猫の秘密〜異世界の姫君アスリア
岡野 なおみ

(9)

 どくん、どくん、どくん。 
 アスリアの血が波打っている。卑劣な手段を用いて、なにも知らない美子を苦しめるルギドに対して、烈しい憎しみを抱いて……。
 どくんどくんどくん。
 ルギドは、玉座からエンチャント・ジュエルを見つめていた。魔法の水晶は、不気味な光をどくん、どくんと波打たせている。
「苦しめ、苦しめ」
 ルギドは、くっくっくと笑いながらつぶやいた。
「そうすれば、願いが叶う……」
 ジョカルは悲しそうになった。
「ルギド様、やはりこの水晶を頼りにするのはやめましょう」
 ラミルもハガシムも、不思議そうに水晶を眺めている。この水晶のできることを知ったら、こんなにのんきに見ていることはないだるろう、ジョカルはそれがもどかしかった。アローテ様が生きていたら、こんなことはしなかったはずだ。
「うるさいっ」
 ルギドは激怒、いや大激昂した。玉座を蹴倒すと、まっ赤になって、
「おまえなどに、私の何が判るというのだ。これはほんの手始めだ、いずれはあの美子のいる世界をも支配し、恐怖で頭をいっぱいにさせてやる。そのためにはあのアスリアは、邪魔なのだ、それくらいは知っておろう」
「しかし……アスリアさまはまだ十二歳でしょう……。何も知らないのですから、放っておいても」
「力を蓄えて逆襲されてはかなわぬ。ライオンですら、全力を挙げてネズミを捕らえるというではないか。アローテのためにも、これは必要な処置だ」
 ルギドは遠い目になった。
 ――アローテ……。待ってろ、すぐおまえを取り戻してやるからな……。
「一度死んだ人を甦らせるのなら、死霊使いがおられるでしょう」
 ジョカルは、なおも抗弁した。
「魂のない肉体だけの存在! そんなものなど『甦った』ことにはならぬ」
 ルギドは身振りをして、ジョカルを黙らせた。
「さあ、ゲハジよ。もっとアスリアを苦しめるのだ! もっと傷つけるのだ! そうすれば、約束は果たされる……」
 ルギドの取り憑かれた表情に気付くと、ジョカルはため息をついた。
 自分では、どうすることもできなかったからである。

