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EWEN

Episode 2
KWAIDAN


「あー暑。何とかならへんのか、この暑さ」
 父は夕食のあと、片付けも手伝わず、居間で片肘をついてひとりでゴロゴロしていた。
「だから、夏に日本に帰ってきたくなかったんや。誰かさんたちが季節はずれの披露宴なんぞ計画するから」
「お父さんなんか、誰も招待してへんやないの。勝手に帰ってきて、ぶーたれんといて」
 京都の料亭で、私たちと鹿島さんたちの合同披露宴を開いてから数日後のことである。
「そうや。せっかくみんな揃っとるんやし、納涼大会としゃれこもか」
 がばと跳ね起きた父はにやりと、やんちゃ坊主のように笑った。
「何するん?」
「怪談や」
「怪談?」
 桜の和机を囲んでいた一同はあっけにとられた。
「ひとり1話ずつ、自分の知ってる怪談話をする。そのたびにひとつずつ蝋燭を吹き消していく」
「全部消えたとき、ほんものの幽霊が出るっていう、あれっすか」
 気乗りのしない様子で、恒輝が問い返した。
「おお、よく知っとるな。涼むにはぴったりやろう。背筋がゾゾーッとして、涼しくなるで」
「あ、あの、俺そろそろ失礼します。京都で新妻が待ってるんで」
 鹿島さんが爽やかな笑顔で、ひとり座から離れようとした。
「なーにが新妻や。6年も7年も付き合っとるくせに。あかんぞ、康平くん。リタイアはなし」
「あ、あの、……俺も」
「なんや、ディーター」
「俺、外人だし、日本語がへたで、うまく話せないし」
「誰が、日本語がへた、やて?」
 父は、蛙を睨むへびみたいに、舌をぺろりと出した。
「葺石家の婿になったからには、家族の楽しい団欒に不参加は許さへんで」
 ディーターはその瞬間、私と結婚したことを、いや、葺石惣一郎の義理の息子になったことを、心底後悔しているという顔をした。
「俺は家族と違いますよね。おじさん。せっかくの水入らずの団欒を邪魔せんとこ」
「恒輝。おまえは毎日毎日、ガバガバただ飯食らって、どこが家族とちゃうねん。あかん。居残り決定」
「惣一、おまえは、ほんまにいくつになっても、子どもみたいやなあ」
 祖父が呆れたように呟いた。
「まあ、かまへんやないか。明日の昼には俺もケルンに帰ってしまうんやし、みんなで他愛のない話をする。最後の名残にこんなときがあっても、たまにはいいやろう」
 迷精神科医・葺石惣一郎の説得力はすごい。
 あっというまに、居並ぶ大人たちをせかして道場に向かわせると、自分はどこから見つけたのか、蝋燭の束とそれに見合う小皿を調達してきた。
「先生も相変わらずやなあ。こんな遊び仕切るときは、目が輝いてるな」
 鹿島さんが、ため息をついた。
「有無を言わせぬところがすごいっすよね」 と、恒輝。
「昔っから、近所の悪ガキ集めて、お山の大将やってたもんな」 と、藤江伯母さん。
「ほらほら、みんな。感心しとらんと、ちゃんとそっちから詰めて座る」
父は、丸く敷いたざぶとんの前に、それぞれ小皿に乗せた蝋燭を一本ずつ置いて回った。
「5、6、7……。あれ? 聡兄さんは?」
「どさくさにまぎれて、帰ってしもたわ。あの人、こういうときの逃げ足は、天下一品やなあ」
床の蝋燭が灯され、広く暗い道場の真中で車座になった一同の顔が、不気味な影を帯びて浮かび上がった。
確かに、笑い顔でさえもが、ぞっとするほど他人めいて見える。
その場に集ったのは、祖父、父、藤江伯母さん、鹿島さん、恒輝、そしてディーターと私の7人。
7本の蝋燭の光の中で、7つの怪談が始まる。
「まず、年功序列ってことで、親父殿から」
 促がす父の声も、芝居じみて聞こえる。
 祖父は、しぱらく咳払いをしていたが、やがて口を開いた。
「昭和17年、わしらの連隊はタイ王国のカンチャナブリ県の、泰緬鉄道の敷設工事に派遣された。」
 無口なおじいちゃんが、唯一饒舌になれる話題、それが、戦争中のタイでの悲惨な体験だ。


