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EWEN

ゲームノベル
ひじり失踪事件」


 カビの匂いのする、空き家同然の雑居ビル。
 その最上階に近い一室に、ふたりのテロリストはいた。
 アリとムハンマド。4年間の逃亡生活は、彼らの身体を痩せこけさせ、目をギラギラと野獣のように光らせていた。
 かちゃりと音がして、彼らは銃を構えた。
 扉に、ひとりの白人が立っている。
 長身。黒ずくめの衣服。
 長い金色の髪は彼らには見慣れないものだったが、その翡翠色の瞳は間違えるはずもない。
 ただ、かつての氷のように残忍な光は、その目から消えているように思えた。今は別の種類の怒りの色を宿してはいるが。
『ユーウェン、どうしてここが』
 闖入者はゆっくり口を開いた。
『この付近で赤ん坊連れの外国人を見たという目撃情報があった。それに、長く日本を離れていたおまえたちに、別のアジトを捜す余裕などなかったはずだからな』
『なるほど』
『子どもは、無事だろうな』
 とつぶやく彼の視線はちらりと、床に置かれた青いビニールシートにくるまれた物体の上を走る。
『無事だ。いずれはこいつを餌に、おまえをここに呼び出そうと思っていた』
 泣きつかれて眠っているのだろうか、それとも麻酔薬か何かを注射されたか。呼吸で胸がふくらむのが、薄闇の中にかろうじて見える。
「聖!」
 彼の背後から突然、透き通った高い女の声がした。子どもに向かって駆け寄ろうとするのを、夫の左手に押しとどめられる。
「よくも、聖をあんな目に」
 小柄な女なのに、ぎりっと歯を噛みしめてテロリストたちを睨みつけるさまは、何ものも恐れぬ強い意志に満ちていた。
『わざわざ、女房まで連れてきたのか』
『言うことをきかない女でな』
 ディーターは唇を少しゆがめて、薄く笑う。
『いったい何のためにこんな、まどろっこしいことを計画した? 報復なら、俺一人を殺せばすむことだろう』
『わかっているくせに。例の50万ドルだよ』
『50万ドル?』
 彼は眉をひそめた。
『しらばっくれるな。俺たちが兵器の代金として持っていた金の残りだ。ジャニスとおまえしか、そのありかを知らなかった。いったいあの金はどこにやった?』
『ほんとうに忘れた。人格が統合されて以来、まだ記憶が混乱している』
『思い出さないと、おまえの息子が死ぬことになるぞ』
 背の高いほうの男が、銃口を床の聖に向ける。
『たとえ金のありかを吐いたところで、殺すのは同じことだろう?』
『裏切り者のおまえはな。だが言えば、家族は助けてやる』
『信用できない』
『アッラーの名にかけて嘘はつかない』
 ディーターは、軽いため息をつく。
『わかった。教えよう』
『それでいい。両手を頭のうしろに組んでこっちに歩いて来い』
『まず、人質が先だ。……円香』
「聖!」
 妻が弾かれたように息子のもとに駆け寄り、しっかりと腕に抱きしめた。
「かわいそうに、こんなにおむつがぼとぼとになって……、おなかも空いたやろうに」
 意識が戻ったのか、赤ん坊の小さな手が動き始めるのが見える。
「あんたら、最っっ低!」
 キッとテロリストたちを睨みつけると、円香はゆっくりと入り口のほうに向かった。
 夫のわきを通り過ぎようとして、立ち止まる。ふたりはじっと互いを見つめ合った。
「ディーター……」
「何してる。早く行け」
「だって……」
「……聖のことを、頼む」
「ばかばかっ。何言ってるのよ!」
 半泣きで、円香は怒鳴った。
「なんで、50万ドルのことを教えてくれへんかったん?」
「は?」
 一瞬、部屋の空気が凍りついた。
「そんな大金があったら、マンションのローンも返せたのに! お父さんの診療室の改築かて、めちゃくちゃ費用かさんでるねんで。そんなアホテロリストに渡すくらいやったら、もっと私らのために使うといてくれたらよかったのに!」
「あ、あの……、円香……」
「今からでも、隠し場所をこっそり私に耳打ちして! ソッコー盗ってくるから!」
『お、おい』
 日本語でつかみ合いのケンカをはじめたふたりに、中東人たちは唖然となりゆきを見つめているだけだった。
 気を取られている彼らの背後で、突然、窓ガラスががちゃんと割れる音がした。
 咄嗟に、銃口を向ける彼ら。
 そのとき、間髪をいれず、天井の空調の通気口の蓋が開き、鹿島康平と柏葉恒輝が木刀を持って飛び降りてくる。
 割られた窓からは、屋上からの縄梯子を伝って、数人の門下生も次々に飛び込んでくる。
 あっという間に、ふたりのテロリストは喉をつかれ、脳天を叩き割られて失神した。
「ねえ、鹿島師範」
「なんや、恒輝」
 騒動がすべて収まったころ、いちばんの功労者のふたりは、陰でこっそりささやき合った。
「この展開って、なんか安易すぎません?」
「気にするな。作者が他の5つのエンディングを書くのに燃え尽きて、肝心のグッドエンディングが、こないにええかげんになってしもたらしい」
「やっぱりぃ。もともと設定に無理がありましたからね」
 恒輝は肩をすくめた。
「まあ、聖が助かって、ディーターと円香がハッピーになるなら、俺たちは目をつぶりましょ」


