第6章 「からみあう想い」  (3)                 BACK | TOP |  HOME




 トレーニングウェアの準備が間に合わなかったセフィロトは、着ていたチョコレート色のシャツの袖をまくりあげると、ゴールポストの間に立った。
 少し腰を低くする。
「いつでもどうぞ」
 その余裕を感じさせる言い方にムッとなったのか、椎名先生は大人げなく、いきなりゴール右隅に矢のようなシュートを叩き込んだ。
「うわっ」
 さくらちゃんの大声で、私は思わず閉じてしまった目を薄く開ける。
 子どもたちの中からも歓声があがった。セフィロトはボールを取っていた。
 膝をつき、両手でがっちりとボールを抱えながら、にっこり笑う。
 そんなばかな、と椎名先生の口が動くのが見えた。
「セフィ先生、すごーい!」
 さくらちゃんがピョンピョン跳びはねている。
 それからもセフィロトはことごとく、椎名先生の繰り出すシュートを止めた。それも、拳でのパンチングや横っ飛びのセービングなど、まるでゴールキーパーのお手本のような技を見せてくれる。対角線の反対側、ゴールポストぎりぎりへのシュートを1メートル以上ジャンプして止めたときは、さすがの椎名先生も目を疑った。
『人工筋肉の力は成人男性の3倍、反応速度は5倍』
 犬槙さんの冗談のようなことばがよみがえる。
 急に力の出し方がわかったと言っていたセフィロト。あのとき以来、人工ニューロンが急速に発達を始めたということなのだろうか。
「胡桃先輩」
 ぼう然として彼を見ている私に、さくらちゃんは横から呼びかけた。いつもの甘えたような声ではなく、真剣な声で。
「さっきのことば、本気ですから。私そのうち行動にうつしますから。ちゃんと私たちのこと認めてくださいね」
「うん」
「ちゃんと胡桃先輩の承認を得ましたよ?」
「う、うん……え?」
 私があわてて彼女を振り返ったとき、さくらちゃんはスキップしながら建物の中に入って行ってしまった。
 体育の授業が終わったとき、椎名先生はセフィロトの肩に手を回して、ごきげんだった。
「いやあ、能ある鷹は爪を隠してたってわけだな。すごいよ、君は。ニュージーランドでプロにでも入っていたのかい?」
 意地悪を仕掛けていたことなどすっかり忘れている。根は気のいい先生なのだ。
「よかった」
 セフィロトはこうして【すずかけの家】の他の先生たちからも、子どもたちからも受け入れられていくのだろうと、 私はとてもうれしかった。
 このことが私の知らないところでとんでもないトラブルを引き起こすことになるとは、夢にも思わず。


「アラタくん」
 セフィロトは相変わらず休み時間になると、ひとりぼっちのアラタくんを追いかけては、そばにくっついていた。
「なんだよ。本当はサッカー上手いんじゃないか」
 にらみつけるアラタくんに、
「アラタくんが教えてくれたからですよ」
 と、屈託なく答える。
「1回や2回習っただけで、そんなに上手くなるわけないだろ」
「教え方がじょうずだったんです」
「セフィ」
「なんですか、アラタくん」
 初めて名前を呼んでもらえたうれしさにセフィロトが有頂天になりかけたとき、氷柱のように尖ったことばがそれに続いた。
「おまえ、人間じゃないだろ」


