「ああ、びっくりした。本物の黄金竜にも驚いたけど、まさか《地の祠》のガーディアンが出てくるなんて。あいつ生きてたのか」 「そもそも、レイアが出演するのも驚いたよ。まだルギドに敵対しているはずなのに」 「くさいな、この芝居にはなにか裏がある。ルギドのやつ、例によって、またひとりで何か企んでやがるな」 「ラディクの目の色が紅ではないのも気になりますわ」 「ミ、ミナサン」 ゼダが、翼を広げて、おそるおそる床を見つめた。「ナンダカ、コノ客席ガ、動イタヨウナ気ガ、シタンダケド……」 配役表: タミーノ(王子――実は王女) : 皇女エリアル パパゲーノ(鳥刺し) : ラディク・リヒター パミーナ(夜の女王の娘――実は息子) : ジュスタン・カレル ザラストロ(賢者) : ティエン・ルギド 夜の女王 : テアテラ女王レイア パパゲーナ : 飛行族ゼル モノスタトス(ザラストロの従者) : ヴァルギス将軍 三人の少年 : ユツビ村の魔導士見習い 三人の侍女 : モニカらエリアルの侍女 僧たち : 鍛冶屋オブラ、火棲族族長エグラ 守護者 : 封印の神殿《風の階》、《氷の殿》、《炎の頂》のガーディアンたち 第ニ幕 神殿の前の壮大な門。南国の木々の中に神殿の僧侶の集団が現われる。 ザラストロは、まばゆい王服をまとい、その銀色の髪を背中にマントのように垂らし、中央に進み出る。 「偉大なる地、風、氷、炎の四つのエレメントに仕える者たちよ。旅の王子タミーノが、今日この神殿の三つの試練に挑むことを願い出た。また夜の女王の娘パミーナが、この若者のために選ばれた。すでにその役割のために、俺はパミーナを母親から引き離した。あの女は、自分を偉大な者だと錯覚し、民衆を欺瞞の暗闇に閉じ込めている」 僧のひとりが答えた。 「ザラストロ。この若者は、今から待つ苛酷な試練に耐ええましょうか。わたしたちが心配なのは、彼が王子だというです」 「いや、それ以上の者だ――彼は、女なのだ!」 「なんですと!」 「そればかりではない。パミーナは男だ。ふたりは、自分のあるべき姿を偽りに閉じ込めている。いや、ふたりではなく三人だ。彼らはこの試練によって、己を偽の姿から解放せねばならぬ」 「もし、失敗した場合は――?」 「非常用の食糧にすればよい」 ザラストロは、平然と答えた。 合唱つきアリア O Isis und Osiris おお、イシスとオシリスの神よ 英知の精霊を若きふたりにさし向けてください! 試練の旅をする者を導くあなた方の手で 危難のときに忍耐を与えてお守り下さい 試練の旅の成果をふたりが味わえますよう もし不幸にして墓に至るときは 彼らの勇敢な試みの徳を賞でて あなたの神殿にお迎えください タミーノと、ネズミから人間に戻ったババゲーノは、僧たちにより神殿の前庭に連れてこられ、目隠しのヴェールを外されたうえ、置き去りにされた。 「恐ろしいほどの暗闇だ。パパゲーノ。そこにいるのか」 「もちろん。ああ、ひどい目にあった。もう二度とごめんだよ。こんな場所」 「しっかりしろ。男らしくするんだ」 「これじゃ、女になったほうがましだよ……うわっ」 突然、激しい稲光が彼らの身体をなぶった。 「……パパゲーノ。おまえ」 「ど、どうしたんだ」 「目が紅い。今までそんな色じゃなかったのに」 「ええっ」 鳥刺しの若者は、目をごしごしこすった。「ネズミになった後遺症じゃないだろな」 そこへ、松明を掲げたふたりの僧侶がやってくる。 「試練の神殿に来られた客人よ。何を求める?」 タミーノは居住まいを正すと、まなじりを決して答えた。