北サルデス出身のジーク・リヒターとアデル・リヒターが、新ティトス帝国の栄ある騎士に叙任されたのは、新暦4年の赤鳳月、ふたりが15歳のときのことであった。 その翌年の青鳳月、彼らは皇帝からの召喚を受けて、首都に赴いた。後世の者にしてみれば、新任の騎士が皇帝にお目通りかなうというのは、異例中の異例であろう。しかし、このときは帝国の歴史浅く、こういうことは頻繁に行なわれていた。 「我ら両名、陛下のお召しにより、任地スミルナより馳せ参じましてございます」 サルデスの首都より北方数十キロにある新帝国首都パロス。壮麗な宮殿の謁見の広間では、墨色の装束をまとった若き騎士がふたり、絨毯の上にうやうやしく片膝をつき、玉座に向かって拝礼した。 双子だけあって、兄のジークと妹のアデルは鏡像のように互いによく似ており、まだあどけなくさえある面立ちの清々しさには、広間に集まった一同、感嘆のため息をついた。 「大儀であった」 玉座には、冠を戴いた初代皇帝アシュレイが座している。齢四十を前にして、なお勇者であった若き頃をほうふつとさせる凛々しき姿である。 皇帝が侍従長を通さず直接臣下とことばを交わすのも、この時代にはまだよく見られた光景であった。 「スミルナ国王、それに大公ゼリクさまのご様子はいかがか」 「はい、おふたりとも、きわめてお健やかにお過ごしでいらっしゃいます」 「そなたたちをこれほど緊急に召したのは、特別の任務を賜るためだ。ペルガ国の北の森において、魔族たちに近年不穏な動きが見られる。近隣住民とも小競り合いが絶えぬと聞く。そこで、そなたたちに現地に赴き、くわしい調査の上、状況の解決を図ってもらいたい」 「【緑の森軍】のみんなが!」 と口走ったアデルは、あわてて顔を伏した。肩で切りそろえた真っ直ぐな黒髪がその拍子に揺れた。 「い、いえ。彼ら魔族が、でございますか。おとなしい民と存じております。何かの間違いではございませんか」 「いや、残念ながら、それに関しては確かなようなのだ」 「おそれながら、この件に関しましては元帥閣下のほうが、よく事情をご存知なのでは」 ジークが控えめに疑問をさしはさむ。彼はアデルと同じ丈の髪を首の後ろで結わえており、注意力の足りない人間にとっては、それが唯一ふたりを見分ける方法だった。 「ジルは、局地的な内乱の収拾のため、先月からラオキアに赴任しておる」 「では、そのお妹御であらせられる、宮廷専属魔導士ギュスターヴさまのご内儀リグさまは?」 「リグは、今妊娠中だ」 「うそーっ!」 ジークとアデルは異口同音に叫んだ。 「こないだ、二人目が生まれたばかりなのに、さすがギュス!」 玉座脇の初老の侍従長に思い切りにらまれ、アデルはあわてて首をすくめた。 「さ、三人目のご懐妊、まことに吉報と存じます」 アシュレイは、髭の下で必死に笑いをかみ殺している。 「だから、余がこの件について頼める者は、古くからの知己であり、彼らが心を赦すに違いないそなたたちしかおらん。行ってくれるな」 「皇帝陛下のご勅命、謹んで承ります」 ふたりが威儀を正し、深々と頭を垂れると、皇帝は咳払いをした。 「ついては、両名に極秘の注意を与える。もっと近くに寄るように。……キャラハン、この者たちのために催す晩餐会、直々に指揮を申しつける。人手をふんだんに使い、決して手抜かりのないように」 「はっ」 侍従長は皇帝の真意を察して一礼すると、大勢の供の者たちをすべて引き連れて、広間を出て行った。 あとに残ったのは、警備の近衛兵たち以外、アシュレイと双子の騎士だけになった。 招きに応じ、膝のまま玉座ににじり寄ると、アデルは小声でささやいた。 「アッシュ。その髭、何とかならないの。