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 今回の予告は……

   このコラボもようやく全7回のちょうど折り返し点。
   分水嶺とも言える今回、物語はいよいよ核心部分に到達する。
   映画の名場面を随所にちりばめます。



Side BISCUIT   第4話 「プレッツェル・オペレーション・ツェルベロス」

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 (前文まで削除)
 二人の日々は永遠に続いて行く。僕は盲目的にそれを望んでいる。半分意固地にな りかけた僕は、そっと穂汰流の手を握った。冷たい手をしている。
 判ったようで、僕は何も判らないのかもしれない。
 そう思うと辛くなったが、僕がめげていてもしょうがない。日々移ろい行く瞬間瞬 間の中に、僕がこの世に何事か痕跡を残せる事ができるとしたら、それは穂汰流のそ ばにいてやることなんだ。
 走って咽喉がカラカラだった僕は腰のドリンクポーチからペットボトルに淹れた特 製のお茶を取り出した。走ったので大きな泡が無数に弾けている。その中のまだ割れ ないいくつかを見つけて、穂汰流は言った。
「ここ、肉球みたいになってる」
 大きな泡に、小さな泡が三つひっついて、確かにそれは猫の足跡。
 たまらなくなって僕は、穂汰流の頬に唇をつける。
「君こそ猫だ」
 まだ大丈夫。冗談も言える。余裕だ。少し温もった指を、もう離さない。僕は改め て、そう誓うのだった。

