤッパリ我ラノ主ハ、ルギドサマダケデス!』
「何だよあいつ。昔のルギドに戻っちまったんじゃないか?」
 ギュスターヴは呆れたようにつぶやいた。
『聞け!』
 ルギドは後方の魔王軍に向き直り、大音声を張り上げた。
『たった今、このティエン・ルギドがお前らの将を屠った。もし俺に逆らう者あらば、遠慮なくかかってこい。相手になってやろう!』
 谷にはしわぶきの音ひとつなかった。
『だがもし、その勇気も技量もなければ、尻尾を巻いて魔王城に帰れ。二度とこの国にも、エペにも踏み入るな!』
 すっと血に汚れた剣を突き出す。『わかったか!』
 その言葉がまるで合図であるかのように、敵兵どもは一斉に恐怖の叫びとともに逃げまどいはじめた。
 数分後谷に残ったのは、ハガシムの死体と、不運にも岩に当たった幾つかの兵の死体、そして折れた弓矢や武具だけだった。
「……これが魔族の戦い方なのか」
 感歎してアシュレイが呟く。
「え?」
「ルギドのやり方は残酷だと思う。でも、敵の将軍を赦したり、中途半端な方法で殺したりしたらどうなったろう? 今は退却しても、また戻って来てエペやペルガを襲うに違いない。
一見残酷なように見えても、徹底的に力の差を見せつけて、相手の兵の戦意を完全にそぐ。これはあいつなりのお芝居だったんだ」
「ふうん、お芝居ねえ……」
 ルギドが彼らのもとに凱旋してくる間、ゼダは嬉しそうに主の頭上を飛びまわっていた。
『人間ドモ、ナカナカヤルナ。サスガ、ルギドサマノ見コンダ強者タチダ。見直シテヤルゾ。ルギドサマ、一言オホメノ言葉ヲ……』
「あ、ああ。そういうことだ。よくやったな」
「てめえ、いつまで調子に乗ってんだ!」
 ギュスターヴが吠えた。
『ルギドサマ、コイツ、殺シチャッテイイデスカ?』
『まあいい、今日の俺は気分がいいからな』
 ルギドはゼダの首筋を爪の背でなでながら、くすくす笑った。
『あのハガシムの野郎、最初からことごとく俺に楯突いて、いつかきっと細切れに刻んでやると決めていた。ざまあみろ!』
 アローテは悲しげにアシュレイに振り向いた。
「これって、やっぱりお芝居なの?」
「じ、自信がなくなってきた……」


 敗残兵の行方を偵察に行ったゼダの報告で、魔王軍の捕虜となっていた人間たちが谷の上に置き去りにされていることがわかった。
 20人ほどの老人・女性や子ども。手足を縄で縛られ岩場の陰に押し込められていた。
 魔王軍の行軍とともに引き回され、少しずつ食用とされていたのであろう。
 長い山越えのせいでみな疲れ切って、体も傷だらけだった。
 アシュレイたちは、持っていた水や食糧をすべて分け与え、回復呪文も惜しみなく使って介抱した。
 ようやく口が聞ける状態まで落ち着くと、一番筋道を立てて話ができそうな長老らしき人物を選んだ。
 彼らはエペ王国の西方の村の住民で、二十日ほど前、魔王軍の進軍に巻きこまれ、村に残っていた者は一人残らず拉致されたという。
「それでもわしらの村はまだましだった方ですじゃ。魔物に村を焼かれたものの、女子どもは生かしてもらえましたから」
 老人は涙ながらに訴えた。
「近隣の他の村は、一人残らず虐殺されたと聞きますじゃ」
 そしてもう二度とエペに戻りたくない。ペルガに連れて行ってもらえないだろうかと懇願するのだった。
 彼らは、離れた岩に腰掛けて待っていたルギドのところに戻った。
 魔族の彼が村人の前に姿を見せれば、パニックになりかねない。
 アシュレイは今聞いたことをかいつまんで説明すると、
「あの人たちを受け入れてくれる町か村を捜しに、ペルガの王都にいったん帰ろうと思う。物資も底をついたし、どうせこの状態での山越えはむずかしい」
「じゃあ俺はゼダと一緒に、先にエペに行っている」
「徴用されている自分の兵たちを助けに行くのか?」
「……まあ、そんなところだ」
「わたしも一緒に行きましょうか?」
 アローテが申し出ると、アシュレイは困った顔を見せた。
「アローテは村人たちに付き添ってもらわないと。女の人が多いから、僕たちじゃ手に負えない。それなら僕が一緒に行こう」
「アッシュがいないと、ペルガの役人たちとの交渉は無理よ」
「ちぇっ、じゃあ俺が行くしかないな」
 ギュスターヴはそう言いかけて、ゼダを見て青ざめた。
「やべっ。こいつらと行ったら、俺殺されちまう」
「俺はひとりで行く。誰も必要ない」
 ルギドは声を荒げて立ち上がり、馬の手綱をほどき始めた。
「エペの王都で落ち合おう。8日もあれば十分だろう」
「わかった。じゃ、8日後に王都の門のところで」
 鞍に跨ると、ルギドは心配そうに見つめるアローテの視線に気づき、口の端で笑った。
「俺が部下たちと合流して、また魔王軍に戻ってしまうとでも思っているのか?」
「い、いいえ」
 どぎまぎして答える。「……でも危険だから、気をつけて」
「心配するな。俺を誰だと思っている」


