第6章 「からみあう想い」  (4)                 BACK | TOP |  HOME




 セフィロトが【すずかけの家】に保育教師補助として赴任してから、2週間が経った。
 彼にとっても作られて初めて味わう、充実した時だったと思う。
 セフィロトは40名の子どもたち、そして教師たち全員に受け入れられて、愛されていた。
 もちろん、椎名先生と小松先生のやっかみは相変わらずだったろうけど、ふたりとも人格者なので、セフィロトを直接攻撃することはあれ以来ほとんどなかった。
 いくらにらんでも、にこにこと微笑み返す彼を見ていると、意地悪な気持ちになどなれなかったという方が正しいのかもしれない。
 8歳児クラスも、あれからリベンジとばかり数々のいたずらを試みた。もちろんそれは、最初のときの「教師のテスト」という意味合いは薄れて、ただのふざけ合いになっていたのだけれど。
 クラスのコンピューターにコミカルな画像が流れるプログラムを時限装置入りで組み込んだり、教室のドアが授業の途中で突然開いたり閉まったり。
 (そんな高度ないたずらが8歳児にできるものかと笑うなかれ。【すずかけの家】は、優秀な遺伝子の人工授精で生を受けた子どもたちばかりが集まっているだけに、アラタくんほどではないにしても天才的な素質を持つ子が多いのだ。)
 普通の教師ならうろたえるような仕掛けも、彼はことごとく看破する。
「なんでいっつも、バレちゃうのーっ」
 子どもたちの抗議に、セフィロトは無邪気にこう答える。
「だって、【すずかけの家】のホストコンピューターとは、もう「お友だち」ですから」
 ときどきびっくりするほどとんちんかんな言動で、まわりを呆れさせる失敗もないではなかったけれど、子どもたちにとってはそれが逆に親近感につながったのかもしれない。
 教師や親は、完璧な見本を示そうとするあまり、知らず知らずのうちに子どもたちに自信を失わせているのかもしれないと反省する。大人と子どもは等身大で向き合えばいいのだ。時には子どもの前で思いっきりころんでみせても、泣いてもいい。
 作られてようやく1歳を迎えようとするロボットのセフィロトが、私たちにそんな大事なことを教えてくれたのだ。
 アラタくんはあれからすぐ専門家に診断してもらい、「IQ200以上」というとんでもない数値を得た。
 私たちはそれを受けて、さっそく特別プログラムを組んだ。普段の4歳児クラスを受けさせながらも、臨機応変にアラタくん個別の取り出し授業をするのだ。知能は大人並みでも身体と心は5歳、というアラタくんを傷つけないように、ほかの子から隔離しないように、慎重に行う。
 まだ先の道のりは長いが、アラタくんの表情は心なしか、ゆるんできたような気がする。自分から話しに加わることが多くなってきた。理解してもらえたという安堵がそうさせるのだろうか。
 仲間はずれなのでも特殊でもない。スペシャルパーソン。かけがえのない人。
 アラタくんが自分のことを、自信を持ってそう思えるようになってくれたらいい。


 私にとってもこの上なく楽しい日々だったが、ひとつだけ困ったことが持ち上がった。
 それは、さくら先生だ。
 織江先輩をはじめとするほかの女性の保育教師たちも、セフィロトにはときどき艶めかしい視線を送っているらしいのだが、それは本気ではないし、ただのお遊びだとわかる。
 でも、さくらちゃんだけはそうではない。
 持ち前の積極性で、ことあるごとにセフィロトに話しかけ、廊下を歩いているときなどは腕を組んだりするのだ。もちろん子どもたちの前では自制はしている様子なのだが。
「弱るなあ」
 私はそれを最初に目撃したとき、口に出してそうつぶやいた。
 さくらちゃんが彼を気に入っていることはわかっていたものの、こういう積極的なアタックは予想していなかった。
 これはまずい。
 だって、彼女はセフィロトを人間だと思っているのだ。もし本気で彼を好きになってしまったら傷つくのは彼女。
 一時的なものであってほしい。
 彼も彼だ。そんなにさくらちゃんに微笑みかけなくていいのに。素っ気無くすればすむことなのに。
 なんだか心なしか、私といるときより嬉しそう。
 いつのまにか、眉と眉のあいだに思い切り皺を寄せている自分に気がつく。


