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ギャラクシー・スクランブル5
〜 Galaxy Scrambles 5 〜






『火星独立解放戦線』
 と、男は名乗った。
 交わされた数十秒の会話を、通信士のチェンはすぐさまYX35便の船内無線で流した。
『われわれは、貴船の指揮権を要求する。こちらは2名の貴船の乗組員を人質としている』
「信用できない。そっちに人質がいるという証拠を見せろ」
『声を聞かせたいところだが、それは無理だ。ふたりとも意識を失っているのでな。一等航宙士の服を着た方は、胸部を負傷している』
「なんてこった! あの救助信号は奴らの罠だったのか。宇宙法を逆手に取った卑怯者め」
 機関長のタオは持っていた飲料水パックを床に叩きつけた。
「先月の銀河連邦会議での火星開発法の延長に関する議決を、奴らは不当な植民地差別だとぬかしおる。暴力至上主義者め。まったくもって、怒りの矛先が違うわい」
「何と返答しましょう」
 心細げなチェンの問いに、メカニックチーフのスギタはうめいた。キャプテン・三神不在の場合、タオの次に年長で経験のあるスギタが船長代理を務めることになっている。
「要求を飲まざるをえんだろう。奴らは人殺しを何とも思っていないテロリストだぞ」
「あのキャプテンが怪我するなんて、そんな――」
 操縦士のエーディクが絶句した。
 このシップの誰よりも強く、無敵の存在。そう信じていたレイ・三神が、いともたやすく敵の手に捕らえられてしまったことに、クルーたちは一様に衝撃を受けていた。
「わかりました。あなたたちを本船に迎える。ただし人質の安全は保障してください」
『それは、おまえたちの態度いかんによる』
 無味乾燥な声が返ってきた。
『乗組員全員を、ブリッジに集めておけ。ひとり残らずだ』
 巧妙に隠されていた奴らの小型シップが【08廃棄ステーション】の影から姿を現わし、YX35便に横付けされた。
 たった一時間前にレイとランドールを送り出したエアロックのハッチが、招かざる客を迎え入れられるために開かれた。
 ブリッジに集まったクルーたちは口の中をからからにし、押し黙ってキャプテンたちの帰還を待つ。
 5人の武装した男たちが、さながら王の凱旋のようにブリッジに入ってきた。
 彼らがどさりと荷物のように床に投げ出したものを見て、女性クルーたちは悲鳴を上げた。
 糸の切れた操り人形のように完全に意識を失ったランドールと、プルシアンブルーの制服を血に染めたレイだったからである。
 先頭の男が、両手を後ろに組んで立つ。それ以外の四人は、手にした武器を掲げてクルーたちに狙いを定めた。
「船長は誰だね」
 リーダーらしき男は、おのれの優位を確信した、高飛車な目つきでゆっくりとブリッジの中を見渡した。
「わたしだ」
 スギタが険しい面持ちで、一歩進み出る。
「俺は『火星独立解放戦線』のフェルニゲシュだ。ただ今からこのシップは、わが軍の指揮下に入る」
「なにが要求だ」
「とりあえず地球に向かえ。あとのことは追って指示する」
「了解した。その代わり、このふたりの手当てをさせてほしい」
「だめだ。このふたりは人質だ」
「人質には、代わりにわたしがなる」
「その必要はない」
「必要はある!」
 雷鳴のような怒鳴り声が上がった。イタリア人のドクター・リノが、つかつかと前に出て険しい目でにらんだ。
「私は本船のシップドクターだ。早く手当てをせんと、その出血では死ぬぞ」
 そんなことは些細なことだとでも言うように、フェルニゲシュは目を細める。
 なおもドクターは吼えた。
「もしひとりたりとも死んだら、われわれ全員は、金輪際おまえたちの言うことなど聞かんからな! 太陽に突っ込むまで漂い続けてやる」
「ふっ。わかったよ」
 肩をすくめると、テロリストはコンソールパネルの前に座っている女性通信士に命じた。
「このシップの乗務員名簿を出せ」
「は、はい」
 ロロは、すばやくパネルキーを叩いた。
「23人か――」
 フェルニゲシュは画面に目を走らせた。
「23人、全員います」
 仲間のひとりがブリッジにいる全クルーの人数を数えて、報告した。
「YX35便キャプテン、第一級航宙士、レイ・三神」
