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夏色毛糸玉








「誕生日とは、何だ」
 ある日突然、主(あるじ)から真面目な顔で訊ねられて、ヴァルデミールは目をぱちくりさせた。
「ニャニって、生まれた日のことですよ。ほら、毎年冬になると、姫さまがお生まれにニャった日をお祝いしてるでしょう」
「そうか。あれは、雪羽だけにあるものだと思っていた」
 ゼファーは、自分の迂闊さを呪うかのように、うめいた。「すべての人間に誕生日というものがあるとは、気づかなかったな」
「魔族にもありますけどね。ニャにせ人間に比べてうんと長命ですから、人間ほど盛大に祝ったりはしません」
 ヴァルデミールは、ため息をついた。「まして、精霊の騎士としてお生まれあそばしたシュニンには、誕生年はあっても、誕生日というものが存在しニャいですからねえ」
 アラメキアの精霊の国の奥深く、人や魔族の目には決して見えない神秘の場所に隠れているのが、すべての精霊の誕生の地、《カムリの森》だ。
 すべての精霊は、その森に咲く花の蕾の中から生まれ落ちる。いや、『生まれ落ちる』という表現は正しくない。目覚めたときには、すでにりっぱな成人の肉体をまとっているからだ。ほどなく、女王からの使いが来て、精霊の宮殿に迎え入れられる。
 一応、「瀬峰正人」の戸籍には「1974年8月2日」と生年月日が記載されているが、それはあくまで精霊の女王が書類をそろえるときに適当に書き込んだ、便宜上のものだ。
 だから、ゼファーの八百年余の生涯には、誕生日を祝ってもらった経験が一度もない。
「けれど、どうして急に、そんニャことを?」
「佐和が、きのうカレンダーをめくりながら、不意に言い出したのだ」
「どういうことを?」
「正確には覚えておらぬが――確か、こんなふうだった。『あら、私、もうすぐ誕生日なのね。いやだわぁ』」
 夕暮れの公園のベンチで、顔を寄せてひそひそ話をしているふたりの見目麗しき男に、通りかかった中年の女が好奇心まるだしの視線を浴びせていく。
「ニャんと。奥方さまは、誕生日が来るのを嫌がっておいでニャのですか」
 ヴァルデミールは怪訝な顔で問い返した。
「ご馳走とケーキが出て、プレゼントももらえる、あれほど楽しいことがいっぱいの日がお嫌だとは、信じられません」
「俺にも、さっぱり理由がわからぬのだ」
 ゼファーは、途方に暮れて首を振った。「訊ねてみようとしたのだが、佐和を傷つけてしまいそうで、とても訊けぬ」


「……というわけで、わたくしが奥方さまに、その理由を訊ねてくるように仰せつかったんだけど」
「なんだ、そんなことか」
 半ズボンから伸びた、少年らしいしなやかな両脚をばたばたさせながら、ナブラ王ユーラスが笑った。
「学校のトモダチに聞いたことがあるぞ。この世の女たちは、十八歳になったとたんに『ババア』になってしまうそうだ」
「ええっ?」
「だから、女たちは十八歳を過ぎると、誕生日が来るのが、ことのほか苦痛になると言っておった」
「知らニャかった」
 ユーラスの博識に感心して、ヴァルデミールの口は開きっぱなしだ。
「十八歳にして突如年を取ってしまうとは、さだめし、ニャにかの呪いに違いない」
「うむ。おそらくアラメキアの最高位の魔女でも、それほどの呪術はかけられぬだろうな」
「おかわいそうに」
 ヴァルデミールは、しょんぼりと長髪頭を垂れた。
「十八歳で『ババア』だとすると、とてもそうは見えニャいけど、奥方さまは『大ババア』ニャんだ。すると『相模屋弁当』の社長ニャんかは、『スーパーババア』――」
「……おい。そういうことは、本人の前で言わぬほうがいい。殺されるぞ」


