BACK | TOP | HOME



EWEN

Chapter 2

 次の日、高校へ行った私は案の定、ホームルームのあと職員室に呼び出された。
「ですから、ご家庭の事情とは? 葺石さん」
 慇懃な微笑をたたえてはいるが目は決して笑っていない、大の苦手な担任に私はしばらく苦しめられた。
「ええとですね。昨日も電話で申し上げた通り、ケルンにいる父の大変お世話になった大学教授が、突然朝、我家に来られまして、一日京都見物をされまして」
「そのような大切なお客様が、朝になって突然来られたのですか?」
「はい。もう、変人で有名な方で、父もおおあわてで私に泣きついてきまして」
 変人の教授にされてしまったディーターは、今ごろ大くしゃみだろう。
 とはいえ、若い男の子だなんて口をすべらそうものなら、先生にどれだけお説教されるか知れたものじゃない。
 私の通う私立女子高は、英国系のミッションスクールである。
 とにかく、お堅い。
 家から歩いて通えることと、剣道部があること、それに西宮の公立高校の、市内のどこの高校に行かされるかわからないという総合選抜制度のせいで、私はこの高校を受験することに決めたのだったが、入ってみてわかった。
 私には、女子高は合わない。
 土台、話が合わない。
 中学部から上がってきた、山の手のハイソなお嬢様たちの興味は、1におしゃれ、2に男である。
 コンサバも神戸カジュアルも、ショートカットを毎朝手櫛で流しているだけの私には、無縁な世界だった。
 ルイ・ヴィトンやプラダの自慢話は聞き流せばよいが、六年間の女漬け学校生活で、いかに男に対する妄執が恐ろしいものであるかは、部外者には想像を絶するものがあった。
 もっとも私も、いつまでも仲間はずれにはなりたくないので、適当に彼女らと話を合わせる術を学んだ。
 彼女らにとって、私のような異質の存在は興味の的でもあったので、いったん仲間に入ると居心地はよかった。
「金髪の、19才の、ドイツ人の、お・と・こ」
 教室に戻ってディーターのことをそう形容すると、彼女らは嬌声をあげて私の椅子の周りに群がってきた。
「おまけに、超美形」
「ほ、ほんとに?」
「うん、まるで、聖画に出てくる大天使ミカエルみたいやで」
 本当は、聖画のミカエル様なんて見たこともないのだが、おタンビーな友人たちは、それでイチコロだということは知っている。
「円香、写真撮ってきてぇ、お願い!」
「はいはい、生写真、一枚500円ね。予約はお早めに」
 ほくほくと収支を勘定している私に、隣の席の高地 瑠璃子(こうち るりこ)が囁いた。
「あんた前は、鹿島康平の生写真で荒稼ぎしとったな。ほんま、商売のネタが、勝手にころがりこんでくる家やなあ」
「なに言うてんの。あんな家やから、商売でもせえへんと、やってかれへんのやない」
 瑠璃子は私と同じく、公立中学からの編入組。私と一番気の合う友だちでもあった。
 文芸部所属。同人誌を発行する、未来の小説家である。
「でも、アジアを放浪してたヨーロッパ人なんて、なんか怪しいなあ」
「なにが、怪しいの」
「タイにいてたんやろ。麻薬中毒になっとるか、同性愛者でエイズうつされてるかもしれへんで」
 タイのみなさん、ごめんなさい。
 瑠璃子を弁護すると、彼女も含めて、私たち女子高生の世界認識はその程度のものだった。
 タイといえば、黄金の三角地帯。麻薬の巣窟。首都バンコクと聞いても、泥水のジャングルに高床式の家が立ち並んでいるという風景しか思い浮かばない。(神戸よりよっぽど大都会やで、と祖父は言っていたが)
「それとか、本国にいられへんような何か悪いことをして、逃げ回ってんのとちゃうか」
「ディーターは、そんな子やあらへん」
 私は、むきになって弁護した。
 瑠璃子は、クスクス笑った。