 名簿の最初の行を、上質の酒でも味わうように、もったいぶって発音すると、敵リーダーはくすくすと笑い始めた。
「こいつは驚いた。俺と同じマジャール人の血が流れている、しかも宇宙一のパイロットと誉れの高いキャプテン・ミカミのシップに偶然行き会わすとはな。運命の女神もいたずら好きだ」
 そして、いきなりスギタの横面を殴りつけた。
「にせもののキャプテンどの。あんたの命じゃ安すぎるな。このシップのもうひとりの航宙士を人質にもらうことにする」
 床に倒されたスギタは、血のにじむ唇を手の甲でぬぐいながら、エーディクが兵士たちに両脇を抱えられて操縦席に座らされるのを、悔しげに見つめた。
 そのあいだに、ドクターは診療器具を手に、レイとランドールのもとに駆け寄る。
「ギヨーム、ドミンゴ。止血がすんだら、ふたりを医務室まで運ぶのを手伝ってくれ」
「だめだ。別室に行くことは許さん。ここで手当てしろ」
 敵の無情な命令に、ドクター・リノは憤怒の表情を浮かべながら、看護師に命じた。
「ハヌル。手術用具をここまで運んできてくれ。必要な薬剤もすべてだ」
「はい。すぐに」
「う……」
 航宙士の制服を裂いたとき、レイは苦痛のうめき声を上げて、目を開けた。
「……なんだ、ドクターか」
「もう安心だ、キャプテン。わたしが最善の処置をする」
「あいつらは……」
「ここにいる。このシップを支配下に置いたが、心配は無用だ」
「フェルニゲシュ(ハンガリー語でドラゴン)だなんて……バカにしてやがる」
 キャプテン・三神はおかしそうに笑いをもらすと、
「……こんなカッコ悪い姿、ユナには見せられねえな」
 それだけ言って、ふたたび無意識の世界に引きずり戻された。


 ランドールは目を開けたとき、夢とうつつの狭間で恐怖の叫びを上げた。
「しっかりして」
 そして、自分の見ているものが闇ではなく光であり、自分のいる場所が地獄でなくシップであり、自分の手を握っているのが死神ではなくハヌルであることを知った。
「もうだいじょうぶよ」
 小柄な看護師は、涙を目じりに溜めながら微笑んだ。「まだ痛むだろうけど、光線銃による軽い火傷と内出血だけだから」
「――キャプテンは?」
 弱々しく聞き返すと、ハヌルは顔をそむけた。その視線の先、ドクター・リノが屈みこんでいるその向こうに、レイ・三神が横たわっていた。
 酸素マスク、点滴キット、数台の手術用ナノマシンを胸部に取り付けている男は、まるで半分機械の体になってしまったかのようだ。
「ドクターがつきっきりで診ているけど、……危険な状態なの」
 ハヌルが震える声で説明する。
 ランドールはうちのめされて寝台に沈み、蒼穹のように青いブリッジの円天井を仰いだ。
「俺のせいだ」
「ちがうわ、あいつらのせいよ」
「いや、俺があんなところでパニクらなかったら、きっとキャプテンは奴らの襲撃にも即座に対処できていた」
 津波のごとく押し寄せてくる悪夢の記憶に、目をぎゅっとつぶる。
「俺が――、宇宙を恐れて逃げ出したりしなければ」
「いいえ」
 ハヌルは首を振った。「あなたのせいじゃない。きっとキャプテンも、あなたと同じくらいおびえて、とっさに動けなかったのだと思うわ」
「なに?」
 ドクター・リノは背中越しに言った。「さあ、もうおしゃべりはやめて安静にしていろ、トシュテン」
「え?」
 思わず聞き返そうとするランドールの唇を、ハヌルはそっと押さえた。
「きっと、キャプテンは助かるわ。トシュテン。私たちクルー22人がついてるんだもの」


 トシュテンは、女性のようにほっそりした体をパイプだらけの天井裏にそっと這わせて進んだ。
 YX35便の定員は23人。そのためランドール・メレディスの名前は、公式のクルー名簿には登録されていなかった。
 そこでキャプテン代理のスギタは、テロリストたちが乱入してくるわずかな間に、トシュテンに隠れることを命じたのだ。ランドールと彼は、同じ金髪碧眼。ランドールがスウェーデン人トシュテンの名を騙ったとしても、すぐにバレることはないはずだ。
 ハウスキーピングチーフのトシュテンはすべての部屋のマスターキーを持っているため、どこにでも入り込むことができる。とっさに手近な部屋にもぐりこんで奴らをやりすごすと、
「さて、どうするか」
 しばらく考え込んでから、天井裏に上がった。万が一にでも、敵に発見されるわけには行かない。