「どうして、……そんなことを言うのですか?」
 顔がこわばって、笑顔を浮かべられないのがわかった。
 ふたりは誰もそばにいない森の中に入って、緊張をはらんだ距離で向き合う。
「だってさっきの体育の時間、あれだけ走ってシュートを止めたのに、はあはあ言ってないじゃないか。あのときグラウンドにいたみんなが息を白くさせてたのに、おまえだけが白くなかった」
 そして、とどめを刺すように言う、「おまえは呼吸をしていないんだ」
 セフィロトは固まったようにしばらく立ち尽くした。
 無理もない。ちょっと観察すればわかることとは言え、今まで誰も気づかなかった。指摘したのはこの少年が初めてなのだから。
 たった5歳の子に、秘密を見破られてしまった。
「なんなんだよ、おまえ。宇宙人か?」
「わたしは」
 セフィロトは地面にひざまずき、アラタくんの背丈と同じ高さになって、彼の両腕をそっとつかんだ。
「わたしはロボットです」
「ロボット?」
「胡桃先生の亡くなったご主人、古洞博士に作られました。自律改革型ロボットAR8型セフィロトと言います」
「そんな……人間そっくり。人間にしか、見えないっ」
 アラタくんのおびえたような視線が、心に突き刺さる。
「人間と同じ形をして、人間と同じように考え感じるロボットとして作られたのです」
「人間と同じ?」
 アラタくんは目を見開いて、そしていきなり、自分の腕に触れているセフィロトの手をばちんと叩く。
「これも、痛い?」
「痛いと感じます」
「これは?」
 つねられた手の甲をとっさにふりほどいて、他方の手で押さえた。
「……痛いです」
「先生はみんな知ってるの?」
「胡桃先生以外は知りません。このことは秘密ですから」
 本当は水木園長にも打ち明けていることは、絶対に口外しないように胡桃から言われている。何らかの問題が起きたときに、責任の所在が問われないためだ。
 それを聞いた刹那、アラタくんの顔に残酷な表情が浮かんだ。
「じゃあ、胡桃先生を除けばボクだけが知ってるんだね、このこと」
「はい」
「ボクがみんなに言いふらしたりしたら、困る?」
 セフィロトは、真意をはかりかねてアラタくんの顔を見つめた。
「とても、困ります。もうここには来られなくなります」
「じゃあ、ボクの命令を何でも聞く?」
「え?」
「何がいいかな。いろいろ欲しいものがあるんだ」
「アラタくん」
「……そうだ、園長室に飾ってある金色のトロフィーを盗んで来てよ。卒園式のときに一番優秀な生徒に渡されるヤツ。あれとってもキレイなんだ」
 アラタくんはそのとき、心から楽しげに微笑んだ。
「セフィはもうこれで、ボクの奴隷だよ」