 海路を封じられた日本軍にとって、インド侵攻のための陸路での物資輸送路は、死活問題やった。
 タイとビルマを結ぶ400キロに及ぶ鉄道路の建設は、クワイ川に沿って生い茂るジャングルと岩だらけの山岳地帯を切り開くという、イギリスがかって計画しながら断念したほどの難工事や。
 わしらはそれを、わずか5年という工期で完成させることを命じられた。
 イギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダといった国の連合軍の捕虜が、5万以上投入された。
 タイや中国からの強制徴用の労働者も加わり、数十万の人間での過酷な工事が始まった。
 初めのうちは、まだましやった。
 捕虜たちにもある程度の自治を認め、現地の住民と物々交換で、たばこや食糧をやりとりする光景も見られた。
 だがまもなく、上層部から再三、工期の短縮をせっつかれ、工事は遅々として進まず、わしらは焦り始めた。
 雨季になると、毎日滝のように雨がふり、洪水が土砂を押し流した。反対に、乾季には耐え切れぬ猛暑の中での作業。
 掘削工事は昼夜を分かたず続けられた。
 汚れた水。悪化する一方の食糧事情。捕虜のみならず、日本軍兵士でさえもが、一杯の汁椀で飢えをしのぐ有様やった。
 戦局の悪化が伝えられ、わしらは人間性をだんだんと失っていった。
 不可能なノルマを課し、果たせなかった捕虜たちを虐待したり、銃剣で突き殺したりする者も現われた。
 餓死した者、マラリアにやられた者、処刑された者。
 連合軍捕虜が1万以上、アジア人労働者も、5万人以上がジャングルの中で死んだと言われているが、本当のところは、現場にいたわしらでもわからなかった。
 泰緬鉄道の象徴であるクワイ川の架橋工事は、建設中にも連合軍の空爆にしばしば会った。
 そのたびに上官から、橋の上に捕虜を並べて立たせるように命じられた。
 当時二等兵やったわしも、銃剣を突き付け、彼らをせきたてた。
 敵機が低空飛行で飛んでくると、捕虜に手を振るように命じた。大声で叫べと命じた。
 しかし敵機からは、容赦なく機銃掃射と爆弾が打ちこまれてきた。
 捕虜たちは橋の上でばたばたと倒れ、わしは、たもとに隠れてその地獄絵を見つめていた。
 わしは、そのとき18歳やった。
 あくる昭和18年秋、泰緬鉄道は、1年3ヶ月という驚くべき短期間で完成した。
 まもなく、医薬品も全くない現地でマラリアをこじらせたわしは戦列を離れ、生死の境をさまよった。
 そのとき、現地のタイの人々に受けた手厚い看病を、生涯忘れることはできん。彼らは、同盟国とは名ばかりで、実際は国土を踏みにじり、数万の国民を殺戮したわしら日本軍を、仏の慈悲さながらに赦し、手当てしてくれた。
 それから2年、アジアで不毛な侵略行為に明け暮れた挙句、わしらは戦争に負けてしもうた。
 終戦をバンコクで迎え抑留生活を送ったあと、下級兵であるわしらは釈放され、復員船で日本に帰ることになった。
 しかし、わしともうひとりの友人は、船に乗らず、そのままタイにとどまった。
 わしらを赦してくれたこの国のために、祖国を捨て、なんとかして役に立ちたいと願った。
 2年バンコクで暮らした。
 そして、わしの悟ったことは、外国人であるわしらが本当の意味で、他国の再建に尽力することは不可能やないかということやった。
 むしろ日本に帰り、祖国の若者が2度と殺戮の道を歩まぬように、葺石流の武道を通じて伝えることが、わしの使命ではないか、と考えるようになった。
 友人はそのままタイに残り、バンコクで事業を起こして、タイの女性と結婚して今でも暮らしている。
 日本に帰る船を見つけ、わしは最後にもう一度クワイ川を訪れ、花をたむけた。
 もうあの橋はなかった。連合軍の爆撃で、すべて破壊され尽くしていた。
 わしらのしたことは、あの、「枕木一本、俘虜ひとり」と言われたほどの犠牲はなんやったのかと、しばし呆然とした。
 夕闇が濃く垂れこめる中、そばを現地の農夫が10人ほど、並んで通り過ぎるのが見えた。
 しかし、川のへりまで来ているのに、彼らは歩みを止めなかった。
『あぶないぞ』
 と、わしは叫んで、彼らに駆け寄ろうとした。
 そして、わかった。彼らは農夫ではなかった。
 上半身裸で、ズボンは連合国の軍服やった。
 わしが5年前、後ろから銃剣でせきたて、橋の上に無理やり立たせたときそのままに、隊列を組んで向かっていく捕虜たちやった。
 彼らは、以前の橋があったあたりまで来ると、すっと姿を消した。
 あれは何やったのかと、今でも思う。
 わしの罪の意識が見せた幻やったのか、それとも本当に、無念を遺して死んでいった者たちなのか……。
 今でもわしには、わからん。


