第3章 「秘密を知る者」  (1)                 BACK | TOP |  HOME




「ああ、今年も梅雨が明けて、一気に夏ねえ」
 ベランダで、こめかみにつんつんと痛いカキ氷を食べたあと、私は籐のデッキチェアにぐったりと身を預けていた。
 長めのフレアスカートなのを幸い、うんと足を広げて空気を入れる。色気も何もない格好なのだけど、その涼しさには勝てない。
 今は何もわからないでそれを見ているセフィロトだが、そのうち「おばさんみたいですよ」なんて、眉をひそめるときが来るのかな。
「今年の夏休みはどこへ行こう」
「え? 休みがあるのですか?」
「交替で一週間の休みが取れるのよ。去年は樹とマダガスカルにダイビングに行ったっけ。今年も海でいっぱい泳ぐのっていうのも、いいなあ。ねえ、セフィ?」
「胡桃。わざと意地悪言ってるでしょう?」
「ははは。わかった?」
 彼は下唇を突き出して、おおいにむくれた顔をしている。
 彼の表情はこの一ヶ月でまたぐんと豊かになった。ときどきこんな変な顔をするときは、私自身がそういう顔をしてみせているのだなあ、と反省させられることもしばしば。
「そうだよね。セフィは海で泳いだりしたら、錆びちゃうね」
「海じゃないところに行きたいです。胡桃が泳いでいるのを浜辺で坐って見ているだけでは、つまりません」
「おととしは、ニュージーランドへ里帰りして、スキーをしたわ。あっちは季節が逆でしょう」
 セフィロトは、目を輝かせてそのアイディアに飛びついた。
「スキーなら防水服を着ればだいじょうぶです。それに胡桃のご両親にも会えるし」
「あ、それは……」
 しまった。イヤなことを思い出してしまった。
 私は、思いっきり鼻に皺をよせて、あわてて元に戻す。こんな顔をまたセフィロトに真似されると大変。
「実は今まで言わなかったけど、うちの父、……ロボットが大嫌いなんだよね」
「え?」