絶対似合わないよ」 「自分でもわかっているんだけどな」 アシュレイは樫の玉座に頬杖をつきながら、大きなため息をついた。 「だが、皇帝というのはそういうものでね。民衆が指導者に求めるのは、それにふさわしいかどうかではなく、由緒正しき血統だったり、見かけの威厳だったりするときがある。 ただでさえ新帝国はまだ発足したばかりだし、僕は初代の皇帝だ。 新しい体制に反感を持つものは多い。ラオキアで起きた反乱も、帝国の支配と税金を逃れようとする旧地主たちが先導して起こしたもの。放っておけば、各地で同じような動きが起きかねない。 今は、望むと望まざるとにかかわらず、帝国の武力と権威を人々に知らしめなくてはならない時期なんだ」 「たいへんなんだね、アッシュ」 ジークがいたわるような眼差しを、彼にそそいだ。彼のことをそのように親しげに呼ぶ人間は、すでにこの世界に数えるほどしか存在しないだろう。 「きみたちのお父さんがここにいたら、きっとこのやり方には大反対する。僕は嫌われて、口も利いてもらえないだろうな」 「そんなことないよ」 少女は首を振った。「ねえ、今度の旅、いっしょに行こう。毎日こんな狭いところに押し込められて座ってたら、からだが腐っちゃう。きっといい気晴らしになるよ」 「行きたいなあ。でも、無理だよ」 アシュレイは哀しそうに微笑んだ。 「僕がちょっと動くだけで、人々は莫大な出費を強いられるからね。道を補修し沿道の村々の屋根まで葺き替えるという騒ぎになる」 彼は玉座から立ち上がると、ゆっくりとした動作で階段の一番下に腰を下ろし、ふたりの頭を撫でた。たったそれだけのことで、周囲の近衛兵たちが肝をつぶす気配がした。 「アローテは、どうしてる?」 「……はい、母は息災にしています」 ジークは、とっさに目を伏せ、元通りの丁寧なことばでそう答えた。 アシュレイは何か言いたそうに、じっと彼のことを見つめていたが、「そうか。よかった」と答えただけだった。 「北の森の魔族たちを頼む。彼らが人間たちとうまくやっていくか否かが、帝国の将来における人間と魔族との互いのありかたを決めることになる。 我らは和すことができるのか。それとも、これからも世々にわたって反目しあうのか」 「ジーク。私たちがこの任務に選ばれたわけ、ほんとにわかってる?」 隣り合って草原を進む馬の背で、アデルは少し高飛車な声をあげた。 そういう声を出すときの彼女は、不安を押し隠すためにわざと偉そうなしゃべり方になるのだということを、ジークは長い16年の付き合いで知っていた。 帝都の宮殿を辞して5日目。 3日間の船旅を経て上陸したベルガ北部の港町トスコビから、若いふたりの騎士は「北の森」――かつては、『風の階(きざはし)』の森として知られた場所を目指して、入り日の方向へと旅をしていた。 「北の森の魔族と僕たちが、古い知り合いだからだろう」 「それだけじゃない。私たちがルギドの血を持っているからよ」 黒い髪に黒い瞳。誰が見ても北方民族の出身である母親の血を色濃く受け継ぐジークとアデル。 しかし彼らがティエン・ルギド、すなわち初代皇帝アシュレイをして「帝国の祖」と呼ばしめた魔族の王子の血を引いていることは、帝国の政にたずさわる者の誰もが知っているところであった。 「魔族が反乱を起こすとすれば、まずルギドの子どもである私たちを担ぎ出そうとする、とみんなは恐れているのよね」 「つまり、僕たちは試されていると?」 「アッシュは試したりしない。いつだって私たちの味方よ。でも、私たちの忠誠心を公に示して、私たちが危険な存在だとささやく大臣たちの口を封じるために、この任務を与えてくれたんだと思う」 そう言ってアデルは、唇を強く噛みしめた。 騎士学校時代も、派遣された任地でも、彼ら双子が上官や周囲の人々から、畏怖の入り混じった煙たそうな目で見られることが時おりあるのは、ジークもよくわかっていた。