 皆、しばらく物も言えず、暗闇の中で押し黙っていた。
 こ、怖い……。
 私は床の上をすこしずつ手を這わせ、隣にいるディーターの手をまさぐった。
 しかしそれより早く、父が屈みこんで、祖父の前の蝋燭をふっと吹き消したので、あわてて手を引っ込めた。
「さっすが、親父殿やなあ。ちゃんと、怪談のツボを心得てるなあ」
 しきりに感心しながら、父は一同を見渡した。
「ああ、言い忘れとったけど、本日いちばん恐い話をしてくれた人には、俺から賞品を贈ることにしとるからな。張り切ってくれよ」
「賞品なんか要らないから、早く帰りたいっす……」
 恒輝が情けない声を出した。
「それじゃ次は、その隣の藤江姉さん、行ってみよか」
「ほんまにあほらしいわ。まあ、ちゃっちゃと終わらすとしましょか」
 痺れを切らせて足をさすりながら、藤江伯母さんはふくよかなほっぺたを、ふっと緩ませた。
 その様は、蝋燭の明かりに照らされて、誰よりも恐ろしかった。


 これは、私の高校時代の友だちの話やねんけどな。
 まあ、実名を出すのもなんやから、エイコちゃんとでもしとこか。
 エイコは、私より1年早く結婚してな。23才のときやったか。
 私もそれ見て、すごくあせってしもてな。
 誰でもいいから、早よ結婚せなあかん、て、見合い結婚してしもたんや。それが今の亭主。
 あせると、ろくなもん掴まんな。デパートのバーゲンセールと同じや。ハハッ。
 で、エイコの方は、大企業のサラリーマンと一緒になって、こどもは2人。
 絵に描いたような幸せな生活を送っていたはずやねんけど、結婚15年目くらいから、どうもご亭主の様子がおかしい。
 夜は毎日遅いし、休日も出張だのなんだのと理由をつけては、外泊する。
 ぴーんと来た。浮気ちゃうか、ってな。
 私と違て、バイタリティのある子やからな。私なら泣き暮らすのが関の山やねんけど、エイコはご亭主の背広を調べたり、後をつけたりして、徹底的に自分で調査した。
 そして、やっと浮気相手がわかった。同じ会社のOL。25歳のきれいな娘。
 ご亭主を張り倒した。でも、すまん、あいつとはもう別れる、その一点張りでラチがあかん。
 女のとこへも怒鳴り込んだ。けど、居直られてしまった。
『ご主人に愛想つかされるくらい、魅力を無くした奥さんが悪いんや』って。
 悔しくて、悔しくて、エイコは夜も寝られんかった。
 自殺はあかん。喜ぶだけや。無理心中もあほくさい。
 相手の女を殺して刑務所暮らしもごめんや。会社に怒鳴り込んで、ご亭主が左遷されるのも困る。
 憎しみだけが、どろどろと心の中に渦巻いてた。
 ところが、浮気相手の女に異変が起こった。めっきりやつれて、美貌のかげもない。
 エイコのご亭主が心配して聞くと、毎晩夢でうなされるという。大嫌いな蛇が夢に毎晩出てくるという。
 いつものとおりラブホテルで浮気をしたあと、ご亭主は、夜中に異様な気配がしてふと目覚めたらしいんや。
 隣に寝ていた女が苦しがっていた。そして見ると、その女の身体に、くねくねと巨大な大蛇が巻き付いて、ぎゅうぎゅう絞め付けている。
「わあっ」 とご亭主が叫ぶと、その大蛇は鎌首を上げた。
 なんとそれは、エイコの顔やった、言うんや。エイコの恨みが生霊となって、女に襲いかかったんや。
 ご亭主は裸のまま、泡吹いてホテルの部屋から逃げ出し、その若い女とは永久に切れた、ちゅうことや。
 おしまい。