「あんた、よっぽどその子のことが、気に入ってるんやな。一日で惚れてしもたんか」
「あほ」
 とは言うものの、実は私もはじめのうちは、漠然と彼にそんな疑いを抱いていたのを否めない。
 ひとめ見たときのディーターの第一印象は、冷たい氷のような人間だった。
 もっとも、昨日一日彼と接した今は、そう感じたのがまるで何かの夢に思えるほど。
 英語の授業が始まると、私は今日から心を入れ替えて集中することに決心した。
 4年以上英語を習っていながら、簡単なことさえディーターに伝えられないなんて情けない。
 うん、目標があれば、人間やる気が出て来るというもの。
 だが、退屈。ううう。眠い。
 やっぱり、がんばるのは……明日から、かな。


 ところが数日もすると、私のディーターに対する印象は再びかなり修正された。
 瑠璃子の言ったとおり、こいつは不良だ。
 水代わりにビールをぐいぐい飲む。タバコも平気でふかす。
 耳にピアスをしていることは初めて会ったときから知ってはいたが、まさか乳首にまでピアスをしているとは知らなかった。最初見たときは、のけぞった。
 おまけに二の腕には、小さなバラの刺青まで入れている。
 ピアスも刺青も、バンコクで友人のやっているアングラの店でしてもらったものだと言う。
 おまえは、安手のパンクロッカーか。
 もちろん、ドイツ人の彼にとっては、ビールもタバコも違法ではないし(ドイツは18歳で成人だ)、乳首ピアスも刺青も法に反したことではないのだが。
 それでも普段の私なら、そんな奴は別世界の人間として拒否反応を示しただろう。
 親からもらった体を大事にすべしというのが、私のポリシーだ。
 本当はチャパツだって断固よくないと思っている。自分でも固すぎると思うが理屈ではない。
 だが不思議なことに、ディーターを見ても、不潔だとかけがらわしいという嫌な感覚は湧いてこなかった。
 彼自身が、何にも固執していないのだ。
 ただ周りの若者がやっていたから、やったという程度の感覚。
 その証拠に、私がタバコにアレルギーがあるとわざと咳をしながら言ったら、その日からあっさり吸うのをやめてくれた。
 実はこれは、鹿島さんのときにも使った手である。
 嘘ではない。本当に私は喘息もちだったのだ。ただし小学校の低学年で直ってしまったが。
 でも、鹿島さんはタバコをやめるのにかなり苦しんでいたなあ。挫折すること4回。禁煙キャンディーのお世話にならなくなったのはやっと震災の前のことである。
 それに比べれば、ディーターの禁煙は、まるで要らない物を捨てるように簡単だった。
 彼は日本に来てしばらくすると、自分で建設工事の現場のバイトを見つけてきた。
 もっと楽な仕事をすればいいのにと思うが、タイでもこうして生活費をかせいでいたらしい。
 言葉が不自由でも支障がないし、体力をつけるにはもってこいの仕事なのだそうだ。
 業界に知り合いの多い鹿島さんが先回りして、モデルの仕事の口をあたってきてくれたが、ディーターは丁重に断った。写真を撮られるのは大嫌いだ、って言ってた。
 それを聞いて、彼の生写真でぼろ儲けするつもりだった私は真っ青になった。
 お願い。私、高校で剣道部とかけもちで、写真部に入ってるの。後生だから、少しだけモデルになって。
 写真部なんて、私が入ってるはずがないと知っていた鹿島さんだが、仕事を蹴られた恨みも手伝って、大喜びでそう通訳してくれた。
 ディーターは不承不承、気づかないうちに撮るならと承諾した。
 震災から4年も経つと、さすがに一時の建設ラッシュは去ったが、それでも空き地はまだあちらこちらに残り、大型ビルの工事の騒音が街から絶えることはなかった。
 ディーターは、毎朝8時ごろから昼過ぎまで働いてから、うちの家に来るようになった。