それだけに彼らは同期の誰よりも何倍も努力して、帝国への忠誠心を表そうとしてきたのだ。 兄のジークは、偏見などいつか実力で乗り切れると信じていた。だが、女性という二重の意味での差別を背負っている妹は、ことさらに人々の悪意を強く感じていたのだろう。兄ほど楽天的ではなかった。 だから彼女は、何度も繰り返して言うのだ。 「この任務は、絶対に失敗できないの。私たちの名誉と、お父さんの名誉のためにも」 南国の趣のあるサキニ大陸とは言え、北部のこのあたりでは、太陽はサルデスとほぼ同じ時刻に沈む。草原をおおう空気が杏酒の色に染まるころ、ジークとアデルは風除けになる潅木の茂みを見つけ、黙々と野宿の支度にかかった。 枯れ枝を集め、火打石を打ちつけて木の皮で作ったほくちに移し、火を熾す。乾燥肉をあぶり、携帯食のパンを山羊の乳を発酵させたものにひたす。 狩をすること。水のある場所を見つけること。寒さの中で温かく眠ること。こうしたことはすべて、幼いころ世界中を旅したときに、父親から教わったことばかりだ。 リュートは自分が家族とともにいられる時間が短いことを悟って、知っている限りの生活の知恵をふたりに授けてくれたのだった。 たき火がぱちぱちと爆ぜる音にじっと耳をすませながら、ふたりは身体を寄せ合うようにして、草原の冷え込む夜を過ごした。 「アデル。家の薪小屋の一番奥に、お父さんの割った薪が一束だけ残ってるのを知ってる?」 「うん」 「やっぱり、そうか。みんなあの薪の束だけは使わないようにしてるんだね。毎年冬になると新しい薪を小屋いっぱいに積み上げても、いつも春には、あの束が最後に残ってる」 「だって、すぐわかるんだもの。お父さんの割った薪は、真っ直ぐできれいに太さがそろってる。誰もあんなふうには割れない」 「お母さんがそれを手に取っていたのを、僕見かけたことがあるんだ。まるで宝物を触るみたいに」 それ以上ことばにすると泣き出しそうなので、ふたりともその話題については口をつぐんでしまった。栄誉あるティトス帝国の騎士たる者が任務の途中で泣くなど、たとえ他に誰も見ていなくとも、このうえなく恥ずべきことだと思えたのだ。 「どうして、ジークはあのときウソをついたの?」 たき火に赤々と照らし出された横顔のまま、アデルは尋ねた。 「あのときって?」 「王宮でお母さんの具合を聞かれたときよ」 「だって、本当のことが言えるかい?」 ジークは力なく答えた。「お母さんとアシュレイ陛下は古くからの親しい友だちなのに……きっと悲しむよ」 アローテのもとに住みこんでいる付き添いの魔導士見習いの少女が、スミルナに赴任しているふたりに定期的に手紙をよこしてくれている。母の容態は、この一年ほどあまりかんばしくなかった。同じ森に住む魔族たちも、床に伏しがちな彼女のために、湖に住む魚や滋養に富む鳥の卵をせっせと届けてくれているのだが。 「何かの方法で、トランスですり減ってしまったお母さんの寿命を延ばすことって、できないのかな」 アデルは煙のせいにしながら、しきりに目をしばたいた。 「どんなにすぐれた癒しの力を持った白魔導士だって、無理だと言ったんだよ」 「お父さんがいてくれたら――。そしたら、お母さんも心強いのに」 たき火の燃えさしがすっかり真っ白な灰になってしまった頃、ふたりはそれぞれの寝袋にもぐりこんで、夜空を見上げた。 『忘れないでね。お父さんは目に見えなくても、いつも私たちのそばにいるのよ』 任地への出発のとき、ふたりの頬を両手で挟みながら母が言ったことばが思い出された。 「本当かなあ」 アローテ母さんは、この頃しきりにリュート父さんの気配を感じるのだという。