 ペルガ山脈の急な尾根も、馬は乗り手の巧みな手綱さばきに操られて難なく登ってゆく。
 幸いなことに、ハガシムの大隊が通ったおかげで、旧街道とは言え、地面はしっかりと踏み固められていた。
 頂上付近までくると、主人の肩にとまっていたゼダは、山の背を登ってくる冷たい風に身震いした。
『ゼダ、あれを見ろ』
 ルギドは馬上から、左手の深く切れこんだ谷を指差した。
 深い影の中に沈む谷底には、自然の造詣が作り出した大小の赤茶けた尖塔が、おどろおどろしい威容を見せている。
『あれがガルガッティア城。18年前あの地下から、父王の命に従った魔族たちが最初に組織的な侵略を開始したところだ。今はうち捨てられた城だがな』
『偉大ナ、歴史ノ遺跡ナノデスネ』
『俺の人間の父と母が殺された地だ』
『……』
『と言っても顔も覚えておらん。4歳だったというからな』
『……』
『おまえは知っているのだろう、ゼダ? 俺とジョカルのやりとりを聞いて、俺が昔人間だったことを』
『ハイ……』
 彼は長い耳をしおれさせた。
『ルギドサマノ複雑ナ、ゴ胸中、ワタクシノ考エ及ブトコロデハアリマセン』
『おまえは俺の生れたときのことを知っているか? ジョカルは何か言っていなかったか?』
『ワタクシガ、オソバニ上ガッタトキハ、ルギドサマノオ生レニナッタ、後デシタ。ジョカル殿モ何モ……』
『そうか。ジョカルならきっと知っているのだろうな。何故父が俺を人間の身体から生み出したのか、その理由を』
『ルギドサマ』
 ゼダは意を決したように、ふわりと空中に舞い上がった。
『ヒトツ伺イタイコトガ、アリマス。ルギドサマハ、人間ノ味方ニナッテシマッタノデスカ? 魔族ノ敵トシテ、歩マレルオツモリデスカ?』
『魔族の敵? 俺は魔族だぞ』
『デモ……』
 ルギドはゼダの身体をそっと掴まえて、自分の左腕に止まらせた。
『今でも俺は、魔族のために戦っているつもりだ。だが、人間の記憶を取り戻して何かが変わったことは確かだ。
それまで、人間は下等な種族で、魔族の支配を受けるべき家畜同様の存在としか思っていなかった』
『ソノ通リデス! 奴ラハ、家畜ト同ジ、我ラノ食物。ルギドサマノヨウナ、強イ王ノモトデ、生キルノデナケレバ、オ互イニ戦ッテ、滅ボシ合ッテシマウ、馬鹿ナ奴ラナノデス。
魔族ノ支配コソガ、コノ世界ノ摂理ナノデス!』
『俺もそう思ってきた……。父王もそのために世界を手に入れよと命じておられると、そうジョカルに教わってきた。だが……』
 自嘲するようにうつむいて笑う。
『やめておこう、ゼダ。今は先を急がねばならん。あいつらが待っているからな』