 そのまま、船尾まで這っていき、メカニックルームの前に到着した。
 軽やかに飛び降りると、ロックをはずして部屋の中に入る。
 メカニックの荒くれ男どもの巣窟は、脱ぎ捨てた制服や酒のボトルなどが、あちこちにころがっていた。
「うへえ。臭いよ、ここ」
 メカニックルームを重点清掃箇所とすることを固く誓いながら、トシュテンはおそるおそる計器類に近づく。
 電気系統を切るか。主制御装置をぶちこわすか。ビーム砲で機体の一部を爆破して、大混乱を誘うか。
「どれも、だめだ。シップ自体を動けなくしちまう」
 頭を抱えながら部屋を見渡したトシュテンの目に、4基の姿勢制御用ロケットのコントロールパネルが映った。
 以前、YX35便のすべての制御がイカれたことがある。そのとき、トシュテンもスギタたちを手伝って、このパネルを手動で動かしたことがあったのだ。
「これなら……」
 トシュテンの童顔に、天使のような微笑が浮かんだ。
 ロケットを自動制御から手動に切り替え、それぞれの噴射角度をめちゃくちゃに変えていく。
 フルチャージのランプが着いたとき、スラスターのノズルをレッドゾーンまで開いた。
 ついでトシュテンは、隣の機関室に走った。
「タオ、エンジンがイカレちまっても、僕を蹴飛ばさないでくれよ」
 叫びながら、ありったけの力でメインエンジンの逆噴射レバーを限界まで引いた。


「あのう、お祈りの時間なんですけど、神に祈りを捧げてよろしいでしょうか」
「だめだ」
「そんなあ。祈らないとわたし、病気になってしまいます」
 ニザームがぼそぼそと、武装した男のひとりに話しかけている。
 黙々と操縦レバーを握っているエーディクと、レイの治療を続けている医療チーム以外のクルーたちは、それぞれひとかたまりになって床に座り、鈍く光る銃口にさらされていた。緊張のあまり、泣いている女性クルーもいる。
「もうすぐ地球管制圏だな」
 フェルニゲシュは腕組みをしながら、モニターを見上げている。
「いったい地球に行って何をするつもりだ」
 低い声でスギタが訊ねた。
「銀河連邦政府と交渉する。開発法を即時廃止し、火星から連邦軍を撤退せよと」
「そんな要求を連邦政府が飲むはずなかろう」
「そのときは、このシップごと議事堂に突っ込む」
 男は、このうえなく恍惚とした表情を浮かべて、言った。
「本気で言ってるのか。おまえらも死ぬんだぞ」
 嫌悪をにじませながら、スギタが叫んだ。
「われわれの命など、何ほどのこともない。同志が後を引き継いでくれる」
「自分の命さえ軽んずるような人間どもに、惑星の運命など担わせるわけにはいかんな」
「ほざけ、じじい」
 フェルニゲシュは腰の銃を取り出して、スギタのこめかみに当てようとしたとき。
 突如、地鳴りのような振動がブリッジを襲った。
「……なんの音だ?」
 彼らが眉をひそめてあたりを見回していると、YX35便はがくんと揺れ、いきなり後退し、独楽のようにきりもみ回転を始めた。横付けしていた敵の小型シップも吹き飛ばされる。
 突然の事態に、テロリストたちは大きくバランスを崩した。
 しかし、シップクルーたちは予想していた。トシュテンが何かを驚くような事件を起こすことを固唾を呑んで待っていたのだ。
 体を泳がせた侵入者たちに、男性クルーは一斉に飛びかかった。
 エーディクも、両側にいた武装兵士のひとりに組みついた。
 ランドールは、ドクターたちとレイ・三神をかばって兵士のひとりの前に立ちふさがった。
「くそっ」
 怒号。乱闘。光線銃のビーム音。何かの倒れる音。壊れる音。
 やがて、エンジンが止まり、シップは停止し、ブリッジの中に静けさが戻った。
 女性クルーたちがおそるおそるコンソールの下から這い出して見たものは、5人のテロリストたちが組み伏せられている光景だった。武器もすべてクルーたちの手に掌握されている。
「やったぜ」
 一瞬、船内は歓声に包まれかけたが。
「エーディク!」
 つんざくような誰かの悲鳴が上がった。
 第二級航宙士のエーディクが右腕を真っ赤な血に染めて、壁ぎわで照れくさげに座り込んでいる。
「……たいしたこと、ありません」
「まったく、今日はなんて日だ」
 ドクター・リノが大声で叫びながら、突進してきた。「俺を過労で殺すつもりか!」
「あはは、いてて……」
 エーディクは痛さに顔をしかめながらも、なおも笑おうと口元を引きつらせている。