「……というわけニャのです」
 ヴァルデミールは早速、この怪情報をゼファーに逐一報告した。
「誕生日がお嫌だとおっしゃったわけがわかりました。十八歳以上の地球の女性は、全員必死で、自分が『ババア』であることを隠そうとしているのです」
「そんな話は、聞いたことがないぞ」
 平静を装ってはいるが、ゼファーにとっても、この話はかなりショックだ。
「とりあえず、奥方さまを悲しませたくニャければ、誕生日の話は絶対に、ぜーったいに禁句です」
 ヴァルデミールは、魔王軍の作戦参謀よろしく、胸をそびやかして断言する。
「いいですか。話を向けられても、あくまで知らぬふりを通すのですよ」


 佐和はまたカレンダーをじっと見つめていた。
 彼女の誕生日は、とうとう今週の土曜日。
 結婚してからこれまでは、誕生日どころではなかった。家事と小さい子の世話とパートに追いまくられる日々。気がつけば、誕生日がとっくに過ぎていた年もあったくらいだ。
 今も、決して生活に余裕ができたわけではない。夫の勤める工場はずっと倒産の危機に直面していて、製造主任である彼も心の休まる暇がないのはわかっている。
 それなのに、なぜ今年に限って、これほど誕生日にこだわってしまうのか。自分でも、さっぱりわからないのだ。
 何気なさを装って、夫の前でアピールしているのに、夫は知らん顔。
 ゼファーがいたアラメキアでは、誕生日を祝う習慣がないのだと、いつか言っていたことがある。でも、雪羽の誕生日は毎年欠かさず祝っているのだから、気づかないはずはない。
「心の危険信号が、『愛情不足』って点滅してるのかしら」
 ひとりでつぶやき、おかしくて笑ってしまう。
「いやだわ。結婚して六年も経つのに、今さら」
 味噌汁に入れる白葱を刻んでいると、ゼファーが帰ってきた。
「おかえりなさい。ゼファーさん」
「父上ぇ。おかえりなしゃーい」
「ただいま、雪羽」
 ふたりで出迎えると、夫は走って来た娘をすぐに抱き上げ、いとしげに頬にキスをする。
 そういうときの彼の優しい笑顔を見るのは、大好き。
 でも、たまには、娘でもなく、仕事でもなく、私のことだけを見つめてほしい、という願いが佐和の心に芽生え始めたのだ。
 彼の視線の中で、自分だけが主人公になっていたいと思うのは、ぜいたくなのだろうか。
「佐和」
 ドキンとした。気がつくと、ゼファーが真剣なまなざしで、佐和だけを見つめている。
「……何か焦げてる匂いがするぞ」
「いけない!」
 焼き網の上で、おにぎりに入れる塩鮭が見事に炭化していた。
 ヴァルデミールが今日は残業なので、一匹鮭が余っていたのが、せめてもの幸い。
 会話がちっとも弾まない夕食の席で、佐和はつい我慢できなくなって、ぽろりと口に出した。
「あ、そうだ。今度の土曜日ね……」
「げほっ。げほげほっ」
 とたんにゼファーは、激しい咳を始めた。
「すまん、お茶をくれ」
「は、はい」
 それからというもの、夫は佐和が何かしゃべろうとするたびに、わざとらしい咳をした。
 ゼファーさんは、私の誕生日を祝いたくないのかしら。プレゼントを買うお金がないことくらい、わかっている。――でも、私が欲しいのは、モノなんかじゃない。
 こんなに幸せなのに。これ以上望むものなんて、ないはずなのに。私は、わがまますぎる。
 食器の片付けをしながら、じわりと佐和の目に、ひそやかな雫があふれた。


