第九話  死を紡ぐもの(7)                   back |  top | home




 砂埃の舞うグラウンドで、ひとりの若き夜叉の将と、ひとりの老いた夜叉の将が対峙していた。
 その沈黙を破って、若き方が哄笑した。
「たわけたことを。それで命乞いのつもりか」
「たわけなのは、おぬしぞ」
 吐き捨てるように、満賢は言った。
「何も知らぬくせに。宝賢の真意を、彼奴が何を企んでおるか。一度でも疑ってみたことがあるか」
「そうやって俺を誘っておいて、油断した頃に寝首をかこうとでも言うのだろう」
「わしは、おぬしを滅ぼそうと思ったことは一度もない。そもそも夜叉の将同士殺し合うことが、宝賢の思うツボなのじゃ」
 半遮羅は不審げに眉根を寄せた。
「何を言っている、満賢?」
「わしは魔鏡のつくりだした世界に、おぬしを閉じ込めようとした。しかし、それはおぬしをこの世から安全に隔離することが真の目的。
誠太郎に女を手篭にされたこと、怒っておろうな。じゃが、おぬしに人としての情を捨てさせ、ふたたび夜叉の将としてのおのれを取り戻させるためには仕方なかった。どれもこれも、毘沙門天さまの定めた理(ことわり)に従い、人の世を滅ぼさぬためなのじゃ」
「人の世を……滅ぼさぬため?」
 にわかに風が渦巻き、砂を蹴立てる。
 満賢はその埃に顔をしかめ、姿を消した。翼を広げ、半遮羅も後を追う。
 次に二者が現れたのは、新校舎の屋上だった。
「どういうことだ。説明しろ」
「ふふ、そのつもりじゃ」
 老人は強風に揺れる長い顎ひげをツイと撫でる。
「一千年の昔、毘沙門天さまが天界の牢におわしますとき、最初にみもとに召したのが宝賢じゃった。
かの御方はそのとき命じたと宝賢は、斯様にわしらに言うておったな。「我の力を八等分し、八体の夜叉に与え、地上に戦と天災を起こして、人間を滅ぼせ」と。
彼奴はおことばに従い、国中から七人の人間を集めた。夜叉となるにふさわしき者、人を呪い、神仏を呪い、己を呪っている者どもをな。
わしもそのひとりじゃ。仏門に入り、大僧正の地位まで登りつめながら、人の心の深き闇に絶望し、仏の道を捨てた者。
宝賢に次ぐ副将となったわしは、やがてひとつの疑いを持ち始めた。
毘沙門天さまから与えられたひとつひとつの事細かな決まりはどういう意味があるのじゃろうかと。夜叉の将はおのれの狩り場を持ち、決してそこから離れてはならぬ。将同士が互いに協力してはならぬ。大勢の人間を食らったあとは、数十年の眠りを得よと。まるで、人間を滅ぼせという命令とは真逆なこと、人間を滅ぼすほどに働いてはならぬとでも言うているようじゃ。いや、まさにその考えは当たっていたのじゃよ」
「なんだと」
 髪の毛が逆立つ。満賢のことばを戯言と笑い飛ばすことはできなかった。頭のどこかに、それが真実であると告げるものがある。
「毘沙門天さまには初めから、人間を滅ぼし尽くすおつもりはなかった。だからこそ夜叉の将は八人必要じゃった。それはひとりひとりが大きすぎる力を持たぬため。すなわちわしらは、人間が過ちを悟り、おのれの所業を悔い、仏に立ち返るためにと生み出された、善のための存在なのじゃ。
だが、その御心に逆らい、人間をひとり残らず消滅させることを願った者がいた。それが誰あろう、大将の宝賢じゃよ。
そして、その宝賢によって八番目の将として任ぜられた者。すなわち半遮羅、おぬしこそが、彼奴の思惑通りに手足となって働いた。――人の世を滅ぼすためにな」
「それは……」
 半遮羅の口に苦いものが広がる。自分の過ちを悟ったときの後悔の味。
「宝賢は、おぬしが裏切ることをわかっておった。裏切るとわかっていたからこそ、おぬしを選んだとも言えよう。
はじめから、すべては仕組まれておったのじゃ。異分子としておぬしが選ばれたこと。吉祥天さまを巧みにそそのかして、おぬしとことばを交わすように仕向けたのも。おぬしが天界を出奔したことも。すべてはおぬしの意志ではなく、宝賢の策略だったのじゃ」
「俺は……その策略どおりに動いていたのか?」
「筋書きどおりに、おぬしは夜叉の将を五人まで倒し、今残るは三人となった。わしを倒せば、宝賢とおぬしで二等分の力が手に入る。もしおぬしが倒されれば、どうなる?