 一方アスリアは、美子の父親が、自分の首を絞めようと近づいてくるのを、恐怖の目で見つめていた。宮錦家のドアが開いて、美子の姉の姿が見える。姉は、凍り付いたように父親の姿に見入っていた。
「お父さんには、死肉の匂いがする」
 太郎丸は、警戒するように言った。
「以前、猫の死体が道路に横たわっていたときも、こんな匂いがした」
「ゲハジのせいよ。あいつは死霊使いなの」
 アスリアは、しっかり抱えている美子の腕から逃れようと身をもがきながら、
「死んだ人を生き返らせて、魂を乗っ取り、意のままに動かすのよ」
「それじゃ、お父さんは……」
「気の毒だけど、死んでるわ」
「なんでその死人が、君の命を狙ってるんだ」
「知らないわよっ! なんとかして、お父さんが死霊使いに操られてるってこと教えないと。間違った遺言で、一生この子は後悔することになるわ!」
 太郎丸は、辺りを見回した。
「死人だとしたら、聖なるものには弱い筈だよね。テレビのホラー特集でやってた」
「そのとおりよ、それが?」
「ちょっと待ってて」
 太郎丸は、急いで玄関から、美子の部屋に駆け去っていった。美子は、冷たい指を差し出す父と、アスリアとを比べて、真剣に悩んでいる様子だ。人間の言葉がしゃべれたら! こんな苦しみを、彼女にさせないで済んだだろうに! 
「なあ、パパが好きだろう?」
 ゲハジは、妙に毒のある甘ったるい声で言った。
「お父さんの言うことには、従わなくちゃいけないよ?」
 美子は、アスリアを抱きしめた。
「太郎丸とも仲のいい、この子がそんなに悪い子だとは思えないの」
「そりゃそうだ、悪い子じゃない――」
 父親は言いかけて、ゲハジの刺すような視線に黙ってしまった。その時である。
 部屋の奥から、なにかが現れた。黒い分厚い書物で、太郎丸の口はそれで一杯だ。美子の足元にぽん、と吐き出すと、ぱらぱらと本はめくれて、ページがあらわになった。
「せ、聖書だ!」
 父親は、ぎょっとしてあとずさった。ちょうど聖書が、信仰と希望と愛が大切だと書かれた箇所を開いている。
「なんだ?」
 ゲハジは、あきらかに驚いて、その書物を睨み付けた。開いたままの聖書から、ほのかに金色の光が放たれた。
「死霊使いよ」
 聖書の光が、堂々とした声を放った。
「邪悪なる僕を連れて、ここから出て行くがよい! 神の名において、そなたに命じる!」
 それを言ったのが、金色の光なのか――あるいは、美子の姉が帰ってきて、事態を収拾するために命じたのか。
 ともあれ、聖書の光は金色に輝きながら、あたりを荘厳な光に満たし、ゲハジと父親は、その場にとどまっていられなくなった。
聖書から輝いた燃えるような金色の光は、放射線状にあたりに広がり、ちろちろと、小さな動物が駆け回るように、床を走り回った。その光に追い立てられて、ゲハジはこけつまろびつ走りだした。
 しかし、父親は立ち止まり、その光の正面に立ちふさがった。
「解放してください、神さま! これ以上娘を苦しめたくない!」
 父は叫んだ。光はまっすぐに父親の胸を直撃し、胸の上に十字架を作って、ぼうっと体に火を点した。
「パパ!」
 美子は叫んだ。駆け寄りたかった。車いすを駆って父の元に近づいた。ゲハジは、そうさせまいと前に出ようとしたが、光のバリアーがゲハジの目の前に張り巡らされた。
「美子」
 父親は、ちろちろと手先が燃えはじめていた。本来なら、肉の焼ける匂いがするべきなのに、まるで聖堂のなかにいるような、薫製の甘松の香がした。
「パパ……」
 美子は、手を延ばし、水がないかと辺りを見回した。
「美子、無駄だよ。私はもう、この世にいるべきではないのだ」
 父親は、落ち着いた口調で言った。
「ここにいる私は、魂を失った、意志だけの存在。おまえを苦しめ、おまえを傷つけろと言う、このゲハジの命令に従うように魔法をかけられた悪霊なんだ。ああ、だけどやっと私は魂を取り戻した。もう、邪悪な声に従う必要はない」
「パパ……」
美子は父を見つめた。
「アスリアについて言ったことは、すべてでたらめだ」
 父親は、紙のように燃えながら言った。
「この子猫を大事にしなさい。もしかしたら、この世界を守る、唯一の存在かもしれないのだから」
 父親の顔に火がついた。肌がめくれるように、火が顔の表面を焦がしていく。
「美子……しあわせにな……」
 それっきり、父親は灰になってしまったのであった。
 美子は、わっと泣き出した。
 その背後に、姉の姿があった。
「美子。お父さん……本当に天国へ行ったのよ。泣いちゃだめ」
 だが、二人の姉妹は、肩を抱き合って涙を流した。
 ゲハジは、光のバリアーが近づいてくるのを感じた。
 ――俺もやられる。
 こんなところで死ぬわけにはいかなかった。だが、ルギドにどう説明したものだろう? それを思うと、暗澹たる気分になる。
「くそっ。覚えてろよ!」
 言い捨てると、ゲハジは宮錦家を立ち去った。
 アスリアは、聖書に鼻をくっつけた。
「ありがとう、神さま……」
 だがもちろん、これはただのはじまりでしかないことくらいは判っていた。
 父親を二度も失い、美子は泣きじゃくっている。アスリアは、慰めるために彼女の膝の上に乗った。
 すると、頭の中に声が響いた。
 ――この子猫を大事にしなさい。もしかしたら、この世界を守る、唯一の存在かもしれないのだから。
 それは、どういう意味なのだろう。ルギドがこの世界を狙っているということなのか。だが、どうやればこの世界を守れるというのか……。彼女は途方に暮れていた。

