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00. いろりばた


 愛媛県南東の山あい。
 コンビニもなく、ハンバーガーチェーンもない、ただ雑木が生い茂る無人の地に、ポツンと茅葺きの大きな家が建ったのは去年の暮れのことである。
 住み始めたのは、若く美しい夫婦だというので、好奇心に駆られた近隣の住民たちは、引越し祝いの酒や野菜を車に積んで、あいさつにと出かけた。
 噂は本当で、ふたりはまだ二十歳を幾つも出ていないように見えた。妻は幼い子どもたちをあやしながら、けなげに家の中をきりもりし、夫は慣れた手つきで薪を割り、畑を耕していた。
 いったいどうして、こんな人里離れた場所へという疑問を口にすると、無口な夫はうっすら笑み、ひとこと「故郷ですから」と答えた。
 「そんなバカな」と、住民たちはいぶかった。
 今から四百年以上も前の戦国時代、ここには矢上郷という村があったが、戦に巻き込まれ、村人たちは皆殺しになったと聞いている。それ以来、獣も通わぬ呪われた土地となったはずだ。
 そういう目で見ると、彼らはどこか現代から切り離された、不思議な気配をまとっているように思える――まるで四百年前の矢上郷から時を越えて来たような。

 数ヶ月ほどすると、茅葺き家のあたりは少しずつ人が増え始めた。
 離れが建ち、テレビから抜け出てきたような派手な茶髪の男が住み着いた。庭では真っ白な犬が走り回って、よちよち歩きの赤ん坊とたわむれ……。
「こら、犬ではないわい。狐じゃ」
 平安生まれの白狐、草薙(くさなぎ)は、ふさふさの尻尾を振りたてると、縁側で昼寝をしている小太郎のそばにうずくまった。
「やっと、どうにか恰好がつきましたね」
 茶髪の僧侶、久下尚人(くげなおと)は、家の中を見渡して、思い切り深呼吸した。古い風情の造りながら、木の香りがすがすがしい。
「詩乃さんも、来た頃は大変だったでしょう。超がつくほどの田舎暮らしで」
 お茶を入れている若い主の妻に話しかける。
「あら、サバイバルみたいで楽しかったですよ。空気もおいしいし」
「ともあれ、冬になる前に落ち着けてよかった」
 秋の深まる季節。日暮れともなると、戸外は深々と冷え込んでくる。
 いろりでは、鍋がぐつぐつと煮え、湯気は垂木にまとわりつきながら、高い天井へと立ち昇ってゆく。
 庭先に突然、けたたましいクラクションを鳴らしながらジープが止まった。
 ロン毛を後ろでしばった眠そうな男と、紫のメッシュを入れた、これまた派手な老嬢が、たくさんのスーパーの袋をかついで入ってきた。
「みんな、来たわよーっ」

「まったく、東京から何時間かかったと思っているの」
 老嬢は、へたへたと新しい畳の上に座り込む。
「これじゃ首都に危機があっても、すぐに駆けつけられない。来年は絶対に予算を取って、ここにヘリポートを作りますからね」
 彼女の名は、鷹泉(ようぜん)孝子。霞ヶ関の内閣府本府、特別調査室の長である。
「龍二くんも仕事のほうは落ち着きましたか」
「ああ、東京との往復もようやく終わったよ」
 男のほうは、夜叉追いのひとり、矢萩龍二。鉄鋼会社の研究室勤務。この春から愛媛の本社に転勤し、以来、週末は必ずこの家を訪れている。
「これで、『久下心霊調査事務所』のメンバーが全員そろいましたね」
 いろりを囲み、彼らは互いに微笑み合った。
 矢上家の当主、矢上統馬。その妻、詩乃。
 ふたりの間にいるのは、長男の小太郎と、次男の藤次郎。
 所長の久下、白狐の草薙。
 そして、矢萩龍二と鷹泉孝子。
「矢上村の再建は、まだ始まったばかりだ」
 統馬は厳しいまなざしで、一同を見渡す。
「夜叉追いを守り育て、ここを長く続く夜叉との戦いの根城とする。何十年、何百年の仕事だ」
 彼らは、それを聞いて大きくうなずく。
「これからも、力を合わせてがんばりましょう」

 にぎやかな夕餉が終わり、ほうじ茶やハーブティーを手に、思い思いにくつろいでいたとき、孝子が提案をした。
「せっかく、久しぶりにみんな集まったのだもの。秋の夜長にふさわしい話をしない?」
「話? 恋バナは嫌だぜ」
「そうじゃなくて、夜叉の話よ。今までに出会った中で、一番いとしい夜叉の話」
「いとしい?」
 孝子の無邪気な提案に、夜叉追いたちは怪訝そうに顔を見合わせた。
 夜叉とは、人の魂を食らう、おそろしい化け物だ。夜叉追いは、彼らを調伏することを生業(なりわい)としている者たち。仮そめにも、敵を「いとしい」と呼ぶことには、抵抗がある。
「相手憎しだけでは、戦いは勝てないものよ。敵を知るためには、時には深い情けをもって見ることも、また必要」
「さすが、孝子さん」
 詩乃は、いたく感じ入っている。
「私もそう思うわ。憎むことからは何も生まれない。相手を憎むことは、自分を憎むことにつながるから」
「まあいいけど、じゃあ誰から最初に話す?」
 彼らはまた、互いを見渡した。
 四百年の時を生き、あるいは転生を繰り返してきた、つわものぞろいである。話のタネに事欠くことはなさそうだ。

 幼子たちは、母の膝ですやすやと寝息を立て始めた。
 いろりばたで、長く静かな夜が始まる。




(序話「いろりばた」 終 ――第一話「しの」につづく)
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