第六話 空に翔けるもの(2)
back | top | home なぜ、人は人を恋するのだろう。 ――謎だ。それは永遠の謎だ。 知りたくはないか、そのメカニズムを。 ――だったら、どれくらいの被験者を、手に入れればいい? 雲ひとつない快晴に恵まれたおかげか、規模を縮小したにもかかわらず、市立T高校の文化祭はかつてないほどの盛況だった。 焼け焦げた校舎は解体され、新校舎の建設予定地と資材置き場となった校庭の西半分はロープでぐるりと立ち入り禁止にされ、会場となったのは、本館と校庭の一部だけであったが、その狭いスペースに、在校生とその家族、OB生、近隣の住民がごったがえし、昼前ともなると、どこの屋台も列ができるほどだった。 午前中は金券の交換や回収で大忙しだった実行委員の弓月詩乃も、やっと昼からのんびりと見て回ることができるようになった。 風船や造花やテープで作った飾りが、抜けるような秋空に映えて楽しげに揺れている。 人ごみの中に目指す相手を見つけた詩乃は、あわてて駆け寄った。 「統馬……くん!」 やっと五回に一回は成功するようになったその呼び方。それにも全く気づかない様子で、矢上統馬はにこりともせずに立ち止まる。 「めずらしいのう、おまえがこの手の学校行事に積極的に参加するとは」 詩乃の腰のウェストポーチにぶら下がるために、いつもよりちょっと小さめの白狐に変化した草薙は、ピンクの蝶ネクタイでおめかししている。 「祭と名のつくものは、いつの時代でも賑やかで楽しいものじゃ。まだ始まったばかりの頃の京の祇園祭を思い出すのう」 「草薙、おまえは気づいていないらしいな」 「え、なにを?」 その問いを無視すると、統馬は詩乃に顔を向けた。「弓月。委員の仕事はもういいのか?」 「うん、今当番を交替してもらったばかりから、午後はしばらく何もない」 「じゃあ、今から付き合ってほしい」 え? 詩乃は自分の耳を疑った。 この2週間というもの、文化祭の準備で走り回っていた詩乃に、統馬はひとことも声をかけてくれなかった。やっと暇を見つけてこちらから話そうとしても、避けられてしまう。 調子に乗って恋人みたいに振舞うのに嫌気がさして、ますます嫌われてしまったのだろうかと、詩乃はずっと悲しい思いを抱えこんでいたのだ。 だから、ひとりで見て回るしかないと諦めていた文化祭で、統馬の方からさそってくれるなんて夢にも思わなかった。屋台をひやかしながらカップルで並んで歩くというその場のシチュエーションに、頭の芯がしびれてすっかり舞い上がってしまう。 「実は……」 そう言いかけて、振り返った統馬の目に映ったのは、 「あ、や、や、矢上くん、あの広島風お好み焼き、食べない? 野球部伝統のレシピで、すっごく美味しいんだよ」 「うおおっ。統馬! 綿菓子じゃ。買うてくれぃ。わたしはあの、ふわふわの感触が大好きなんじゃーっ」 興奮した彼らは、とてもあらたまった話のできる状態ではなかった。 本館の中に入っても、統馬は各クラスの展示や催しひとつひとつを丹念に覗いていた。全然、いつもの無関心な彼らしくない。何かの目的を持って動いていることに、ようやく詩乃は気づき始めた。 「矢上くん、うちのクラスにはもう行ってみた?」 「いや、まだだ」 「ちょっと、見てみる? うまく行ってるかどうか」 2年D組の出し物は、自主制作の映画だった。 教室の中を覗くと、次の上映までまだ30分以上あるらしく、人影はまばらだ。 「どう、お客さんの入りは?」 「ああ、まあまあだよ」 映写装置のそばに座っていた男子生徒が、気の無さそうに答えた。 クラスの出し物とは言え、気の合った数人がビデオで映した、内輪受けの他愛のない筋立てである。 委員長の詩乃がクラスをまとめられない以上、全員で相談して何かを準備することはできなかった。それでもなんとか有志で立て看板やポスターを作ったり、数回の上映当番を割り振ることができただけで、よしとしなければならないのかもしれない。 「じゃあ、がんばって。またあとで寄るから」 廊下に出した机と椅子に案内係として座っていたのは、朋美たち3人組だった。詩乃を体育館裏の倉庫に閉じ込めたこともある、イジメの張本人の3人である。 彼女たちは目が合っても、ふんとあからさまに顔をそむけて、またおしゃべりに興じ始めた。 詩乃は無言で、廊下を歩き始めた。自分の属するクラスに入るとき、今でも彼女の肩がきゅっと緊張するのを、統馬と草薙は気づいている。まるで、ありったけの勇気を出して、凍える氷室の中に入っていこうとするように。 廊下では、文芸部や漫画同好会が会誌を売る呼び声が響き、浴衣姿の茶道部員がお点前への勧誘に走り回っている。 「ここは、何だ?」 統馬がふと、暗幕を張った教室の前で立ち止まった。 「ああ、天文同好会。プラネタリウムをやるのよ」 「プラネタリウム?」 「部屋を真っ暗にして、機械で天井に星を映し出すの。それを観客は座って見るわけ」 「座れるなら、ちょうどいい。ここで話そう」 中に入ると、暗幕で四方を覆った暗い室内の中央に、真っ黒な球形の小ぶりのプラネタリウム装置が置かれ、それを取り囲むようにしてぐるりと椅子が並べてあった。 