 そして、道場の裏手の水道のところで汗まみれのTシャツを脱ぎ、石鹸で洗う。ついでに頭まで石鹸で洗ってしまう。シャンプーなど、この数年使ったことがないそうだ。
 人目を気にしなけりゃ、きっとその場で裸になって、全身洗ってたりするだろうとさえ思える。
 例の乳首ピアスは、その現場を目撃したときに発見したことだ。
 いつかこれを写真に収められれば、きっと5千円はカタイだろうと、ひそかに狙っている。
 洗濯がすむと、ハンガーにTシャツをかけ、次の日まで干しておく。
 道場での稽古が終わって、うちでご飯を食べてアパートに帰ると、同じようにまた洗濯しているらしい。
 3枚しかTシャツを持っていないので、こうするしかないのだ。
 そのほか、長袖シャツが2枚、ジーンズも2枚、靴は一足っきり。あとは下着。
 それが、彼の持っている衣類の全てだった。
 最初の日に肩に下げていた小さなバックパックだけが、彼の持ち物だったのだ。
 見かねて鹿島さんが、自分の古い服をあげようかと言ったらしい。
 でも。彼の答えは、今はいい。これが破れたらそのときもらう、だった。
 これほどものに執着しない人間は、初めて見た。
 大震災を味わった多くの人は、ものを持つことのわずらわしさ、はかなさを身に沁みて体験したはずだが、4年もたつと、すっかり身の回りには、ものが溢れかえっている。
 ものを持つことは、人間の安定への欲求を満たす。ものを得ることが生きる目標にさえなる。
 ディーターには、その欲望がなかった。
「あの子ってね、ときどき、修道院かどこかで育ったんやないかって、思うことあるよ」
 私は、祖父にしみじみ感想を漏らしたことがある。「怒ったりしたの、見たことないもん」
「そうかな。稽古のときは、けっこう激情家やで」
「へえ。そやの?」
「武道家に必要なだけの、闘争心は持ち合わせとる」
「素質は、ありそう?」
「素質って言葉では、はかれんものを持っとるな。足腰の強靭さは桁外れや。さすがに、ムエタイを修行してただけのことはある。でも、それだけやのうて…」
 祖父は、厳しい表情で目を細めた。
「命のやりとりを経験したことがある者の、持つ目をしとる」


 関西は、六月に入るとまもなく梅雨入りした。
 最初のうちは毎日しとしとと雨が降り続き、ディーターのビル工事の仕事も、休みになることが多かった。
 休みの日、彼は一日中うちの家に来て、道場の拭き掃除や風呂場の掃除を引き受けてくれた。
 またそんな日は、藤江伯母さんもご主人をほったらかしては、いそいそと朝からやってきて、自分の息子より若いドイツ人の男の子を相手に、掃除がてら、おしゃべりするのを楽しみにしているようだった。
「円香ちゃん、ほんまにええ子やね。ディーターって。よう働くし。素直やし。うちのばか息子どもときたら、実家にも寄りつかんと、あの子の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。なあ、お婿さんにするなら、あの子みたいな子がええで。早く唾つけときや」
「だから、そんなこと、考えてませんってば」
 学校がひけて家にもどり、伯母さんの茶飲み話に付き合わされた後、私は道場に向かった。まだ門下生たちを迎えるのには早い道場は、暗く静まり返り、外の篠つく雨が屋根を叩くこもった音が響いている。
 西の鎧戸を上げた窓の近くの、ほの明るい床の上に、ディーターが寝ころんで昼寝をしていた。
 私は、床をきしませないように細心の注意をはらいながら、彼のそばに近寄った。
 蒸し暑い雨の午後、黒光りのする床のひんやりした冷たさをいとおしむように長い四肢を伸ばして、軽い寝息をたてている。
「きっと、疲れてるんやなあ」
 工事現場でのきつい仕事のあとの、稽古の毎日。それでなくても、異国で過ごしたはじめの二ヶ月は、私の想像以上に、しんどいものだったに違いない。