「民の幸福。そして愛――いえ、友情を」 「命を賭けて戦い取る覚悟はあるか」 「はい」 「そちらの客人も、同じ覚悟か?」 「俺? とんでもない」 パパゲーノは、あわてて首を振った。「俺はただの付き添いだ。戦い取るなんてのは、この世で一番苦手なことでね。食って飲んで、かわいい女の子と結婚できりゃ、それでいい」 「我らの試練には耐えれば、望むものはきっと与えられよう」 「試練って?」 「掟に従いぬき、死をも恐れぬこと」 「じゃあ、独身でいい!」 「しかし、得られる乙女は、若くてめっちゃ美しいぞ」 「めっちゃ? な、名前は?」 「パパゲーナ」 「パ、パ、パ、パパゲーナ!」 パパゲーノは、あわてて羽根帽子を被りなおす。「そんなら、試練というのを受けてみてもいいな」 「よかろう。ただし、掟を守ってもらう。試練のあいだ、決して女と口をきいてはならない。たとえそれが、誰であろうと」 「何だ。それくらい、わけない」 「王子、あなたもだ。たとえパミーナに会っても沈黙を守るのだ」 「わかりました」 「試練のあいだ、その魔笛と銀の鐘は預かっておくぞ」 女の奸計に気をつけよ それが友愛の最初の責務である! 多くの賢い男が女に欺かれ 迷い、思いもかけぬことになった ついには見捨てられ 誠意は嘲笑をもって報いられ 身もだえすることになろう 死と絶望がその運命だ 彼らが出て行ったあと、その場は、鼻をつままれてもわからないほどの暗黒に戻った。 「こっちが入口だ。パパゲーノ」 「おい、どこだ」 「ちょっと待て。そんなに押すな」 「あれ?」 「どうした?」 「なんだか、いい匂いがする。それに柔らかい。極上の女の子がそばにいる」 「きゃあっ。誰かがわたしの胸を!」 パパゲーノは、タミーノの平手で張り飛ばされた。 「て、敵襲だ。さっそくおいでなすったぞ。逃げろ」 急いで神殿の扉をくぐりぬけ、通路を進むと、そこには、夜の女王の三人の侍女が怒りに燃えて彼らを待っていた。 「そなたたちは、何という恐ろしい場所にいるのです。あの僧たちは本物ではありません。悪魔の化身です」 「ええっ。そりゃ本当か」 「パパゲーノ。黙れ。女と口を利くなと言われたのを忘れたのか」 「女王さまもお嘆きです。パミーナさまを助けるという約束を忘れたのですか」 「タミーノ。どうしよう」 「夜の女王も女なのだ。女の心を具えている」 「なぜ黙っているのです。答えなさい! でないと地獄行きですよ」 「女は騒がしい。男は寡黙だ。女は噂話が好きだ。男は噂話に耳を貸さない。女は信用できない。男は信用できる!」 「答えないようですね。残念です」 雷鳴とともに、三人の侍女の姿はたちどころに消えた。 あたりは、ほの明るくなり、どこからか僧侶たちの声が聞こえてきた。 「おめでとう、王子。あなたは男らしい振る舞いで 第一の試練に勝利を得られた」 ふたりの若者はお互いに顔を見合わせた。 「タミーノ。おまえは、女がそんなに嫌いなのか?」 パパゲーノは、至極まじめくさって言った。「そばにいて、恐いくらいだったぞ」 「女は弱い。無力で価値のないものだ」 王子は吐き出すように答えた。「王女では、国を治めることもできないのだからな」 「それでも、パミーナのことは好きなんだ」 「……いや、あの人も女だ」 「ま、いいや。俺には関係ないけどな」 彼はパンフルートを吹き鳴らすと、美しい声で歌った。その歌に歩調を合わせて、ふたりは第二の試練と書かれた立て札の方角に進んだ。 