新ティトス戦記 Chapter 19 |
新ティトス暦999年晩春のテアテラ王都決戦は、歴史家のあいだでも評価の分かれる戦いだ。 『いきあたりばったりの無謀無策』だと批評する者もあれば、『周到な智略の限りを尽くした戦い』だと誉めそやす者もいる。 しかし、これが歴史上まれに見る『退却戦』だったことを考えれば、どちらの意見も当たっているとは言いがたい。新ティトス皇帝セオドリク二世の死を知らされた彼らは、あらかじめ組み立てたすべての戦略を捨てて、即座に帝都に取って返す作戦に切り替えなければならなかったからだ。 「父上……」 エリアルはまだうわごとのように、そればかり呟いている。 極秘の出立で、病床の父に暇を乞うことすらできなかった。皇宮にいさえすれば、死に行く父に、娘として別れの口づけをすることもできたろうに。 父は、いまわのきわに彼女の名を呼んだだろうか。それとも、最期まで兄エセルバートのことしか思い出さなかっただろうか。 「姫さま」 放心したエリアルの肩を抱きかかえるようにして、ジュスタンが椅子に座らせた。 彼の目からも抑えきれない涙が伝い落ちる。 エリアルがどれだけ父親の愛を求めても、ついに得られなかったことを、二年間すぐそばに仕えていた彼はよく知っていた。そしてそれは、ジュスタン自身も父クロードから与えられなかったものなのだ。 本陣にいる者たちの思考は、さっきから停止したままだ。戦いにおいては、もっとも危険な状態だと言える。 指揮官の迷いを、戦場に立つ者たちは敏感に感じ取る。そしてその動揺は、火矢よりも早く敵に伝わるのだ。 その危機を打破できるのは、無論ひとりしかいなかった。 「エグラ」 ルギドは、落ち着いた深みのある声で、魔族の長に命じた。 「今をもって、全軍を退却させる」 そのことばを聞いた者全員が、凍りついた。 「ま、待ってくれ」 ようやく、おのれを取り戻したエリアルは、よろよろと立ち上がった。 「だめだ、私ひとりの都合で、そんな危険に皆をさらすわけにはいかない」 「帝国からの援軍が望めない状況になった以上、どのみち戦いを継続する戦力は、こちらにはない」 ルギドは静かに答えた。「それならば、一刻も早く退却するほうが得策というもの」 「だが、すでに戦端は開かれてしまったのだ……」 エリアルはふたたび崩れ落ちると、唇を噛みしめた。 「ここからどうやって、魔族軍を退却させる?」 ルギドは自信の笑みを浮かべると、視線を魔族の司令官に戻した。 「御意のままに」 火棲族の族長は、頭を垂れた。「して、その方策はいかがいたしましょう」 「そうだな。まず、散開している火棲族をすみやかに、敵の真正面に集めろ」 「なんですと、ルギドさま!」 エグラは信じられぬように問い返した。 今組んでいる火棲族軍の散開隊形は、もともとルギド自身の命令によるものだった。 一小隊が、魚鱗のごとく三角形の隊形を組んで、戦場に展開する。テアテラ魔導士軍の魔法攻撃を受けても、総倒れにならないようにする工夫だった。 それなのに、もっとも攻撃を受けやすい退却に際して、まずテアテラ軍の真正面の一点に集まれという。 「側面に配置していた飛行族と地底族は、テアテラ軍の後方に下がるように伝えよ」 「そんな、それでは、退却する火棲族は、背面に集中攻撃を受けてしまいます!」 エグラの狼狽を、ルギドは強い光を放つ紅の瞳で受け止めた。 それを見た族長の表情が和らいだ。不審の念は瞬時にして消え、ゆるぎない信頼の笑みが戻ってくる。 「もちろん、仰せのとおりにいたします」 ルギドは、悲痛な面持ちの皇女の前に立った。 「エリアル。おまえは今すぐに、パロスへ引き返せ」 「ルギド、それはできない……」 彼女は息がつまったような、さらに苦しげな表情を浮かべた。 「私だけが、この戦場を逃げ出すだなんて」 「逃げ出すのではない。