 私は彼の寝顔を覗きこんで、笑いを噛み殺した。
 あどけない顔。私より3つも年上なのに、子どもみたいだ。
 ふと、私はその瞬間に悟った。
 そうだ。
 ディーターは、子どもみたいなのだ。
 だから刺青も、乳首のピアスも、いやらしく感じない。
 ちょうど小さい女の子が、お母さんの鏡台をいじって口紅をつけて遊んでいる、あの感覚。
 遊びだから、何にも執着する必要がない。
 エニグマやブンデスリーガが好きだというのも、ドイツ人が好きそうなものをなぞっているだけ。
 まるで、どこかの星から来た異星人が地球人になりすまして、すこし不良っぽい放浪癖のある男の子を演じているだけ。
 目の前にいる彫刻のように美しい若者のどこかはかない存在感に、私は夢に迷い込んだように、取り止めもなく不毛な空想を繰り広げた。
 いやや、私ったら、おタンビーな友人たちに完全に毒されてる。
 そっと立ちあがろうとした瞬間、ディーターの翡翠色の瞳が私を捉えたので、私は「キャッ」と叫んで尻餅をついた。
「ごめーん、起こすつもりやなかったんやけど。よく寝てたね」
「ウン、寝テタ」
 彼は目をこすりながら、上半身を起こした。
 ディーターの日本語会話は、二ヶ月でずいぶん上達した。この頃は、二語文から三語文がしゃべれるまでに進化している。ちょうど日本人の3歳児程度というところか。
「学校、キョウハ、早イ」
「うん、先生の会議。クラブもなしやったの。つまんない」
「ツマンナイ?」
「あっ、そうや。ディーター、今から、手合わせせえへん? 私の剣道の相手になってよ」
「イイヨ」
「防具がないから、形だけよ。本気で打ったら、あかんからね」
 壁から二人分の竹刀をとって、一本を彼に渡した。
「葺石流とちょっと違うの。足の位置は、ここ。構えは、こう」
 私は彼の横に立って、実演してみせた。
「打てるのは、面と、胴と、小手と、突き。足をはらったりはできないからね」
 私たちは向かい合って構えをとると、立ちあがった。
 目の前のディーターを見て、ぎょっとした。
 大きい。これじゃ、面なんか打てやしない。
 それだけではなかった。
 どこにも打ち込む隙がないのだ。ただ、ゆったりと構えているだけなのに、どこをどう打っても全部受け止められてしまう、という気がする。
 ともあれ、三本勝負はあっというまに決まってしまった。私の、完敗だ。
「悔しいっ!」
 私は、息を切らせながら道場の床にへたりこんだ。
「なんで、初めて間もない子に、こんなにあっさり負けてしまうの!」
 自慢ではないが、学校の部活では敵なし。県大会の常連なのだ。これでも。
 ディーターは、といえば、汗もかいていない。
 恒輝が最初の晩、彼に負けたとき、ふとんで一睡もできなかったと言っていたが、わかるような気がする。
「あんねえ、少しは、手加減しなさいよねっ」
「手……カゲン?」
「わざと負ければいいの。三回に一回くらい」
 私の言うことも、むちゃくちゃだ。
 ディーターは、苦笑している。「次ハ、ソウスル」
「いいよ。やっぱり。そんなの、勝ったって嬉しくないもん」
 私はつまらなさそうに、膝をかかえこんだ。
「ディーター、ドイツでフェンシング、やってたの?」
「ウウン」
「学校で、クラブは何かやった?」
 彼は心なしか、目を曇らせた。
「学校ハ……行カナイ」
「高校は、行かなかったの? 中学にはクラブとかなかったの?」
「学校、行カナカッタ」
「え?」
 私は、混乱した。ドイツの学校制度って、いったいどんなだっけ。確かギムナジウムとか職業学校とかに分かれるんだったよね。でもどんなコースでも最低、小学校くらいは行くよね。
"I have never been to any schools."