(10) ラミル、その変貌

 ゲハジの失敗の報告は、いちはやくルギドのもとにもたらされた。知らせたのはノガルである。
「ゲハジ殿は、路上のベンチで暮らしながら、次の作戦を練っておられるようです」
 ノガルは、エンチャント・ジュエルの隣で、ちらちらとラミル、ハガシムを見比べた。契約では、とにかくアスリアを苦しめろ、ということになっている。アローテの復活が目的だと言うが、ノガルにしてみれば、必要以上にアスリアを苦しめているように思えてならない。何かもう一つ、別な理由があるのではないか。
「ゲハジにいつまでも頼っているわけにはいきません」
 ラミルは、しなやかに体を起こした。なまめかしいウロコが、艶っぽい色気を醸し脱している。
「私が参りましょう。アスリアを、もっと苦しめてさしあげますわ」
「毒はどうするのだ」
 ハガシムは、先を越された妬みで顔をゆがめながら、言った。自分こそは、次回の志願者であるべきなのに。
「あら簡単ですわ。妖魔には、界渡りのための抗体が、体の中にある。私にその血を、輸血させていただければいいのよ」
「なに」
 ハガシムが呆然とすると、ジョカルが嬉々返した。
「妖魔の血を輸血する……? そんなことをしたら、おまえまで妖魔に変わってしまいますよ。へたしたら、体まで変化してしまいます!」
「アスリアを苦しめたいっておっしゃったでしょう」
 ラミルは、蛇のようにくねくねと実を揺すった。
「私が妖魔になれば、簡単に界渡りができるではありませんか。もっと早くそうすれば良かったのですわ!」
 ジョカルは、恐怖に満ちた目で、余裕たっぷりのラミルを見つめた。埃高く、長い歴史もある魔族であることをやめる――信じられない言葉である。
 突然、王座から、高らかな哄笑が響いた。ルギドが膝を叩いて笑っているのである。
「気に入った!」
 ルギドは叫んだ。
「そなたの忠義なこころ、たしかに受け取った。アスリアをいびり殺した後は、報償は思いのままだぞ!」
「ご褒美はいりません。ただ、ルギド様のお役に立てれば」
 ハガシムは、ラミルのわざとらしい口調に、悔しさのあまり目の前が暗くなるような気がした。
 ラミルとノガルは、邪悪な水晶の前に立った。どくん、どくんと水晶は脈うっちえいる。 ハガシムは、唇を噛んで、水晶がノガルの手から血を吸い取り、ラミルに注ぎ込むのを見守った。ノガルがバタンと倒れると、ラミルはにっこり笑って、水晶の前から立ち去った――去ろうとした。
 水晶が、けたたましい笑い声をあげた。それとともに、ラミルの表情が一変した。ウロコだらけの体が脈打ち、のたうち回った。粘土でできた泥人形のように、体がこね回され、長く伸ばされたり、あるいは短く縮められたりしている。
「助け……」
 しかし、ラミルの言葉は、声にならず、ラミルはみるみる四つ足の、毛むくじゃらの動物になっていく。鼻は黒くボタンのよう、ウロコは茶色い毛皮になり、ふわふわとふくらんだ。尻尾が生えてくる。
「妖魔の血と魔族の血がまじると、体が変化してしまうのか」
 ルギドは感心したように、ラミルのその様子を眺めている。ノガルは言った。
「元に戻れるのは、最も身近な人間が死ぬときか、あるいはアスリアさまの苦しみがまして、この水晶に充分なエネルギーがためられたときでしょう」
 ハガシムとラミルは、ノガルをみやった。
 ラミルは、柴犬として異世界にたびだつことになってしまったのである。ショックのあまり泣き出したラミルを見て、ルギドは宣言した。
「行ってこい、ラミル。アスリアを思う存分苦しめて、昔の妖婦に戻るのだ!」
 ルギドは、次元への穴を示した。ラミルは、その穴の中に飛び込んだ。

 その頃、美子は、やってきた姉と、勉強をしていた。このごろ学校へは行っていない。介助犬を持っていることで、ねたまれたりするからである。美子が英語の教科書を読み上げると、看護婦の姉、哲子は力づけるように頷き、一つ一つ発音をチェックしている。
 太郎丸はあくびをした。そして、何気なく庭先を見つめた。そして、そこにラミルを見つけて、立ち上がった。
 侵入者は、追い出さねばならない。
 勉強のじゃまをしてはと思い、太郎丸はこっそりと縁側から庭先に出た。
 ラミルは、不安そうに辺りを見回している。道案内をするはずのノガルが、続いてやってくるはずだっが、庭に植えられた茄子やほおずきの木を見て、ここがどこか判ったので、少し安心して縁側を見あげた。
 太郎丸が、興味深そうにこちらを見つめている。
 ラミルは、ついっと尻尾を振ってみた。太郎丸は、どきっとしたようにたじろいだ。どうやら一目惚れをしてしまったようだ。
 ラミルは、にやりと笑った。面白いことになりそうだ。

