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EWEN

Chapter 1

 何と表現すればいいのだろう。
 彼を見たときの私の驚きを。
 彼は開け放した門の前に立ち、泰然と私の家の庭を見ていた。褪せた色の綿シャツとジーンズ。バックパックを無造作に肩にかけた若い男。
 私は登校前の日課どおり、高校の制服を着けた姿で、庭の通路を掃き清めていた。
 なぜそのとき、誰かの手で内臓を鷲づかみにされたような心地になったのか。
 彼が外国人だったからではない。いまどきこの阪神間に外国人はごまんといる。
 上背の高さゆえでもない。うちには190センチというとんでもない輩が存在するから。
 私を囚えたのは、彼の端正な横顔。まるで全身がギリシャかどこかの彫刻家の彫りぬいた彫像のようだ。
 その顔には喜びも悲しみも怒りも、期待も不安もたじろぎも、ありとあらゆるいかなる感情も浮かんではいなかった。人間が人間であることを放棄したかのような全くの無表情。
 あえてあるとすれば。
 それは生きとし生けるものすべてに対する蔑み。
 どれだけのあいだ、私は竹箒を持ったまま凍り付いていたのだろう。彼はゆっくりと私の方に頭を巡らせた。
 彼と私の視線がかち合った。
 数秒の沈黙。初めて彼の顔に、彼が生きているものであることの証明である表情が浮かんだ。
 彼の透き通った瞳が少し見開かれ、次いで薄く整った形の唇にかすかな微笑み。
" Fraeulein Fuki ? "
 その喉から美しい音楽のような言葉がほとばしった。


「だからあッ」
 私は細い受話器を握りしめて抗議した。
「なんで、私にひっとことも話してくれへんかったん。今朝いきなりドイツから着いたなんて来られたって」
「あれえ。親父や康平くんには手紙で言うといたんやけどナア」
「知りません、こっちは。鹿島さんは3日前から京都に泊まりやし、言葉通じひんし、私、心臓ばっくばっく言って目の前真っ白になって」
「すげえかわいいやろ。ディーターって。クラクラきそうやったろ。ああ、こりゃ一人娘の貞操の危機かな」
「あほか。この不良親父!」
 ああ、なんて呑気な声出して。
 受話器の向こうは一万キロ向こう。話しているのは私の実の父親、葺石惣一郎(ふきいしそういちろう)。娘を置いてドイツのケルンに医学の研究に行ったっきり年に1度しか帰ってこない、まさに不良親父と呼ぶにふさわしい父なのだ。
 ついでに言うと、私の名は葺石円香(ふきいしまどか) 、16才、私立女子高校2年生。母親は早くに亡くなって、先祖代々のこの家に、今は祖父の惣吉(そうきち)と二人暮しだ。
 と言っても、人の出入りは多い。
 うちの家は、古武道の宗家「葺石流」を名乗る旧家だ。
 古武道というのは、私も祖父の受け売りでしかないが、太平の江戸と明治の御世このかたの形骸化した剣道ではなく、もともと武士が合戦で命の遣り取りをしていた頃の純粋な剣術を受け継ぐ、日本でただ一つの流派……なのだそうだ。
 もっとも、祖父の思い入れはともかく、今の武装放棄した平和な日本で、わが葺石流の生き残る道は限られている。
 第一、一人息子である父が、流派の未来にさっさと見切りをつけて、医者になってしまったのがいい証拠だ。
 ほそぼそと少数の門下生に稽古をつける他は、もっぱら、時代劇の殺陣監修に活路を見出しているわけだ。
 テレビの時代劇のスタッフロールによく「葺石流 鹿島康平(かしまこうへい)」なんて載っているのは、うちの師範代の名前だ。鹿島さんが先週末から京都に行っているわけは、京都の撮影所で殺陣の仕事が入っているからなのだ。
 受話器からは、父ののんびりとした説明が聞こえてくる。
 彼の名前はディーター・グリュンヴァルト、19才。父の属している研究所の先輩であるグリュンヴァルト博士の息子で、数年前からアジア各地を放浪しているらしい。特にアジアの武術に興味があるということを聞いた父が、例によってこちらの迷惑など何にも考えず、うちの家で日本の古武道をみっちり修行したらどうだ、などと安請け合いしたようだ。
「あ、預かるっていうの。あの男の子をうちで……」
 私は絶句した。
「ま、住むところは康平くんが、近くを探してくれるってことになっとるけどな。まさかいくら俺でも、年頃の娘とひとつ屋根の下に、男を住まわせる気はあらへん」
「あたりまえや!」
「俺の師事する大事な教授の息子を、円香のせいで、きずものにしても困るからな」
「こらこら、何を考えとるん! このスケベ親父!」
 ああ、いやだ。こんな親がいるせいで、私の言葉づかいも性格もずいぶん荒っぽくなってしまった。
 母が死んでわずか半年で、父は10歳の私をのこしてヨーロッパに旅立った。
 藤江(ふじえ)伯母さんは、父があまりに母を愛しすぎていたため、母の残り香が漂うこの家にはいられなかったのだという。母の面影を写す私をそばに置くことも。
 今なら少しその気持ちはわかる。でも当時の私にとっては、父は私を捨てたのだ、としか思えなかった。
 めそめそしてはいられない。ひとりでも生きていけるように、父を見返せるように強くならなければ。
 そうして私は、ごく普通の女の子から男勝りな性格に一変した。髪の毛も、耳の下でばっさり切り落とした。中学の部活も剣道を選んだ。我ながらすごい変身だった。
 父はそんな私の隠れたたくましさを見ぬいていたのかもしれない。だから安心して祖父に私をまかせて、外国に行くことができたのだろう、とは思う。
 でも、私の心に傷は残った。
 男性不信だ。
 男はずるい。男は無責任だ。自分の夢のためなら、平気で家族だって捨てられる。
 男に頼って生きるなんて、ばかな女のすることだ。
 父への思慕と恨みが渾然一体となって、私の心にどうしようもなく殺伐とした人生観が根をおろしてしまった。
 どうしてくれるのよ。親父。これじゃ、まともな恋愛なんてできやしない。
「……ということで、おまえには迷惑かけるが、頼むよ。ディーターのこと。ほんとうにいい子やから」
 珍しく、父が殊勝なセリフを吐いた。
 しょうがないでしょ。今さら、ドイツへ帰れなんて言えやしない、と憎まれ口を叩きながら、私は気になっていることを言おうかどうか、迷った。
 今朝、初めて彼を見たときの漠然とした恐怖。
 彼は何を考えて、何を望んで日本に来たの?