毘沙門天さまの霊力すべては、宝賢ひとりのものとなる。そして、それこそが彼奴の四百年に及ぶ悲願の成就するとき。その力を持って宝賢はこの世から人間を滅ぼし尽くすつもりでいるのじゃ」
 満賢は勝ち誇ったように、下あごを突き出した。
「力というのは、ひとつに束ねられてはならぬもの。正と邪。悪と善。陰と陽。分散し拮抗してこそ、世は成り立ち、万物の調和が保たれる。
そんなことも弁えず、この阿呆めが。おのれは偉そうに、人間を救うておるつもりでおったじゃろう。事実はその反対。おぬしこそが人間を、滅亡の淵に追いやっていたのじゃ」
 ひとことも言い返せずに顔を伏せている半遮羅を、覗き込むようにして満賢はさらに言いつのる。
「ここでおまえを殺すはたやすい。じゃが、おぬしが死ねば、宝賢は最後のひとりになったわしを殺そうとするじゃろう。わしとて、自分の身はかわいい。どうじゃ。今からでも遅くはない。わしと力を合わせぬか? ふたりして宝賢に鉄槌を下すのじゃ。彼奴さえ亡きものにすれば、あとはおぬしとわしで、この世を好きなようにすればよい。人を裁くも、人を従えるのも自由。それこそおまえの思惑どおりの話じゃろう」
 そのささやきが終わらぬうちに、満賢は「ひゃっ」と小豆のような目をいっぱいに見開いた。
 彼の懐を、霊剣・天叢雲が鋭くえぐっていたのだ。
 ゆっくりと顔を上げる半遮羅の目は、憤怒に白く輝いている。
「わ、わしの話を偽りだと思うてか」
 苦悶に身をよじりながら、満賢はしわがれた声で叫んだ。
「嘘ではない。宝賢は確かに……」
「そうだろうな。おまえの言ったことは真実だ。だがおまえの為したことは真実ではなかった。おまえは宝賢の陰謀を知っていて、見て見ぬふりをした。止めようとすれば、いくらでも止める手立てはあったはず。そうせずにうまく立ち回り、あわよくば漁夫の利を取るまで、高みの見物を決め込んでいたわけだ」
 半遮羅は金剛夜叉明王の真言を唱え、ますます強くその霊力を刀にこめた。
「ぎうわあぁっ」
「おまえの話の中に、ひとつだけ間違いがあったぞ」
 半遮羅の口元が、皮肉気に笑んだ。
「俺が最後に宝賢に倒されるという件(くだり)だ。最後のひとりとなって立つのは、この俺だ。それなら何の問題もなかろう」
「思い上がりおって。おぬしひとりでは、絶対に宝賢を倒せぬ。倒せぬ理由があるのじゃ。…・・・なぜわしと手を結ぼうとせぬ」
「理由はひとつ。おまえのやり方が気に食わん。それだけだ」
 渾身の力で刀身を突き立てると、満賢は断末魔のうめきを上げた。
「ふ、ふ……ふ。最後の最後に、わしの計算違いじゃな……。じゃが、おぬしも大切なものを失うがよい。この建物はすでに全ての継ぎ目を砕いてあるのじゃよ」
「なに……?」
「わしの結界の中だからこそ、かろうじて形が保たれていた。わしが調伏されるや否や、ここは一瞬にして瓦礫と化すであろう。おぬしと、おぬしの守ろうとした人間どもといっしょにな……ひひ……」
「詩乃!」
 半遮羅は、叫んだ。
「今、どこにいる?」
(だいじょうぶ。みんな無事よ)
 即座に、詩乃の矢継ぎ早の念話が返ってくる。
(久下さんとナギちゃんがさっき)
(愛媛から駆けつけて、ふたりがかりで)
(学校のまわりの封印を解いてくれたの)
(2Dのみんなも全員無事。夜叉に取り憑かれていた先生たちも)
(そろって門の外に出たところ)
「・・・…私以外は」
 最後のことばだけは、半遮羅のすぐ背後から間近に聞こえた。
 半遮羅は満賢の腹から刀身を引き抜くと、電光のようにひるがえって、彼女の身体を抱きかかえた。