「セフィ先生」
 ショートカットを揺らした北見さくらが、職員室を出て体育館に向かおうとしていた彼を呼び止める。
「はい、何ですか」
「ニュージーランドでは、クリスマスって夏なんですよね」
「そうですね。南半球では12月は夏ですから」
 人間とは、ときどき突拍子もない話題を出してくるものだ。特にこのさくら先生はそう。
 どんな超量子コンピューターも、彼女が何を話しかけてくるかだけは予測できないと思う。
「セフィ先生は、日本でクリスマスを向かえるのは初めてですよね」
「はい」
「イブの日、私とデートしませんか?」
「え?」
「お友だちが都営カジノに勤めていて、そこの最上階のすてきなフレンチレストランの予約を2人分、特別に取ってくれたんです」
「……でも、なぜわたしを、そんなところに誘ってくださるのですか」
「やだな、とぼけて。イブにデートですよ。セフィ先生のことが好きだからに決まってるじゃないですか」
「ええっ」
 ますます混乱する。
「私じゃ、おいやですか?」
「いいえ、そんな」
 次に言うべきことばが思いつかない。思考回路のアルゴリズムが完全に破綻している。
「とにかく、胡桃先生に相談してみないと」
「なぜ、胡桃先生の許可がいるんですか。先生のお宅に下宿しているから?」
 さくら先生が小首をかしげて、ちょっと頬をふくらます。
「胡桃先生は、……わたしの保護者なので」
「セフィ先生は大人なのに、保護者だなんておかしいわ。子どもじゃないんだし」
「それは……そのとおりですけど」
「それに、胡桃先生は承認してくれましたよ。わたしたちが付き合うこと」
「え?」
「私がデートに誘うって言ったとき、うんってうなずいてくれましたもん。だから、もう胡桃先生はとっくにOKなんです」
 セフィロトはそれを聞いた途端、ちくりと身体のどこかが痛むのを感じた。


「胡桃先生。クリスマス・イブ、セフィをお借りしますね」
 職員室の机でお茶を飲みながらほっと一息ついていた私の頭上から、突然振って湧いたような宣戦布告。
 そうとでも言えるような表情で、さくらちゃんが私の横に立っていた。
「デートに誘ったら、ちゃんとOKしてくれましたよ」
「セフィが?」
 信じられない知らせに、私の喉に酸っぱいものが急降下する。
「でも、だめだよ。彼は」
 とっさに出たことば。
「え? どうしてですか」
「セフィにはね。ニュージーランドに恋人がいるの。えっと、将来を誓い合ってるんだって」
 我ながら馬鹿な言い訳だと思うけど、本当の理由が言えるはずもない。
「えー。そんなの古い。いくら将来を誓い合ったって、人の気持ちなんて変わるものですよ」
「それはまあ……」
「第一、彼そんなこと何も言ってませんでした。本当にその人のことを大事に思っているんなら、私に隠す必要なんかないわけでしょう」
 反論できなくて唇を噛む。どう説明すれば、わかってもらえるのだろう。
 セフィを本気で好きになっちゃだめなんだよ、さくらちゃん。
 彼は人間じゃないんだから。ロボットなんだから。
「先輩、なんだかおかしい」
「え?」
 思わず顔を上げたら、彼女の真直ぐの瞳に出会ってしまった。笑顔なのに、目が笑っていない。
「本当はセフィのことが好きなんでしょ。だからそんな理由をつけて反対するんだ」
「ち、違……」
「じゃなければ、そんなに彼を縛る必要はないですよね」
 縛る? 私はセフィロトを縛っているの?
「違うんなら、認めてくださいますよね。イブのデート」
 畳み掛けるようなさくらちゃんの声が私の中に反響し、私は何も答えることができなかった。


