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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記

外伝 Episode 1
旧暦3635年 黒竜月


§1


「魔物の死体を買い取ってくれるところってのは、ここか?」
 扉が開くやいなや、いきなり大声を立てた男に、受付の女は面倒くさそうに顔を上げた。
 ここは、エペ王国南部の山岳地帯のふもとにある、自由都市ワドル。
 北部の王都と対をなす大都市で、12年前魔族が地上にあふれ出てくるまでは、西の大国ペルガのエクセラとの定期馬車が 毎日のように行き交う、世界有数の商都でもあった。
 ガルガッティア街道が魔王軍により寸断されてからは、むしろ北の王都や、ペルガのトスコビにお株を奪われた格好になっているが、それでもエペ国内の第二の都市であるのは間違いない事実だ。
 男は鴨居に頭をぶつけないよう、屈みながら入ってきた。
 しかし、受付の女がはっと息を呑んで彼を見つめたのは、その並外れた長身のゆえばかりではない。
 男は若かった。しかも思わず見とれるほど美しかった。
 あちこち破れが目立つ麻の半袖のシャツからは、引き締まった胸と腕がのぞいている。動物の革をなめして柔らかく仕立てた黒のズボンは、長い下肢をぴったりと包み、その上の形のよい腰を隠すように、長い金色の髪が伸びている。そしてベルトには青銅の長剣。
 髪はそこらへんに落ちていたような擦り切れた荷縄で、ぞんざいに縛ってあるだけなので、日に焼けた顔のまわりには、キラキラと後れ毛がまとわりついている。
 すっと整った鼻梁に、意志が強そうに結ばれた薄い唇。顎から頬にかけては、男らしい張りも女らしいふくよかさもなく、中性的な輪郭を作っている。
 金色の眉は名人に張られた弓の弦のような弧を描き、目は少し冷たい印象を与える切れ上がった形だが、夏の青空のような、深い湖のような瞳の色が、見る者を夢幻の世界に吸い込まずにはおかない。
「ここはハンターギルドだな」
 答えのないのに痺れをきらした様子で、男がふたたび発したことばに、女は我に返った。
「ああ、表の看板にそう書いてあるだろ」
「俺は字が読めねえ」
 悪びれもせず真直ぐ見下ろしてくる彼の澄んだまなざしに、彼女は逆に恥じらいさえ覚えた。
 ハンターギルドというのは、サキニ大陸独自の制度だ。
 魔物を、大きさや種族などで細かい等級に分類し、それを倒した冒険者たちに等級に応じた褒賞金を支払う。
 全世界の腕に覚えのある屈強な男たちを引きつけることで、強力な軍隊を持たずにすまそうという、商業国らしい巧みな知恵だ。
「悪かったね。確かにここはハンターギルドさ」
 受付の女は、すこし微笑を浮かべて男に対した。
「魔物の死体を買い取ってもらいたい」
「どこにあるんだい?」
「まだ表に置いてある。馬の背中に」
「登録証は?」
「ここに来るのは、はじめてだ。登録しなきゃならねえとは知らなかった」
「登録するかい? それでないと買い取りはできないよ」
「わかった。そうしてくれ」
「それじゃあ、この申込書に……」
 引き出しから取り出した書類をカウンター越しに渡そうとして、女は手を止めた。
「……と、字が書けないんだったね。あたしが代わりに書いてやるよ。名前は?」
「リュート・リヒター」
「歳は?」
「16」
 女は思わず目を丸くする。「16? その背丈で?」
「好きででっかくなったわけじゃねえ」
「そりゃそうだ。……じゃ、生年月日を言っとくれ」
「3619年ごろ。それしかわからねえ」
「出身地は?」
「この世界のどこか」
 思わずため息が出る。「あんたねえ」
「4つのときに親が死んじまった。俺は自分の名前しか覚えてねえんだ」
 淡々と事実だけ伝えるそっけない口調は、同情などまっぴらだという彼の屈折した感情をかすかに表わしていた。
