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魔王の午後 (2)



 魔王はその日から自分の配下にふさわしい人間を求めて、夜の街をさまよい歩いた。
 ミネアスの大河ほどもある大通りで鉄製のサハギンにまたがって猛スピードをあげ、けたたましく騒ぐ一団に近づくと、「俺のしもべになれ」と命じた。
 奴らは烈火のごとく怒り、いっせいに彼に襲いかかって来た。
 20人ほどだったが、なんなく返り討ちにしてやった。さすがに途中で拳が壊れそうだったが、奴らのひとりから木製の剣を奪い取ると、あとは簡単だった。
 こんな弱いやつらなど、戦馬の鞍みがきの奴隷にも値せぬ。
 地面に倒れ伏す連中に唾をはきかけていると、近隣の住民らしい人間たちが出てきて、口々に「よくやってくれた。この暴走族に夜な夜な悩まされて眠れなかった」と涙ながらに 感謝された。
 人間社会の中で不満をくすぶらせ、この世界を破壊することを望んでいる者。
 彼はそういう気配を漂わす者たちに次々と声をかけたが、結果は失望に終わることばかりだった。
 彼らはゼファーを主として受け入れるどころか無謀にも歯向かい、ことごとく彼の拳と刃のもとに沈んだ。そして、回りの人間は彼に拍手喝さいを送った。
 このトーキョーには、俺の家臣に値する奴はひとりもいないのか。
 その夜も、「公園」と呼ばれるわずかばかりの土と木々がある園で、数人の男たちが暗がりで騒いでいた。
 見るからにゼファーの目には叶わぬ連中だったが、むしゃくしゃしていた彼はそいつらを血祭りにあげた。
「待ってください」
 男たちが地面にころがる中、その場を立ち去ろうとした彼の耳に、若い女の声が響いた。
 ふりかえると、ドロだらけで上半身の服をぼろぼろにされた短髪の女が、涙を浮かべながら彼を見ていた。
「助けていただいてありがとうございました」
 そうか。こいつらはこの女を集団で犯そうとしていたのか。
「おまえを助けようとしたわけではない」
「でもあなたがいらっしゃらなければ、私は今ごろ…」
 女のすすり泣きを無視してきびすを返したゼファーに、彼女はあわててすがりついた。
「お願いです。警察に被害届を出すのに証言してください。でないとこの人たちはまた何度も罪のない人たちを襲います」
 警察。彼が乱闘を起こすたびに、頭にチカチカ光る目をつけたゴーレムをうならせて駆けつけてくる奴ら。人間の騎士団と同じ目をした連中。
「ごめんだな。俺の知ったことではない」
「それにあなたに何かお礼がしたいのです。せめて……せめてお名前だけでも聞かせてください」
「名前?」
 アラメキアでは、名前をたずねるのは占いや呪術をする高位の魔女と相場が決まっていた。
「おまえは魔女か」
「は?」
「ちょうど良い。おまえに占ってもらいたいことがある。アラメキアに戻る方法と我が臣下となるべき者の居場所だ。……こちらで良いのか?」
「え?」
「占いの水晶のあるおまえの館だ」
「え、ええと。あのう……」
 とまどう女の方を見もせず、彼はさっさと歩き始めた。