「ひええ」
 恒輝が、擦れた悲鳴を上げた。
 伯母さんの怪談は、また別の意味で、男たちを恐怖のどん底に叩きこんだようだ。
 特に、茜さん以外の女性との付き合いが華やかだった鹿島さんは、他人事ではないはずだ。
 私はそっとディーターの方を伺った。暗いので表情まではわからなかったけど、少し体がこわばってるみたい。
 いいぞ。伯母さん。これで彼も、一生浮気なんかできないよね。
「姉さん。それ、エイコやなくて、自分の話ちゃうのか?」
「なーに言うとんの。私は、亭主がどんな浮気したかて、生霊になるような心の狭い女と違います」
「聡兄さんがとんずらこいた理由がわかったわ。この話されるのが、わかっとったんやな」
 父は、藤江伯母さんの前の蝋燭を吹き消して、席に戻るとぽりぽりと頭を掻いた。
「ま、ええけどな。次は俺の右隣。康平くん」
「えっ?  お、俺?」
 鹿島さんは珍しく、うろたえたような声を上げた。
「俺の話、ほんま怖いですよ。ええんですか」
「今更、なに言うとんねん。怖い話をしに来てるんやろが」
「その前に、ちょっとトイレ行ってきたいんですが……。なんか、夕食のあとすぐやったもんで、行きそびれて……」
「行ってきたらええで。ちびっても困るからな」
「お、俺も行きます、師範代」
 恒輝もあわてて、鹿島さんの後に従った。
 ほどなく戻ってきたふたりが席に着くと、鹿島さんは居住まいを正して、低く深い声で話し始めた。