(11) ラミル、その変貌二

 たしかに太郎丸は、最初は驚いた。そして、ラミルの美しさにこころを奪われ、普通なら警告するべきだったのに、それもせずに視線はラミルに釘付けだ。
「あなたが太郎丸ね。まぁっかわいいっ」
 ラミルは、しゃなり、と立ち上がってウインクしてみせる。太郎丸は、ふらふらと、縁側から庭に降りてきた。すっかり、自分の魅力にノックダウンだ。
 部屋の中から、アスリアが駆けだしてきた。顔に、ありありとショックを受けた色が出ている。そうか、とラミルは悟った。アスリアは、この犬が好きなのだ。恋をしているのだ。
 ばかめ、とラミルは、毛繕いをしながらこころの中でつぶやいた。猫が犬に恋をするなんて、どんな自然の道理でも不可能だ。
 ラミルがそう考えている間にも、アスリアは、縁側の向こうで、
「そんな犬ほうっておいて、美子さんの面倒を見なくちゃだめよ」
 と言っている。どうやらあの子は、わたしに嫉妬しているようだ。面白い。苦しめるとしたら、ここからはじめるといいだろう。
「わたしはラミル。美子さんの友達のところから来たの」
 ラミルは、ふらふらと近づいてきた太郎丸の耳元に、ささやいた。太郎丸は、ぽおっとなって耳を垂らした。
 アスリアは、腹を立てたようだ。そうこなくちゃね。しかし少女は、高貴な身分に相応しく、怒鳴り立てるでもなく、気掛かりそうに太郎丸とラミルを見つめている。
「あなたのことは、ご主人様から伺って、よく知っているわ」
 ラミルは、庭先から、美子を見あげた。美子は姉と夢中で会話している。姉の哲子は、看護婦らしい冷静さでその質問に答えている。「あの子のために、働いているんですってね。偉いわ。人間でもなかなかできないことよ。
 だから聞くんだけど、あなたはそれで満足なの。それは奴隷とどこが違うのかしら。よく考えてみてちょうだい。それであなたは幸せなの」
 太郎丸の眸から、光がすうっと消えた。
 考えたこともない言葉だったらしい。
「ドレイ?」
「そうよ」
 ラミルは、邪悪な笑みを浮かべながら、
「恥ずかしくないの、他人にいいように利用されて、死ぬまでこき使われて」
 ラミルは、太郎丸の背中をなめ回した。太郎丸は、うっとりしている。
「わたしのことが、好き?」
 ラミルは、これ以上ないほど、色っぽい声で言った。太郎丸は、ためらいながらも頷いている。
「じゃあ介助犬なんかやめて、わたしと一緒に自由を満喫しましょうよ。そしてわたしと結婚して。一緒に楽しい場所に行きましょう」
 太郎丸は、うなだれた。ラミルは、にやりと笑い、アスリアのほうを見あげた。アスリアは、かっと顔を赤らめた。
 ――くるしめ、くるしめ。
 ラミルは、邪悪な満足と共に思った。
 ――女を苦しめるのは、恋を使うのが一番なのよ。
 どくん、どくん、どくん。
 アスリアの苦しみが増すごとに、体のなかの妖魔の血が脈打つ。たぶん、水晶も脈っていることだろう。
 ラミルの思った通りだった。アスリアは、自分の恋心と、太郎丸の幸せをはかりにかけている。突然現れた魅惑的な美女。太郎丸のために、自分の恋をあきらめるべきなのか。いいえ、そんなことはできない。できないわよ!
 アスリアのこころの叫びが、耳元で聞こえてくるような気がした。
 一方異世界ティトス。
 どくん、どくん、どくんと脈打つ水晶を見ながら、ノガルは体を起こした。貧血ぎみだが、体調には支障はない。
「ルギドさま」
 ハガシムは、ついに口を開いた。
「なぜ、そんなにもアスリアを苦しめたいのですか。なぜそんなにも、水晶にパワーをおくりたいのですか。なにか理由があるのではありませんか。このハガシムにも、それを教えていただきとうございます」
 ルギドは、じろりとハガシムを眺めた。
「アローテの復活のためだと言っただろうが」
 ルギドがそっけなく言うと、背後でジョカルが頭を振った。
「ルギド様、さしつかえなければ、わたしめがご説明いたします」
 ルギドは面倒くさそうに頷いた。
 ジョカルは、思いもかけぬ話をはじめた。
 ――アローテの死の真相を。