 あんな冷たい瞳のできる人を、本当に信じて大丈夫やの?
「もう、いい時間だから切るで。まったくコレクトコールなんかしやがって、ちゃっかりしとるわ、おまえ」
 父が時計を見てあわてている様子が目に浮かぶ。ドイツとの国際電話なら5千円は、いっているだろう。
「うん、じゃあ」
 言いかけたことばを飲み込むと、私はぶっきらぼうに別れを告げた。


 私は玄関から続く渡り廊下を折れて、奥に向かった。
 二百年前に建てられたという、だだっ広い屋敷だ。小さい頃は、本当にこの家がいやだった。暗くて古くて、友だちの垢抜けたマンションや、洋式の2階のある家がうらやましくてたまらなかった。
 でも、4年前の阪神淡路大震災のとき、半壊した家を見つめ、私は余震の恐怖よりも、水や電気のない不安よりも、この家を失うかもしれないというせつなさのために、泣いた。
 いつのまにかこの家は、私の半生そのものになっていたのだ。
 幸いにして、大幅な改修を経て家は持ちこたえた。
 だが、夙川のこのあたりは、同じような瓦ぶきの屋敷が多く、多くの人が家の下敷きになり、いのちを落とした。私や祖父もまかり間違えば、今ごろ鬼籍に入っていた。私たちは、運だけで生き残ったのだ。
 あの空襲の跡のような惨状は、今でも忘れない。
 人のいのちがこれほど脆いものなのだと、人の生死はこれほど紙一重のものなのだと、私は毎日、自分の身体に刻み付けて、生きた。
 大震災は、平和な日本で、私たち若者が初めて体験した戦場といってもよかったろう。
 最奥の祖父の部屋から、楽しそうな話し声が、障子を通して漏れてきた。
"Yuu thii krungtheep haaship pii koon."
"La khrap. Yuu thiinai khrap?"
"Klai jaak meenaam Jawphrayaa. "
" Jingjing? Phom ko aasaiyuu thiinan. "
 私は面食らった。一人は祖父、もう一人はあのドイツ人の男の子だ。いったい何語で話しているのだろう。英語には聞こえない。ドイツ語でも……多分ないはずだ。
「あのう、入ります」
 おずおずと声をかけてから、私は跪いて両手で障子を開けた。立ち居振舞いは厳しく躾られている。ときどき、いや、かなりの割合で忘れるが。
 ディーターは、障子に背を向けて祖父の前で胡座をかいて座っていたが、部屋に入ってくる私に振り向いた。
" Fraeulein Fuki."