統馬と詩乃はその隅のほうに空いた席を見つけて陣取った。ほどなく部屋の照明が消され、星が天井や暗幕に映し出される。静かなクラシックが流れ、同好会部員が録音した、星にまつわる神話の説明テープを流す。確かに、内緒話にはなんとも好都合な場所だった。 「実は」 統馬がいつもよりもっと声を低くひそめたので、詩乃は彼にうんと顔を近づけなければならなかった。 「この校内に、また夜叉の気配を感じる」 「えっ?」 詩乃は悲鳴を上げないように、あわてて息を飲み込んだ。 「だって……、澤村先生……あの夜叉刀が最後の夜叉じゃなかったの?」 「そのはずだった。だが、その後になって憑いたものか、それとも今までは強い妖力の影に隠れて見えなかっただけか……。草薙が気づかないくらいだ。俺とて、時折ほんの微かにしか感じることができない」 「それじゃあ、力が弱いってこと? 高崎くんの霊に憑いた夜叉よりも、倉庫で私に憑いた夜叉よりも」 「それがわからん。めまぐるしく気配の場所が変わる。そのたびに「匂い」が違う。あるときは「悲しみ」の匂いが濃い。あるときは「怒り」が、あるときは「不安」、あるときは「幸福」そうな匂いが……」 「幸福? それってなんだか邪悪な感じがしない」 「俺も、そんなものには初めて会う。今朝からもずっと移動しつづけているんだ。3階にいたかと思えば、校庭に出ている」 「何、それ……」 詩乃は混乱した頭をこんこんと叩いた。 ただひとつ、今の話からわかった真実。統馬は彼女をデートのつもりで誘ったのではないということ。これは、れっきとした「夜叉追い」の仕事だったのだ。 いつのまにか、上映は終わって部屋が明るくなった。 ふと回りを見れば、座っているのはほとんどがカップルだった。手をつないだり、暗闇でキスをしていたらしい雰囲気を漂わせている二人連れもいる。 うらやましさのあまり、詩乃は思わずため息をついた。 「あ、ここ……」 それは廊下の片隅、人通りのあまりない場所だった。 【家庭科クラブ】 家庭科クラブの文化祭への参加には、教師たちは最後まで難色を示した。澤村教諭の行方については公式には今もまったく不明だが、家庭科準備室に隠してあった大量の人骨は、ほぼ彼女の仕業だろうという結論に傾きつつある。 その彼女の指導した家庭科クラブが公の行事に参加するのは、時期尚早だという意見が根強かったのだ。実際、文化祭のために準備していた展示品はほとんどが燃えてしまっていたし、事件のショックでクラブを辞めてしまった部員もいると聞く。 それでも、山根と嶋田をはじめとする残ったメンバーたちはあきらめなかった。2学期に入ってからも毎日放課後遅くまで、展示する品をそろえるためにがんばっていた。 文化祭の2、3日前、詩乃の下駄箱の中にメモが入れてあった。 『家庭科クラブの展示、ぜひ見に来てください』 というものだった。 教室に入ると、両側の机には、数は少ないが布の人形や編み物、手縫いの浴衣やスカートなどが並べてあった。 正面の壁に飾られた作品に目を注ぐと、詩乃は「あっ」と声を上げた。 それは、大きなパッチワークキルト。火事の日、家庭科室から脱出するときに、詩乃が水でぼとぼとに濡らして山根たちの頭にかぶせた、あのキルトカバーだった。 ところどころ焦げて茶色く変色し、洗っても消えようのないシミまでついて、お世辞にも美しいとは言えなかった。 作った山根と嶋田にとっても、業火に巻かれた恐怖の思い出しかないであろう、このキルト。どうして、なぜ、これを飾ると決めたのだろう。 疑問を感じた次の瞬間、詩乃の心を奪ったのは、その下につけられたタイトルだった。 【 勇 気 】 部屋の入り口近くに立っていた山根と嶋田に振り向く。彼女たちは恥ずかしそうに微笑み、それでも視線をそらさず真直ぐな瞳で詩乃をじっと見つめ返した。 『生きるのよ! このキルトは、あなたたちが一針一針、心をこめて縫ったものでしょう。中の綿がたくさんの水を吸った。このキルトならだいじょうぶ、火を防いでくれる。自分たちが作ってきたものを信じて!』 屋上まで脱出するために、炎に包まれながら自分が必死で叫んだ言葉が脳裏によみがえる。そして同時に、山根たちが「勇気」ということばにこめた、詩乃への感謝の気持ちが理解できた。 思わず、後ろに立っていた統馬の顔を見上げると、彼はかすかに口元を緩めた。 それを見た詩乃の目から、とめどなく涙があふれる。 「よかったのう、詩乃どの」 草薙のささやきかける声に何度もうなずきながら、詩乃は、自分を覆ってきた固い氷の一角が、少しずつ融け始めているのを感じていた。 午後も2時を過ぎた頃になると、どこのイベントも最終の呼び込みの掛け声が飛び交うようになる。 夜叉の気配を求めてあちこち歩き回っていた統馬は、ある教室の前でぴたりと足を止めた。 「ここなの?」 「どうも、そうらしい」 看板にはこう掲げられていた。 「チャネリングによるラブラブ相性診断 超常現象研究同好会」 next | top | home Copyright (c) 2004 BUTAPENN. |