 これから話すのは、東京のテレビ局で実際にあったことや。
 俺はそのとき、別の時代劇の収録が終わって、楽屋で一息入れていたところやった。
 知り合いのプロデューサーが部屋にやって来て、言った。
 悪いけど、ワンカットだけ見てくれないか。夏の怪談特集の再現フィルムなんだが、侍が袈裟懸けに女を切り捨てるところがあるんだ。イマイチ迫力がなくてな。
 俺は暇やったし、晩飯をおごってもらうという条件で、軽い気持ちで引き受けた。
 スタジオには時代劇のセットが組んであった。
 旗本がお屋敷付きの腰元と通じたあげく、邪魔になって、家宝の皿を割ったと言いがかりをつけて手打ちにしてしまう、という、いわゆる「番町皿屋敷」の一場面やった。
 撮影自体はスムーズに進んだ。  青山播磨がお菊を斬るシーンも無事OKが出て、俺はプロデューサーとVTRを覗きこんだ。
 あれ、とプロデューサーが首を傾げた。
 妙な音が入っている。キキイという金属音だ。
 おかしいなあ、撮影のときは何も問題なかったんだけどなあ、と音響が頭を掻いている。
 しかたない、もう一度行くか。俺たちは、同じシーンを撮り直した。
 そして再びVTRチェック。ところが今度もまた、金属音が入っている。
 それどころか、今度は画面にまで一瞬ノイズが走った。
 何でですか。撮影中は誰もこんな音聞いてないのに。何故VTRに入るんですか、と俺は誰ともなく聞いた。
 まさか……、と音響が青ざめた。心霊現象……てこと、ないですよね。
 ここ、番町皿屋敷のあったとこでしょう。たたりじゃないですよね。
 当時このテレビ局が移転した市谷のあたりは、千代田区一番町から六番町と呼ばれていて、番町皿屋敷の舞台になったところとして有名だ。
 ばか。なんにも知らん奴だな。番町皿屋敷の舞台はここじゃなくて、姫路城だぞ。プロデューサーは鼻で笑った。
 姫路城主・赤松家のお家騒動を題材にした浄瑠璃「播州皿屋敷」をヒントに、大正時代に岡本綺堂が、江戸に舞台を移して書いたラブロマンスが下敷きになって、怪談番町皿屋敷が生まれたんだ。
 お岩さんと違って、たたりなんぞがあるわけない。
 結局、時間が押していたこともあり、音だけあとで撮りなおすことにして、次のシーン撮りが始まった。
 俺はもう用済みやったものの、なんとなくその場の奇妙な雰囲気に飲まれて、立ち去りかねていた。
 次のシーンは、この怪談のクライマックス。
 幽霊となったお菊が、皿を1枚、2枚と数えながら、播磨を呪う場面。
 お菊役の女優は、亡霊さながらのメークで、まさに鬼気迫る演技を見せていた。
 そのとき、スタジオ中に恐ろしいほどの大音響が響きわたった。
 その場にいた者すべてが、比喩でなく、本当に飛びあがった。
 音の正体は、すぐわかった。天井のライトが根元からもげて、落ちて粉々に割れていた。
 テレビに携わる者なら知ってるやろうが、あれは太いビスとワイヤで固定されて、おいそれと落ちるものやない。
 幸い、下に誰もいなかったため怪我人は出なかったが、ノイズ騒ぎに続くこの不可思議な現象に、俺たちは総毛立つ心地やった。
 いったい、最新の機器がそろうこの新しいスタジオで、これだけのトラブルが続く偶然は、どれだけの確率なんや。
 割れたライトの後片付けが終わる頃、一番年若いアシスタント・ディレクターが俺たちに、真っ青になって近づいてきた。
 今、プロダクションから連絡が入ったんですが。
 なんだ、いったい。プロデューサーは不吉な予感を吹き飛ばすように、少し震えた怒鳴り声をあげた。
 今日、お菊役になるはずだった女優、今朝交通事故に会ったという電話で、急遽代役を立てたんですが……。
 亡くなったそうです。たった今。


 鹿島さんの声の余韻が消え去るか否かのうちに、道場の外から、ガラガラッと何かが落ちたような大きな音が響いてきて、一同、度肝を抜かれた。
「きゃあっ!」 という悲鳴を上げて、私はディーターにしがみついた。
 ややあって。
 父が、鹿島さんの前の蝋燭をふうっと吹き消した。
「さすが、康平くんやな。ハリウッド仕込みの演出ってか」
「なんのことです、先生」
「しらばっくれるな。最初うろたえたような仕草をしたときから、もう演技に入っとるて、わかっとったで。
 『ほんとうに恐いですよ』とか、『実際にあった話です』とか、わざとらしいキーワードも、本当の仕掛けを悟らせたくないための無意識のカムフラージュや。
 トイレに立ったときに仕掛けたんやな。仕掛けが発動するまでの時間を逆算して、話を引き伸ばすために、姫路城の話を織り交ぜていたんやろう。
 なあ、恒輝。いっしょにトイレに行ったおまえも、グルってことやな」
「ちえっ。先生にはかなわないな」
 鹿島さんは、降参するように両手を挙げた。
「けど、おじさん。仕掛けが働くまでの時間、言うたけど、俺たちにはそこまでわからなかったで」
 恒輝が、少し戸惑った声で答えた。
 鹿島さんも頷いた。
「簡単なトリックやったからな。バケツの上にひしゃくを重ねて、ししおどしの要領で水道の蛇口を細くひねっただけの。俺の話のどこかの時点で落ちればええっていう軽い気持ちでやったのに、これほどぴったりのタイミングで鳴るなんて……。
……まさか、本当に霊のしわざ……」
 鹿島さんの中途半端な呟きが、一層の恐怖を引き寄せた。
「まあ、こうなると、どこまでが演技だか」
「ほんとですって。先生」
「わかった、わかった。じゃあ次、恒輝行け」


後半につづく




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