 私は彼の明るい声と優しい表情にどぎまぎしてしまった。「フロイライン」なんて、とろけるような言葉で呼ばれたのは今日が生まれて初めてだ。フキと彼が言うのは、父が葺石という長い綴りを嫌ってドイツでは「ドクトル・フキ」で通しているからだろう。
 この位置からディーターを見ると、最初会ったときはわからなかったが、彼の髪は背中まで達し、首のうしろでゴムで結わえられていた。やや濃い色の金髪で、ところどころで微妙に濃淡が違う。そして、私の母の形見の指輪に嵌まった翡翠石と同じ色の、淡いブルーグリーンの瞳。
 男の人に向かって使うことばではないかもしれないが、これほどきれいな人を見たのは、私は初めてだ。
「円香、ディーターくんは、バンコクで1年暮らしてたんやて。わしがいたのと同じ界隈に住んどったらしい」
 ああ、それで。
 今の言葉はタイ語だったんだ。と私は肯いて、言った。
 祖父は若い頃、タイにいた。17歳のとき入隊してタイに渡り、そして、終戦。短い抑留生活を経て、そのままバンコクに2年間住んでいた、と聞かされている。
 カンチャナブリ県のクワイ川。「戦場にかける橋」という古い映画とクワイ川マーチという曲で知られるあの戦地に、祖父は兵士として赴いた。イギリス人やオランダ人、そして現地の人数万人を犠牲にした日本の罪深い歴史を、祖父は背負って生きてきたという。
 今でも2年に1度くらいの割合でタイを訪れ、鎮魂の祈りを捧げる。祖父の贖罪の旅だ。
 祖父はとっくに70歳を越えている。しかし、とてもそうは見えない。羊の毛のように真っ白な、やや長めの頭髪を後ろに向かって撫でつけ、紺の作務衣からにょっきり出た手足は硬い筋肉質で、皮膚のしみがなければ、50代のものと言ってもおかしくはない。
 なにしろ、「葺石流」の現役の師範。門下生の稽古もこなし、鹿島さんの都合がつかなければ、殺陣だってやってのける。なにしろ、時代劇映画の殺陣師という仕事を最初に導入したのは、誰あろう、この祖父なのだ。
 うちの家には、だから、往年の銀幕の大スターたちが、たまにやって来て、祖父と昔話に花を咲かせる。
 内緒だが、中年のおばさまたちに大人気のSという時代劇俳優も、祖父の信奉者だ。大部屋の頃、なかば住みこみで、うちの流儀を習得したことがある。だから、Sの殺陣シーンは、私の贔屓目から見てもかなり迫力がある。もちろん、芸能関係の付き合いが多いことは、他言無用だ。うちの周りを、芸能記者やおば様ファンたちに取り巻かれてはたまらない。
 そうか、タイの話ができる相手が見つかってよかったね。私は障子を閉めながら、祖父に言った。
 そして、障子のそばにぺたりと腰をおろすと、今度はディーターに向かって尋ねた。  ゆっくりとした日本語で、
「バンコクで、何してたの?」
 彼は、助けを求めて祖父を見る。祖父は私の質問をタイ語に訳す。
"Tham arai thii Krungtheep ya?"
"Phom rian muaythay maa leew. "
「ムエタイ……つまりタイ式ボクシングを習ってきた、と言うとる」
 これは、困った。彼は日本語が全くわからないのだ。
 祖父のタイ語を通してしか、私との意志の疎通はできないのか。
「英語なら、通じるんやろうけどなあ」
 その当時の私の英語の成績は、サイアクであった。
「彼は、英語もフランス語もスペイン語も、広東語も話せるらしいで」
「なーに。それやのに、肝心の日本語は話せへんの?」
 まるで自分の孫のように自慢する祖父に、私はすこし嫉妬めいた感情に囚われて、ディーターにむかって、意地悪なことを言ってしまった。
 もちろん、彼にわかるはずはない、と高をくくっていた。
 でも、それを聞いた彼は、クスリと笑って、困ったように片言の日本語でこう言ったのだ。
「ゴメンナサイ」
 そして祖父に向き直ると、弁解するように、
"Phom daiyin waa rian phaasaa langjaak pai thiinan dii thiisut. "
「な、なんて言うてんの?」
「言葉は、その国に行ってから習うのが1番ええ、と聞いとる、と」
 私はのけぞりそうになった。
「え……、わ、私の言うたこと、わかってたん?」
「おまえの表情や声の調子で見当がついたんやろ」
「うそ……」
 外国で暮らすのに慣れた者は、わからない言葉を、必死で五感を総動員して意味を推し量るんや。祖父は自分がかって体験したことを、そう説明した。
「あ、あのね、私」
 私は少しばつの悪い思いをして、
「私は、ノーイングリッシュ、ノーフォーリンランゲージ! だから早く日本語覚えてね」
 と言いつつ、我ながら情けない。
「ハイ」
 ディーターはまたクスクス笑ってうなずいた。その無邪気な笑顔に、私はわけもわからず、顔が赤く染まるのを覚えた。
「円香、今日は学校行かんで、ええのか?」
 ふと思い出したように、祖父が尋ねた。