 私の父、桐生(きりゅう)直人がニュージーランドに移住する決意を固めたのは、私が8歳のときだった。
 それまでの父は、三十代半ばにしてすでに教育学の権威として、日本の教育改革をリードする存在だったのだ。
 5・4・5制度の不備を指摘し、子どもたちが自由に選択しなおせるようなコースを作ったのも父だった。
 誰よりも日本の子どもたちを愛し、その将来を憂いていた父に日本という国を見捨てさせたのは、2125年から始まった、政府による「産業ロボット化推進10ヵ年計画」だったのである。
 人間の尊厳と崇高さを信じ、ロボットが社会の一翼を担うことに異を唱えたあげく、官僚たちと大喧嘩して、ロボット化政策を取らない外国へ母と私を引き連れて、さっさと逃げ出してしまったわけだ。
 そんな父のひとり娘である私が、ロボット工学の研究者である樹と結婚するとき、ましてや樹が寿命の短い第12ロット世代だとわかってしまったとき、どれだけの猛反対をされたことか。
 思い出すだけでも頭がうずく。
「それでは……、胡桃のお父さんは、わたしのことも嫌いなのですね」
「セフィがロボットだとわかったら、そうかもしれないね」
 世にも悲しそうな顔をしている彼に対しても、私はそうとしか言えなかった。
「ロボットだと知らずにセフィと会えば、きっと好きになってくれると思うよ」
「そうでしょうか」
「だって、セフィはいい子だもの」
 彼を引き寄せ、額にキスすると、ようやくうれしそうに微笑んだ。
 きゅんと胸がしめつけられ、めちゃくちゃに抱きしめたくなってしまう。だめだなあ、私。ほんとにこの笑顔に弱い。
 そのとき、ホームステーションの呼び出し音が響いた。
 私はリビングに戻って、通信画面を開いた。
「犬槙さん」
 縁なし眼鏡をかけ、白衣を着た犬槙さんが映った。あいかわらず世の女性を虜にするような無敵の美貌だ。
「胡桃ちゃん、久しぶり。元気そうだね。セフィロトも順調?」
「はい、また見違えるくらい成長してますよ」
「それはよかった。実は頼みがある。急で悪いんだけど、来週の水曜にセフィロトを研究所に寄こしてほしいんだ」
「研究所に?」
「それに、もし休みが取れるようなら、胡桃ちゃんも一緒に来て欲しい。もちろんあくまでもお願いであって、無理にとは言わない」
「それはだいじょうぶですけど、いったい、どうしたんですか?」
「実は、半年に一度の科学省の監査が入るんだ。担当官数人がその日にやってきて、研究の進捗状況をいろいろ調べていく。研究が成果を上げていないとわかれば、政府助成金も減らされるし、最悪「犬槙・古洞研究室」の閉鎖もありうる」
「うわ、大変じゃないですか」
「そうだよ。でももしセフィロトをお偉方さんに見せて、「こりゃ人間にしか見えないぞ。なんて素晴らしいんだ、ブラヴォー」と拍手喝さいということになれば、研究費の大幅アップも夢じゃない」
「どうしよう、犬槙さん。そんな大事な面接なら、セフィにスーツとネクタイを着せていったほうがいいかしら」
「そんなことをする必要はないよ。普段着でいい。どうせ、服は全部脱いじまうんだから」
「え? は、裸になるんですか?」
「ああ。身体反応なんかも調べるからしかたないよ」
「はあ」
「ついでに、胡桃ちゃんも裸になってくれると嬉しいなあ、なんてね」
 私は、腹を立てて映像回線を切ってやった。
「ああ、ごめん。じゃ水曜日、頼んだからねー」
「このセクハラ男!」
 私はぶつぶつと、犬槙さんにぴったりな21世紀の古語を使った。
「胡桃」
 セフィロトがいつのまにか、後ろに立っていた。
「セフィにインタヴューしたいんだって。成功すれば、犬槙さんの研究が認められたことになるのよ」
「成功、するでしょうか?」
「だいじょうぶ。絶対にセフィならうまく行くわ」
 心配そうな表情の彼を、私はあの手この手で励ます。
「最高に人間らしく振舞うのよ。もしこれで及第点をもらえれば、夏休みにニュージーランドへ行って、お父さんに会うことを考えてもいいわ」


 4日後の水曜日。
 休みをとった私はセフィロトといっしょに、国立応用科学研究所の犬槙さんの研究室に招じ入れられた。
「ああ。セフィロト。元気そうだな」
 犬槙さんは大げさに彼を抱きしめて、背中をぽんぽんと叩く。
「相変わらず、可愛いよ。惜しかったなあ。きみを女性型にしとけば、もう毎晩だって可愛がってあげたのに」
「い・ぬ・ま・き・さ・ん」
 私は歯をむき出して、威嚇した。
「あらあ。胡桃ちゃん。美人がダイナシ」
「ほんとに犬槙さんからセフィを引き離しておいて良かったです。こんな男を見習って育ってしまったら、樹があっちで泣きますよ」
「ひどい言い方だなあ」
 私は、壁のハンガーにかかっている白衣を見上げた。
「犬槙さん。まだ樹の白衣を置いているんですね」
「ああ、それね」
 彼は、目を細めて優しく笑った。
「僕にとって、樹の記念になるものはそれひとつだから」
「……」
「それより、科学省の担当官がまだ来てないんだ。コーヒーを淹れてくるから、適当に坐ってて」
「あ、犬槙博士。わたしがやります」
「いいよ、セフィロト。もう僕はきみのマスターじゃないんだ」
 犬槙さんがいなくなって、私たちは作業台のそばの椅子に腰かけた。
「覚えてる? セフィ。あなたはこのカプセルの中で生まれたのよ」
「はい、記憶が途切れてあいまいなところはありますが、覚えています」
 彼は、なつかしそうな表情であたりを見回した。
「目を開いたとき、最初に犬槙博士の姿が、コードの隙間から見えました。体はまだ全く動かなくて、どうやって動かしていいのかもわからなかった」
「ふうん」
「わたしは、古洞博士のことも覚えています」
「樹のことを?」
「試験的に数分間だけ電源を入れたとあとで聞きました。視覚回路は遮断されたままで、真っ黒な場所で浮いているような感覚でした。古洞博士の声だけが聞こえて、そのことばを聞いているうちにとても、……とても安心した気持ちになりました」
 彼は悲しげに首を振った。
「でも、そのときに古洞博士が何をおっしゃったのかを思い出して、再生することはできません」
「ありがとう。いいのよ、セフィ」
 私は、セフィロトが樹の声を聞いたことがあると言ってくれただけで、うれしかった。
 私や犬槙さんだけではない。彼も記憶の中に、樹の思い出を持って生きているのだ。
 やがて、犬槙さんが3人分のコーヒーカップを持って帰って来た。
「お偉いさんたちは、とても意地悪な質問ばかりすると思う」
 彼はコーヒーを口に含みながら、セフィロトに心構えを聞かせる。
「全部じょうずに答える必要はないからね。むしろ迷ったり口ごもったりしているほうが人間らしい」
「はい」
 セフィロトは、緊張しているように拳をきゅっと握りしめていた。