アリア "Ein Maedchen oder Weibchen" かわいい女の子を パパゲーノは欲しいよ やさしい小鳩がいれば 俺は幸せ それに酒と食物がありゃ十分 それで俺は王子さまの気分だ 賢者のように暮らして 天国の心持だなあ 月の光が満ちあふれる夜の庭園。パミーナは四阿(あずまや)の石のベンチで眠っている。 そこへ、モノスタトスがこっそり忍び寄ってくる。 「ふっふっふ。なんて美しいんだ。こうやって寝顔を見ていると、むらむら来るね。誰も見てはいない。こっそりキスくらいしたって、バチはあたるまいよ」 唇をタコのように突き出して近づいていくモノスタトスは、突然の闖入者に突き飛ばされた。 「お下がり! 汚らわしい男め。わが娘に近づくな」 「よ、夜の女王。どこから忍び込んだ!」 モノスタトスは、あわてて逃げ出した。 目を開けたパミーナは、夢うつつでベンチから上半身を起こした。「……母上」 「助けに来ましたよ。かわいい娘」 「娘? いいえわたしは」 パミーナは、母親の手を拒否して顔を伏せた。 「もう知っているのです。本当は、わたしは男なのでしょう?」 「誰が、そんなことを!」 「ザラストロさまです」 「あれは、偽り者! おまえは私の娘だ」 「では、なぜ、こんなに背が伸びてしまうのです? 声は低く変わり、身体は硬く、胸板も広くなるばかり」 「おまえは決して、汚らわしい男などではない。男は信用のならぬ生き物。女をたぶらかし、従属を強い、この世界を力と競争の論理で染め上げてしまう!」 「母上。でも、あの方は賢者です。真理を教えてくれようとしています」 「お黙り、ザラストロなどに惑わされて!」 アリア "Der Hoille Rache kocht in meinem Herzen" 地獄の復讐がこの胸にたぎる 死と絶望が 私を灼く! もしおまえの手で ザラストロに死の苦しみを与えないなら おまえはもはや私の娘ではない! 永遠に捨てられ 永遠に顧みられず 永遠に切られるのだ 捨てられ、顧みられず、切られるのだ 親子の絆は もしおまえの手でザラストロを殺さねば! お聞き下さい、復讐の神よ! お聞き下さい、母の誓いを! 「この短刀で、ザラストロを殺し、世界の支配権を取り戻すのです」 「できません。そんな恐ろしいこと」 「やりなさい。いいですね」 女王は短刀を無理矢理押しつけると、雷鳴とともに姿を消した。 その様子を、じっと見つめていたのはザラストロだった。 ひとりでうずくまり、煩悶するパミーナの傍らに、賢者は静かに立った。 「ザラストロさま」 「パミーナ。苦しむことはない。その剣で俺を刺したいのなら、刺すがよい」 「いいえ……いいえ!」 パミーナは、激しく首を振った。 「母の気持が、わたしにはわからないのです。母はなぜあれほどに男を憎むのでしょう。息子のわたしさえも受け入れられないほどに」 「それは、俺のせいなのだ」 「あなたと母のあいだに、一体何が?」 「話すにはためらわれるほどの昔の話だ。だが安心しなさい。俺の復讐とはどんなものか、おまえの母は、やがて知ることになるだろう」 アリア "In diesen heil'gen Hallen" これらの聖なる御堂の中では 人は復讐を知らない たとえ誤る者がいても 愛がその者を務めに戻す 友情の手に導かれ 楽しい旅を経てよき土地に着く これらの聖なる壁の中では 人間は人間たちを愛し 裏切り者のいる余地はない 敵もみな赦されるからだ 一方、ふたりの若者は、次の試練を受けるために広大な広間に連れてこられた。案内役の僧が去ると、パパゲーノは、床にどっかと座り込んだ。 