「あああッ!!」
 私は、文字通り、飛びあがった。「な、な、何時、いま、おじいちゃん!」
「10時、過ぎかな」
「ああ……」
 完全に忘れてた。学校なんてものの存在を。
「新学期そうそう、ずる休みしてもうた……」
 遅刻してまでも学校に急ごうなどという殊勝な心がけは、私にはない。
 目を丸くしているディーターに作り笑いをして、私は祖父に聞いた。
「学校に、何て電話しよう」
「家庭の事情、ちゃうか」
「家庭の事情……ね」
 確かに、そう言えなくもない。
 バカ親父のせいで、こうなったんだから。


 昼前に、京都の撮影所から鹿島さんが帰ってきた。
 我が葺石流の筆頭かせぎ頭にして、師範代。鹿島康平、32歳。独身。
 私がさっき、わが家には190センチの輩がいると言ったのは、彼のことだ。
 鹿島さんは二十歳のころ、ハリウッドの映画スターを夢見て渡米した、という経歴の持ち主だ。
 ほどなくアクションの才能を買われ、忍者や刑事物など数本に出演。
 主演も1本ある。B級だけどな、と鹿島さんは笑うが。
 でも数年して、限界を感じた。
 いつまでたっても類型化した日本人の役しかやらせてもらえない、ハリウッド映画界の無理解に。
 そして、本当の日本の武道を知らない自分自身に。
 5年して日本に帰国し、殺陣師としてすでに確固たる地位を築いていたうちの祖父に入門した。ちょうど、私の母が亡くなり、父が渡欧する前年。
 それっきりスターの夢は諦め、でも、大好きな映画の世界にとっぷりと浸かって毎日を送っている。
 櫛をいれないぼさぼさの頭に、筋骨隆々の巨躯。なのに、もと2枚目俳優らしい、涼しげな目元と甘いマスク。
 母を亡くし、やがて父にも置いて行かれた私を支えてくれたのは、鹿島さん。
 鹿島さんは、私の初恋の人だった。
 意中の人がいると彼が教えてくれたのは、私が中学1年のときのこと。きっと私の気持ちを察して、先回りしてくれたのだと思う。
 ふとんを噛んで声を殺して、泣いた。
 だけど、今となれば、コクらなくてよかったと思う。
 それ以来気まずい思いをすることもなく、鹿島さんは相変わらず、やさしいお兄さんに徹してくれた。
 もとハリウッドスターが、私専属のお兄さん役を演じ続けていてくれるのだから、それがたとえ恋人役でなかったとしても、これ以上望むのは、ぜいたくというものだろう。
 それ以来、私は人に恋したことがない。
 というわけで、本場アメリカで5年の英語生活をおくった鹿島さんが帰ってきて、ディーターの通訳を一手に引き受けてくれたおかげで、話は急にスムーズに進み始めた。
 おじいちゃんにまかせると、戦争中の思い出話にどんどん話が逸れていっちゃうんだもの。
 彼の住むアパートのこととか、お金のこと。
 食事や仕事のこと。
 うちで、どんな稽古をするのか。
 ディーターは、不安に思っていたこと全てに答えが得られて、やっとほっとしたようだった。
 私の作ったチャーハンで遅めの昼食をとると、彼はあくびを噛み殺し始めた。聞けば、フランクフルトから2回の乗り継ぎもいれて22時間、ほとんど寝ていないという。
 おまけにドイツは今、朝7時。彼のからだにとっては、2晩完徹したように感じていることだろう。
 (ちなみに、今朝、私が父に電話したとき、ケルンは夜中の2時だったことになる。ざまあみろ)
 祖父の部屋に客布団を敷いて、仮眠するように勧めると、私たちは部屋を出た。
 私と祖父と鹿島さんは、台所つづきの居間に入って、座布団に腰を落ち着けた。
「さあ、おじいちゃん、鹿島さん」
 私は、二人を交互に睨みながら、脅すような声を出した。
 二人はそろって視線を逸らして、わざとらしく咳払いなんか始める。
「円香、お茶を一杯くれんか」
「だめです」
 私は正座すると、背筋をピンと伸ばした。こういうときの私は、死んだおばあちゃんの霊がのりうつっているみたいに怖いと、父や祖父はよく言ったものだ。
「説明してもらいましょうか。何で、ディーターが来ること、今まで私には、言うてくれへんかったん」
「お、俺は、師範が、おっしゃってくれてるもんとばっかり…」
「わしは、てっきり、康平から聞いてるやろと…」
 と口々に言い出す。やれやれ、罪の擦り合いですか。
「そりゃあ、私なんて、相談される価値もない人間ですよ。だれが葺石流に新しく入門しようと、口出しする筋合いやありませんけどね」
「ま、円香ちゃん、それは、ちゃうってば」
 鹿島さんが、拗ねたそぶりをする私に、本気で慌ててくれるところが嬉しい。
「俺たちも、ディーターが日本に来るのは、あさってやと聞かされてたんや。今日か明日には、ちゃんと言うつもりやった。まさか、キャンセル待ちチケットでこんなに早く来るとは思てへんかった」
「ふうん」