 三十分ほど経って、ようやく科学省から派遣された担当官が到着した。
 全部で6人。
 D号棟の東ウィング、Eブロックの会議室で、彼らと、犬槙さん・セフィロト・私の3人が細長い机をはさんで対峙した。
 なんだか、三人で受験の親子面接を受けているみたいだ。心臓がばくばく言っている。
 彼らのリーダーらしい中央の男性が、冷たい声で命じた。
「それではAR8型。服を脱いで、この台の上に上がりなさい」
「はい」
 セフィロトは立ち上がって言われたとおりに、用意された作業台の上で横たわった。
 担当官たちは彼を囲んで、彼の体を触ったり、関節を曲げたりしていた。
 時には拡大鏡やペンライトなどの器具を持ち出して、あちこちをのぞき込む。
 ひそひそとしゃべり、感嘆の声を上げたり、どう聞いても揶揄にしか聞こえない忍び笑いを洩らしたりしている。
 私はなんだか、自分がのぞかれているような気持ちになり、顔を真っ赤にして離れたところに立っていた。
 犬槙さんは、私の隣で悠然としている。
「犬槙博士。内部を見せていただけますか」
「わかりました」
 彼は作業台に近寄ると、セフィロトをうつ伏せにして、背中の一部を開く。
 監査官たちは、その内部の基盤やコードを指差しながら、犬槙さんにあれこれ質問している。
 いたたまれなくなって、目をそむけた。
 セフィロトは今、どんな気持ちでいるのだろうか。私なら、こんな無防備な状態で大勢に自分の体をじろじろ見られるのは我慢できない。
 長い時間が経って、ようやく質問は終わったらしく、彼らはそれぞれの席に戻って行った。
 セフィロトは起き上がり、シャツに腕を通している。
 なんだか憔悴しているように見えた。近寄って声をかけたかったが、先ほどの人がすぐに次の指示を出した。
「AR8型。終わったらそこの椅子にかけなさい。いくつか質問をします」
「はい」
 席につくやいなや、彼らのひとりがコンピュータの端末機を取り出して、画面の文字を事務的な声で読み上げ始めた。
「円周率を計算せよ。一秒で小数点以下何桁まで演算しうるか?」
 セフィロトは、一瞬呆気にとられたように質問者の顔を見た。
「どうした。すみやかに答えなさい」
「……わかりません……」
「回答不能。では第2問。人工知能におけるフレーム問題の解決法について述べよ」
「……」
「回答拒否。第3問――」
 矢継ぎ早の質問に、彼は何も答えられなかった。ぼんやりと表情を曇らせ、目を伏せてしまう。
 セフィロトがおかしい。
 助けを求めて、隣に座っていた犬槙さんを見た。でも犬槙さんは我関せずとばかりに無表情を通している。
 私はついに辛抱できなくなって立ち上がり、セフィロトのもとに歩み寄った。
           



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