 私がわからなかったのだと思って、ディーターは英語で繰り返した。
 でも、わからなかったわけではなく、私の頭が聞いたことを信じなかったのだ。
 よほど貧しい国ででもなければ、学校へ行った事がないなんてことがあるだろうか。
 そのときの彼の顔は、とても悲しくて辛そうだった。
 私は聞いてはいけないことを聞いたことに気づいて、あわてた。
「今日はつきあってくれて、ありがとう」
 わざと元気に立ちあがると、私は何もなかったかのように坐っている彼の後ろにまわり、肩に手を置いた。
「お礼に、どこか行こう。あさっての日曜日。まだ観光、どこも行ってへんやろ」
「カンコウ…」
「サイトシーイング。京都や奈良とか、姫路城とか、日本の古いお寺とか」
「別ニ、イラナイ」
 ディーターはいたずらっぽく、道場のしみの浮き出た天井を指差した。
「コノ家、古イ。イツモ、見テル」
「あ、そうだよね」
 考えてみれば、うちの200年物の家も重要文化財級に古い。よそに観光になんか行かなくても、ここで十分、いにしえの日本を満喫していると、ディーターは言っているのだ。
「それやったら、観光は止めて、私とデートしよ」
「エッ」
「なんやの。そんなに驚かんでも。かわいい女の子からのデートのお誘いやで。断るつもりか」
 お誘いどころか、なかば脅しだ。
「すごーく、行きたいやろ」
 彼は、クスクス笑って答えた。「ウン、行キタイ」
「どこにしよ。何が、したい?」
「ワカラナイ」
「今まで、デートしたことあるやろ。たくさん?」
「タクサン」
「いつも、何してたの?」
「セックス」
 私はその瞬間、目を剥いて、50センチほど後ろに跳び退った。
 ディーターはそんな私を見て、ひいひいおなかを抱えて笑っている。
「この男はぁッ!」
 私は真っ赤になって、そばにあった竹刀を、彼の頭に振りかざした。
「女の子の前で、モロに、そういうことを言うかっ!」
「ゴメンナサイ」
 全く無邪気で屈託のない彼に比べて、つい生々しいことを想像して身体を火照らせている自分が、情けない。
「ゴメンナサイ。ソレニ、嘘ツイタ。デートハ、3回ダケ。タクサン、ジャナイ」
「3回?」
「ドイツ、1回、バンコク、2回、全部、映画ヲ、見タ」
「ふうん、映画が好きやのん?」
「シャベラナイ、カラ」
 へえ、案外遊んでないんだ。ディーターなら、どこにいても女の子のほうからほっとかなかっただろうに。
 それに、しゃべらなくてすむから、映画に行っていたなんて。
 相手がタイ人の女の子なら、言葉の問題があったろうけど、ドイツ人でも話すことがなかったのだろうか。
「よし、それやったら、映画に行こう。あさってね」
「日曜、朝、ミサニ、行ク。昼カラ、ダイジョウブ」
「あ、そうか」
 彼は、カトリック教徒だ。夙川にあるカトリック教会に毎日曜行っているのを忘れていた。
「じゃあ、夙川駅の前で、12時でいい?」
「ウン」
「どんな映画が、見たい?」
 これには、即答が返ってきた。
"HongKong action movie."