「しかも、俺が関空まで迎えに行く手筈になってたんやけど、自力でここまでたどり着くなんて、夢にも思わんかった。だって、先生が彼に渡したのは、漢字だけで書いた住所と電話番号のメモ1枚きりや、って言うてはったからな。 ……結果として、円香ちゃんをびっくりさせてしもうたのは、悪かった」
「だって、これじゃ、私たち、彼に対してすごく冷たい。来ることさえも知らなかったなんて、歓迎してる雰囲気なんかあらへんやん。せっかくお父さんの先輩の息子やのに、もう少し、いい迎え方してあげたかった」
「先輩の息子?」
 鹿島さんは驚いたように、私のことばを鸚鵡返しに繰り返した。
「そう。研究所の教授の息子だって、お父さん電話で、言うてた。違うの?」
「俺への手紙には…… いや、何でもあらへん」
 鹿島さんは口ごもったきり、もう一度頭を下げた。
「ほんとうに、ごめん」
 鹿島さんに平身低頭されて、かえって申し訳なかったが、それでも釈然としないものは残る。
 まるで祖父も鹿島さんも、ディーターのことをぎりぎりまで隠したい、と思っていたように感じられるのだ。
 それに……父の鹿島さん宛ての手紙には、彼のことを何と書いてあったのだろう。



 夕方になると、わが家はいっぺんに賑やかになる。
 近所に住んでいる藤江伯母さんが、夕食や掃除の手伝いに来てくれるからである。
 父には二人の姉と、一人の妹がいる。
 それぞれ嫁いで、ひとりはカナダに、ひとりは関東に住んでいて、近くにいるのは藤江伯母さんだけだ。
 伯母さんの二人の子供はとうに独立し、定年退職したご主人とマンションで二人暮し。
 私の母が死んでからというもの、何くれとなく世話(というか、息抜き?)をしに来てくれるのだ。
 気さくでおおらかな性格の藤江伯母さんとは、とても気が合う。私のあらゆるジャンルの相談相手になってくれる。もしかすると、年頃の女の子が実の母親と築くよりも、いい関係を築けているかもしれないと思うほどだ。
「きゃああッ。円香ちゃん。見てもうたよ。あたし」
 その日伯母さんは、小走りで手を振りながら、興奮した様子で台所に入ってきた。
「おじいちゃんの部屋、覗いたん?」
「そうっと障子のすきまから」
「まだ、よく寝てた?」
「うん。ぐっすり」
 藤江伯母さんはそう言うと、腕を抱えてぷるぷると肉付きの良いからだを揺らした。
「ふるいつきたくなるよな、いい男やねえ。俳優さんか、なんかやの?」
 私は、彼がドイツから来た葺石流の入門者であることを説明した。
「そ、それじゃ、この家にずっと住みこんで、円香ちゃんとひとつ屋根の下で……。ひええ」
「しませんって。そんなこと。伯母さんって、ほんっと、お父さんとそっくりね」
 私たちは、ぺちゃくちゃ大騒ぎしながら、いつもよりうんと豪華な夕餉を整えた。
 せめて夕食だけでも、彼を歓迎したムードにしたかった。
 おおよその支度が終わると、あとを藤江伯母さんに任せて、私は風呂のお湯を確かめた。
 長旅をしてきたお客様に、檜の1番風呂を使わせてあげようと思ったのだ。
 祖父の部屋にそっと入ると、だが、ディーターはいなかった。
 ふとんは隅のほうに、折りたたまれて置かれてある。
「どこ、行ったんだろう」
 私は我知らず、ひとりごとを言った。
 わが家は、とにかくだだっ広い。母屋、離れ、道場、小さな蔵、そして池まである庭と、知らない人が迷子になる場所には事欠かない。
 庭のほうに向かいかけて、ふとインスピレーションを得た。
 ディーターが1番興味のある場所といったら、あそこやないの。
 果たして、私の勘はあたった。
 彼は、道場の隅のみんなの死角になるところに陣取って、食い入るように見ていた。
 道場は今、夕方の稽古の真っ最中だった。
 月曜日は3人。
 ほとんどは祖父が稽古をつけるが、今日はめずらしく、鹿島さんも相手を務めている。
 今日の生徒はラッキーだ。有名な鹿島さんにあこがれて入門してくる者も多いからだ。
 もっとも、ただの芸能界へのあこがれだけなら、葺石流では3日と持たない。
 うちの稽古は、かなり厳しいのだ。
 防具もつけず、まともに竹刀を受けるから、まず最初の1ヶ月はぼこぼこになる。
 そこで、半数は辞めていく。
 そのくせ、地味だ。他流試合も、全国大会もあるわけではないから、自分のうちに確固たる信念がなければ、何を目標にしてよいかがわからなくなる。
 そこでまた、辞めていく。
 なにせ、後継ぎのひとり息子が辞めちまったくらいだから、推して知るべし。
 だからうちは、有名なわりには、いつまでたっても門下生が10人から増えない貧乏道場なのだ。
 もっと経営努力をすれば、私は今ごろ学校の友人みたいに、グッチやプラダのバッグを肩にかけたお嬢さまの仲間入りができたのに。980円の、生協で買ったトートバッグじゃなくて。
 ま、いいけどね。
 私は、あまりおしゃれに興味がない。あまりどころか、全然ない。
 私も本当は葺石流の稽古を受けたかった。でも、女に入門できるほどなまやさしい流儀ではないのだ。