  ――第4話 プレッツェル・オペレーション・ツェルベロス ……了

 僕は書き終えた日記を閉じた。時間は深夜、2時を廻っている。丑三つ時と聞くと 3時を連想してしまうが、現代の時刻に合わせると大体今頃がそうなのだそうだ。し ん、としている。10月に入って空気も乾燥して、時折遠くから赤子の声に似た盛り のついた猫の声が聞こえてくる。目は異様に冴えて、あまり眠たいと思わない。
 ぱらぱらと捲り返す日記帳。紅茶の湯気がゆらゆら、自作の風に揺れる。
 こんな事をしていると、そうしたくなくても思い返してしまう、過去の事柄。穂汰 流と付き合うようになって再開した日記。前の彼女のとき書いていた日記と通算して 3代目になる。初代と2代目は、切なさと哀しみに満ちた恋愛小説だ。シンプルだか らこそより、グッとくる物語。
 僕は人を好きになり、二人は結ばれて、愛し合う。けれども彼女は死んでしまっ て、僕はそれを引きずった。
 ただそれだけの事、多分きっと、どうやらありふれた出来事。けれどもその全ては 僕を打ちのめしたり、泣かせたり、苛立たせたり、結果、今の僕があるのだけど成長 しか得るものがなかったなんて、それにしては高すぎる授業料だ。神様の授業は高額 だ。
 それきり、日記は止めていた。書くに値しない空虚な日々が連綿と続いた。しかし 黄田川遥のススメで僕には新しい恋人が出来た。日記も復活する。
 総てがオッケーって訳じゃない。けれども、3代目の日記帳は初代と2代目に比べ て、明るさに溢れている気がする。素敵な仲間に囲まれて、僕は幸せだ。
 パーツパーツで見れば、そりゃきっと、不幸なのかもしれないけど、そんなの皆が そうなんだ。この世に生きているほとんどの人が、何か問題を抱えて生きている。一 つ屋根の下、表には出てこない有象無象の問題がそこかしこに転がっている。
 例えば、僕は恋人の自傷癖。
 緑川光太郎は次男なのに、ヤクザの頭領になってしまいそうだ。あ。そうそう。余 談だけど、光太郎の兄、本来跡目を継ぐはずだった緑川翔太郎は現在、平彩まりのプ ロデューサーとして音楽活動をしている。しかも驚いた事に、その鬼瓦みたいな顔を した緑川兄の恋人が『田処処』の看板娘、華ちゃんの友人である由香だったのだから 世間は狭い。
 そういえば『田処処たしょしょ』の経営も気がかりだ。おやっさんは何でもない表情をしてい るが、あれだけ品質のいいお茶とお茶菓子を出したら、振る舞うだに赤字なのではな いかと想ってしまう。そもそも、『田処処』という名前も元々発注ミスで、おやっさ んの本名・田所から店の名前は『田所処』となるはずだったのである。しかし『所』 と『処』の勘違いで出来上がってきた看板・暖簾には『田処処』とはっきり。今では すっかり変な名前のお店で通ってしまって修正する事もできないが、余裕があったら すぐに直せたはずだ。華ちゃんもこれから大学受験が待っている。少し不安だ。…… と、いいつつ奢ってもらったりしてしまうのはよくないから正さないといけない なぁ。
 すっかり常連の探偵・紫村と助手である馨ちゃんの関係も実はとてもいけないよう な気がする。なんというか、それはアニメだから許されるのであって……みたいな 『ブラックジャック』のピノコちゃん実写版状態だ。そもそもいつ事務所を尋ねても 彼女は居る。内縁の妻状態だけども、帰る家はないのか、学校はどうしてるのか、探 偵とどういう関係なのか、Hカップぐらいに成長してきてるんじゃないか……などな ど余計なお世話極まりない疑問が湧いてきてしまう。一度探偵を探偵してもらおうか と本気で緑川と話し合った事もあるくらいだ。
 まぁ。彼よりも謎なのは牙一郎だ。表社会に出てこない忍者の末裔なのだそうだ が、この間デパートであった時は(前文削除の部分に当たる)白桃鷲と名乗るバー コード頭に眼鏡の小柄なおっさんにしか見えない刺客に襲われ大変そうだった。その 後、全員の持ち物が同じ紙袋だった為にばらばらになってしまって、密輸中だった秘 伝の巻物が平彩まりのコレクションしていたレアなクマのぬいぐるみに(これはトン ズラーとボヤッキーがプレゼントしようとしていた。デパートでのイベント中に平彩 まりのストーカー女が現れ、大混乱になった際に全員の持ち物があべこべになってし まったのである)変わってしまっていたらしくひどく怒られたらしい。何より、任務 中に『十二単』の弥生ちゃんとデパートでイチャイチャしていたのがいけないらしい のだが……。
 それから、黄田川の姉弟にも心配してしまう。2人は子供の頃よく遊んでいたので 慣れてしまっているが、すごく性格が悪くて僕ぐらいしか友達がいない。なのに弟・ 遥は出張ホストなんていう世間的には決して良いとは言えない職業になってしまった し(羽振りは良さそうだけど)、姉の葵の方は何がしたいのかわからない。今でも定 職につく素振りを見せないし、暇な時は写真を持って街並みなんかを撮っている様だ けど、カメラの学校に行く気配もない。まぁ、弟同様に絶世と言えるほどの美貌の持 ち主だから、いい人を捕まえて玉の輿なんていう手口もあるのだろうけど、いやでも そういえば、これまで浮いた噂をひとつも聞いていなかったような気がする。とにか く謎の多い二人だ。
 そう言えば、穂汰流と遥の関係もよくわからない。元々知り合いだったのだろうか ら、穂汰流を僕に紹介してくれたのだろうけど、デパートに僕が葵に誘われて行って いた時もどうやら穂汰流と遥はふたりで会っていたらしい。それは偶然帰りに目ざと く葵が見つけたから判明したのだけど、結局、何で会っていたのかまではわからな かった。