もしそうだとしたら、それは、彼女の命の灯火が消える不吉な前兆のような気がしてならない。 ジークもアデルも、草の上を渡ってくる風に耳をすました。今にも降ってきそうな満天の星に、瞬きもせずじっと目をこらした。 けれど、その中のどこにも、父の優しかった声やまなざしを感じることはできなかった。 次の日の昼、ふたりは北の森のはずれに着いた。 長い間、耐えがたい暑さと色味のほとんどない景色の中を進んできた彼らは、木々のしたたる緑と柔らかく湿った土の香りに、ふるさとの森に帰ってきたような安堵を覚えた。 太陽の下よりも樹の下の方が心地いいのは、彼らに魔族の血がわずかでも流れているからに違いなかった。 森の端の木に馬の手綱を結びつけると、彼らは根っこにつまずきながら、記憶を辿って進んでいく。曲がりくねった小径は、新参者にとっては迷路ともなりかねない。 やがて木々の連なりが突然開け、見覚えのある場所に行きついた。苔とシダ類でこんもりと被われた大小の塚がいくつも点在している、奇妙な広場だ。 『隊長。みんな』 アデルの大声が響くと、塚の側面に一斉にぽっかりと四角の穴が開いた。 巨大な岩を思わせる火棲族。魚のうろこのような皮膚をした水棲族。蜘蛛の巣に似た薄い光る羽根を持つ飛行族。毛むくじゃらの小人のような地底族。さまざまな容貌の魔族が中から現われる。緑の塚と見えるものは、彼らの家だった。 『ジークさま。アデルさま。お久しぶりです』 真っ先に彼らの前にお辞儀をしたのは、真っ黒な松の皮のような肌をした巨人で、彼が【緑の森軍・隊長】である。戦争からすっかり遠ざかった今となっては、この居住地の村長とでも呼べる存在だった。 彼らは今でも、王子ルギドの妻であるアローテと、その子どもである双子を大切に思ってくれる。一年に一度、派遣部隊を結成し、エルド大陸の彼らの森まで、大きなミツバチの巣を贈り物として届けてくれるのが常だった。 さっそく広場の真ん中で歓迎の昼食会が開かれた。彼らは、人間の来客のためにいつも用意してある兎肉の燻製をあぶり、キイチゴのジュースをふるまってくれた。魔族には歌を歌うという習慣がない代わりに、種族ごとの愉快な歓迎の挨拶が延々と続いた。 女たちは、今年生まれた子どもだと言って、よちよち歩きの魔族の子どもたちを何人も連れてきて見せてくれた。新しい生命が生まれても放っておくという魔族の悪習はすっかり影を潜め、今では村に生まれた赤ん坊は村全員で守っていた。 『この近くの村人たちとの間に、何か争いが起きたって聞いたけど、本当?』 アデルの問いかけに、大騒ぎだった広場はしいんと静まり返った。居心地悪そうに互いの顔を見合わせたあと、また一斉に演説が始まった。 『我々は、仲良くしようと努めてるんだ』 『そうそう。村の放牧場の草をわしらの家畜に食ませたことも、井戸の水を飲ませたこともないです』 『それなのに、奴らときたら、勝手に森の木を切り倒すんだ』 『焼畑を作るために放った火が木に燃え移ったこともある。森の東半分は丸坊主になってしまった』 【緑の森軍・隊長】が最後に、穏やかな口調で全員の話をまとめた。 『私たちが向こうの村長たちに会いたいと申し入れても、全然話し合いに応じようとしないのです』 『わかった。私たちが今から、村に行って話してくる』 アデルたちはそう言って立ち上がる。緑や黒や黄色の瞳が頼りなげに、しかし一心の希望を託して、ふたりの騎士を見つめていた。 「どうするの?」 ジークとアデルは森を出ると、東側に接するなだらかな牧草地に沿ってゆっくりと馬を進ませた。 「どうするって、村人たちの話を聞くしかないよ」 「うん」 「僕らはまだ一方の話を聞いただけだ。森の半分が焼けたというのも、ずいぶん誇張した言い方だったし。