 ゼファーが朝、工場へ行くと、搬入口の隅で若い工員ふたりが向き合って、なにごとか話している。
 ひとりは、研磨工程の水橋ひとみ、もうひとりは資材係の重本哲平だ。
 重本が水橋に小さな箱を押しつけ、水橋が項垂れながら、その箱に手を伸ばすかどうか迷っているらしい。
 ゼファーが近づく気配に、ふたりははっと振り向いた。
「しゅ、主任!」
 水橋は、うろたえた声を上げると、重本に向き直り、ぐいと箱を押し戻した。
「あたし、やっぱり受け取れないから!」
 そして、ばたばたと中に走り去った。
「どうしたんだ」
 ひとりその場に残された男子工員に、ゼファーは訊ねた。
 彼は片頬だけでニッと笑って、「なんでもねえ」と首を振った。
「今日は、水橋の誕生日なんだ。それで安物のブローチ買ってきて、渡そうとしたんだけど」
 と照れ隠しに、頭に手をやる。「あっさり断られちまった」
「そうか。水橋も誕生日だったのか」
 ゼファーは、同情をこめて彼を見た。
「女は十八を過ぎたら、自分の年を隠すと聞いたぞ。水橋も、誕生日を誰にも祝われたくなかったんだろう」
「オレ、そういう女の気持、あんま、わかんねえけど」
 顔を赤らめながら、重本はぶっきらぼうに続ける。
「喜んでもらえなかったのは――たぶんオレのせいだよ。水橋の心の中で、オレが主任を越えられなかっただけの話だ」
 そして、突き返された箱をじっと見下ろした。
「それでも、オレ、祝ってやりたかった」
 その朴訥なことばに、ゼファーはハッとする。
「……オレ、暴走族上がりで、ここに勤め始めた頃も、朝弱くって、仕事サボってばっかでさ。そのとき水橋に、めちゃくちゃ怒られたんだ。あんただけが辛いんじゃないよ。みんな必死で頑張ってるんだよって。だからオレ、辞めずになんとかやってこれた」
 そして、顔を上げて、今度は満面で笑った。
「だから、迷惑なの承知で、せめて、おめでとうを言おうって思ったんだ。そして、ありがとうって」


 ゼファーは公園で、雪羽をシーソーに乗せた。自分はその反対にまたがり、足を地面に着けたまま、雪羽の動きに合わせてゆっくりと上下を始めた。
「雪羽は、誕生日には何が一番うれしかった?」
「タンジョービ?」
「母上の誕生日を祝いたいのだ。なるべく心が傷つかぬように、おめでとうを言いたいのだが、何か母上の喜びそうなものを知らないか」
「きれいなドレス!」
「ドレスか……」
 ゼファーはしばらく唸っていたが、首を振った。「もう少し金のかからないものがいいな」
「ケーキと鮭のおにぎり!」
「なるほど」
「おさんぽ。公園でぎっこんばったん」
「それは、雪羽が今やってることだろう」
「えーとえーと、父上とふたりでお風呂」
「雪羽は、そんなにお風呂が好きか」
「うん、それに、ヴァユと入るのも、ダイ好きー」
「……なんだと。いつヴァルデミールと風呂に入った?」
「えーと、母上がおネツ出たときとかねー。ヴァユに、せなかゴシゴシしてもらった」
 ゼファーはふところで、そっと怒りの鉄拳を固めた。


