WHEN YOU WISH UPON A STAR 星に願いを


           (1)


 すっかり白髪の老人になったころ、犬槙博士はセフィロトに、しみじみと言ったことがある。
「僕もジョアンも、もちろん胡桃ちゃんも、やがて死ぬ。きみやクリフォトのことを生まれたときから見続けてきた人間たち、樹と僕がどんな思いで【AR8型】ロボットを作ったか、そして、どんな夢をきみたちに託したかを本当の意味で知っている人間たちは、この世からいなくなるんだ。そのときに、きみとクリフォトは互いに、かけがえのない存在になるだろう。永遠に生きるきみたちにとって唯一の、理解し合える仲間。だが、それは同時に――」
 博士はいったん言葉に詰まり、そして言った。「もし、ひとりが何か取り返しのつかない過ちを犯そうとしたとき、それを止めることができるのも、きみたちだけだということなんだよ」

「間違った遺伝子操作が起こした悲劇を、おまえが忘れるはずはない。古洞博士もリウ博士も、死の恐怖と愛する者を残していく絶望を、わたしたちの人工知能に刻みつけたはずだ。それなのに――」
 セフィロトは、【弟】の首を絞める手に力をこめた。
 呼吸をしないロボットに窒息はありえない。だが、胸部の人工知能と頭部の記憶装置とをつなぐ頚部を破壊することが、【AR8型】ロボットの機能を完全停止させるために手っ取り早い方法なのだ。
「おまえは、そのことを誰よりも知っているはずなのに――そのおまえが、人間を改変するような遺伝子操作に関わるなんて」
「セフィロト、やめろ」
 レイが必死に叫んだが、彼の耳には入っていない。
 どうしてセフィロトがこれほど激昂するのか、レイにもマルギットにもわからなかった。
 百年前に起きた、【第12ロット世代の悲劇】。
 科学者が故意の遺伝子操作によって、日本人の人工受精児たちの一部に、天才的頭脳と引き換えに短命遺伝子を与えてしまったこと。
 そして、その中のひとりが【AR8型】ロボットを創造した古洞樹博士であることを、23世紀の人間はもはや記憶にとどめてはいない。
 おそらく今のセフィロトを突き動かしているのは、若くして死んでいかねばならなかった古洞博士の記憶であり、大勢の【第12ロット世代】たちの怨念だ。
 クリフォトは、【兄】の手をふりほどこうとはしていなかった。ただ仰臥して、自分に注がれるありったけの憤怒を静かに受け止めている。まるでこの瞬間を待ち望んでいたかのように。
「やめて」
 マルギットが身をおどらせた。
 クリフォトの上に屈みこみ、両腕を広げて彼をかばった。
「お願い、セフィ。クリフを赦してあげて」
 彼女が顔を上げた拍子に、目に溜まった滴がきらきらと、クリフォトの胸の上にこぼれ落ちた。
「あんたたちの生まれたときの事情なんて、全然知らない。でもクリフは火星開拓のとき、親友が病気で苦しんで死んでいくのを見て、何もできなかった自分を今でも責め続けているんだよ」
 セフィロトの手がゆっくりと、首から離れた。
「誰だって、自分の味わった苦しみが一番大きいんだ。誰にも理解できないって思ってしまうんだよ。でも、あんたはクリフにとって、たったひとりの兄弟じゃないか。そのあんたが理解してやらなくて……」
 嗚咽にむせぶ彼女の肩に、さっきまで殺意に満ちていた手が乗った。
「止めてくださって感謝します、マルギット」
 微笑みながら彼女を見つめる瞳に、もはや憎悪も破壊の意志もない。
「ありがとう。クリフのことを一番理解しているのは、もうわたしではないみたいですね」
 クリフォトは上半身を起こすと、扉の外に向かって視線を投げた。
「来た」
 四人が人工子宮装置の台座の陰に身を屈めていると、扉が開き、ひとりの青年が入ってきた。
「ヒロトくん!」
 セフィロトが驚いて立ち上がった。
「セ、セフィ先生?」
 渋川ヒロトは、驚くと言うよりは幽霊を見たような面持ちで、呆然と立ち尽くす。「どうして、ここに?」
「どうしてって、あなたを助けに来たんです」
「俺を助けに、火星まで?」
 走り寄ったセフィロトにしっかりと抱きしめられ、ヒロトはくしゃくしゃに顔をゆがめた。
 セフィロトは教え子の頭をなでながら、【弟】に感謝の眼差しを送った。
「ヒロトくんがここにいることを、知っていたんですね」
 クリフォトは黙って顔をそむけた。
「先生……ごめんなさい」
「恐かったでしょう、ヒロトくん」
「お、俺が悪いんだ。先生の忠告も聞かないで……一生かかっても返しきれない借金作って……火星に来なければ殺すと脅されて……こんなあくどい商売を」
「あくどい商売?」
「ここは、人工子宮で生まれた子どもを、金で売買する組織だった」
「ええっ」
「俺は二十四時間ろくに寝ることも許されずに、ここの管理をさせられていた。生まれた子は、火星の金持ちに法外な値段で売られたり、奴隷や売春婦として買われていくと聞いたよ」
「なんだって?」
 信じられない告白に、レイはクリフォトをにらんだ。「どうして止めなかったんだ!」
「止めようとした」
 押し殺すような声で、クリフォトは答えた。
「なんとかして、売買された子どもたちを救おうと努めてはきたが、もう限界だ。その金で、奴らは武器を購入している。この要塞ごと根こそぎ壊さなければ、フェルニゲシュたちの悪事は止められない」
 火星の環境に適した新しい人類を生み出すという理想のために、クリフォト自身がおそらく数十年かかって作り上げた組織【グラナトゥス】。
 もし一部の急進分子に乗っ取られなければ、ここは、火星の未来を作りかえる聖地となったのだろうか。
 それとも、人類を改変するという最大の禁忌を犯した悪魔の組織として、いずれは滅亡する運命にあったのだろうか。
「セフィロト」
 何かを決意した眼差しだった。「俺を破壊するのを、もう少しだけ待ってくれないか。まだマニを助け出していない。それから、自分のしたことに後始末をつけていきたいんだ」
「……クリフ」
「【グラナトゥス】を、今日俺の手で消滅させる」