羊飼いの見た夢



02



「武器強化魔法はまだか!」
 オギは、剣にべっとりとついた機械油を岩壁でこすり落とした。
 敵は旋回する鋼鉄の羽根を持っている。なみの攻撃では通用しないのだ。
 クラバが唱えていた長大な魔法が、ようやく完成した。雷撃に撃たれて、黒光りのする扇風虎は灰色の煙をしゅうしゅう上げて、崩れ落ちた。
「できました!」
 ユキヤの手の中に光り輝く魔法の球を見て、オギはため息をついた。「遅えよ」
「ご、ごめんなさい」
「この階の敵は一掃したようですね」
 クラバは、用心深くあたりを見回した。「上の階にあがりましょう」
 らせん階段は上階に行くほど、ますます狭くなってきた。一番前を率いていくのは、クラバだ。
「まるで、DNAのらせんですね」
「なんだよ、DNAって」
「知らないですか、DNAというのは」
 クラバはきょとんとした顔になった。「ああ、この世界にはないもののようです」
 最後尾のオギは、ユキヤのおさげにした銀色の髪がゆらゆら揺れるのを見つめていた。ふと天頂で何かが光った。大きな翼を広げた時計鳥が彼ら目がけて急降下してくる。
 オギ以外のふたりは気づいていない。もし彼がユキヤだけを引き戻して物陰に伏せれば、クラバひとりが敵の攻撃をまともに受けるだろう。
 そうすれば――邪魔者はいなくなる。
「伏せろ!」
 オギは叫びながら、瞬息の剣を放って、時計鳥の翼を切り裂いた。
「ひゃあ」
 ばらばらになったネジやゼンマイを浴びて、ユキヤはヘンテコな悲鳴を上げた。
 クラバはオギに向かってにっこり笑った。「おかげで、助かりました」
 オギは剣を鞘におさめて、ため息をついた。「くそ、またしくじった」
 彼らの国には十五年前、突如として巨大な巻貝型の塔が現れた。塔は異界へ通じており、そこからあふれ出た魔物たちに人々は苦しめられた。
 そこで、その大厄の年に生まれた少年少女の中から、特別な力を持つ者が選りすぐられ、王から魔物討伐の命を受けたのだ。多くの者が挑んでは敗れ去るなか、オギとクラバ、ユキヤのパーティは人々の希望を背負って塔の内部に入った。
 百層以上あると言われる巻貝の塔の十二階。
 白魔導士のユキヤが結界の魔法を唱え、彼らは水袋の水を飲み、チーズと干し肉をかじった。ユキヤはマントにくるまって冷たい床に横たわると、すぐに寝息を立て始めた。
「さっきは、ありがとう」
 黒魔導士のクラバがひそやかな声で言う。「迷わず、見殺しにしてくれてもよかったのに」
「なんだ、知ってたのか」
「ここで死んでも、本当に死ぬわけではない。うすうす感じているでしょう」
「ああ」
 剣士のオギは、塔の内部を見渡した。「怪我をすりゃ痛いし、食わなきゃ腹が減る。けど、ここは真実の世界じゃない」
「たぶん、ゲームか何か……なのでしょう」
「ゲームか」
「剣と魔法でモンスターを倒す。確か、ファンタジーRPGと呼ぶのでしたね」
「乙女ゲームというのもあったな。オフィスや学校でイベントをこなして、狙った異性の好感度を上げていくんだ」
 さきほどのDNAと同じくらい、この世界では耳慣れない響きのことばが、堰を切ったようにふたりの口から出てくる。
 クラバは、顎に拳を当てて考え込んだ。「ゲームだとしたら、その目的はなんだと思いますか」
「目的?」
「ゲームには必ず、クリアする条件があるはずです」
「それは――」
 ピンク色の頬で幸せそうに眠っているユキヤのほうを、チラリと確かめる。「それは、お互いわかっているはずだ」
 オギはまっすぐな眼差しでクラバを見た。クラバは静かに彼を見つめ返した。
 そのときユキヤが、「う……ん」と小さなうめきを漏らす。「ひつじが一匹……」
 クラバとオギは同時にぷっと吹き出した。「なんだよ。今のは」
「眠れないときに、羊を数えると眠れるって言いますが」
「寝言で数える人は初めて見たぜ」
 クラバは、ひやりと冷たい塔の壁に頭をもたせかけ、果てしなく続くらせんの階段を見上げた。
「僕たちはずっと、最初からふたりだけだったのでしょうか」
「どういう意味だ」
 オギは床に肘をつき、欠伸まじりに言った。「一番最初は、そうじゃなかったと?」
 「何十人か。何百人か。何千人か」と言いながら、クラバは目を閉じる。
「スタートは大勢いたのかもしれません。けれど最後に僕たちふたりが残った」
「最後のひとりになるまで生き残ると、ゲームのクリアってわけか」
「まるで……受精卵のように」
 魔物と戦った疲れにうとうとと微睡みながら、ふたりは同じ映像を見ていた。
 二億とも四億とも言われる精子が、ひとつの卵子に殺到する。想像を絶する生存競争。卵子にたどり着くことができるのは、たったのひとつ。
 最後のひとりになるまで――