(12) ルギドの恨み

ルギドはじろりとハガシムを眺めたが、考え込むようにジョカルを見あげた。
 ジョカルは、ためらっていたが、やがて軽くため息をついて、話し始めた。
「サルデス王の長兄サミュエルは、魔族というだけで、我々を憎んでいました。おそらく、アスリアさんのことを心配していたのでしょう。魅力的な魔族が沢山いますからね」
 ノガルも、いつの間にか耳を傾けていた。生まれてはじめて聞く話だが、なんだか続きが判るような気がした。
「ルギド様が、サルデス国に入って、王と会談をしたとき、狩りにつきあわされましてね。子供が小姓としてついてきたのですが、サミュエルはその魔族の小姓の背を鞭打ち、塩をぬりこんだのです。アローテ様は、それを許せませんでした。はげしくサミュエルをなじったのです」
 ジョカルは、悲しげな声でつぶやくように言った。
「サミュエルは怒りました。我々人間を裏切って魔族についた魔女め、とまで叫びました。そしてアスリアさまをとらえると、火かき棒を取り出し、たき火の中に突っ込むと、まっ赤に焼けたその火かき棒を、顔に当てたのです!」
 ぶるっとふるえた。
「アローテ様の顔は、見るも無惨になりました。それだけでは終わりませんでした。肉が焼ける匂いに、すっかり興奮したサミュエルは、アローテさまをとらえ、服を切り裂き、体の一番弱いところに――火かき棒をつっこんだのです」
 ルギドは、ぴくりと肩をそびやかしたが、なにも言わなかった。あまりの残酷さに、あきれたハガシムは、つい、口走った。
「ルギドさまともあろう方が、アローテさまを一人にしたのか」
「周到に用意された、卑劣な計画だったのです」
 ジョカルは、ぴしゃりと答えた。
「王はルギドさまを、狩りに誘いました。サミュエルはそれまでは、ごく普通の男にみえましたし、狩りを断ることは宣戦布告もおなじこと。ルギドさまも、無意味に魔族の血を流すことは好みません。招待を受けて、自分のテントでアローテ様のかわりはてた姿をみたルギドさまは、復讐を誓いました。
 サミュエルとサルデス王を殺し、二人のもっとも愛する女――つまりアスリアを、この手でいびり殺してやろう。
 そう決意したのです。ただいびるだけでは足りない。相手の苦しみを糧として成長する、邪悪な水晶を手に入れて、その力を借り、こちらの世界だけではなく、向こうの世界をも支配してやる。ルギド様は、そう考えておられるのです。
 邪悪な水晶に、充分なエネルギーがたくわえられれば、ルギドさまは二つの世界を支配できます。アローテ様の仇も討てます。一石二鳥というわけです」
 ハガシムは、深々と礼をした。話を聞いた以上は、もはや疑問は存在しなかった。アローテ様は、ハガシムにも優しくしてくれた。そのたおやかな女性を、そんな方法で殺すような連中に、情けなど不要だ。
 ルギドさまのために、俺も活躍したい。
 ハガシムは、もどかしかった。自分こそは、アローテ様の無念を晴らせる魔族だと思う。しかし、いったいこの水晶はどこまで信じられるのだろう。
 ハガシムは、疑わしそうにエンチャント・ジュエルを見あげた。素知らぬ顔で透明な光を放っている水晶は、みかけはとても神聖で、人の苦しみを吸って成長するとはとても見えない。ジョカルの話では、この水晶は、ティトス界創世のときに、七人の魔族が造ったと言われているらしい。なにを目的にしたのかは知らないが、この世を超えた力を与え、一方で世界を闇にする邪悪なこころをも持たせたという。そのためか、透明とは言え、水晶は不気味で威圧的だった。
 ルギド様は、いずれこの水晶のために、この俺たちをも犠牲にする。
 ハガシムは、顔をあげたまま思った。
 だが、それがどうだというのだ? ルギド様の仇討ちが成功することこそ、自分の生きているあかし。忠誠のあかしではないだろうか。
 ラミルが失敗することを、ハガシムはこころに念じた。成功すれば、この俺は不要になる。俺は無駄に水晶の餌食にされてしまう。ひとの苦しみを吸って成長する水晶に、なんの役にも立たないままに吸い込まれるのは願い下げだ。 
 ハガシムは、次元の向こうに通じるという穴を見つめた。ノガルも、その次元の向こうに目をやっている。あの妖魔も、信じられるのだろうか。ハガシムは、眉をしかめた。妖魔を信じたくなかったからである。

(13)につづく