「わかったわよ」
 彼女は、登録を有効なものにするため、適当なことばで項目を埋めていった。
 怪物のような男たちの脅しにもテコでも動かないことで有名な彼女が、なぜ自ら進んでこんな面倒なことまでしてやるのか、自分でも不思議に思いながら。
『目の色、青。髪の色、金』
 見たままを、手際よく記入していく。
 サキニ大陸の人々にとって、金髪碧眼ということばは軽い侮蔑の意味を含んでいる。
 定住地を持たず馬車を住処として、行く先々の村で羊の毛の刈り取りの手伝いや、大道芸などで生計を立てる放浪民族の容貌を現わすことば。
 定住する民が彼らへの嫌悪の情をいだくのは、その上品とはいえない言葉遣いにも原因があるのだろう。
 しかし、眼の前の男に会って初めて、彼女は金色の髪と青い瞳が掛け値なしに美しいものなのだと悟った。
「登録は完了だよ」
「ありがとう」
 ようやく彼は白い歯を見せてにっこり笑った。心臓がとくんと打つ。
「と、登録証を作ってるあいだに、表の魔物を持ってきてくれない?」
「ああ」
 彼は行きかけて、ふと振り返った。「あんたの名前は?」
「え?」
 彼女は頬が染まるのが自分でもわかった。10歳も年下の子どもに名前を問われただけなのに。
「あんたの名前をまだ聞いてねえ。俺だけ名乗っちゃ、不公平だろうが」
「セ、セスタだよ」
「親切にしてくれてありがとう。セスタ」
 彼が扉から姿を消すと、登録証の作成などすっかり忘れてボウッとしている彼女に、ギルドの隅の椅子に腰かけてコーヒーを飲んでいた髭面の男が、くすくす笑った。
「ハンターギルドの鉄の女セスタが、年下の坊やにのぼせちまうなんて、いやあ、面白いものを見せてもらった」
「バ、バカ言ってんじゃないよ。エルゲン」
 あわてて仕事に没頭するふりをしている彼女の様子に、ますます含み笑いを誘われていた男も、扉からふたたび入ってきたリュートを見て、思わず席を蹴った。
「な、何だ? そいつは」
「あ?」
 肩に担いできた、重さ百キロはありそうな魔物の死体をどさりと床に降ろしたあと、彼は初対面の男の方に向き直った。
「何って、俺が倒した魔物だ。どこか変か?」
「なんてこった。これはレベル20クラスのベヒーモスじゃないか」
 髭の男は思わず身震いした。
「しかも魔王軍の隊長のバッジをつけている。……おまえ、こいつをどこで倒した?」
「こっから南へ2キロくらい行った街道沿いだ。20匹くらいの雑魚たちと一緒に、隠れてあたりをうかがっているようだった」
「その20匹の兵隊どもも、おまえひとりでやっつけたのか?」
「ああ、そうさ」
 事も無げに答える。「さすがに全部の死体は持ってこれねえから、一番金になりそうなこいつだけにしたんだ」
「……ってことは、つまり!」
 男は掴みかからんばかりの勢いで吠えた。
「おまえが倒してなかったら、こいつらは今晩あたりでも、このワドルの町に奇襲をかけてくるつもりだったかもしれないんだぞ」
「そうなのか?」
 リュートは、ぴんと来ない表情で気のない返事をする。
「ち、ちょっと、あんた!」
 セスタはカウンターのうしろから、ころがるように出てくると、おそるおそる死体を指さした。
「直接こんなナマモノを持ち込まれても、困るのよね!」
「え?」
「ハンターギルドのこと何も知らないの? 倒した奴の体の一部だけ切り取って持ってくる決まりになってんの! ちゃんと魔物の種類ごとに持ってくる 部位が決まってるの。ガーゴイルなら、2枚の翼の先の爪とか、ベヒーモスなら、頭の2本の角とか」
「ちくしょう、そうだったのか!」
 リュートは、おおげさに顔をしかめて頭をかかえた。
「そうとわかってたら、残りの20匹も金に換えられたのに。何てこった!」
 悔しげに地団太を踏む彼に、エルゲンは呆れたようにつぶやいた。
「何て男だ……」