一足先に行ってパロスの混乱を平定し、帝国の秩序を取り戻すのだ。今はそれが、あらゆることに優先する」 続いて、皇女を支えている黒魔導士に言った。 「ジュスタン」 「はい」 「おまえも、エリアルに同行しろ」 ルギドの命令を半ば予期していたのか、ジュスタンは懇願するようにルギドを見つめた。 「おまえがいなくとも、俺はテアテラ軍に勝つ」 ルギドは、きびしく諭した。「だが、今エリアルのそばにいられるのは、おまえしかいない」 「……わかりました」 ジュスタンは覚悟を決め、うなずいた。 「姫さまを一刻も早く、パロスへお連れいたします」 「頼む」 祖国の運命を左右する戦いから離脱するのは、ジュスタンにとって、さぞ後ろ髪を引かれることに違いない。 だが彼は、「自分も残りたい」とはひとことも言わなかった。今それを口にすれば、エリアルはジュスタンに残ることを命じるに違いないからだ。 そしてその命令は、今の弱りきった彼女にとって、我が身を槍で突き刺すのと同じだった。 ルギドは、うなだれているエリアルの肩にそっと触れた。 「いいな。エリアル」 エリアルは、たよりなげな視線を彼に定めた。「……本当に、いいのか?」 「あとのことは心配には及ばぬ。俺たちも、ここの始末が終われば、すぐにパロスに駆けつける」 「……すまない」 気丈にも顎をキッと上げて、嗚咽にゆがんでいた唇を引き結ぶ。その拍子に、涙のしずくが頬から振り払われた。 「一番の問題は、どうやって国境を抜けるか、なんじゃないか」 ラディクは、いらだった口調で叫んだ。 「国境まで、早馬で丸一日。来るときに通った【水の洞窟】をくぐり、国境の森を抜けるだけで、さらに一日かかる。そこから最寄の駅まで徒歩でたどり着いて、それから汽車に乗ったんじゃ、皇都に着くのは、どんなに早くても三日後だぜ」 「なるほど。それは考えねばならんな」 ルギドは、この知らせをもたらした水棲族の兵士に向き直った。 「おまえは、どうやってテアテラの結界を破り、ここにたどり着いた?」 「おそれながら申し上げます。わたくしは、海溝の底を深く潜ってまいりました」 兵士は、うろこだらけの身体に緊張をみなぎらせた。 「水深二百メートルの海の底までは、テアテラの結界は及ばないのです。ですが……水棲族以外の人間がそこまで深く潜るのは、不可能だと思われます。恐ろしい水圧がかかります」 「そうだろうな」 自身が千年間、海の途方もない水圧を体験しているだけに、ルギドはその可能性をすぐに捨てた。 「やはり、結界を破壊するしか、方法はないか」 「魔法結界さえ消えれば」 ジュスタンが、皇女のかたわらで立ち上がった。 「馬で国境を走り抜けられます。ここから、平坦な谷伝いの道を南下し、国境の森の一番薄いところを選んで帝国領に入り、蒸気機関車の駅まで、馬を走らせればよいのです」 ローブの懐から使い古した地図を開き、今いるところから国境に至る線を指で引いた。 「国境線を越えるのが明日の昼。あとは一気にロシュタンの駅まで駆け抜ける。一日半もあれば、帝都に帰還できます」 「それでは、明日の正午までに、必ず結界を破壊しよう」 こともなげに言うルギドに、ジュスタンは眉をひそめた。 「ですが、エルゲティの塔に、どうやって侵入するおつもりなのです?」 「どうとでもなる」 ルギドは平然と答えた。「俺ひとりでも十分だが、念のためにラディクとゼルを供に連れていくことにする」 「また、非常食糧兼用の強制連行か!」 ラディクが、半ばやけくそで怒鳴った。 「気をつけてください。十二人の魔導士は、いつもは塔の中で半催眠状態にいますが、異変を感じて目覚めれば、力を結集して強力な魔法を使ってきます」 ジュスタンの顔はこころなしか蒼ざめていた。