「ああ、いい加減にしてほしいぜ、まったく。次の試練は、女だけじゃなく、誰とも話しちゃいけないっていうんだからね。俺とあんたの間でさえ」 「しっ!」 「わかってますよ。これはひとりごと。俺が俺に話してるんだから、問題ないだろう?」 「しーっ」 「まったく、王子っていうのは杓子定規な奴らだぜ。こんなことなら、寒い野原に寝てるほうがましだよ。少なくとも鳥とのさえずりが聞けるもんな。ちくしょう、喉が渇いたーっ」 そこへ、ぱたぱたと一羽の鳥のような黒い生き物が、水差しを運んで飛んでくる。 パパゲーノは、床に置かれた水差しを見て、目の前に降りてきた生き物に訊ねた。 「これは、俺にくれるのか?」 「そうですよ。いとしいお方」 「いとしいお方? まるで会ったことがあるみたいな呼び方だな。あんた名前は」 「パパゲーナ」 「パ、パ、パパゲーナ?」 「そうよ。パパゲーノ」 「おいおい、俺の結婚相手は、鳥かよーっ」 「失礼な。鳥じゃありません。飛行族よ」 雷鳴とともに、黒い生き物は飛び去り、今度は三人の少年が現われた。 三重唱 "Seid uns zum zweitenmal willkommen" もう一度歓迎の言葉を申し上げます ようこそ、このザラストロの国へ お預かりしたものをお返し下さいました 笛とグロッケンシュピールです もし食物がお気に召したら ごゆっくり召し上がって下さい 今度ぼくたちがお目にかかるのは 勇気の褒美に喜びを得られたときです タミーノ、しっかり! 終わりは近いのです パパゲーノは黙って、静かに、静かに 魔笛はタミーノの手に返され、銀の鐘はパパゲーノの口の中に再び飛び込んだ。 そして、少年たちが消えたあとには、豪華な晩餐のテーブルが置かれていた。 「おお、すげえ。食べようぜ」 パパゲーノは、皿の上の食物を片っ端から口に放り込む。 「食べないんなら、俺がひとりで食っちまうぞ。ウサギの肉は別だけどな」 タミーノは静かに笛を吹いている。そこに、パミーナが走りこんでくる。 「タミーノさま!」 息を切らして、美しい髪をふりみだし、王女はタミーノの前にひざまずいた。 「笛の音が聞こえたので、ここだとわかったのです。お会いしたかった」 しかし、タミーノは答えない。 「どうなさったのです。わたしのことをお忘れですか?」 「……」 「わたしを無視するほど、お嫌いなのですか?」 「……」 「パパゲーノ。あなたも何とか言ってください」 しかし、パパゲーノは口の中に、しこたま食べ物を詰め込んでいるので、ひとこともしゃべれない。 「ふたりとも何も答えてくれない。こんなひどい侮辱を受けたのは初めてだ。……これでは、死んだほうがましだ!」 パミーナは絶望して、走り去る。 「赦してくれ」 タミーノは頭を両手で覆い、吐き出すように言った。 「あなたも、わたしも女同士。民の幸福のために、わたしたちは愛し合うことは赦されないのだ」 「あ……あんたは女だったのか。タミーノ」 パパゲーノは呆然とするあまり、口から食べ物をぼろぼろとこぼした。 「ていうことは、俺ずっと女と食事して、女と雑魚寝して、女と仲良く話していたのか……。幸福すぎて信じられない」 タミーノは涙を浮かべて、キッと彼を睨むと、無言で広間を立ち去って行った。 「おい、待てよ。タミーノ。待ってくれよ」 置いてきぼりにされたパパゲーノが迷いこんだところは、扉が無数にある円形の広間だった。 「い、いったいあいつは、どの扉を入っていったんだ?」 彼がひとつの扉を開けようとすると、ものすごい雷鳴がとどろき、「退け!」という声が響いた。 