 ある重大な事実に、真っ先に気づいたのはチェンだった。
「なんてこった。YX35便を操縦できる航宙士が、もういない――」


 ドクターが来て、耳元にささやいた。
「キャプテンが、きみを呼んでる」
 ランドールは、通路を渡って医務室に向かった。
 不法侵入者たちは厳重な拘束のうえ船倉に監禁され、修理と調整を終えたシップ内の喧騒は終わりを告げつつあった。
 医務室のカウンターのすぐ後ろでエーディクが椅子に座り、ハヌルによって右腕にナノマシンの細胞修復をほどこされていた。
「具合はどうだ」
「だいぶいいですけど、でも治療には、あとしばらくかかりそうです」
 と困ったような笑みを見せる。
 奥のエアカーテンの向こうでは、レイ・三神がベッドに横たわっていた。
 傷の処置は終わったものの、まだ酸素と薬剤の投与を受けている。顔は紙のように白く、体はいつもの半分くらいに小さく見えた。
「絶対安静だ。そのつもりで」
 医師が短く忠告する。
「キャプテン」
 ランドールが呼びかけると、レイはゆっくりと目を開けた。
「キャプテン、すみません。あんたを怪我させたのは、俺だ――」
「頼みがある」
 かすれ声の謝罪など聞きもせず、薄茶色の目でまっすぐにランドールを捕らえる。
「このYX35便を、地球までおまえが操縦してくれ」
「な、なにを」
 ランドールは、耳を疑った。
「俺もエーディクも、見てのザマだ。おまえのほかに航宙士の免許を持ってるヤツは、ここにはいねえ」
「けど、俺はこんな大きなシップを操縦したことはない」
「おまえなら、できる」
「無理だ!」
 むちゃくちゃに首を振って否定する。
「俺には……無理だ。だって――」
「操縦レバーを握るのが、恐いのか」
 静かな問いかけに、びくりと体を震わせる。
「体が痺れ、レバーを持つ手が震える。意識が遠のきそうになる。頭の中が隕石にぶつかったときの恐怖でいっぱいになり、何も考えられない」
「なぜ……そのことを」
「俺も、同じだからさ」
 酸素マスクの中で、口元が笑うのが見えた。
「あ……」
 ランドールの脳裡に、コンピュータで調べたレイの経歴がよみがえる。
「俺も、恐くてたまらねえんだ。4歳のときのアステロイドベルトでの事故の記憶が、いつも手足をすくませる。少しでも気をゆるめたら、操縦席から逃げ出して、無様な格好で隅に隠れていたくなる」
「まさか」
 ランドールは突如、すべてを理解した。今までにレイが彼に対して行なってきたことのすべての意味を。
「まさか、あんたは、俺が自分と同じ恐怖に囚われていることを知っていて――」
「……」
「それで俺をこのシップに誘ったのか?」
「ランドール・メレディス」
 キャプテン・三神は、ドクターが冷や汗を出すほどの大声で宣言した。
「おまえを、たった今からYX35便の操縦士として任命する。――このシップで好きなように遊んでこい」


 ブリッジ中のクルーの視線を感じながら、主操縦席に着いた。
 モニターに映っている暗黒の宇宙を見ただけで、体が奈落の底に落ちていくような気がする。手の指が自分のものではないみたいに、遠い。
「無理だ、やっぱり。俺にはできない」
「ランドールさん、落ち着いて」
 負傷した右腕を固定具で固めたエーディクが、隣の副操縦席から呼びかけた。
「そうだ、目をつぶってみてください」
「目を?」
「何も見ずに、操縦レバーに手を伸ばして」
「こ、こうか?」
「視覚の力を借りずに、触感だけに頼るんです。キャプテンも、落ち着くためによくやっています。コーヒーカップを置く場所にこだわっているのも、操縦レバーの位置感覚を狂わせたくないからなんですよ」
 ランドールは、レバーを握る手に神経を集中させた。ざらざらとした手触り。いつもこれを握っている、あの男の体温が伝わってくるような気さえする。
「エンジンの音に耳をすませて。シップ全体を思い浮かべて。僕はそう教えられてきました。シップを動かそうとするんじゃなく、シップといっしょに動けと」
 大きく呼吸して背筋を伸ばし、もう一度操縦レバーをやわらかく握りなおす。
 閉じた瞼の裏には、この数十日間のフライトで、まるで自分の庭のようになったYX35便の景色が浮かんでくる。
 クルーでいつもにぎわうラウンジ。
 いい匂いのするキッチン。