 梅雨の後半は、晴れて暑い日が多かった。
 私は待ち合わせの時間に少し遅れて、夙川駅に急いでいた。
 遅れたわけは、その1、いつも履きなれないフレアのスカートなんぞクローゼットから引っ張り出していたから。
 その2、口紅を塗っては拭き取り、また塗る、を繰り返していたから。
 その3、パンプスが靴箱の奥に隠れてて、どうしても見つからなかったから。
 おまけに玄関の鏡の前で、うん、いけてるよね。だけど、ああ、やっぱ、似合わないかなあという、逡巡のひととき。
 要するに、デート慣れしていない自分が悪いのだが、ほんとうに、こういうのってめんどくさい。
 今ごろ、ディーターは教会で、神妙な顔して聖体拝領なんかしてるのかな、なんて考えていた。
 腕に刺青をしてるような若い子が、日曜になると、敬虔に神の前に額づくなんて気持がよくわからない。
 当時の私には、欧米人の宗教に対する概念、特にキリスト教に関することが全く理解できなかった。
 あれだけ平和を願っているように見える人々が、キリスト教の名のもとに平気で戦争を起こし、他の宗派の信者に徹底的に殺戮を繰り返すのは何なのだろう。
 宗教は、無力だということか。
 それとも、それだけ彼らにとっては命より大切なことなのか。
 夙川堤防の急な坂を登って、川沿いに下ると、駅のそばの橋の上にディーターが立っているのが見えた。
 川に向かって枝を伸ばす樹齢の高い松の木の下あたりで、橋の欄干に両腕をかけて、何やら一心に橋の下を覗きこんでいる。
 1羽の白いサギが、浅い川の水に細い足を浸して羽を休めていた。
 きっと、香枦園浜あたりから飛んできたのだろう。
 雨上がりの夏の濃い緑に打たれて、そのまばゆいばかりの白さは、たとえようもなく美しかった。
 駅前のロータリーに入ってきたバスが、不法停車の車に向かって割れたクラクションの音をたて、それに驚いたサギはさっと翼を広げ、海のほうに向かって飛び立った。
 彼はその姿を追いかけるように頭を巡らせ、そして、置いてきぼりにされた悲しい瞳をして吐息をついた。
 だが、すぐに私が立っているのに気づいて、笑顔を浮かべ手を振った。
「ごめん。待った?」
「チョットダケ」
「早く、電車に乗ろう。映画、12時40分からやから、急がへんと」
 いろんなことが言いたいのに言えない胸のつかえを感じながら、電車の切符を買った。
 あの白く美しい鳥よりも、私の隣にいる人間のほうがもっと美しく感じられて、私はまともに彼の顔が見られなかったのだ。


 映画はディーターの希望どおり、香港製のアクション映画だった。
 息もつかせぬほど展開の早いおもしろい映画だったけど、確かにこれではしゃべる暇もない。
 昼食の時間がなくて、マクドのハンバーガーを食べながらだったから、なおさらだ。
 ムードもへったくれもあったもんじゃない。
 まるで、小学生の男の子と来ているようなものだ。
 私たちは、映画が終わるとそのまま、映画館のあった「ヘップナビオ」のモールに自然と入りこんだ。
 映画を見終わったあとの軽い興奮も手伝って、私の舌はようやくいつもの調子を取り戻した。
「だいたい、ねえ。デートのときくらい、まともなかっこ、でけへんの?」
 私は歩きながら、思いっきりディーターにからんだ。
「そんな、よれよれのTシャツに、穴のあいたジーパンなんて。これやったら、必死でおしゃれしてきた私が、バカみたいやない」
「ダッテ、コレシカ、ナイ」
「買えば、いいやん。ああ、そこのショーウィンドウのスーツ、かっこええなあ。こんな服きた人と、デートしたかったなあ」
 ディーターは、さすがにムキになったようだ。
「ワカッタ。買ウ」
 彼はそう言って、その店にいきなり入っていった。
「ち、ちょっと、待って。ディーター。そこってば」
 ディーターは、ずんずんと店の1番奥まで入りこむと、正面のマネキンの着ているスーツに手を伸ばし、値札を掴んだ。
 私はあわてて、彼の横からそれを覗きこんだ。
「ひえっ」
"Um Gottes willen!"
 私たちは、信じられない桁の数字を見て、固まってしまった。
 多分ディーターにとっては、日本で見る最初の天文学的数字だろう。
「いらっしゃいませ」と上品な女性の店員が、にこやかに私たちに近づいてきた。
"S-Sorry, I was just looking."
「ご、ごめんなさい。間違いです!」
 二人とも顔を強ばらせて、ともかくもその場から逃げ出した。
「なんでいきなり、あんなとこ入るのよ。銀座英○屋って、一番高いとこやん」
「シ、知ラナイ」
「あんたの財布じゃあ、一生つきあいのないところやろな」
 そう言い合いながらモールの外まで出ると、自動車道路ぞいの往来の激しい舗道で、涙の出るまで笑いころげた。
「あ、あっち行こう。ヘップファイブやったら、高い店もないやろし、スターバックスでコーヒー飲もう」
 私たちは、船の舳先のように見える、隣り合ったもうひとつのモールに向かった。
 高級ブティックが軒を連ねていたさっきのところと違い、こちらの方は若者が気軽に入れる雰囲気の店が並んでいる。
 エレベーターで上の階まで行き、バーカウンターのような高椅子に並んで腰掛けて、コーヒーを飲んだ。
"Wie heisst es auf japanisch ?"
