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Episode 12
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戸外に出た彼を待っていたのは、鉛の雨だった。 無数にふりそそぐ雨は全身を貫き、真っ赤な血のしぶきが彼の体をゆっくりと染め上げた。 アスファルトの舗道に叩きつけられ、こときれた彼は17歳。 名をユーウェン・オニールと言った。 ユーウェンが部屋に入ったとき、5歳年下の少年は隅の壁にもたれて、分解した銃を掃除していた。 「ダニエル」 少年は手を止め、青緑色の瞳を上げて、かすかに微笑んだ。 長い金髪にふちどられた顔は少女のようだ。女っ気のない兵隊たちが騒ぐのもわかるような気がする。 ただ、誰も彼のそばに近寄ろうとはしない。奇妙なオーラをまとっているのだ。彼は。 わずか11歳のときにベルファストの半数の不良グループを牛耳っていたという噂や、 けんかをふっかけてきた相手をことごとく半殺しの目に会わせるという噂。 しかし、それとは全然別の種類の、言葉にできない怖れを周囲の者は感じているのだ。 「熱心だな。それは、こないだ支給された銃か」 「ああ」 ユーウェンは彼の隣に腰を下ろし、にっこり笑った。肩まである黒い髪。夜の海のような深青の瞳。黒ずくめの服と言えば、ベルファストで知らぬ者はいない。 IRAの少年兵の中で一番の闘士、ユーウェン・オニール。 ダニエルは彼にちらりと目を走らせると、うつむいてまた銃にむかった。 「この前の爆弾もおまえが作ったんだってな。上層部が舌を巻いてたぜ」 「あれは僕じゃない。ダニエルが作った。あいつは機械いじりや細かい仕事が得意なんだ」 「おまえがダニエルだろう」 「違う。僕はシェーンだ」 あっけにとられて見ているユーウェンの視線を身体の右半分で感じたのか、彼は喉の奥でひきつったような笑い声をもらした。 「頭がおかしいと思ってるだろ。いいよ、小さい頃からずっとそう言われてきたから。頭がイカれてる。悪霊にとりつかれてる。本当のことだ。間違いじゃない」 「何を言ってるんだ……。自分のことをそんなふうに言うなよ」 「自分のことだからこそ、言えるんだ」 ユーウェンは肌が泡立つのを抑えて、もう一度彼を見つめた。 確かにダニエルには、理屈で説明できないことが多かった。ムラがありすぎる。何もしゃべろうとしないとき。ベッドで震えながら子どものように泣きじゃくっているとき。 大人を従えるほどの威圧感を見せるとき。男を誘うような仕草で妖艶に笑っているとき。 まるで、それは別人が彼の中に何人もいるようだった。 「おまえがダニエルじゃないなら、なぜそう名乗る? 本当のダニエルはどこにいる?」 「この中だよ」 彼は額のまん中に、たった今組み立てたばかりの銃口を当てた。 「こわがりなんだ。人間をこわがっている。誰もいないときにこっそり出てくるんだ」 「人がいるときは、おまえが出てるってわけか、シェーン?」 「ああ、すごいね。ユーウェン。さすがに物分りがいい」 「どうして、そんなことに?」 「どう思う? 自分が慕うたったひとりの肉親が、自分のことを憎んでいる。四六時中、暴力をふるわれる。でもその人のことをまだ愛してるんだよ、ダニエルは。正気でいられると思うかい?」 「いいや」 「だから、狂った。自分の中に悪魔を何人も住まわせた。そのうちのひとりが僕なんだ」 雨に煙る夜の街のどこかで、何発かの銃声がくぐもった音を立てて響いた。 北アイルランドの首都ベルファストでは、銀行強盗、爆破テロ、対立グループ同士の血で血を洗う抗争が 日常茶飯事だった。 「ああ。僕も早く敵を殺して、一人前になりたいな」 うっとりと、彼は自分の手の中にある、なめらかな銃身をなでた。 「シェーン」 「なに?」 「俺になにかできることはないか?」 金髪の少年は、ゆっくりと薄い唇に笑みを形作った。 「なにもないよ」 「だが……」 「じゃあ、お願いがある」 「どんなことだ?」 「これからもときどき、今みたいに聞いてほしい。『なにか俺にできることはないか』」 「それだけでいいのか」 「そして、そのたびに僕は『なにもない』と答える」 「暗号みたいだな」 ユーウェンは楽しげに笑った。 「わかった。約束しよう。俺とおまえだけの秘密の合言葉だ」 せまい路地に飛び込む。 収集車が来ないため、もう何日も山積みになっているゴミのかげに身をひそめ、自分の袖に噛みついて、走りづめに走った荒い呼吸を無理やり殺す。 追っ手をやりすごしたあと、シェーンは自分の手を見た。 相手の懐に銃をもぐりこませ、3発撃った。銃も手も、その鮮血で真っ赤だ。 震える指を、引き金からやっとのことで引き剥がした。 「泣くな、ダニエル」 彼は息のあいまにつぶやく。 「僕たちはやったんだ。奴はアルスター義勇軍(イギリス派のテロ組織)のトップクラスの幹部だ。そいつを僕たちが、この手で暗殺したんだ」 思わず吐き気がこみあげ、えずく。 「しっかりしろ。これで上層部にも認められる。ユーウェンといっしょに行動できるんだ。うれしくないのか。アパートを一部屋借りられるんだぞ。 あのくそったれの変態にもう殴られなくてすむんだ。人をひとり殺すくらい……」 眼から涙があふれるのを感じる。 少年兵たちの隠れ家のある街区に戻ったとたん、銃声が響いた。 何かの衝動に突き動かされ、走る。 隠れ家の玄関で、血を噴き出しながら、人間が倒れるところだった。 「ユーウェン!」 彼を追ってきた敵の組織の連中が、報復のため機関銃を乱射したのは、明らかだった。 シェーンは自分の口が何かを叫んでいるのをおぼろげに知った。だが、もうその声は聞こえなかった。もう何も感じなかった。 余計なものは何もいらない。人を殺す罪の意識も。愛する者を失う悲しみも。 ユーウェンは、弾雨を浴び、地面に叩きつけられたあと、誰かの叫び声を聞いて、わずかに意識を取り戻した。 シェーン……。 ぼろぼろの肉塊と化した片手を伸ばそうとした。ぴくりとも動かない。 喉を震わそうとしたが、うめき声ひとつ出てこない。 『なにか、俺にできることはないか』 いつもそう言ってやると約束したのに。 死にたくないと思った。彼がいなければ、誰からもその言葉をかけてもらえない少年のために。 魂がからだから離れる瞬間、まだ彼は知らなかった。 ユーウェン・オニールが、彼自身が、その少年の中で新しい人格として生き続けることを。 しかも、もっとも恐ろしい悪魔の形をとって。 「弾雨」というタイトルは、nyansukeさんの掲示板での書き込みから生まれました。 ちなみに、nyansuke/悠馨さんの小説「氷の楼閣」には「暖雨」という章があります。 |
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