 エアーの調節のためにもぐりこんだ天井裏。
 蒸し風呂のような機関室。
 びくびくしながら掃除したゴミ処理装置。
 パイプのわずかな吸気音の違いに耳をすませたトイレ。
「総員配置完了」
「メカニックルーム。主制御、補助制御、異常なし」
「ラムダ管制センター、航行再開OKの指示です」
 クルーたちが、彼の体の一部のように動いている。
「ランドール、エンジンフルスロットルだ」
 機関室のタオの大声が、スピーカーを通してブリッジに響く。
 YX35便全体が振動し、さっそうと動き出す瞬間を待ち焦がれている。
「発進」
 目を開くと、ランドールは操縦レバーをぐいと引いた。


 レイ・三神は酸素マスクをはずして、穏やかな呼吸をし、暗い部屋の中で目を開けている。医務室に入ってきたランドールに、ドクター・リノはにんまりと親指を上に突き出した。
「キャプテン。あと2時間でクシロポートに着陸する」
 エアカーテンをくぐって、そっと声をかけた。
「今回の事件は、クシロ管制から警察に通報してくれてる。あんたの怪我のことは、チェンが心配させないようにうまく奥さんに伝えた」
「そうか」
 ランドールはレイのかたわらの椅子に腰をおろすと、ひととき迷ったあげく口を開いた。
「あんたはいつから、俺が宇宙に恐怖を感じていることを知っていたんだ?」
「ああ。おまえが『ポンチセ』にユナを呼び出したときさ」
 涼しい口ぶりで答えると、レイはにやりと笑った。
「俺の妻(おんな)にちょっかい出すとは、いったいどんな野郎か知りたくてな。火星法務局のコンピュータに問い合わせてみたんだ。もちろん合法的な手段ではないが。刑務所の釈放の欄に、『精神状態悪化により、2ヶ月後に仮釈放』という付記がなされていた。おまえの事故の状況と考え合わせて、これはもしやと思った」
「そうか」
 ランドールは大きな吐息をついた。
「刑務所の真っ暗な独房に入れられたとき、暴れまくったんだ。自分ではそのとき気づいていなかったが、あれは暗闇に対するパニック症状だったんだな」
「ふふん」
「それを知っていて、いつも煌々とライトが点いているラウンジを俺にあてがったのか」
 レイは答えなかった。
 ランドールは目の前の男に何を感じるべきか、わからなくなっていた。
 すでにブリッジの連中からさんざん聞かされていた。地上にいるときの彼と、宇宙にいるときの彼がまったく別人であることも。それが、ランドールと同じ「宇宙に対する恐怖」が原因であることも。
 彼がユナに対してどんなに誠実な愛情をささげているかも、クルーたちは力説してくれた。
 レイを憎むべき理由は何もなくなった。むしろ、自分に対してしてくれたことを考えれば、感謝のことばをいくら述べても言い足りないくらいだ。
 しかし、ランドールの中には、まだくすぶっているものがあった。
 悔しい。
 同じ男として、俺はこいつに完全に負けている。
「キャプテン。お願いがある」
 ランドールは立ち上がると、病床のレイに頭を下げた。
「地球についたら、俺をクビにしてくれ」
「なぜだ」
「航宙大学に入りたい。一級航宙士のライセンスを取り直したいんだ」
 そして、まるで操縦レバーがそこにあるかのように、拳をギュッと握りしめる。
「俺はこのシップを操縦してみて、あんたの操縦とどこが違うか、自分に何が欠けているかがよくわかった。もっとうまくなりたい。そして……」
 青い瞳が強い熱情できらめく。
(もっとユナにふさわしい男になりたい、ってわけか)
 レイはその目を見て、思った。
「いいだろう。特待生になれるよう、俺から大学への紹介状を書いてやる」
「いいのか」
「そのかわり卒業したら、YX35便に戻って働くことが条件だ」
「わかった。喜んで約束する」
 そして、口の中で言った。「……ありがとう、キャプテン」
 ランドールが退出していったあと、レイはひとりで何ごとか小さく呟いた。
「何か言ったか、キャプテン」
 葉巻を口にくわえたドクター・リノが、顔を突き出した。
「俺は銀河一の大馬鹿だと言ったんだよ」
 レイ・三神は痛みのために声を殺しながら、それでも愉快そうに笑った。
「自分の手で最強のライバルを生み出そうとしている、なんてな」








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