新ティトス戦記 Chapter 21 |
「そんなあ。かよわい女性に、いきなりこんな危険な任務をさずけるなんて」 ゼルはべそをかきながら、必死で奥の間への扉を押した。 「偉大なる勇者ゼダさま。どうか力をお貸しください。どうかおいらに、よい風を送ってください」 震え声で祈りを唱えながら、かろうじて開いた巨大な扉のすきまをそっと、通り抜ける。 「……お邪魔いたします」 薄い翼と細い手足をせいいっぱい縮こめて、床を匍匐前進していく。 扇形の階段を数段上がると、広間にたどり着いた。ゼルは用心深く立ち上がった。 それは、おそろしく天井の高い静謐の空間だった。 塔の先端部分にあたる石壁には、明かり取りの窓が何十とはめ込まれ、内部は驚くほど明るい。差し込む光がひとところに収斂(しゅうれん)し、部屋の中央部分だけ周囲から浮き上がった舞台のように見せている。 そこにずらりと円形に配置されていたのは、透明な棺としか見えないものだった。 棺は全部で十二ある。そしてその内部には、黒いローブ姿の人間たちが目を閉じて横たわっている。 「これが、結界魔法を唱える十二人の魔導士たち」 それぞれの棺には、薄い金属の帯が幾重にも巻きついて、目玉のような光点がチカチカと点滅している。さらに、下の階でも見かけた無数のパイプが、そこから天井に向かって一直線に伸びていた。 棺の周囲には、光を束ねられて作られた巨大なロウソクのごとき円柱が四本、四人の護衛のように立っていた。それらもまた、一定の速度で、ゆっくりと明滅を繰り返している。 まったく異質な見慣れない装置。とてつもなく邪悪な光景を見ている心地がして、ゼルはぶるりと身を震わせた。 「ぐずぐずしている場合じゃないや」 ゼルは、塔の天井めがけて飛び立った。 飛行族は、魔力を身体から放出することで、風がない場所でも自在に浮力を得ることができる。だが魔力を封じられた今のゼルには、縦横に伸びるパイプを避けながら飛ぶことは、かなりの困難がともなった。 「早く、早く、ルギドさまの魔力を回復しないと」 そのためになんとかして、この装置を止めなければならない。 上昇するにつれ、懸命に動かし続けている背中の翼の付け根がきりきりと痛む。 ゼルはひと声、気合の叫びを上げると、その勢いで天井までたどりついた。 天井の四隅には、光る巨大な蜂の巣状のものが取り付けられていて、塔全体のパイプが、その中のいずれかに吸い込まれている。 これが、魔力の集積装置。 勘でそう悟ったゼルは、装置をぶち壊す決心を固め、蜂の巣のひとつを小さな足で蹴っ飛ばした。 爪でひっかいた。 かじった。 「ひええ。だめだーっ」 装置はビクともしない。もう一度やってみたが、駄目だった。 あらためて、自分の無力さを痛感する。自分には、力も素早さも強い魔力もない。ラディクやジュスタンやエリアルのように、ルギドに頼りにされるだけのものが、何もないのだ。 せめて、先祖ゼダが火刑台のルギドさまをお助けするために命を捨てたように、おいらもルギドさまのお役に立ちたいと、ずっと願ってきたのに。 ゼルはまん丸の目をキッと吊り上げると、渾身の力をこめて、パイプのひとつを引っ張った。 パイプはやがて根負けしたように、固定器具からするりと抜けた。 コツがわかると、後は容易だった。もう一本。さらにもう一本。 やがて、光っていた集積装置は、しゅうと音を立てて暗く静まりかえった。 それと呼応するように、地上に立っている巨大なローソクの一本が姿を消した。 それに力を得たゼルは、もうひとつの集積装置に向かい、むちゃくちゃな勢いでパイプを引っこ抜いた。 ふたつめが稼動を止め、二本目のローソクが消える。 「あと、ふたつ」 広間の反対側に飛ぼうとしたゼルは、ふっと意識が遠のくのを感じた。 どうも、持てる力のすべてを使い果たしたらしい。 