「お嬢さまに、こんなことをしたくはなかった」
 言い訳をしながら、小城は有希夜の両手を紐で何重にも縛りつける。
 床にころがされていた桜庭は、そのあいだになんとか手の縛めをほどこうとしていた。
 ライフルを背負ったもうひとりの男が、彼の脇腹を蹴り飛ばした。「よけいなことはするな。じっとしていろ」
「お願い。彼にひどいことはしないで」
 有希夜は、か細いが毅然とした声で叫んだ。「悪いのは、わたしでしょう。ぶつならわたしをぶちなさい」
「お嬢さまがが悪いのではないのです」
 とまどうように、小城は答えた。「旦那さまが――あなたの父上は独裁者として長い間この国をおもうままに支配し、国民を苦しめている。自由を叫ぶ大勢の国民を弾圧し、投獄し、殺してきた」
「……」
「同志が無事に釈放されるまで、あなたには人質となっていただきます。どうぞ、あちらの部屋でゆっくりお休みください。抵抗しなければ何もしません」
 もうひとりがライフルの先でうながす。連れて行かれようとしたとき、有希夜は振り返った。「小城……」
 小城は微笑んだ「もう、わたしがいなくても、ひとりで眠れるはずです。羊を数えなくとも」
 有希夜は出て行き、がらんとした倉庫の中には寒々しい静寂が落ちた。
 横たわったまま、桜庭は話しかけた。「羊を数えるって、なんのことだ」
 小城は、大統領の娘が座っていた椅子に腰かけ、背もたれに肘を乗せた。「お嬢さまが小さいころ、眠れないときは、羊を数えてやったんだよ。羊が一匹、羊が二匹……ってね」
「油断したよ。長年仕えた執事のおまえが反乱軍の一味だとはな」
 くくっと喉の奥で笑う。「おかげで、高額の給料で雇われたボディガードが、このざまだ」
「これ以上話しかけるな」
 銃口を持ち上げ、小城は冷たい目で桜庭を見た。
「気の遠くなるような計画だ。おまえはこの日のために大統領の家に入り込んだ。十年の歳月をかけて、有希夜から完全な信頼を勝ち取った」
「黙れと言ったはずだ」
 小城は立ち上がり、銃口を桜庭の額にぴたりとつけた。「お嬢さまは父親を憎み、わたしに頼り切っていた。こんな手を使わなくても、わたしの言いなりになって、反乱軍に協力したはずだった。おまえさえ、お嬢さまのそばに来なければ……」
「有希夜は誰かの言いなりになるような子じゃない。弱そうに見えても、ちゃんと自分の意志を持っている」
「そんなことはわかってる。お嬢さまのことは誰よりもわたしが一番わかっている。なのに、なぜいつも後から来て、僕の邪魔をする」
「いつも? そうさ、いつもだ」
「……」
「おまえはいつも、最初から有希夜のそばにいる。そして、いつも僕があとからやってくる。僕たちふたりは、そうやっていつも有希夜を取り合う。延々と同じことの繰り返しだ」
「繰り返し……」
 小城は息苦しさに耐えかねたように片手で喉を押さえた。「じゃあ、終わらせよう。ここで終わらせる」
 引き金に指がかかる。
「小城。やめて!」
 有希夜が駆けこんできて、小城の手の中の銃に掴みかかった。「だめ!」
『どちらかひとりを選べ』
 選べない。
『選べ』
 選べない。
 銃が暴発する。


