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ゲームノベル
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「どうしたんや」 しばしためらっていたディーターは、ついに口を開いた。 「聖がいなくなった」 康平の息をのむ音がする。 「ほんのわずかな間、眠ってしまった。そのあいだに何者かが、聖を連れ去った」 「まさか……。葺石先生や、藤江さんには聞いたのか?」 「ここへ来る前に母屋を通ってきたが、3人とも聖といっしょではなかった」 「それやったら、一体誰が」 「俺が知る限り、これほど手際よく忍び込んで、人間を誘拐できる奴らはそういない」 ディーターは、うつむいて唇を噛みしめた。 「俺の、……昔の仲間だ」 「おまえの? ……ってことは」 国際テロ組織。 彼がユーウェンの人格を持っていたころ属していた5名のユニットは、九州・沖縄サミットを襲撃する使命を帯びて来日したのだった。 しかしその計画は、ディーターたち別人格たちの協力で水泡に帰し、メンバーの男ひとりとジャニスが死亡し、残りのふたり、アリとムハンマドは包囲網を突破して逃走したままだ。 ディーターはそのとき、片脚を失った。 「そいつらがもし、聖くんを誘拐したとしたら、それは何のために?」 「報復……だろう」 いつかこんな日が来るのではないかと、心のどこかで恐れていた。 彼は、組織を裏切って密告したのだ。裏切り者に加えられる制裁はひとつ。 ただ今までは、時代が彼の味方をしてくれた。 円香と結婚して日本に来てすぐ起きた、アメリカの同時多発テロ。 サッカーのワールドカップ。 イラク戦争。 テロに対する極度の警戒は、逆にテロ組織の制裁からディーターを守ることになった。 しかしイラク戦争も終わり、警戒感が薄まる中、奴らが行動を再開したのだとしたら。 「でも、おまえに対する復讐だとしたら、なぜマンションに忍び込んだときに殺さなかった?」 康平は、わしわしと髪の毛をかきむしった。 「そんな奴らなら、家族全員をまとめて襲撃するチャンスなどいくらでもあったはずや。子どもの誘拐なんてわずらわしいことを、なぜ敢えてした?」 「俺にもわからない」 「円香ちゃんは? 今どこにいる?」 「大学のゼミに出ている。携帯は切っているらしい。メールは入れておいたが」 「講義中なら無事か……。いや、わからんで。赤ん坊はやっかいな人質や。母親も誘拐してしまうほうが、相手にとってはいっそ都合がええ」 「なんだと?」 「奴らは、円香ちゃんも狙うかもしれんってことや」 「よっ。師範、ディーター。おそろいか」 そのとき、場違いな陽気な声をあげて、柏葉恒輝が道場の入り口から入ってきた。 円香の幼なじみで、葺石流の門下生でもある。この3月に大学を卒業したあとは、東京が本社の会社に就職することが決まっている。勤務先によっては、彼とこうして会えるのもあとわずかなのかもしれない。 「柏葉、おまえ何に乗って来た?」 康平は、噛みつくように怒鳴る。 「え、いつもと同じ単車やけど」 「今すぐ、円香ちゃんを迎えに走れっ。全速力や!」 そして、壁にかかっていた竹刀を放り投げる。 「これも持ってけ。円香ちゃんを死んでも守り抜くんや」 「な、なんか知らんけど、了解!」 恒輝は訳が分からないながらも、康平のあまりの剣幕に、びしっと敬礼をして走り出した。 「ディーター、おまえはここにおれ。敵とはち合わせすると、かえってまずい」 師範は安堵させるような笑顔で、ポンと肩を叩く。 「さあ、見とれ。かならず聖くんは助け出すで」 道場は、一時間後には前線基地と化した。 康平が、門下生全員に招集をかけたのだ。 そのひとり、派出所勤務の警察官・奥野がすみやかに兵庫県警本部に連絡して、緊急配備を敷いてくれた。普段気弱な印象のある彼のきびきびした行動には、誰もが唖然とした。 自衛官の折原二佐は、同じく非番の仲間たちとともに駆けつけ、ほかの門下生たちと一緒に捜索に加わった。 そして、円香は無事、恒輝の手によって大学から連れ出され、ディーターのもとに帰って来た。 「円香、すまない。俺がもっと気をつけていたら」 「違うよ、ディーターは悪くない。私かて、疲れているの知ってて聖を預けた。同罪や。ううん、そやない。悪いのは聖を誘拐した犯人たちや」 円香は彼の腕をぎゅっとつかんで、自責の念にかられてそらそうとする彼の目を、絶対に逃がさない。 「聖はだいじょうぶや。だってほら、さっきから私のおっぱいがずっと熱い。お乳がガーゼをぼとぼとにするくらいあふれてる。これは聖がおなかが空いて泣いてる証拠やの。だから聖は生きてる」 そして道場の隅で、からだを伸び上がらせて、有無を言わせぬキスをした。 「愛してるよ、ディーター。……たとえどんな結末が私たちの人生を待っていても」 次へ |
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