「お、おいら、情けない……」 ゼルは瞼を閉じると、羽毛のようにふうわりと地上に落ちていった。 ちょうど同時刻、扉の外で召喚獣と対峙していたルギドは、紅い瞳を満足そうに細めて笑った。 「……見える」 「魔力が戻ったのか?」 「半分はな」 ルギドは召喚獣にまっすぐ顔を向け、剣の柄をいとしむように握りなおした。腕の筋肉にゆっくりと力が漲る。 【イオ・ノイエ】は、向かってくる攻撃に対して瞬時に反応した。 表皮を最大限に膨張させて敵をはねのけ、急所を巧みに敵の刃の届かない位置に移動させる。 だが、黒い剣の動きは、その反応速度をさえ上回っていた。 剣閃が稲妻のように走り、正確な垂線を描いて巨大な身体を貫く。 その瞬間、まるで敵にめりこんだかに見えたルギドの体は、左右に分かれて崩れ落ちる峡谷のはざまで、超然と立っていた。 まっぷたつに斬られた召喚獣の体はみるみる萎え、最初に見た子牛の大きさの肉塊と化した。 「すげえ……」 ラディクは、息を呑んだ。この男の生の剣技を間近で見るのは、はじめてだ。 怖気に、我知らず膝が震える。魔法剣など使わなくても、彼の剣によって破壊され得ないものなど、この世には存在しないのではないか。 「いくぞ」 「あ、ああ」 従者の安否が気になるのか、ルギドはマントを大きく揺らすと、扉に向かって走り出した。 扉を押し開くと真っ先に、床に横たわるゼルの姿が目に入った。 「ル、ルギドさま……」 彼女は手足をバタバタさせて身を起こし、主が歩み寄るのを認めて、またへなっと崩れ落ちた。 「無理をするな」 「……すみません」 ゼルを抱き上げて肩に乗せると、ルギドは正面の棺群を見据えた。 引き結んでいた唇がわずかに開き、苦鳴とも聞こえるうめき声が漏れる。 「テンイ……ソウチ」 「なんだって?」 ラディクは、そのことばを聞きとがめた。「転移装置?」 だが、その返事が返ってくる前に、事態は急転した。 十二の棺を覆っていた透明な蓋が、いっせいに開いたのだ。そして中から魔導士たちが、むくりと起き上がった。ゼルが天井の集積装置を四つのうち二つまで壊したことで、半催眠状態にあった彼らにも異変が伝わったのだろう。 十二人は、恍惚とした表情を浮かべながら、魔法を唱え続けている。いわゆるトランス状態に没入しているのだろう。 「しつこく呪文を唱えてやがる。テアテラ国境の結界はまだ消えてないのか?」 ラディクの問いかけに、ルギドは思い出したように振り向いた。「今、何時だ?」 「あと三十分で十二時」 「正午には必ず結界を解くと、エリアルに約束した」 ルギドはふたたび剣を放った。魔法増幅装置を完全に破壊することしか、すでに頭にはない。徹底的に、原型なきまでに破壊しなければ、結界の脅威は何度でも復活するのだ。 「こいつら、どうする?」 「排除しろ」 「簡単に言うけどな」 ラディクは三本のナイフを抜いた。エリアルなら「無傷で捕らえろ」と命じるだろうが、今はそんな面倒くさいことを言う者は誰もいない。自分にとって危険な敵を殺すことには、毛筋ほどのためらいもなかった。 魔導士たちに躍りかかろうとしたとき、その中のひとりが、無表情を崩して不気味な笑みを浮かべたことに気づいて、ラディクはすんでのところで立ち止まった。 「おまえたちには、指一本触れられぬ」 「なに?」 「ミル・ラティユ。時計のひと目盛りは、五分」 耳の奥に不快なものが被さった心地がしたと思ったとたん、ルギドとラディクは外の廊下に立っていた。 そして、目の前には、あの巨大な召喚獣【イオ・ノイエ】が立ちふさがっている。 「なに!」 さすがのルギドも驚愕して、目を見開いた。 「あれえ。ど、どうなってるの?」 一方、ゼルは広間の上空をひとりで飛んでいる自分に気づき、あわてふためいていた。 