 ともかくもベヒーモスを倒したということで、かなりの額の褒賞金を手に入れた少年がギルドから出て行こうとするのを、彼は後ろから呼び止めた。
「リュートとかいったな。俺と組まないか?」
 不審を露にねめつける視線にひるむことなく、エルゲンはさらに続けた。「ベヒーモスなど比べ物にならんほど儲かる話がある。……一口乗らないか?」


 酒場の隅のテーブルで、ふたりは向き合って坐った。
「本当におめえのおごりなんだろな」
 しつこいくらい念を押してから、リュートは卓いっぱいに並べられた料理をすごい勢いで平らげ始めた。
「驚嘆すべき食欲だな。俺も16のときはこんなものだったかな」
「いくつなんだ、おめえは?」
「42だ」
 リュートは、片時も口と手を休めることなく、眼の前の彼を観察しているようだった。
 エルゲンの歳のわりに精悍で引き締まった肉体、適度に上等な剣と装備品、不精髭におおわれてはいるが、よく見れば隙のない整った面をじろじろと眺めると、
「おめえ、どっかの城の元傭兵かなんかだろ?」
 と結論をくだした。
「ふふ……。当たらずといえども遠からず、ってとこかな」
「ま、どうでもいいけどよ」
 皿のスープを下品な音を立てて、飲み干す。
「ところで、リュート。おまえはなぜ、魔物ハンターなぞになろうとしてるんだ?」
「生きるためさ」
「生きるためなら、他にも道があろう。もっと楽で危険のない道が」
 エルゲンは軽く揶揄するようにほほえむ。
「おまえほどの美丈夫なら、旅芸人の一座の舞台に上がるだけで、女どもがしこたま貢いでくれるだろうに」
「……この、インポ野郎!」
 みるみるうちに、リュートは目に怒りの青い炎を燃え立たせた。
「おめえとの話は、これで終わりだ。もう顔も見たくねえ!」
「ま、待て!」
 椅子を倒して立ち上がった彼を、エルゲンはうろたえて引き止めた。
「すまん、俺が悪かった。軽口が過ぎた。悪気はなかったんだ……とりあえず坐って、最後まで話だけでも聞いてくれ」
 しぶしぶ席に戻ったものの、腕組みをして顔をそむけながら、リュートはつぶやいた。
「俺は強くなりてえんだ。この大陸でいちばん、いや、世界で一番強い男になりてえ」
「ほう」
「ハンターになるのも、そのため。金儲けは二の次なんだ。ただ強い魔物を倒せれば、それでいい」
「なるほど」
 エルゲンは、彼を初めて見たときの自分の第六感が当たったことを知って、内心おおいにほくそえんだ。
 こいつこそが、俺の求めてきた男だ。
「ハンターになるより、もっと強いやつらと戦える方法があるのを知っているか?」
「なんだと?」
「宮廷のお抱え剣士になることだ。この大陸では無理だが、たとえばサルデスの王室軍には強い騎士がごまんといると聞く。
召し抱えられれば、そいつらと自由に手合わせすることができるぞ」
「宮廷の……お抱え」
「さらに、正規軍の情報網を使えば、どこに魔王軍が布陣しているかもいち早く知ることができる。ハンターのように口伝えと幸運に頼らずとも、 強い魔物に出会える確率がずっと上がるってわけだ」
「……俺は、大勢の人間と群れるのは、好きじゃねえ」
「実力さえあれば、正規軍に組み入れられることなく、遊撃軍の一員として、自由に望むところで暴れることもできる。しかも王宮の寝床と、たっぷりの給料付きだ」
 リュートは、一心に考え込んでいる様子で、眉をよせていた。
「どうすれば、宮廷に召し抱えられるんだ?」
「そうだな、今の俺やおまえじゃ無理だな。まず実績がない。家柄は逆立ちしたって手に入れられるもんじゃなしな。実績を作ることが一番の早道だ」
「その実績ってやつは、どうしたら手に入る?」
「ここからの話は、おまえの出方しだいだ」
 エルゲンは杯を傾けると、ゆったりと椅子の背にもたれた。
 食いついた魚はすぐ釣り上げずにじらす。これが彼の長年の戦法だ。
 リュートは皿に残っていた骨付き肉を噛みちぎり、エルゲンが自分用に注文していた強い酒を、いきなり壷ごと取り上げて飲み干した。