 男に生まれたかった。
 ときどき稽古を見ていると、身をよじるほどにうらやましい。
 父と私は逆に生まれるべきだったのだ、そう思う。
「ディーター」
 そっと彼のそばへ行くと、囁いた。
 彼はよほど熱中していたのだろう、ようやく私に気づくと、にこっと笑った。
「インタレスティング?」
 私が稽古を指差しながら、へたな英語で問いかけると、深くうなずく。
 彼のそばに腰をおろすのと、道場の向こうで「いてッ」という叫び声がしたのとは、ほとんど同時だった。
 見ると、恒輝が顔をしかめて、頭を押さえてうずくまっている。
 どうやら、私の方に気をとられて、祖父の打ち込みを頭でまともに受けてしまったようだ。
「あはは」
 私は、容赦なく笑い声を浴びせた。
 柏葉恒輝(かしわばつねき)。私より一つ年上の17歳。高校三年。
 小学校がいっしょだった。良く言えば、幼なじみ。悪く言えば、腐れ縁。
 当然、家も近所だった。
 震災までは。
 あの震災で、彼の家は全壊した。
 彼のお父さんは、いっしょに寝ていたお母さんを庇って、倒れてきた箪笥の下敷きになって、亡くなった。
 うちに避難してきたとき、道場の階段に座って、うなだれて震えていた恒輝の背中を、私は今でも昨日のことのように思い出せる。彼が中一、私が小六のとき。
 悲しいと言うより、心が凍えるほど冷たかった。
 私はなんにも言えず、階段の彼の傍らに座っていた。
 私と恒輝は、あれ以来戦友なのだ。
 彼と、当時高校生だった彼のお兄さん、そしてお母さんの3人は、うちの離れで数ヶ月暮らしたあと、尼崎に引っ越していった。
 しばらく音信不通となったあと、ふいとやって来て、祖父に土下座して、葺石流に入門させてくれと頼み込んだ。
 何かに怒っているのだという。怒りが消えないのだという。
 その気持ちと向き合うために武道の修行をしたいと、恒輝はそう言ったそうだ。
 祖父は、珍しいことに二つ返事でOKした(祖父は、入門志願者を必ず1度は追い返すことで有名だ)。  それどころか、月謝さえ取らなかった。母子家庭になってしまった彼の家の家計を気づかって。
 私は、そんなおじいちゃんが大好きだ。
 恒輝は、ひとしきり祖父に怒鳴られぺこぺこ謝っていたが、祖父がトイレ休憩に行ってしまったあと、頭を撫でながら私たちのところに近寄ってきた。
「おい、何をいつまでも、笑ってんだよ」
 むくれたように、恒輝は私に向かって毒づいた。そして不機嫌を引きずったまま、ディーターの顔をねめつけた。
「誰や、こいつ?」
「ディーターって、お父さんのドイツの知り合いの息子さん。今日からこの道場に入門すんの」
「こいつが?」
 恒輝は口をあんぐり開けた。彼が驚くのも無理はない。ディーターは、一見すごく華奢に見える。女性のようにほっそりした顔や首の線にも原因があるのだろう。私だって、彼がタイで一年間ムエタイの修行をしていたと聞かなければ、葺石流にはついていけないと即断していたはずだ。
「ディーター、この子、ツネキ、マイ フレンド」と私が紹介すると、
"Nice to see you, Tsuneki."
 ディーターはそんな恒輝の百面相にかまわず、彼を見上げて微笑んだ。
「ナ、ナイス トゥ シー ユー、トゥー」
 恒輝は反射的に中学英語で習い覚えたフレーズを大声で返した。
 そして、また私の方を向いて、
「師範、こいつの入門を許したんか?」
「そうみたい。えらく気に入ってたからね。おじいちゃんが初対面の人にあれだけ打ち解けるのって、初めて見た」
 恒輝はううと唸って、ディーターを無遠慮な視線で、頭のてっぺんから足の先まで睨んだ。
 気に食わないらしい。
 恒輝が悲壮な決意で土下座までして手に入れたものを、外国人が、家族がたまたま知り合いというだけで簡単に手に入れるなんて。
 それと、そのときの私は全然気づかなかったが、私が親しげに隣り合って座っているのも、彼をいらだたせた一因だったらしい。
 恒輝は持っていた竹刀で、道場の床をごん、と叩いた。
 ディーターは微笑みを消し、目の前に仁王立ちになった日本人を注視した。
「おまえみたいな優男の外人が、葺石流の門をくぐろうなんて、100年早いんだよ!」
 あちゃあ。また始まった。
 だいたいこの男は小学校の頃からけんかっ早く、いつも近所の人に首根っこをつかまれて怒られていたものだ。
 うちに入門して、少しは武道の精神というものを学んだんじゃなかったのかね。
「カモン、レッツ ファイト!」
 私のしかめ面に気づかないのか、恒輝は下卑たしぐさで、人差し指をくいと曲げて挑発する。
"Fight?"
 ディーターの薄いブルーグリーンの瞳が険しくなる。彼も、恒輝の剥き出しの敵意に火をつけられたようだ。
 見えない火花が道場内に散った。
 鹿島さんと稽古中だった他の二人も、異常な事態に気づいて手を止めた。
「ファイト、OK?」
"Ja."