「……いつのまに、ここに引き戻されたんだ。なぜ、こいつが生き返ってる?」 茫然とするラディクの脳裡に、さきほど魔導士がつぶやいた言葉がよみがえった。 あわてて、ふところから懐中時計を取り出す。 「やっぱり、そうだ。あいつらの魔法で、時間を戻された!」 ルギドとラディクは茫然と顔を見合わせた。 「確かなのか」 「時計の針が五分戻っている。第一、死んだはずのこいつが生き返ってることが、何よりの証拠だろう」 ルギドは周りに注意をこらし、そして歯噛みした。 確かに、見えていない。半分だけ回復したはずの魔力がまた失われている。 三人が自失の状態から回復するには、そう長くかからなかった。それぞれがすべきことは、ひとつしかないのだ。 ゼルはふたたび集積装置を沈黙させるために、パイプを引き抜き始めた。 そしてルギドは魔力が回復したと知るや、また一太刀のもとに召喚獣を斬る。 扉に殺到したとき、ゼルは気を失って、地上に落ちて来るところだった。 円形に配置されたカプセルに、魔導士たちは目を閉じたまま立ち上がり、結界魔法を唱えていた。 十二人。彼らの立像はまるで、邪悪な日時計の彫刻のようだった。 さっき笑った男は目を閉じ、今度は隣の魔導士が目を開けた。 「五分経った。次のひと目盛りも、五分。ミル・ラティユ」 そして、彼らはまた、五分前の場所に引き戻された。 「ちくしょう」 ラディクが壁に拳を叩きつけた。 「こうなったら、何度だって同じことを繰り返してやる。こっちの体力が尽きるか、奴らの魔法力がからっぽになるかの根くらべだ。どうせ、時間は十二時前で止まったままなんだから、焦る必要はない」 「そう思うか?」 ルギドは、いらだたしげに答えた。 「時間を逆行させる魔法、たとえ増幅装置を通しても、全土に及ぶほど生易しいものではないはずだ。時間が戻っているのは、この塔の中だけだと思わぬか?」 「それじゃ……塔の外の時間は元通りに過ぎていると」 「ああ。そう思ったほうがよい」 エリアルたちが、帝国領への国境を一気に走りぬけようとしている頃なのに。肝心の彼らが結界装置を前にして、なすすべなく時間の牢獄に閉じ込められている。 「第一、このままではゼルの力が持たん」 ルギドの言ったとおりだった。三度目にゼルが集積装置を破壊する動きは、それまでの二回に比べて鈍かった。むなしく同じことを繰り返すことほど、精神を摩滅させるものはないのだ。 ようやく身体に魔力が戻ったとき、ルギドの剣先は、さらに加速を窮めた。ほとんど数秒のうちに、召喚獣はどうと床に倒れた。 広間にたどり着いたとき、ゼルの身体はゆっくりと宙を舞い降りてきた。 その姿は千年前、サルデスの火刑台で矢に貫かれて地面に落ちたゼダを思い起こさせた。 これがゼルの限界だろう。これ以上同じことを続ければ、死ぬ。 ラディクは、とめどもない怒りのマグマに全身が押し流されそうになるのを感じた。 (五分経つ前に、一気に勝負を決めるしかない) 彼の隣では、ルギドが魔力の光球を生み出そうと右手を掲げるのが見えた。 (魔法剣でこの塔ごと一撃で破壊するつもりか。確かにそれしか方法はない。だが、結局またこいつの力に頼るのか。俺の――俺のできることはなんだ?) 何もない。何も。 あのときも、目の前で死んでいく師を前に、俺は何もできない子どもだった。 腹の底から湧き上がってくる衝動にまかせて、ラディクは絶叫した。 それは、歌ではない。祈りでもない。 敵への怒り。この世に対する怒り。 無力な自分への、そして自分に紅い目を与えた運命への怒り。 魂は形をなくし、空へ土へ火へ水へと同化する。そしてそれらの怒りさえも取り込んで、共鳴し、空間に幾重にも刻まれる波紋を形作る。 ラディクの紅い瞳がまばゆいばかりの光を放った。 塔全体を耳を聾するような振動が包んだ。 