 山中に分け入り2日目。細い渓流伝いに降りると、エペ王国との国境地帯に入った。
 しかしエペまでには深い渓谷を渡る必要があり、そこはしばしば人間同士の戦争で、あるいは魔族との戦いで、橋が落とされる歴史を繰り返している。
 だが今は新しい橋がある。9分通りの仕上がり具合ではあるが、渡るに支障はなさそうだ。
 橋のたもとで馬を降りたルギドに、岩の陰から木々の狭間から、二百ほどの魔族がバラバラと飛び出して、足元にひざまずいた。
『ルギド様っ』
 口々に叫ぶと、一様に泣き出す。
『みな、無事だったか』
『は、はい』
『これだけなのか? 残りの者は……』
『この下に……』
 乾季で水の乏しい渓谷の流れを覗きこむと、おびただしい魔物の死体が、岸壁にあるいは川に半分身を沈めて、折り重なっている。
 ニ千だったはずの部隊が、今は1割に満たない。
 生き残った者もあるいは翼を折られ、あるいは足に鎖を巻きつけられ、傷のない者はいなかった。
 ルギドは言葉を失った。
『昨夜のこと、ハガシムの敗残兵どもが、亡霊にでも追いかけられているような形相で山を駆け下りてきました。ルギドさまのお名前を口々に交わしながら。
奴らはあたふたと海に向かって逃げて行き、それとともに我らの見張りをしていた監視兵も逃げ出しました。
人間奴隷たちもこれ幸いとどこかに行ってしまいましたが、我々はルギドさまがいらっしゃるのを信じて、ここから離れないで待っていたのです』
『ミンナ聞ケ。アノ憎ムベキハガシムハ、ルギドサマガ、ズタズタニシテ下サッタゾ!』
 ゼダの誇らしげな報告に、大きな喜びのどよめきが沸き起こった。
『ルギドさま。どうか我々もゼダのようにお伴させてください』
『またルギドさまの指揮のもと戦わせてください。もう我々は魔王軍には戻れません。今度こそ殺されてしまいます』
『魔将軍たちは、ルギドさまを殺すと言っています。我々に奴らを滅ぼさせてください。ルギドさまの御世を作るお手伝いをさせてください』
 忠誠を誓う部下たちの澄んだ目を見ていることができず、ルギドは顔をそむけた。
『今は、おまえたちを連れてゆくことはできない』
『そんな……』
『俺は今、人間とともにある。おまえたちを連れて行動すれば、あちこちで人間たちと不本意な戦いをすることになる』
『……』
『だから、今は隠れていろ。時が来れば必ずおまえたちが必要になる』
『……はい』
『ペルガの北の森へ行け。風の階と呼ばれる塔があるところだ。飛行族がもともと住んでいた森だ。そこを根城にして部隊を立て直せ』
『はい』
『周辺の人間に見つかるな。人間を食らうな。森の中にいる動物を食物とせよ』
『はい』
『俺の師団のほかの兵にも、そこで合流するよう伝えておく。準備ができたら、必ず迎えに行くからいつでも戦えるようにしておけ』
『はいっ。ルギドさま』
 二百の兵がまるでひとりであるかのように声をそろえる。
 優秀な兵卒たちだった。指揮官に対する絶対の服従。無条件の信頼。
 まとわりつく鎖を砕いて、出発の準備が整った。
 怪我した者を互いにかばい合いながら、生き残りたちはゆっくりと山越えに向かう。
『ゼダ、途中まで案内してやれ。俺はここで待っている』
『デ、デモ……』
『いいから行け!』
 彼らの先頭を飛びながら、遥か高みから後ろを振り返ったゼダは、渓谷の縁にうずくまり、部下たちの死体を見下ろしながら子どものように泣きじゃくっているルギドの姿を見た。