 ディーターは、透明なビルの壁の外を指差して、尋ねた。
「これは日本語で何と言うか」という意味だ。私が真っ先に覚えたドイツ語である。
 彼はしょっちゅうこう聞いてくるし、1度聞いたことばは絶対忘れない。たとえ忘れても、三度聞くことはない。すごい語学のセンスをしていると思う。
「あれは、観覧車、だよ」
「カンランシャ」
「乗ってみる? ちょっと恐いけど、いい景色やで」
「ウン」
 ヘップファイブの名物、屋上の観覧車に、私たちは切符を買って乗りこんだ。
 地上何百メートルになるのだろう。
 真下を覗くと、道路の豆粒のような自動車が見えさすがに足のすくむ思いがするので、遠くを眺めると、真夏のぬけるような青空の下で、鈍い灰色のきらめきを放つ淀川や緑濃い六甲連山が、まぶしく陽光を照り返す大小のビル群の向こうに、まず見える。
 公園の少ない大阪の街で、貴重な緑を提供している大阪城公園。細長い卵型の大阪ドームが光り輝き、存在を主張しているが、こうして上から見ていると、逆に大阪城のほうが斬新な建物のような気がしてくるから、不思議だ。
「いい景色だね。乗って、よかったね」
「ウン」
「ディーター、私ね、観覧車には、すごく大切な思い出があるの」
 私は景色を見やりながら、話し始めた。
「10才のとき、家族で宝塚ファミリーランドに行ったの。お父さんと、お母さんと三人で。夜になって、帰るまぎわになって、最後に観覧車に乗った。観覧車も遊園地も、ネオンがぴかぴかして、すごい綺麗やった。また来ようね、って約束したけど、行けなかった。 その次の日、お母さんが交通事故で、死んでしもうたから」
 彼がじっと見つめているのがわかったけれど、目を合わせられなかった。
「私、観覧車の中で、いったいお母さんとどんな話をしたのか、思い出そうとしたけど、思い出されへんかった。なんで、もっといっぱい、話ししておかなかったんやろう。なんで、もっとお母さんの顔をよく見ておかなかったんやろうて、後ですごく後悔した。でも、最後の夜に家族で過ごした思い出があるっていうのはきっと幸せなんだろうな、て今では思う」
 私は彼の顔を見て、急いで言った。
「ごめん。全然わからなかったやろ。すごい早く、しゃべりすぎたね」
「ダイジョウブ」
 ディーターは、首を振った。
「ドクトル・フキ、ヨク話シタ。オクサン、ノコト、マドカ、ノコト」
「お母さんのこと、何て?」
「トテモ、愛シテイタ、ト」
「私のことは?」
「毎日、会イタイ、言ッテタ。写真、イツモ、机」
「へへっ、ばか親父め。いいとこ、あるやない」
 私は嬉しくなって、にやけてしまいそうになり、俯いた。
「マドカ」
「うん?」
「ボク、ハ、コドモノ、トキ、ナイ」
「え?」
 今度はディーターが私から目を反らし、観覧車の外を見ていた。
「思イ出ス、15歳ヨリ前ハ、ナイ」
「き、記憶が、ないの?」
「キオク?」
「メモリーのこと」
 彼は、頷いた。
"I have no memories of my childhood before fifteen."