「お、おい、リュート!」
 彼はむき出しの腕でぐいと酒に濡れた赤い唇をぬぐうと、低い脅すような口調になった。
「もったいぶって話を有利に進めようったって、そうはいかねえぞ。この剣でケツ掘られたくなかったら、すぐにしゃべれ」
 こいつには駆け引きは通用しない。かえって危険だ。
 とっさにそう悟ったエルゲンは、あっさりと折れた。
「ドラゴンだ」
「ドラゴン? そんなものがまだこの世界にいるのか?」
「ここから南南西に90キロ。険しい峰をいくつか越えた峡谷の奥の洞窟にひそむという。飛んでいるのを見たというやつに実際に会って聞いた話だから、間違いない。ただ、この1年だけでも6人の冒険者がドラゴン退治に出かけて帰ってこなかった」
「ふうん」
「ドラゴンを倒すと、『竜殺し』の異名を取ることができる。騎士の社会で最も名誉ある称号だ。全世界の王室軍で通用すること、間違いなしだぜ」
 エルゲンは、ここぞとばかり、向き合った剣士の肩を叩いた。
「ベヒーモスを軽々と倒したおまえと、経験のある俺が組めば、必ず仕留められる。竜の眉間の一枚しかない黄金の鱗を持って、城に参内すれば、俺たち2人は即、騎士さまだ」
「……」
「悪い話ではなかろう?」
「あはは……」
 リュートは突然、破顔一笑し、無邪気な笑い声をあげた。
「よし、乗ったぜ。その話」
 バシンとエルゲンと掌を打ち合わせる。「さっそく出発しようぜ」
「今からすぐは無理だ。薬草や食糧の準備もある。全部俺にまかせてくれ。明日の明け方、城門で落ち合おう」


 夜明け前エルゲンは、城門わきの壁にもたれてぐっすり寝入っているリュートを発見した。
「リュート?」
「あ、ああ……」
 すぐ目を覚ますと、大きな伸びをする。
「寝すごして置いてかれたら困るんで、ずっとここで待ってたんだ」
「一晩中、ずっとか?」
「ああ」
 あくびを噛み殺しながら、リュートはそばの木につないであった馬に、持っていた荷物をくくりつけた。
「じゃあ、行こうぜ、……えーっと、おめえ何ていう名前だっけ?」
「エルゲンだ。……いい加減、覚えろよ」
 ふたりは馬にまたがると、南の山岳地帯への街道を軽やかにたどり始めた。
 当初は何ごともなく順調に進むかに見えた旅だったが、山あいに入ると突如雲行きが変わった。
 いきなり、50匹ほどの魔王軍部隊に取り囲まれたのだ。
「ちっ。おまえが倒したベヒーモス部隊を捜索に来た奴らに鉢合わせしたってところか」
 エルゲンは冷静に分析した。「いくら何でも多いな。逃げるか」
「馬鹿ぬかせ。戦うに決まってんだろ!」
 ことばより早く、リュートの剣は鞘から放たれ、魔物の群れにその切先を飛び込ませていた。
「お、おいっ!」
 中年の騎士は、眼の前で起こったことを、信じられないもののように見つめた。
 リュートの長剣が振り払われると、2、3匹の魔物が黒い血しぶきをあげて、文字通りふっとんだ。
 なんという速さ。
 太刀筋、足さばき、しなやかな身のこなし。どれをとっても常人の動きではない。
 左に踏み込むかと見えるその次の瞬間、右に突きに入っている。
 剣術の定石というものを全く無視した、荒々しい、それでいて最大の効果をあげる剣。
 騎士道がいまだに一対一の果し合いに縛られているのに対して、彼は初めから一対多を念頭に置いて、戦ってきたようだ。
 エルゲンが数匹を相手にしているあいだに、リュートの回りには累々と屍の山が築かれていた。
 あとには、怖気づき後ずさりし始めた雑兵がわずかに残った。
『エピゲム・ジュリス・エ・サリーク(おまえらのボスに言え)!』
 剣をまっすぐに差し出すと、リュートは敗残兵に向かって魔族のことばで怒鳴った。
『リュートという者がおまえと勝負したいと待っている、とな』
 魔王軍の生き残りは踝を返し、ころげながら丘の向こうに逃げていく。
 それを見送ると、彼は顔についた血糊を腕でぬぐった。その跡は戦化粧となって、彼の顔を悪鬼のように彩った。