 耳をつんざく猛獣の咆哮のようなきしみが鳴り響き、それを合図に、轟音とともに建物のすべてが一瞬にして瓦解した。
 3階だった校舎は、小箱にしまわれる魔法の玩具のごとく、垂直に崩れ落ちた。
 もうもうたる煙が、数分間あたりを覆う。
「……痛て」
 鉄骨とコンクリートの残骸のわずかな空間で、半遮羅は顔をしかめながら、ようやく身じろぎすると、詩乃を宝物のように覆っていた黒い翼をそっと広げた。
「と、統馬くん」
 胎児の形にぎゅっと身をちぢこめていた詩乃が、薄目を開けた。埃を照らし出すぼんやりとした光線の中、半遮羅の怒りに引きつった顔が間近にある。
「この馬鹿。なぜ戻ってきた」
「だ、だって。心配で」
「満賢ごときにやられるわけないだろう。俺を信用してないのか」
「し、してるけど」
「なら、次からは黙って遠くで見ていろ。もし今度そばに寄ってきたら……」
 ふと口をつぐみ、詩乃の頬に指をすべらせる。
「本当にうまそうな女だな、おまえは」
「え、え?」
「あの干からびた爺より、ずっといい。俺は腹が減った。今から食わせろ」
 舌なめずりしている半遮羅の腕の中で、詩乃はじたばたと手足を動かした。
「や、やだっ。絶対にやだ」
「少しくらい、いいだろう。減るものじゃなし」
「減ります! 人間は夜叉みたいに、すぐに回復なんかしないんだから」
「ちっ。人間とは不便なものだな」
 半遮羅は不平を鳴らしながらも、彼らの上を覆っていた鉄骨の瓦礫を、軽々と払いのけ始めた。
「あーあ。せっかくの新校舎がまた滅茶苦茶になっちゃったね」
 詩乃はようやく狭い場所から解放されると、大きく深呼吸をし、立ち上がってあたりを見渡した。
「これじゃ、私たちが卒業するまで、ずっとプレハブ校舎かなあ。ねえ、統馬く……」
 振り返ると、半遮羅の様子が急変していた。
「統馬くん?」
「……っは……」
 周囲の空気が陽炎のように揺らぎ、白緑の髪がざわめく。苦しげに折り曲げた身体全体が、まるで白熱する溶鉱炉だった。
 詩乃は無意識に逃げ場をさがしそうになった。今まで見たこともない、圧倒的な霊力。そばで見ているだけで、狂気さえ抱かせる力。触れるものすべてを消滅させる力。
「満賢が……調伏されたから?」
 肯定のしるしに彼は無言でうなずく。その証拠に、背に残る種印は、もはやひとつしかない。
 半遮羅は今、毘沙門天の二等分の力を得たのだ。
「封印の真言を唱えたほうがいい?」
 早くいつもの統馬に戻ってほしい。おびえそうになる気持ちを押し殺して、詩乃は提案した。
「いや」
 白い瞳で無表情に詩乃をみつめると、かすかに首を振った。
「もう、人間に戻る時間はない。これと同じ力を宝賢も得た。間髪を入れず、事を起こしてくるだろう」
 それを聞いたとき、詩乃は突然の恐怖に襲われ、地面にへなへなと崩れ落ちた。
 今から何が起こるか。まるで予知でもしたかのように眼前に幻の地獄絵図が描かれたのだ。
 それこそが、最後の夜叉の将の戦い。毘沙門天のすべての霊力が、ひとつの場所で真っ向から激突する。
「統馬。詩乃さん」
 久下が悲痛な大声をあげて、グラウンドを駆け寄ってきた。今思い返せばその声が、人の世の運命を決する壮大な戦いの先触れだったのだろう。
「大変です。鷹泉のお嬢さんからのSOSのメールが届いて……。
――東京の中心が……夜叉の大軍に襲われました。国会議事堂と霞ヶ関が壊滅寸前です!」
 


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