 とにかく、これは僕の周りが極端におかしいとか、そういう訳じゃない。みんなそ れぞれ、いろいろある。ギャンブルが止められなかったり、淋しい夜をお酒で紛らわ せたり、家庭内暴力をふるったり、純粋そうでレイプ犯だったり、貢ぐだけ貢いで捨 てられたり、元気そうだけど心臓病だったり、顔で笑って心で泣いて時には人をせせ ら笑ったり、恥かいて笑われたりもして、日々移ろい行く季節の中『今』という時間 は瞬間的に過去になってしまう事を認識したり、受け流したりして、一つ屋根の下の 闇をぐるぐる洗濯機の中に閉じ込めるようにして僕達人間は生活しているのだ。
 人生は映画なんだ。
 人生が映画に似ているのではなく、人生は映画そのもので、むしろ、映画は人生の あらゆる意味での模倣に過ぎない。膨大であるからドラマチックさは薄れ、ありふれ ているから映画にはなりえないような事柄も、実際個人個人にはドラマチックで、か つ、映画的なのだ。
 みんな一人一人、自分が観客の映画を演出しているに過ぎない。
 僕の日記2冊分に認められた脚本は、ラスト近く涙ばかりの切ないもので、僕は監 督業を何度も辞めたいと思っていた。実際、人生という舞台から降りてしまう事をも 考えた。しかしそうはならず、新しいストーリーをこうして今も歩んでいる。
 深夜3時近く。僕は何となく興奮していた。
 映画『スパイダーマン』の冒頭、主人公のピーター・パーカーの独白から物語は始 まる。そこでピーター・パーカーはこう告げる。
 ――これは、僕の物語ではない。彼女の物語だ、と。
 僕もそれでいい。色々問題はあるけど、それでも僕は穂汰流の事が大好きだった。 細くて本当は真っ白だったはずの腕がいくら切り傷で赤く腫れあがっていたとして も、それでも僕は彼女を愛している。何種類もの薬を愛用してラリっている彼女を、 それでも愛しいと思える自分が此処に在る。
 来年、20歳。10年経って、20年経って、40歳のおばさんに彼女が成り果て たとしても、僕はそれでも彼女を愛し続ける。僕は彼女の人生というシネマの、キー パーソンになるんだ。
 紅茶はすっかり冷めてぬるい。
 今頃、穂汰流はどうしているだろう。もう寝ているだろうか。無性に彼女の声を聞 きたい気分だった。
 ケータイをかけてみると数コール後、誰かが出た。
「もしもし」
 返事がない。
「もしもし」
 返事がない。
「もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もし もし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。もしもし。 もしもし」
 空虚な響きとなった朴訥の「もしもし」はペットボトルにたまった泡の様に弾けて いずこへかと消えて行く。
「穂汰流?」
「違うよ」
「え?」
 電話は、切られた。明らかに、男の声だった。
 発信履歴を確認しても、間違いなく穂汰流のケータイにかけていた。それじゃあ、 今のは一体。誰なんだ。いろんな言葉が浮かんで消える。混乱してきた。マイナス思 考になっていく。
 浮気?
 頭が真っ白になる。穂汰流が、まさか、そんな。放心しているうちに逆に電話がか かってきた。
 穂汰流からだった。
「今のは」
『ごめんね。……ありがとう』
 それで、切れた。
 なんだよそれっ。
 以降、何度電話しても彼女は出ない。僕は支度して、自転車、すぐに飛ばして彼女 の住むアパートに向かった。合鍵を開ける。
「穂汰流」
 呼びかけても、もぬけの殻。
「嗚呼」
 僕はその場に力なく、崩れ落ちた。
 穂汰流に何かが起こっているのはわかった。しかしそれが何なのかまるで見当がつ かない。
 電話がかかってきた。
 黄田川遥からだった。
「もしもし」
『もしもし』
「もしもし」
『青磁、ビスケットは2度焼かれるものっていう語源があるんだ』
 こいつはいきなり、何を言い出すんだ。
『砕けた心のビスケット、俺が完成させてやるよ』
 嗚呼、そんな馬鹿な。この声だ。さっき、穂汰流にかけて出た男の声は、誰あろ う、遥だったんだ。
「どういう事だ」
『すぐに判る』
 電話は切れ、僕は穂汰流の部屋に独り。本当に独りぼっちだ。何が起こっているの かわからない。移ろい行く日々の中で、どんなに頓悟しても僕の世界はすぐに行き詰 まる。穂汰流が居ない、ただそれだけの事で僕の映画はとたんに味気ないものになっ てしまった。
 今は未だどうしていいのか判らない。
 僕は独り、冷たい床に頭をつけて、放心していた。
 馬鹿に真白い洗濯機が目に入る。蓋は開け放たれて、闇の部分が全部外に出て行っ てしまったようだった。
「パンドラの函の最後に残ったのは」
 僕は起き上がり、外に飛び出した。先ずは、黄田川邸を尋ねよう。そこからだ。僕 は何も判らない。穂汰流と遥の関係だって知らない。そこから解決していかなきゃ、 ダメになる。人生は映画だ。なら主人公は、行動しなくちゃ。そうでなきゃ物語は始 まらない。眠ってなどいられないのだ。
 飛び出して、自転車にまたがる、走り出す頃には、朝の空気が下町の隅々までをも 支配していた。新聞配達のおじさんが、ぶわーん、と隣を追い越していった。今日も 多分、いつもと変わらない日常が始まるんだ。人々の生活が。僕の人生もしぶとく続 く。さっき誓った、穂汰流が主役の物語だ。その為なら、僕は力いっぱい自転車を漕 ぐ。この圧倒的な日々の日常に埋没されそうになったとしても、だ。

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使用映画
『スパイダーマン』
『東京フィスト』
『HANA−BI』



  第5話につづく


企画/高橋京希、アンリミテッド・クローバーズ
制作/BUTAPENN



素材: a day in the life   師匠小屋