とにかく中立の立場で、公平に 双方の言い分を聞いてから判断する」 「うん」 そう話し合いながらもふたりは、「中立である」というのがどれほど難しいことであるかを、今までの体験から知っていた。 帝国からの使者がこの地を訪れたということは、すでに噂になっていて、彼らが村の入り口に着いたとき、大勢の村人たちがにぎにぎしく出迎えに集まっていた。 「新ティトス帝国のうるわしき都パロスより、皇帝アシュレイ陛下の名代として参りました」 馬を降りたアデルは、帝国の紋章のある胸の前に右手をかざして敬礼しながら、人々に口上を述べた。 そしてジークはその一歩斜め後ろで、人々の様子に目を配って立つ。それがこの双子の、小さいときからのごく自然な役割分担だった。 「これはこれは遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」 村長とひとめでわかる恰幅のよい老人が、愛想笑いを貼りつけて出てきた。 「して、騎士さまがた。この村にどんな御用でしょうか」 「この村の人々は、北の森の木々を無断で切り払い、あるいは焼き、その跡を牧草地にしていると聞く。本当ですか」 人垣が、さざなみに揺れる海の面のようにざわめき始めた。 「新ティトス帝国の法律では、森はすべて魔族に与えられ、木を切り出すときは彼らの承諾を必要とします。この村の行為は法を犯していることになります」 「おそれながら」 助役らしき、腰の低い、なめらかな舌の男が村長の隣に進み出た。 「帝国発足以来、皇帝陛下の賢政により、いずこの町々や村々でも人口が増え、わが村も例外ではございませぬ。家を建て、炭を焼き、多くの家畜を養うための広い牧場を囲い込むために、多量の木材を必要としております。ところが森の木を切ることについて、魔族どもは決して話し合いに応じようとしないのでございます」 「話し合いに応じない? そんなはずは」 「まったくもって、そうなのですよ」 村長もそれに同調する。「奴らは恐ろしい顔で我らをにらみつけ、あまつさえ武器までちらつかせる始末なのです」 ジークはこっそり首をかしげた。 北の森の魔族たちが無闇に人間を脅すような真似をするはずはない。性格は荒々しいが、彼らは今も戦士だ。本当の戦士は丸腰の相手に武器をちらつかせたりしない。『人間と和して生きよ』というルギドの命令を今も忠実に守っているのだ。 だが、そうやって村人のことばを疑い、魔族の肩を持つこと自体、自分たちはすでに公平ではないのかもしれない。 村人たちは、口々に訴えた。白い波頭を見せる荒海のように。 「夜になると、ときおり羊がさらわれるのです。魔族らしい影を見たという者の話を聞いたことがあります」 「よその村では、幼い子どもがいなくなったとか。このままでは怖くて、娘を外に出せません」 「わしの父親は、魔王軍に殺されたんだ。その残党が村の近くに住むなど、断じて赦せん!」 それぞれのことばに互いが同調し、次第につのる憎しみに表情をゆがめていくのがわかる。魔王軍との戦争が終わって17年。人々の恐怖と憎悪は、それだけの歳月によってもいまだ消えていないのだ。 「彼らは人間との平和を望んでいます。決して危害を加えることはありません」 必死に説得すればするほど、その憎悪の矛先は、目の前にいる使者たちに向けられる。 「そんなことが何故わかる。あんな恐ろしい顔をした魔物ども、どんな恐ろしい陰謀を企んでいるものか」 「あんたたちがわしらの安全を保障してくれるのか。兵隊を派遣して奴らを追い出してくれるのか」 「魔族の味方ばっかりして、お偉方はこんな荒れ果てた大陸の辺境の民のことなど、何とも思っていないのだろう」 「そんなことはない!」 アデルはいたたまれずに、声を張り上げて叫んだ。 