 ディーターは静かに立ちあがって、数歩進み出ると、自然に手を垂らしたまま身構えた。
 恒輝は、壁際に掛けてある竹刀の中から一本抜き取ると、ディーターの足元に放り投げた。
「鹿島さん!」
 私は大声で叫んだ。
 祖父なら、こんな試合は絶対許さない。ましてや、これは恒輝の手前勝手な私怨によるものだ。
 だが期待に反して、鹿島さんは腕組みをしたきり、止めようとはしていなかった。
「いいんやないか。ディーターの素質も見られるし。柏葉程度にこてんぱんにやられるようなら、入門しても見込みはないからな」
「何ですか!程度って!」
 恒輝は、つっこめる余裕がある。
 ディーターは、用心深く対戦相手から目を離さぬまま、竹刀を拾って正眼に構えた。
 私は、あっと小さく呟いた。
 足の位置。柄の握り。竹刀の構え。
 どれをとっても、葺石流の流儀そのもの。
 素人の私が言っても信じてもらえないかもしれないが、これでも門前の小僧くらいの心得はある。
 それどころか、ディーターの構えは鹿島さんにそっくりだった。
 いつ、鹿島さんに習ったのだろう。
 いや、違う。
 ディーターは、ここにいるわずか数十分のあいだに稽古を見て、とりわけ鹿島さんだけを一心にお手本にして、その構えを自分のものにしてしまったのだ。
 さすがの恒輝もそれに敏感に気づき、慌てたようだった。
 鹿島さんは腕組みをほどいて、短く鋭く言った。
" Dieter, salute!(礼をしなさい)"
 ディーターは、はっとして構えをといた。
 二人は向かい合わせに立つと、一礼した。
 再び、竹刀を構える。
 道場内の空気が、ピンと張り詰める。
 私は、そのあまりの緊張感に内臓がしびれたようになり、思わず腰を浮かせた。
 恒輝は、男子高校生の中では背の高いほうの部類だと思うけれど、それでもこうして向かい合うと、ディーターのほうが頭頂ひとつぶん高い。
 しかし今の二人には、それ以上の差があるように見えるのだ。
 構えに入ったディーターは大きかった。華奢だなんて思ったのが嘘のように、逞しく見える。
 よく真剣勝負では、強い気を持つ者ほど大きく見えると言われる。相手の大きさに呑まれた側が萎縮して、戦わずして負けると言うが、それなのか。
 私のような部外者でさえそう感じるのだから、戦いのなかにいる恒輝にはどう見えているのだろう。
 最初は、心なしか攻めあぐねていた。
 しかしさすがに、おじいちゃんの愛弟子。
 萎縮するどころか、果敢に討ってでた。
 鋭い突き。
 ディーターは右足を一歩引くと、竹刀の先でその突きを斜め下から受け止めた。
 恒輝は、さっと引き上げ、今度は大上段から打ち下ろした。
 ディーターも、敏捷に竹刀の根元で、その速攻を待ち受ける。
 しかし、ほんのコンマ数秒刀身を合わせただけで、恒輝は横払いでディーターの左脇腹をねらった。
 そうはさせじと、手首をかえしての迎撃。
 ディーターの竹刀はぐらりと揺れ、彼の端正な顔が衝撃の重さに引きつる。
 目の醒めるような、恒輝の三段攻撃だった。
 それを受け止めたディーターも常人の動きではなかったが、いかんせん竹刀を持つのは今日初めて。
 長くて重い得物の、バランスを取りかねているようだった。
 恒輝は、今の一連の動きで相手の力を見切ったとばかりニヤリと笑うと、前にも増して重さを加えてめったうちに仕掛けてきた。
 いったん守勢に回ると、ディーターは反撃のチャンスを見出せなかった。
 スピードに乗った恒輝の全体重をかけた攻撃は、熾烈を極める。
 慣れない武器は思うにまかせず、道場の床を渾身の力で踏みしめる彼の裸足のつま先は、白く変色している。
「あっ」
 私は、思わず大声で叫んだ。
 恒輝の左からの払いを竹刀で受け止めそこね、ディーターがバランスを崩し、上半身が大きく泳いだ。
 待ってましたと、恒輝が上段から、その左肩めがけて打ち下ろす。
 勝った、と、恒輝ならずとも確信しただろう。
 しかし。
 次に繰り広げられた光景は、目を疑うようなものだった。
 ディーターは、右方向に大きく傾いた上半身を低く沈め、信じられないほどの脚のバネで引き戻し、逆に恒輝のふところに潜りこむと、竹刀の柄の先で恒輝の胸部を突いたのだった。
 恒輝は声にならない悲鳴を上げると竹刀を落とし、みぞおちを押さえて、海老のように身体を折り曲げながら、床に崩おれた。
「ゲ、ゲホ、ゲホッ」
 ようやく息ができるようになると、恒輝は激しく咳き込んだ。
「な、何や、今のは、反則やぞ!」
 涙を流して咳き込みながら言うセリフは、まだまだ負けていない。
「あほか。葺石流に反則なんて、あらへん」
 鹿島さんが、愉快そうにクツクツ笑った。
「柄の先だろうが、刀の鞘だろうが、使えるものは何でも使うのが、真剣勝負ちゅうもんや」
「ち、ちっくしょう!」
 悔しさに、床に拳を震わせている恒輝に、ディーターがすっと右手を差し出した。
"Haben Sie sich verletzt?(怪我はだいじょうぶ?)"