エルゲティの塔がテアテラにとって、どれだけ重要な場所であるかをよく知っているだけに、そこに待ち受けている戦闘の激しさが想像できるのだろう。 「そのうえ、警備の兵士が幾重にも結界の塔を取り巻いています。奴らも馬鹿ではありません。こちらの狙いが結界の破壊だということは、予測しているはず。もし援軍が送られてきたら――」 「テアテラがすぐに援軍を送ってくることはない。そのために、魔族軍が派手な退却劇を演じ、奴らの注意をひきつけるのだからな」 ルギドは、ふたたびエグラに向き直った。 「火棲族軍を中央に集めたら、全速力で敵に突っ込ませる」 「な、なんですと!」 その場にいた者すべてが、何度目かの驚愕の叫びを上げた。 午後四時。西の空に傾いた夕日が、戦場にいるすべての者の目を矢のように射る。 南の魔族軍と、北のテアテラ軍の距離は、ほんのわずか。だが、なだらかな丘に双方とも視界を遮られる位置で相対している。 その丘を越え、火棲族軍の先鋒がときの声を上げて、突っ込んできたとき、テアテラ軍はどれだけ驚いたことだろう。こんな無茶な攻撃は、誰も予想していなかった。 それは、若緑の丘を転がり落ちてくる溶岩のなだれであり、轟音をたてて向かってくる燎原の火のようでもあった。 一直線の矢印の陣形を組んだ魔族軍は、テアテラ軍の重装備兵の列に、鋭い楔(くさび)の一撃を打ち込んだ。 その肉の楔は、怖れをなして飛び退る兵士たちを生み、みるみるうちに動揺が広がって、テアテラ軍をまっぷたつに割ってしまった。 「まるで特攻だ。これが、本当に退却なのか……」 死を覚悟して、敵に突進していく尖兵たちの姿に茫然としながら、ラディクは丘の上に立っていた。 「ラディク。あとを頼む」 エリアルの生気のない声が背後から聞こえたが、どんな顔をしていいかわからず、振り向きもしなかった。 馬の革製の鐙のきしむ音が聞こえ、後ろを振り返ったときには、皇女はジュスタンと三人の護衛とともに、南の国境へと全速力で走り去っていくところだった。 「さあ、俺たちも行くぞ」 肩にゼルを乗せたルギドは、ラディクの頭を小突くと、マントをひるがえして稜線に沿って下り始めた。馬にはまだ乗らない。戦場を離れるまでは、敵の目を引くわけにはいかないのだ。 敵との激突を目前にして、戦地を去らなければならない王の後姿には、かすかな焦燥の色が見て取れた。 「エリアルの前では、心配するな、なんて言っておいて」 ラディクは嘲るように、つぶやいた。「ほんとうは、そんな余裕ないんだろう。自軍の兵の命を博打に賭けて、イカサマ勝負しているようなものだからな」 ルギドの背が、かすかな笑いに揺れた。 「指揮官の心が理解できるとは、おまえも少しは学んだようだな」 「指揮官とは、自分のために大勢の兵を見殺しにするものだということは、学んださ」 ルギドは何も答えず、馬の鞍にまたがった。 決戦場からエルゲティまでは、わずか二十キロ。そこからは、想像をはるかに越える戦いが彼らを待ち受けているのだ。 エルゲティの塔は、山あいにある湖の中央に建っている。 岸は二重の防壁に取り囲まれ、しかも、十二階建ての塔の五階より下は、ひとつの窓もなかった。 塔に続くたった一本の湖上の道を通り、重々しい跳ね上げ橋をくぐって、入り口にたどり着くしかないのだ。 魔法王国テアテラを外敵から守ってきた生命線。千年前には、ルギドたち魔王軍の侵入をことごとく退けてきた要塞でもあった。 「なぜ、ジュスタンを連れてこなかった?」 ラディクは、エルゲティの塔を見下ろす尾根に立ち、訊ねた。 「あいつの呪文があれば、あんたは魔法剣が自在に使えただろうに。俺がお供では、そうはいかないぞ」 「自然とこういう組み合わせになった。まあ、いろいろな組み合わせを試してみるのも、悪くはないさ」 ルギドは、欠伸をしながら答えた。 