 うぃんうぃんと、機械が小さなさえずりを立てている。
 ガラス張りの病室の中で、有希夜はたくさんのチューブにつながれて横たわっていた。
「脈拍、呼吸、酸素濃度、異常なし」
 小城は、ガラス越しに機器の数字を読み取り、手元の端末に入力していく。
「目覚めたのか」
 同じ制服を着た桜庭が、廊下を歩いてきた。
「ああ」
「さすがに疲労感が残るな。計算上では、疲労ファクターは覚醒時に完全に除去されることになっているのに」
「しかたないさ。わずか四十八時間のうちに、テロリストになったり学生になったり、ダンジョンで魔物と戦ったり、オフィスで部長に怒られたりしてきたんだからな」
 小城がからかうと、桜庭は笑いを含みながら窓を見た。
「もう二年になるな。有希夜との旅が始まってから」
 円形の窓と見えるものは、外部の画像モニターだ。モニターに映る星々は、ゆっくりした速度で回転している。ステーションは、0.8Gの重力を維持するために絶えず自転しているからだ。
 銀河系から7000光年離れたカリーナ星雲。すでに生命の住めるところではなくなった母星を脱出し、ここにたどりつくことができた人間は、およそ数千人にすぎない。ついに発見された地球型惑星に植民地を建設するまでは、宇宙ステーションが何世代にもわたる彼らの住処だ。
 ここでは、出生はシステムの完全な管理下に置かれている。結婚や恋愛の自由は認められない。システムが遺伝学的適合者を選び出し、数々のメンタルテストを経て、最終的にひとりの異性への恋愛感情を植えつけられ、配偶者として選ぶことになっている。
 そうして誕生したカップルたちは、新天地のアダムとイブになるという重大な使命を負うのだ。
 有希夜の場合は、まれにみる特殊な事故だった。システムが施すメンタルテストの中で、有希夜の精神は暴走を始めた。覚醒もうまく行かず、以来二年間、有希夜は昏睡状態から覚めていない。
 メディカルチームによるさまざまな治療も効果がなく、ついにシステムは、適合者の中から小城と桜庭というふたりの医師を選び出し、有希夜の治療に専念させることにした。
 ふたりは彼女のメンタルテストの中に自ら入り込むという手段を選び、治療の道をさぐることにした。以来、彼らはテストからテストへと転送され続けている。
「なんとなく、彼女が目覚めない理由がわかった気がするよ」
 小城は、ガラスの向こう側でベッドに横たわる少女を見つめた。
「なんだ」
「有希夜は、選ぶことを恐れている。自分が選ぶことで、他人を傷つけることを恐れている。他人を傷つけることで、自分も傷つくのを恐れている」
「ああ、なるほど」
 桜庭はうなずいた。「だから、夢の中で生き続けることを選んだのか。むしろ、選択しないという選択をしているんだ」
「だが、宇宙では、そんなわがままは許されない」
 小城は、病室との仕切りガラスにこつりと額を押し当てた。「ひとりの不適格な行動は、未来の人類の滅びを意味する。生きるとは、大なり小なり他人を押しのけることだ。新しい環境に適応するためには、われわれはより強く、より優れたものにならなければならない」
「人類はその力をなくし、衰退の一途をたどってきた。だからこそ、再生のためにシステムの完全な管理下に置かれることを選んだんだ」
「だが、果たしてそれでいいのだろうか、桜庭」
 小城は訴えかけるようなまなざしで同僚を見つめた。「人を愛する気持ちも機械にコントロールされることは、正しいのだろうか」
 桜庭は、のろのろと首を振る。「だからと言って、他にどんな道がある」
「……わからない」
 ふたりの医師は、昏睡する少女をガラス越しに見つめる。大切な宝物をいつくしむように、いとおしげに。
 桜庭がつぶやいた。
「本当は、目覚めるたびに思うんだ。いつまでもこの三人の関係を壊したくないって」
「ああ、僕もだよ」
「結局ふたりとも、彼女の精神に汚染されたというわけだ」
「システムに知れたら、担当をはずされるな」
「それは困る」
 ふたりはこみ上げる笑いを隠すために、互いに顔をそむける。
「冗談だよ。必ず決着をつける。それまで僕らは、延々と架空の世界を渡り歩かなければならないからな」
「次は、どんなテストを選ぶかな」
「最後みたいなのは、もうやめてくれよ。あの銃の暴発は、肝が縮んだ」
「桜庭課長の口説き文句も気持ち悪かったぞ」
 楽しげに応酬していたふたりだが、ひとりが急に口をつぐみ、蒼ざめた。
「ちょっと待て。ここは本当に現実か。もしかすると、僕たちはまだゲームの中にいるんじゃないのか?」
 

  綿子さま主催企画「Other's plot plan 2」にて、
恵陽様からいただいたプロットで書かせていただいた作品です。