そして、塔を構成していた石壁が、木枠が、魔法装置が、光のプリズムとなって四散する。 ルギドのマントが、彼の身体を力強く包むのを、薄れ行く意識の隅で感じた。 気がつくと、ラディクは湖の中央へと伸びる橋の上に横たわっていた。 目を上げる。だが、空高く聳え立っていたはずのものは、どこにも見えない。 「塔は……?」 「おまえが消した」 かたわらで膝をついていたルギドが、落ち着いた声で答えた。 「まさか」 否定しようと、思わずかぶりを振る。「まさか……本当に?」 「ああ、あれは俺ではない。おまえの力だ。塔の壁があっというまに形をなくし、小さな粒子となって溶けていった」 思わず、湖面に目を凝らす。全体が土色ににごり、荒れた波が立っている。その下に塔の土台が沈み、召喚獣の死骸も、あの十二人の魔導士たちも、飲み込まれていったのだろうか。 一瞬にして、これほどの破壊をもたらしたのが、俺の力だって? ふと気づくと、ルギドは奇妙な表情を浮かべ、彼を見ていた。同じ色の瞳が、心の奥まで探るように注ぎ込まれる。 「もしかして、おまえは――【リソウタイ】なのか?」 「なんだって?」 にわかに恐ろしくなって、ラディクはルギドから逃げるように身をふりほどき、ふらふらと立ち上がった。 「さっきからあんた、おかしいぜ。わけのわからない言葉をぺらぺら口走って」 「……そうだったか」 「なんなんだよ。どういう意味なんだ。テンイソウチとかリソウタイとか」 ルギドはじっと考え込んだ果てに、首を振った。 「わからぬ。ただ、頭の中に浮かんだことばだ」 「ルギドさま……」 主の肩の上でぐったりしていたゼルが、顔を上げて弱々しく言った。「ひづめの音が……」 二十騎ほどのテアテラ軍が、湖のほとりに姿を現わした。 ゼルは疲労をおして空に舞い上がった。ルギドとラディクは、それぞれの武器を手に握り、敵を待ち受ける。 その中のひとりが、馬を降りて、ゆっくりと近づいてきた。 濃緑のローブ。短い茶色の髪。 何よりも、ジュスタンと同じ灰色の瞳は見間違えようもない。 「一瞬、違う場所に来てしまったかと思いました」 湖を見晴らし、淡々とした声で感想を述べると、彼は丁寧にお辞儀した。 「はじめまして。おふたかた。わたしはテアテラ王国の摂政ユーグ・カレルと申します」 ルギドは剣を鞘に収めると、常人なら肝が凍りつくような視線で彼をにらみ返した。 「――レイアは、どうしている?」 「女王陛下は午睡の時間なので、王宮に引き取られました」 「昼寝? 自分の部下たちが戦争中なんだぞ」 ラディクが、叫んだ。 「戦闘は、もうほぼ終結しました」 ユーグは、事実を隠そうともせずに答えた。 「あなたたちの軍は、戦場を野火のように駆けて、退却していかれました。……見事な作戦です。悔しいですが、わが軍は甚大な被害をこうむりました」 言葉とはうらはらに、能面のように整った顔には、何の表情も浮かべていない。 「おまけに、結界の塔がこれほど徹底的に破壊されるとは、予想もしていませんでした。結界がなくなれば、わが国はこれから先、大幅な防衛策の転換を迫られることになります」 「そのようだな」 「それゆえ、今日は失礼させていただきます。ティエン・ルギド。今あなたたちと刃を交えても、我々に勝ち目はない。またいずれ、日を改めてお会いすることになりましょう」 「ああ」 ユーグは踝を返すと、肩越しに振り向いた。そのときはじめて、皮肉げに口元を緩めた。 「――弟に伝えてください。レイアさまが会いたがっていると」 「あいつが、ジュスタンの兄弟、ユーグか」 遠ざかっていく背中に向かって、ラディクが嫌悪をにじませながら言った。「なんて野郎だ。まるで、魂を抜かれた人形だ」 ルギドは腕組みをしたまま、ただじっと思いに耽りながら、黙して答えなかった。 |