 昼休み、給食後の喧騒も終わった静かな廊下を歩いていた私は、園長室から出てくるセフィロトにばったり会った。
「あれ、園長先生いらした?」
「いいえ。ここにはいらっしゃいませんでしたよ」
 セフィロトはあいまいな微笑を浮かべている。
「じゃあ、何の用事で中にいたの?」
「はい、ちょっと」
 そそくさと去って行く彼の後姿を見て、私は首をかしげた。
 なんだか様子がヘン。
 こっそり後をつけることにした。心臓の音まで聞きつける聴力の持ち主の尾行だけに、ことのほか慎重に。
 セフィロトはそのまま園庭には向かわずに、反対側のプールの裏手に歩いていく。
 もうすぐ真冬というこの時期、授業で使わない25メートルプールの回りには人影などあるはずがない。
 でも更衣室のドアの前で、ひとりの子どもが待っていた。
 アラタくんだ。
「園長室に行ったのか?」
 いつものアラタくんのしゃべりかたではない。高圧的で、しかもひどく大人びた物言い。
「はい」
「じゃあ、約束のトロフィーは持ってきたんだろうね?」
 私は、建物の陰に隠れて思わず声をあげそうになった。セフィロトとアラタくんのあいだに何があったの?
 しかし、セフィロトはゆっくりと首を振った。
「いいえ」
「盗まなかったの? 園長室に入ったんだろ?」
「入りました。アラタくんがキレイだという金色のトロフィーがどうしても見てみたくなりましたから。でも、盗んではいません」
「どうして?」
「人のものを盗むのはとても悪いことです。そして盗んだトロフィーを渡したら、アラタくんまで罪をおかしたことになってしまいます。アラタくんにそんな迷惑をかけたくありません」
 私のところまで、アラタくんの荒い息遣いが聞こえる。
「おまえ、わかってんのか!」
 我慢の限界を通り越した、甲高い怒鳴り声。
「ボクの命令にそむいたら、おまえがロボットだってこと、みんなにバラすんだぞ」
「しかたがありません」
 そして、セフィロトの静かな、透き通った声。
「アラタくんが話したいのなら、そうしてください。ロボットだということを隠して、嘘をついて【すずかけの家】の先生になろうとしたわたしが悪いのですから」
「……」
「でも、アラタくんは話さないと思います」
「なんで?」
「話しても、何も得することがないからです。ここの上級生たちよりずっと賢いアラタくんにそれがわからないはずはありません」
「え……」
「アラタくんは本当はとても知能が高いのだと思います。そのことを知られたくなくて、いつも黙ってみんなから離れている。……違いますか?」
「なぜ……」
「なぜ、わかったのか、ですか?」
 セフィロトが微笑むのが、そっと壁の端から様子をうかがった私の目にも見えた。
「今日気がつきました。アラタくんは5歳になったばかりなのにもう12歳くらいの語彙を使っていることを。きっと4歳クラスの勉強も退屈でしかたがないのでしょうね。でも、そのことを隠していた。テストもわざと悪い点をとって」
 唇をかみしめてうつむくアラタくんの姿も。
「寂しかったでしょうね。友だちといても、いつも自分だけ違う。話しかければ、友だちはみんなびっくりして困ったような顔をしてしまう。自分がおかしいんだとずっと思っていたのですね。だから先生にも誰にも知られたくなかった」
「どうして、そんなことがわかるんだよ」
 かすれた声でアラタくんがつぶやく。
「わたしがロボットだから、だと思います」
 セフィロトは自分の手のひらを持ち上げて、じっと見た。
「さっきアラタくんがこの手をたたいたとき、わたしは「痛い」と言いましたね。でも、もしかするとこれは、人間の感じている痛みとは全然違うものなのかもしれないのです。作られてからずっと回りの人間のすることを観察して、痛さを感じようとしてきました。顔をしかめ、反射的に身体をすくめる防御反応を取れるようにプログラムしてきました。でも、それはただの真似にすぎない」
「……」
「うれしいとか悲しいという気持ちも、人間が感じているのとはまったく違うのかもしれない。もしかすると、そう感じていると思うのは自分だけで、ただの錯覚なのかもしれない。……ときどき、自分が人間でないことが、とても寂しくてたまらないのです。だから、アラタくんが」
 そう言いながら、セフィロトはアラタくんの両肩に手を置いた。
「自分がほかの人と違うことを隠している気持ちが、わかるのかもしれません」
 私はずるずると壁に背中を押し付けたまま、地べたに座り込んだ。アラタくんがそんなふうに辛い思いをかかえていたなんて知らなかった。
 そしてセフィロトが、それほど自分がロボットであることを寂しいと感じていたなんて。
「う……」
「長い間とても悲しかったんですね、アラタくん」
 小さな身体をしっかりと抱きしめる。
「一緒にいられるなら、奴隷と呼ばれてもいいと思いました。でも本当はわたしは奴隷ではなく、アラタくんの友だちになりたい。アラタくんも、わたしのことを友だちと思ってくれますか?」
「セフィ、……ごめん……なさい」
 アラタくんがセフィの腕の中で大声で泣き出すのが、涙で曇った私の視界に映った。


「胡桃先生」
 園庭に戻ったところで、セフィロトがうしろから私を呼びとめた。
「ふたりだけってわかってるときは、「胡桃」でもかまわないわよ」
「では、胡桃。隠れていたつもりかもしれませんけれど、後をつけるのがとても下手ですね」
 と、いたずらっぽく笑う。
 え? ば、ばれてた?
「はい。それに壁の向こうでわんわん泣いているのも聞こえましたよ」
「恥ずかしい……」
 私は、ちょっとまだ赤い目の縁を隠すように、両頬を手でおおった。
「アラタくんのこと、ありがとう。私たち教師も誰もわからなかったの。アラタくんがあれほどの知能を持っていたなんて」
「とてもうまく隠していましたからね」
「職員会議で相談して、来週から特別プログラムを組むことにするね。全員であせらずにゆっくり向き合っていく。知能と精神のアンバランスは、小さな子どもにとって難しい問題なの。でも大丈夫。あれほどセフィに心を開いてくれたんですもの。うまくいくわ」
「そうだといいです」
「だって、【すずかけの家】には前例があるのよ。20年以上前に……」
「古洞博士ですね」
 セフィロトはみなまで言わせなかった。
「古洞博士もアラタくんと同じ頃、自分が人と違うことにとても悩んでいました。だから周囲との間に壁を作って自分を隠して生きていたのだと思います」
「あら、誰に聞いたの? 園長先生?」
「いいえ」
 セフィロトはそう答えながら、頭を巡らしてすずかけの大木を見上げた。
「覚えています」

     



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