「は?」
 ぽかんと見上げた恒輝に、彼はさらに、天使のような笑顔で続けた。
"Sacken Sie nicht in sich zusammen. Wirklich war ich vom Glueck begunstigt.(気にしないで。僕は運がよかったんだ) "
「あ、ああ」
 恒輝はわけのわからないまま、ディーターの差し出した手を取ると、立ちあがった。
 私は、くすっと笑った。
 ディーターが、ドイツ語らしき言葉で何を言ったかはこのときの私はわからなかったが、わざと恒輝に理解できない言葉で話しかけたことは間違いなかった。
 素人に負けて、内心忸怩たる思いをしているはずの対戦相手が、勝利者の手を素直に受けるはずはない。
 わからない言葉で煙に巻いて、どさくさに試合後の握手までしてのけたディーターの繊細な心配りに、私は気づいてしまったのだ。
 鹿島さんは、「ほら、ふたりとも、試合後の礼!」と怒鳴りながらも、私と同様、笑いを噛み殺した顔だった。
 もしかして、はじめっからこんなふうに自然に、同門の士たちにディーターを認めさせるのが狙いだったとすれば、師範代、おそるべし。
 そしてもうひとり、えらく長いトイレだったはずの、扉のかげに潜むおじいちゃんも。
 たぬきだわ、こりゃ。


 稽古が引けると、藤江伯母さん、恒輝もまじえて、ディ―ターの歓迎夕食会が開かれた。恒輝は実は、稽古の日はしょっちゅうこうやって我家で晩ご飯を食べて帰る。
 この夜は、英語と日本語とドイツ語とタイ語が混じる、それは賑やかな食卓だった。和食中心のメニューだったが、ディーターは器用に箸をあやつった。タイでいつも屋台のラーメンを箸で食べていたという。
 夕食の後、ディーターのこれから住むアパートに、恒輝も無理やり引っ張って一同で出かけた。
 ふとん。タオル。食器。
 とりあえず当座の生活に必要なものを、うちにあったもらい物の中から適当に選び出し、人海戦術で運んだ。
 そこは、うちから徒歩で三分ほどの、新築アパート。
 震災前は、文化住宅と呼ばれる二階建てのアパートだったが、震災で一階部分が押しつぶされ、三人の住人が亡くなった。
 昨年新しく建て直され、中庭らしきもののついたしゃれた造りになっていた。その二階の隅がまだ空家になっていたのを、鹿島さんが押さえておいてくれたのだ。
 実は、ここの大家さんのおばさんは、我が家が古くから懇意にしてもらっている、このあたりの地主さんだ。
 今日び、身元の不確かな外国人を門前払いする大家も少なくないだけに、こういう存在はありがたかった。
 全てが終わって、ディーターにおやすみを言ったのは、もう11時近くだった。
 近くのマンションでひとり暮しの鹿島さんや、尼崎の家に帰る恒輝と別れ、家に戻りかけると、私はあっと、失念していたことを思い出し、来た道を取って返した。
 ディーターのアパートに着くと、彼は、びっくりした顔で出迎えてくれた。
「あの、明日の朝ご飯、ブレックファスト」
 私は、途中のコンビニで買った牛乳とパンの入ったビニール袋を彼に差し出した。「晩ご飯は明日からも、うちで食べるのよ。わかった? じゃあ、おやすみなさい。」
 手をひらひらと振って、背を向けて階段を下り始めた私を、彼はあわてて追いかけてきた。
 身振りで、私をうちまで送るという。
「だいじょうぶよ。ひとりでも。ジャパン、セーフ」
「ダメ」
 ディーターは無理やり私の背中を押し出すと、自分も横を歩き始めた。
 自分もくたくたに疲れているだろうに。なんだか悪いな。
 私は目を上げて、彼の横顔を見た。
 彼は、やさしい。
 今朝、最初に彼を見たときの、「彼は危険」と告げた私の直感と。
 今日1日彼と接したあいだに私の胸を捉えた、彼のやさしさ、純粋さと。
 私は、どちらを信じればいいのだろう。
 いや、もう答えは決まっていた。
 私は、彼を信じたい。
 彼は私の視線に応えて微笑んだ。
「ディーター」
「ハイ?」
「私の、名前は、円香。フロイラインやなくて、円香って呼んで」
「マドカ」
「それから……、ウェルカム トゥー アワ ファミリー」
 私は彼の目を見ながら、さっきまで心の中で何回も練習した英語を口にした。
 ディーターは何も言わず、私の身体を包み込むように、抱きしめた。
「アリガトウ。マドカ」
 私は、彼の声にあるせつなさと心細さに打たれるようにして、抱き寄せられるままになっていた。
 彼を、信じられると、思った。


 これから書くのは、単に私の想像である。
 実際に、見たわけではない。
 ただ、ディーターが日本に来た最初の日から、奴らが彼を間近で見張っていたのは、後からわかった数々の出来事で、ほぼ明白になったのである。
 その日の真夜中、夜陰にまぎれるようにして、ひとりの女性がディーターのアパートの前に立った。
 アジア系の外国人。革の黒いコート、鍔広の帽子をかぶり、油断なくあたりを窺いながら、彼の部屋に近づき、ドアを静かにノックする。
" Ewen, "
 彼女は囁くように、そう中に向かって呼びかけた。
 しばらくして、ドアが開く。
 人を凍えさせるような氷の瞳を持った男が、そこに立っていた。
 彼は、その女性を中に招じ入れて、ドアを閉めた。

Chapter 1 End


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