 いよいよ土曜日の朝。
 佐和が早朝のパートに行っている隙に、計画を実行に移す。
 ご飯を炊き、鮭を焦がさないように焼き、そのピンク色のほぐし身を、大きな皿にご飯を薄く敷き詰めた上に乗せていく。その手順を何回か繰り返すのだ。
「えー。これがケーキ?」
 雪羽は、不満そうだ。
「このように階層をなしているものを、ケーキと呼ぶのではないのか」
「でも、ケーキは甘いんだよ」
「では、砂糖をうんと混ぜてみるか」
 幼い娘は、味見のひと口を、すぐにダーッと吐き出した。
「まじゅーい」
「……わかった。作り直す」
 その頃、ヴァルデミールはアパートの階段の下で待ち構え、仕事から帰ってきた佐和を呼び止めた。
「奥方さま、大変です」
「あら、どうしたの。ヴァルさん」
「ニャブラ王の悠里が、二百八十度の高熱を出したんです」
「ええっ?」
「あまりに汚い家のホコリを吸ったからだと思います。早く、来てください」
 佐和がヴァルデミールに誘い出されているあいだに、瀬峰家ではパーティの準備が着々と整えられていく。
 結局、天城研究所の隅から隅まで掃除をする羽目になってしまい、疲れ果てた佐和が戻ってくると、どうも様子がいつもと違う。
 扉に鍵がかかっているのを不思議に思って開けてみると、入ったとたんにクス玉が割れて、紙吹雪がたくさん頭の上に落ちてきた。
「おめでとー、母上!」
「はっぴばーすでー。奥方さま!」
 食卓の上には、大きな皿にきれいに盛り付けられた特大『鮭のおにぎりケーキ』。ヴァルデミールが『相模屋弁当』でもらってきた鳥の唐揚げやポテトサラダも、彩りを添えている。
 本物の苺のショートケーキも、1個だけ。
「誕生日おめでとう、佐和」
「ゼファーさん……」
 けれど、何よりも佐和の心をゆすぶったのは、まっすぐに彼女のことを見つめて微笑んでいる夫だった。
 結婚して六年も経つのに、彼の漆黒のまなざしは佐和を少女のようにときめかせる。
 祝いの宴のあと、ゼファーは佐和をふたりきりで散歩に誘った。
 行き先は、いつもの公園だった。ジャスミンの香りが夕方の空気を、くっきりと甘く染めている。
「ゼファーさんがおにぎりを作ってくれたのは、これが二回目ですね」
「そうだったか」
「最初は、雪羽を産んだ産院でした。あのときは、鮭の皮も骨も丸ごと入っていたけれど」
 くすくすと幸せそうに、佐和は笑った。「今日のは、とてもおいしかったです。見た目も塩加減も最高でした」
「俺のおにぎりも少しは上達したかな」
「ええ」
 ゼファーは佐和の手を引っ張り、シーソーの片側に横座りにさせた。
「実は今日は、雪羽が決めた台本どおりにやっている」
「まあ、そうなの」
 ふたりは、しばらく黙って、シーソーの両側に座っていた。
 やがて、佐和が唐突に話し始めた。
「私ね。初恋は、中学生のときだったんです」
「そんなこと、初めて聞いたぞ」
「ごめんなさい。言いませんでしたか」
 ゼファーは少し不機嫌そうに、妻の独白に耳を傾けている。
「その子は、雪羽と同じで寒い冬の生まれでした。それで私は、誕生日に手編みのマフラーをプレゼントしてあげたいと思ったの」
 佐和は頬杖をつきながら、遠くを見る目つきになった。
「でも、私は昔から無類のぶきっちょで。マフラー一枚編むのも、大変なことだったんです。だから、一念発起して、夏休みに毛糸を買って、半年かけて完成させるという壮大な計画を立てました。ウールの毛糸なんて、夏には店ではまだほとんど売ってなくて、探すのが大変でした」
「……で、結果は?」
 佐和はくすくす笑う。「編みあがった頃、彼にはちゃんと別の彼女ができてました」
 シーソーを降りたあとは、恋人同士のように、ベンチに寄り添って座った。
「実は昨日、手芸屋さんを探し回って、青い毛糸をたくさん買ったんです。ゼファーさんと雪羽の誕生日にあげるマフラーを今から編み始めようと思って」
「だが、俺の誕生日は……」
 佐和はぱちぱちと瞬きをして、いつもの優しい瞳で夫をじっと見つめた。
「いいんです。ただ、私がお祝いしたいんです。ゼファーさんがこの世界に来てくれたことを」
「佐和」
 ゼファーは長い腕で、すっぽりと妻の身体を包み込んだ。
「おまえこそ、ずっと俺の隣にいてくれて、ありがとう」
「ゼファーさん」
 佐和がそれまで感じていた寂しさは、塵のようにどこかに飛んでいってしまった。
 愛する人が、自分を見つめ、自分の声に耳を傾け、自分のことだけを考えてくれる瞬間。
 たとえどんなにお互い忙しくてすれ違っても、どんなに思い通りにならない毎日でも、その瞬間をケーキのように重ねて行くことが、結婚の幸せなのだと思った。
「さあ、帰りましょう。きっと雪羽が待ちくたびれているわ」
 夫婦は手をつないで、暮れてゆく街を歩き始めた。
「そういえば、雪羽の立てた誕生日の計画は、あとひとつ残っていたな」
 ゼファーは塩鮭色の夕焼け空を仰ぎながら、言った。「もうしばらく、ヴァルデミールに雪羽を見てもらわねばならん」
「あら。そんなに時間がかかることですか?」
 ゼファーは佐和の腕を引き寄せた。
「ふたりでいっしょにお風呂、だそうだ」
 魔王の声は心なしか、とてもうれしそうだった。
 








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