 数日後、縁側で手酌で日本酒を飲みながら、雪の舞い散る庭をながめていた葺石惣一郎は、背後に立つ人影に気づいた。
「なんや、ディーター。座れ。いっしょに飲むか」
「はい」
 彼の横にあぐらをかいた娘婿に一合枡を渡して、なみなみと満たした。
「ドクトル」
「なんや」
「すみません。円香と聖を、俺のせいで危険にさらしてしまった」
「何言うてんねん」
 義父は、楽しそうに笑う。
「国際指名手配中の奴らも一網打尽にできたし、聖も無事戻った。万々歳やないか。もう狙われることはないはずや」
「それは、……どうかわかりません」
 ディーターは、ぼんやりと戸外に目をやった。
「背後にはまだ、巨大なテロ組織が無傷で残っている。俺は、このままここにいていいんだろうか? もしかするとまた同じことが何度でも起きて、いつかは聖や円香が……」
「あほなこと言うな」
 静かな、しかし有無を言わせぬ叱責だった。
「そんな奴ら、何度来ようと、俺たち家族がおまえたちを守ってみせる」
「……」
「俺はな、ディーター」
 また、ぐびりと勢いよく杯をあおる。
「うれしかったよ。おまえがこのことを自分ひとりで解決しようとせずに、康平や俺たちを信じて、打ち明けてくれたこと。自分の弱さをさらけだして、頼ってきてくれたこと。
俺たちは、ほんまの家族になったんやな、としみじみと思った」
「ドクトル」
「おまえが俺のことを、『お父さん』と呼ぶようになれば、完璧やねんけどな」
「お父さあん。ディーター」
 ばたばたと廊下の向こうから、聖を抱いた円香が駆けて来た。
「ええな、ええな。男ふたりで雪見酒なんて。私もまぜてぇ」
「母乳に出るから、酒は飲むなよ」
「わかってるって。おつまみだけ」
「ひっくんのご機嫌はどないや」
「ふん、あいつらのせいで、おむつかぶれが酷いんや。あしたもういちど、皮膚科に行って薬もろてくる。
あーあ。またお金かかるやん。おまけにディーターったら、スイス銀行に預けてたっていう50万ドル、当局に引渡してまうんやもん」
「だって、あれは俺の金じゃないし」
「そうや、あんな物を持ってて狙われるより、貧乏なほうがよっぽどええ」
「ま、そない言うとそやね」
 円香は、庭園灯に浮かび上がる雪の夕景を、おだやかに微笑みながらじっと見つめた。
「家族みんなで暮らせるのが、最高の幸せやもんね」




           完 ―― グッドエンディング

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