 西からの乾燥した熱風を高い山々にさえぎられた東側、エペ王国の草原では、春を思わせる湿った心地よい微風が吹いていた。
『ルギドサマ。オナカガ、オスキニナリマセンカ?』
『いや、大丈夫だ』
 馬に草を食ませるあいだ、彼らは柔らかい地面に坐りこんだ。
『近クノ村ニ行ッテ、人間ヲ、カッサラッテ来マショウカ?』
『ゼダ、俺はもう人間は食わん』
『ソウデシタネ……』
 ゼダはいたましげに主の横顔を見つめた。
『ナニヲ召シ上ガッテ、オイデナノデスカ?』
『そうだな、一番ましなのは兎の肉、かな。鹿もいいが、豚はできたら避けていたいな』
『ワタクシモ、ハガシムノモトカラ、逃ゲテクル途中、野デ狩リヲシマシタ。蛇ハ意外ト、イケマスヨ』
『はは……。嘘だろ?』
『イイエ。淡白ナ味デ、オイシカッタデス。今度ゴチソウシマス。ソレト、牛ヲ獲ッタコトモアリマシタガ、ホンノ少シカジッタダケデ、オナカイッパイニ、ナッテシマイマシタ。アレハ、ワタクシニハ大キ過ギマス』
『そうか。今度ゼダとふたりで、牛を丸ごと食ってみたいな』
 ゼダはルギドの長い髪を梳く手を止めた。
『ルギドサマノ、ソンナニ楽シソウニ、オ笑イニナル声ヲ、初メテ聞キマシタ』
『……』
『魔王軍ニイラシタトキハ、イツモ怒ッテ、怒鳴ッテ、物ヲ壊シテバカリデ、オイデデシタネ』
『……そうだったかな』
『失礼ヲ承知デ、言ワセテイタダケレバ』
 ゼダは大きな目をギュウッと細め、嬉しそうにルギドの背中に抱きついた。
『ワタクシハ、今ノルギドサマガ、ズット好キデス』


 王都に向かう途中見た村は、ルギドを驚愕させた。
 かすかに見覚えがある。4ヶ月前に彼が襲った村のひとつ。
 確かに村を焼いた。多くの人間を殺した。
 だが礼拝堂や学校のような大きな建物は残し、井戸や家畜小屋も手は出さなかった。
 戦闘員となりうる人間だけを殺し、残りは生かして、部下に管理するように命じたはずだった。
 だが今目の前にあるものは、ちがった。ことごとく破壊し尽くされていた。
 建物の瓦礫とともに、腐乱したあるいは白骨化した人間の無数の死体が雨ざらしになっている。誰かが人間を詰めこんだまま、建物ごと破壊させたとしか見えない。
 死体に群がる不吉な鳥どもに負けじと、ゼダはきいきいと鳴き喚いた。
『ハガシム! ハガシムノ仕業デス!』
『何だと……』
『ルギドサマノゴ命令ヲ、完全ニ無視シテ、人間ヲ皆殺シニシテ回ッタノデス。ワタクシハ何度モ抗議シマシタ。ルギドサマノ言イ置カレタ、ゴ命令ドオリニシロ、ト。
スルト奴ハ、コレガ、ワガ王ノ、直々ノゴ命令ナノダ。人間ヲ滅ボシ尽クセト、ワガ王ハ仰セラレタ。ルギドハ反逆者ダ……ト』
『……』
『ワタクシハ、ソノ時、舌ヲ切リ取ラレタノデス……』
『父王のご命令は、人間を滅ぼし尽くすことなのか……』
 ルギドは唇を噛み締めた。
『ルギドサマ。ハガシムノ、口カラデマカセデス!』
『いや、ハガシムは口からでまかせを言えるような脳みそはなかった。あいつは俺と戦ったとき言った、父王は俺を人間を皆殺しにする忠実な殺戮者に仕立てるつもりだと』
『デモ……』
『あのような言葉、あいつが考え出せるものか。本当に父はそう言われたのだ』
『……』
『俺は、魔族が人間を統治する世、古代ティトス帝国の再来が父王の御心だと思っていた。人間を食糧として管理する魔族の高度な文明社会……。
人間を皆殺しにしたら、魔族は何を食って生きるのだ? 人間も魔族もともに滅びることを、父王は望んでいたのか?』
『ソ、ソンナ……』
『俺は人間も魔族も滅ぼすための殺戮者として、創られた存在だったのか……』


Chapter 9 End

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