「今は、エリアルからジュスタンを引き離すわけにはいかない」 「ずいぶん甘ちゃんの言い草だな。本当にそれだけが理由なのか?」 「人の心には、探ればいろいろな理由があるものだ」 ルギドの口調から、茶化すような調子が消えた。 「ジュスタン自身にも、これ以上テアテラとの戦闘に深入りさせたくなかった。あいつは、まだその準備ができていない」 「……準備?」 「心の準備だ。万が一にも、戦場で兄やレイアにばったり出くわしたら、きっとまた取り乱す」 「ふん、あんたはどうなんだ。レイアに会って平気でいられる自信はあるのか?」 「俺か?」 ちらりとラディクに視線をくれて、魔族の王は微笑んだ。 「だから、おまえを供に連れて来たのだ。俺がおかしくなったら、おまえが殴って正気に戻してくれるだろう?」 「頼ってもらって光栄だな」 ルギドの手が、ラディクの肩にぽんと触れた。 「俺が今、一番頼りにしているのは、おまえだ」 「……」 ラディクは鼻で笑って返そうとしたが、うまくいかなかった。 テアテラ領内に侵入してからこのかた、何の働きもできずにいた自分が歯がゆかった。 ルギドに頼りにしていると言われたとき、ラディクの身の内に奇妙に痺れた感覚が広がった。そんなことばを聞いたのは、久方ぶりだったのだ。 ルギドの肩にとまっていたゼルが、ふわりと舞い上がって、彼の前で宙返りをした。 「よかったですね、ラディクさん。ジュスタンさんばかりが可愛がられてるんじゃなくて」 「……くだらない。馬鹿か、おまえは」 「ほーら。そうやってムキになるところが、まだガキだというんです」 「だれが、ガキだ!」 「さあ、グダグダくっちゃべってねえで、行くぜ」 前触れなしに、いきなり下品な大声を出したルギドは、剣の鞘を払い、獲物に飛びかかる猛禽のように、銀色の髪を風に膨らませた。 矢印の隊形で敵陣をほぼ突破した火棲族軍は、敵の後方に回り込むと、今度は左右に旋回を始めた。 テアテラ軍の外側を大きく回りこみ、戦場の両側面を、今までとは逆方向に突進する構えだ。 しかし何分にも重量軍団、旋回中は大きく速度をそぎ落とされてしまう。 失速を見逃さず、テアテラ魔導士軍はいっせいに攻撃を開始しようとした。 だが、そこに伏兵が現われた。 後方に退却していたはずの、飛行族と地底族の部隊が、火棲族を援護するように、空から地面から、一斉に攻撃を開始したのだ。 無傷の両部族に左右からの攻撃を受け、テアテラは気勢をそがれた。 時同じくして、王都の背後にも異変が起きる。 海岸に待機していた水棲族軍が、首都に向かって砲撃を開始したのだ。巨大な水球を火薬の力で撃ち出す、彼ら独特の【水爆弾】。威力はさほどないが、住民を大混乱に陥れるには十分だった。 「持ちこたえてくれ……」 司令官エグラは、ぎりぎりと石臼のような歯を砕かんばかりに噛みしめながら、戦況を見守っていた。 「ルギドさま。どうぞ、お心を安んじられますように。我々は、あなたさまのためならば、いつでも喜んで死ねるのですから」 エルゲティの塔の前では、もうひとつの突撃戦が繰り広げられていた。 二重に敷かれた石垣作りの城砦をなんなく突破し、戦場は、湖の上の橋に移った。 細長い橋の上で、ルギドはたったひとりで、数十人の精鋭のテアテラ警護兵を相手にしていた。その動きは、大胆で、しなやかで、ひとつの無駄もなく美しい。 ことごとくテアテラ兵の繰り出す魔法をかわしながら、まるで戯れるような動きで、相手のふところに潜りこんで、剣を振るう。 ルギドが剣を握ると、しばしば【リュート】という剣士の口ぶりと身のこなしになることを、ラディクはうすうす気づいていた。 誇り高い魔族の王であるとき、粗野な放浪民族の剣士であるとき。 愛情深い父親であるとき。 さまざまな状況に応じて、自然に顔を使い分けているらしい。 そして、彼の中にはもうひとり、【殺戮者】としての顔があるのだ。