「魔女ではないのか……」
「ご、ごめんなさい」
 小さな箱に乗り、8階にある女の住居まで上がったゼファーは、その部屋をひとめ見るなり落胆した。
 そこには水晶も、毒薬を作る大なべもなかった。
「きっとあなたのおっしゃる占いの館は、駅前にあると思います。今日はもう遅いので閉まっていると思いますが。……あ、待って。 帰らないで。今コーヒーを淹れます」
 こざっぱりとした服に着替えた女は、彼の目の前に黒くにごった液体を出した。熱く苦いその飲み物は、なぜか彼の肉体をほぐしていくようだった。
「あなたは、外国の方なのですか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「ことばがとても古風なので……。それにさっきどこかへ戻る方法を探しているとおっしゃいました」
「アラメキアか」
「初めて聞く国です。やはり旧ソ連の一国だったりするのですか?」
「精霊の女王の治めている世界だ。俺はそこから追放されてきた」
「まあ……」
 女はびっくりしたように目を見張った。
「そのセイレーノ女王さまは、何かの誤解をしてらっしゃるのですね。あなたのような良い方を追放なさるなんて」
「俺が良い者だと?」
 ゼファーは口の端をかすかに上げた。
「俺は女王を許さん。いつかきっと女王を殺し、アラメキアを滅ぼしてやる」
「だめっ。だめです! 殺すなんて、滅ぼすなんて。あなたの国でしょう? 話し合えばセイレーノ女王さまもわかってくださいます。私の伯父が外務省に勤めてるんです。 力になってもらうよう、なんとか頼んでみますから」
 目の前できらきらと水晶のような涙をこぼす女を見て、彼は黙り込んだ。
「ごめんなさい。ひとりで興奮してしまって。私なんかが口出しをすることじゃないですよね。おなかがお空きになりませんか?  何か作ります。といってもチャーハンかおうどんか、そんなものしかできませんが」
「おまえは三角で白く細かい房を持つ、黒い薄皮のついた食べ物を作れるか?」
 彼女は一瞬ぽかんとした表情をしたが、やがてくすくす笑い始めた。
「ああ。おにぎり。おにぎりがお好きなんですね」
 やがて出された三角形はほかほかと温かい湯気を立てていた。そして、いつもガラス張りの店で奪い取るものより百倍も美味かった。
「きめたぞ」
 指についた白い粒までていねいに舐めとった魔王は、厳かに宣言した。
「俺は今日からここに住む。おまえは俺のためにこの三角形の食べ物を毎日作れ。よいな」
 女は目を見開きしばらく呆然としていたが、やがて耳たぶまで真っ赤に染めながら、小さくうなずいた。


 女の名は佐和と言った。
 ゼファーは3ヶ月のあいだ、彼女の部屋で暮らした。
 佐和は毎日「カイシャ」というところに出かけていくほかは、ずっと彼のそばにいて、文字や人間世界のことを教えた。
 彼はだんだんと、この世界はトーキョーだけではないこと、その回りに「ニホン」という国があり、さらに海のむこうには、「アメリカ」や「イーユー」などの さまざまな国々があることを学んだ。
 この異世界はアラメキアの20倍近い大きさがあり、人口は200倍近かった。
 人間は魔法の代わりに「科学」という怪しげな術をあやつっていた。
 ドラゴンやゴーレムの代わりに、「機械」というしもべを使っていた。
 魔族はやはりどこにも存在していなかった。
 毎日質問攻めにするゼファーを、佐和は根気よく教えた。
 そして、さまざまな肉や魚や野菜でできた美味な食事を作った。しかしどんなご馳走を出されても、彼は必ず最後に白い三角形だけは要求した。
「ゼファーさんは、アラメキアで何のお仕事をなさっていたんですか?」
 佐和はある夜、コーヒーを注ぎながらたずねた。3ヶ月夫婦同然の生活をしていても、彼女は相変わらず、彼に対する丁寧な言葉づかいを改めようとはしなかった。
「仕事?」
「職業のことです。どんなことをして働いていらしたんですか?」
「働くことなどなかった。俺は魔王だからな」
「魔王?」
 怪訝な顔をして、彼女は口ごもった。
「それは……、何をすることなのですか?」
 彼は少し考えて、答えた。
「人間を殺し、支配することだ」
 みるみる佐和の表情が変わった。


 ゼファーは、夜の街に飛び出した。
 自分が魔王であると言ったときの、彼女の悲しげな目。憐れみの入り混じったまなざし。
 佐和は俺に失望したのだ。馬鹿にしているのだ。
 城も持たず、軍隊も持たず、それでも己を魔王と称する俺に。
 彼は生まれて初めて自分を恥じた。膝が震えて立っていられないほど、自分が惨めだった。
 その夜以来、彼は佐和のもとから姿を消した。





(3)につづく


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