 セフィロトが【すずかけの家】に行くようになってから、彼と私はいつもそばにいる。
 行き帰りの車の中も、駐車場から家に入るまでの間もずっと隣り合っている。
 いっしょに夕食のお皿を並べ、いっしょに台所に立つ。
「さくらちゃんと、クリスマスイブの日食事に行くんだって?」
 私はキャぺツを千切りに刻んで、冷水のボールに放った。
「はい。胡桃がOKしていると聞きましたので」
 セフィロトは下味をつけた肉をオーブンに入れて、温度と時間を設定した。
「……それに、わたしは子どもではありません。自分の行動は自分で決められます」
「セフィは、さくらちゃんとデートしたいのね?」
「とても興味はあります」
「さくらちゃんはいい子だもんね」
「はい」
 心臓のあたりが浮き上がったように強く脈打つ。
 そうか。セフィロトは私以外の人間に興味を持っているのだ。
 それは子どもの発達にはむしろ当然のこと。母親だけにまとわりつくほうが、むしろおかしい。
 それが若くて魅力的なさくらちゃんなら、なおさら私なんかより。
「そうね、たまには私以外の人と話すことも、セフィの成長のためには大事だと思うわ」
「だから胡桃は、賛成したのですね」
「そうね。反対する理由は何もない。ただ」
 私は、彼が切っていたじゃがいもの残りを何個かもらって、剥き始めた。
「クリスマスイブは、女の子にとって大切な日だってことなの」
「その日は、宗教的な意味合いの祝日だと聞いています」
「そう。でも日本ではね、イブは一番大切に思っている相手と過ごす日なの。たいていは夫婦や家族や恋人とね」
 セフィロトは息を呑んだような音を立てて、こちらに顔を向けた。
「知りませんでした。それではわたしは、マスターである胡桃といっしょに過ごすべきではないのですか?」
「ううん、そういう意味じゃない」
 キャセロール皿に切り終えたじゃがいもと鮭のフレークを入れ、チーズソースをかける。
「でも、くれぐれもさくらちゃんの気持ちを傷つけないようにね」
「傷つける?」
「もし彼女が本気であなたのことを好きになってしまったら、取り返しがつかないでしょう?」
「取り返しがつかない?」
「うん」
「もしそうなったら、わたしはさくら先生と結婚して、責任を取らなければいけないのですか?」
「う、ううん。そんなまさか」
 どこで、そんな話を仕入れてくるのだろう。また昔の小説かな。
 私は包丁をまな板の上に置き、エプロンの端で口に浮かぶ笑いを覆った。
「もっと軽く考えていいのよ。ただ注意してほしいの。何もさくらちゃんに冷たくしろって言うわけじゃない。でも親密になりすぎて、あなたがロボットであることがバレてもいけない。ほどほどにしてほしいの」
「わかりました」
 私たちは黙り込んで、お留守になっていた手を動かし始める。炊飯器と電気鍋がことことと音を立て始めた。
「胡桃」
「何?」
「本当にいいのですか? 胡桃が反対なら、わたしは断ります」
 思わず、目をギュッとつぶる。
「反対する理由はないって言ったでしょ」
「ほんとうに?」
「あたりまえよ。その日以外は、イヤって言うほどいつも一緒にいられるのよ?」
「そうですね」
 私が彼を縛ってはだめ。
 ロボットであることが寂しいと言っていたセフィロト。
 もしかして私は彼を、自分の寂しさにつき合わせていたのかもしれない。もっと彼にいろんな世界を見せて、いろんな人に会わせ、豊かな感情を教えてあげるべきだった。
 彼を自由にしてあげなくては。空虚な気持ちを埋めるために彼を利用しちゃいけない。
 彼に本心を知られないように微笑みながら、私は自分にそう言い聞かせていた。


     



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