ラディクはそのことを、今はどう考えてよいかわからなかった。かつてはそれを見たいと、あれほど望んでいたのに。 橋の中央に向かって、一斉に複数の魔法が殺到した。ルギドはそれを避けて、軽々と宙に舞った。しかし、着地する地点は、まぎれもなく湖の上である。 暗い森に 大海原に 己をゆだねよ 身体にまといつく 銀の指に ラディクが絶妙のタイミングで歌い出すと、湖面は瞬時に粘り気を帯びて、固体へと変化し、ルギドの着地を受け止めた。 ルギドの足が離れると、それはふたたび液体へと変わった。 ――今のは、何だったんだ? 歌った本人が、茫然としている。 今あたかも、ルギドの思考が流れ込んでくるようだった。(ラディク、なんとかしろ)、と。 そして、考える間もなく適切な歌を選び、歌い始めていた。まるで、ふたりの頭の中身が、ひとつの紐でつながっているように。 こんな経験ははじめてだ。 いや、二度目かもしれない。あのユツビ村の礼拝堂で、天井裏の火薬の爆発を止めようとしていたとき――。あれを歌いだしたときも、半分は自分の思考ではなかった。 (俺は、ルギドの手の中で鳴らされている楽器なのか) ラディクは天に向かって叫びを上げそうな怒りをやり過ごすと、竪琴を地面に放り出し、肩に背負っていた短弓を手につかんだ。 鹿革の弦が張られた弓は、戦場で手に入れたばかりのものだった。距離のある戦いにおいて、ナイフよりは使える。 「俺は吟遊詩人だ。たとえティトスの皇帝の前であろうと、地獄の大王の前であろうと、自分が歌う歌は、自分で決める」 矢をつがえると、ラディクは弦を力の限り引き絞って、敵に向かって放った。 跳ね橋が降り、王と従者と吟遊詩人は、堂々とエルゲティの塔に入場した。 行く先を阻む者も、追いすがる者も、すでにない。テアテラ兵の生き残りは重傷者とともに退却していった。橋の上には死体だけがころがっている。 静かな凱旋だった。 内部は、高い天窓からの薄明かりに照らされて、ぼんやりと明るかった。 どこかで、何かがギリギリときしむ音がする。 上を見上げると、目のくらむような高さの位置に、無数の歯車が回っていた。 ラディクは大時計の内部を見たことがあるが、それをはるかに凌ぐ巨大な歯車群だった。 そして、その隙間には、透明な管が縦横に張りめぐらされていて、水のような液体を流していた。 「すごい仕掛けだ」 見上げながら、ラディクが叫んだ。「現代の機械だって、これに比べればまるで子どもだましだ」 口走ってから、自分の言ったことの意味に気づく。 「千年前から、この塔は動いていたと言ったな。そんな昔に、いったい誰がこんな機械を作ったんだ?」 答えを求めるようにルギドを見ると、彼はぼんやりとくぐもった表情で、立っていた。 「おい、ルギド?」 「……おまえは感じぬか?」 「なにをだ」 「ゼル」 「感じます、感じます。なんだか身体の中が空っぽになっちゃったみたい」 「この塔の内部では、魔力が使えない」 「ええっ?」 ラディクは驚愕して、あたりを見回した。 「だって、この中は、魔法を唱えて結界を作り出す場なんだろう」 「結界魔法だけではない。ありとあらゆる魔法を増幅する装置だ。だから、なんらかの方法で、塔の中にあるすべての魔をいったん吸収してから、再放出する仕組みになっているのだろう」 「俺には、何も感じないが……」 この塔の空間全体に人知を超えた仕掛けが働いている。そう考えたとたんに、息がつまりそうな悪寒に襲われた。 だが、もっと恐ろしいことに気づいた。 「おい、待てよ。それじゃあ、あんたは、まさか……」 「ああ」 ルギドは、うつろな紅い目をラディクのいるあたりに漂わせた。 「俺は、視力を失った代わりに魔力で周囲を知覚していた。魔力を使えなければ、何も見えん。――まったく何もだ」 |