「人間も魔族も、同じ帝国民なのだ。これからのティトスの将来を、ともに帝国をになう仲間なのだ。それが新ティトス帝国が開かれたときの、人々の総意であり、こころざしではないか! なぜそのことをわかってくれないんだ?」 白くなめらかな頬を真っ赤に紅潮させ、憤りのため涙のにじむ目は、常ならぬ輝きを放っていた。その声は、まるで古の王が乗りうつって、彼女の口を動かしているかのようであった。 村人たちは、しーんと静まり返った。ジークは震えている妹の肩にそっと手を乗せた。 「あなたたちの不安はわかります」 ことばを引き取り、静かに話し始めた。 「言葉が違う。姿が違う。習慣も、食べ物も違うお互いをわかり合うことは、とてもむずかしいことです。多くの勇気とわずらわしさと、そして何よりも、つらい過去を忘れるための年月が必要です。 でも、私たちはそれを父や母の世代から託されたのではありませんか。二度とこの地上に戦争を起こさないように。彼らの生命を賭けた戦いと苦しみによって、今の平和があるのです。 私たちの偏見と無理解で、その努力を無駄にしてしまってよいのでしょうか」 敢えて反論しようとする者は、誰もいなかった。 その晩、ふたりの帝国騎士は村に滞在し、村人たちとの長い話し合いの末、いくつかの取り決めを交わした。 『毎年春に、帝国の文官の立会いのもと、ふたつの種族が話し合いの場を持ち、その年に切り出す木の本数を決めること』 『その跡地には、切り出した木と同じ本数だけの苗木を植えること。その作業は双方から同じ人数だけ出し合って、共同で行うこと』 『魔族たちは、すみやかに武装を解くこと』 次の朝、彼らは北の森に戻って、この取り決めを伝えた。 誇り高い【緑の森軍】の残党たちにとって、武器を捨てることは到底受け入れられないことではあったが、双子たちの粘り強い説得によって、ついに彼らもその条件を飲んだ。 そのあくる日が調印式となった。森の端の牧草地に人間と魔族の全住民が集まって、その目の前でそれぞれの代表が、設けられた同じ卓に座り、書面に印を押し、杯を交し合った。 双方の笑顔はまだぎこちなく、それをそばで見ていたジークとアデルは喜びの甘い果実を味わいながらも、苦い芯のように残る不安を感じていた。 北の森の土を踏んだ日から数えて四日目。ようやく彼らは帰路に着くことになった。 魔族の名残惜しげな見送りの中で彼らの居住地を後にし、森の径をたどりながらアデルが言った。 「本当に、うまく行くのかな」 「そう願うしか、今できることはないよ」 「今はよくても、三年後は? 十年後は? 百年後は?」 「わからないよ、僕たちには。でも信じたい。魔族と人間のあいだにはいつか必ず平和が来ると。信じて進むしか道はない」 「お父さん、……喜んでくれるかな」 いちどきに緊張が緩んで、すすり泣き始めた妹の身体を、ジークはそっと片手を回して抱きしめた。 「だいじょうぶだよ。きっと今も見ていてくれる」 その瞬間、ふたりの前にさっと風が吹きすぎた。 木立がさわさわと揺れ、銀の葉裏がひるがえった。黄金色の木漏れ日が、細かな斑(ふ)模様でふたりの身体をそっと覆う。その温かく柔らかな光は、まるで寝床に横たわる子どもたちにキスするときの父の髪の毛のようだった。 そして、彼らは確かに聞いた。 『ジーク、アデル、よくやったな。えれえぞ』 少し訛りのある低く優しい声が、それぞれの耳元をくすぐるように囁くのを。 「おとうさん……」 帝国騎士が任務の途中に泣くなどとは、恥ずべきことである。しかし、彼らはたった今、初めての大役をやり遂げたばかりだったのだ。 「お父さん!」 大草原を東に向かって馬を駆りながら、双子の若き騎士は人目をはばかることもなく、わあわあと泣き続けた。 |