「じゃあ、学校に行かなかったのは……」
「ズット、病院ニ、イタ。病院ノ中ダケ」
 ディーターは穏やかに、しかし少し淋しげに微笑んだ。


 その日の夜、私は祖父の部屋の障子を開けた。
「おじいちゃん。ごめん。さあ、鹿島さん、入って」
 鹿島さんは神妙な顔で私の後ろから入ってくると、祖父の下座に腰を下ろした。
「ディーターのこと、お父さんの手紙に何て書いてあったのか、教えて」
 二人は、顔を見合わせた。
「円香、それは……」
「ええの! 私だけ知らへんのは、もうたくさん! 知らへんから、ディーターのこと、いっぱい傷つけてしもうた。今から考えたら、変なことばっかり聞いて。学校のこととか、子どもの頃のこととか、私だけ家族の思い出話なんかして。……きっと、いっぱい、傷つけた。
教えて。いったい、ディーターに、何があったん?」
 観念して、鹿島さんが告白した。
「俺に来た手紙には、彼は、葺石先生の患者だと書いてあった」
「……」
 私は唇を噛みしめた。
 この手記には初めて書くことになる。私の父、葺石 惣一郎の職業。
 父は、精神科医だ。
「彼は2年間先生のところに入院していた。自分の名前以外の記憶を全く失っていたそうだ。懸命の治療をしたが、とうとう記憶は戻らんかった。先生は、失った人生を取り戻せるほど豊かな経験をしてほしいと願って、ディーターが世界中に旅することを許し、それから葺石家に預けることにしたと、書いてはった」
「何で……、何で、私には言うてくれへんかったん。先輩の教授の息子やなんて、嘘ついて」
「嘘やあらへんと、思う。身寄りのない彼を、医者のひとりが引き取って、養子にしたんと違うかなあ」
「……ひとことくらい、言うてほしかった」
「ごめん」
「違う。お父さんのことや。私には、大事なこと何ひとつ相談してくれへん」
「円香」
 無口な祖父が、口を開いた。私が自分の気持ちを処理しかねているのを感じたのだと思う。
「惣一郎は、円香にはディーターに自然に接してほしかったんや。同情や、変な先入観を持ってほしくなかったんやと思うで」
「でも、知っていれば余計なこと言わんで済んだ。ディーターは、私が根掘り葉掘り聞くのがいたたまれなくなって、しょうがなく自分のことを」
「そうかな」
 鹿島さんは、微笑んだ。
「彼は、円香ちゃんだけには本当のことを知ってほしくて、打ち明けてくれた、そういう気ぃするな。それだけ円香ちゃんには心を開いとるって」
「……」
「わしへの手紙に書いてあったのは、な」
 祖父が、後のことばを引き取った。
「ディーターは記憶喪失になる前、なにかとても悲惨な体験をしたらしい。たくさんの人が周りで死んだそうや。何故かは書いてなかったけどな。もしかすると、それが記憶喪失の原因やったのかもしれん。わしがタイのクワイ川で見たむごい戦場の地獄絵を、戦争の悲惨さを、彼に語ってほしいと惣一郎は言うとった」
「俺は、武道の真髄をディーターに伝えてくれ、自分と戦うことを教えてやってくれと頼まれた」
 私は鹿島さんの顔に、そして祖父の顔に、交互に視線を移した。
「じゃあ、私は、私のすることは……」
「彼のそばにいてあげること、今までどおりにすること。それで、いいんやないかな」


 私は、その夜泣いた。
 普段涙を見せない分、いったん泣き出してしまうと止め方がわからないのが、私の悪いくせだ。
 ディーターのことが、いとおしくてたまらなかった。
 たった4年分の記憶しかなくて。
 自分の本当の家族の、顔も思い出せなくて。
 どんな悲しい思い出だって、持ってさえいればそこから出発できるのに、それもなくて。
 どれほど心細かっただろう。
 淋しかったろう。
 そして、決心した。
 私たちが、ディーターの家族になろう。せめて日本にいるあいだだけでも。
 彼の、祖父に、兄に、妹に。
 彼に15年分の記憶に勝るくらいの、すばらしい思い出を作ってあげよう。
 私は、まだ気づかなかった。
 ディーターを必要としているのは、実は私のほうであることに。
 そして。
 彼の失われた記憶と思っていたものが、すぐそばに、狂気の現実となって迫っていたことに。

Chapter 2 End


NEXT   |  TOP | HOME

Copyright (c) 2002 BUTAPENN.