「これを使え」 見かねてエルゲンは手ぬぐいを差し出す。
「ああ。すまん」
「リュート。おまえ誰にその剣を習った?」
「誰にも」
「誰にも?」
 リュートは顔をぬぐったその布で、剣の刀身を力をこめて拭き下ろした。
「10歳のときに、いっしょに旅をしていた族長からこの剣をもらった。それからずっと、ひとりで練習した。誰にも教わったことはねえ」
 剣を鞘に収めると、
「さ、先を急ごう。今日は金になりそうな奴はいねえし、無駄足を踏んじまった」
 そう言い捨てて、さっさと馬にまたがり行ってしまった彼の後ろ姿に、
「戦の神【アクティオス】の申し子……」
 エルゲンの脳裡に、彼らしからぬ詩的な言葉がよぎった。


 山岳地帯に分け入り数時間も経つと、高い峰の向こうに太陽は隠れ、急速にあたりは暗闇にとってかわった。
 ちょうど手ごろな湖を見つけたのを幸い、ふたりの剣士は畔で野営することに決めた。
 慣れた手つきでたき火を熾し干し肉をあぶるあいだに、交替で水に入り、今日の戦の血と汗を流した。
 薄紅の暮色に裸体を染めて、長い金髪をほどいて水にすすぐリュートの姿をちらりと見てしまったエルゲンは、 誓ってそちらの気はない男だが、それでも下半身が居心地悪くなるのを止めることができなかった。
「おまえ、何で髪を長く伸ばしてるんだ?」
 たき火のそばで、後ろ手に髪を縛っているリュートに、彼は尋ねた。
「戦いのときに邪魔になりこそすれ、いいことは何もないだろう」
「俺は人より髪の伸びるのが早えみたいなんだ」
 仏頂面の返事が返ってくる。
「何度ナイフで切りそろえても、また次の日には元の長さに戻っちまう。もう諦めて放ってあるのさ」
「それはおまえ、早いなんてもんじゃないだろう」
 エルゲンは呆れた大声を出した。「おまえ、本当に人間か? もしかして、魔物の血が混じってるんじゃないのか?」
 キッとにらみつけたリュートの目は、一瞬眼の前の炎よりも激しい怒りに燃え上がった。
 エルゲンはあわてて、「すまん」と口の中でつぶやいた。
 どうも俺は、この男の心の深いところをえぐってばかりいるようだな。
「そう言えば、おまえ魔族のことばを話せるんだな。意外だったぜ」
「ああ、魔王軍の残党を一匹捕まえて、3ヶ月いっしょに森で暮らしたことがあるんだ」
 リュートはあぶり肉の串を片手に、両手を向かい合わせて肩幅ほどに広げて見せた。
「これくらいの奴だったかな。とにかく朝から晩までそばにいて、魔物のことばを教えさせた」
「ほう」
「戦う相手のことばくらいわからなきゃ、話になんねえからな」
 彼は少し微笑んだ。「あいつ、今頃どうしてるかな。もし魔王軍に戻ってたら、わからずに今度は斬っちまうかもしれねえな」
 エルゲンは心の中で考えた。
 こいつ、思ったより馬鹿じゃない。ただ今までの野生児のような生活の中で、まともな教育を受けていないだけなのだ。
「おまえに渡しておくものがある」
 彼は立ち上がって馬の鞍の置いてあるところに行くと、荷袋の中から平べったい包みを取り出した。
「開けてみろ」
「何だよ、これ」
 リュートが膝の上で包みを破ると、中から出てきたのは、一冊の紙質の悪い本だった。
「読み書き用の手習い本だ」
 髭をしごきながら、にっこり笑う。「昨日、薬草を売る店で見つけて買っておいたんだ。二人で仕官するにしろ、字くらい書けなきゃ俺が恥をかくからな」
「エルゲン……」
「旅のあいまに俺が教えてやるよ。俺の教養といってもたいしたことはないが、おまえに字を教えるくらいは役に立つだろう」
 リュートは物も言わず、首根っこにしがみついてきた。
「よ、よせよ。大の男が抱き合うなんて」
 思わず狼狽するエルゲンだった。


§2につづく


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