「は、はい。退きます」 後ろに下がったパパゲーノは、その隣の扉を開けた。 中では、よだれをダラダラと垂れ流す黄金竜が待ち構えていた。 パパゲーノは、即座に扉を閉めた。「見なかったことにしよう」 そして、その次の扉を開けると、黒い小さな生き物がふわふわと飛び出てきた。 「また会えましたわ。いとしいお方」 「パパゲーナ!」 「試練は、終わり。あなたは失格。だって、あなたは最初の試練のときに、女性としゃべってしまったんですもの」 「タミーノのことか」 「そうよ。だから、試練なんてやめて、私と一緒に楽しく過ごしましょう」 「そうだよな。おまえはパパゲーナ。俺に一番ぴったりな女だ」 パパゲーノは胡坐をかいて座り込み、考え込むように頬杖をついた。 「試練なんて、まっぴら御免だ。俺はお気楽に毎日歌って、おもしろおかしく生きたいんだ」 「じゃあ、何を迷っているの」 「けど俺……どうしても、守りたい女ができちまったみたいだ。たとえ相手が他の奴のことしか見ていなくても」 「ええっ」 「悪いな、パパゲーナ」 飛行族の少女のぷっくりとふくれた腹をつかむと、パパゲーノはおもいきり、扉の向こうに放り投げた。「おまえとは、ここでサヨナラだ!」 「なんで、こうなるのーっ」 扉を閉めると、パパゲーノは次の扉を開いた。 その中からパミーナが、ふらふらとさまよい出てきた。 「タミーノは行ってしまった――。どうして、こんな気持になるんだろう。わたしは男なのに」 床に崩れ落ち、自分の手を見つめて慟哭する。 「ごつごつした、大きな手だ、わたしはやはり汚らわしい男なんだ。母さえ愛してくれないのに、タミーノが愛してくれるはずはないじゃないか。どうせ、わたしは何の価値もない、道端の石ころだ」 「あ、あんたも男だったのか」 パパゲーノに気づきもせず、パミーナは懐から短剣を取り出した。 「母のくれた短剣。おまえが、わたしの唯一の友だ。おまえだけが、わたしの悲しみを終わらせてくれる」 ぐっと先端を喉に突き刺そうとした手を、パパゲーノの手がぐいと止めた。 「やめなよ」 その目は、爛々と燃えるような炎の色に染まっている。 「自分の命を粗末にするな。あいつだって、あんたのことを想ってるんだぜ」 「うそだ。じゃあ、どうしてひとことも口をきかず、わたしから顔をそむけた?」 「それは自分で確かめてみろよ。自分に価値がないとか、愛してくれるはずないとか、誰が決めるんだ。男だとか女だとか、そんなことどうでもいいだろう。あんたはあいつを想っている。それだけで十分じゃないか」 パパゲーノは肺に思い切り息を吸い込むと、清らかな声で歌った。 恋に燃えるふたつの胸は 人の力では決して引き離せない 反対する努力はすべて空しい 神がみずからお守りくださるから 銀の鐘の音が喉の奥から迸り、広間中に反響した。ひとつの扉が内側からすっと開いた。 パパゲーノはパミーナの手を引っぱり、立ち上がらせた。 「この中にタミーノがいる。急ごう!」 その頃、タミーノは僧たちに引き連れられて、巨大な鉄の門の前に立っていた。 「これが最後の試練の場所だ」 「この道を旅する者は、風と氷と火によって清められるのだ。死の恐怖に打ち克った者だけが、真理を得て、天の高みに昇ることができる」 「わかりました。門を開けてください」 「待って!」 パミーナとパパゲーノが駆け寄ってきた。 「わたしも一緒にまいります」 「……」 「俺も行くぜ」 「……」 タミーノは、頼りなげに僧侶たちを見た。「話してもよいでしょうか」 「話してもよい」 「だが、パミーナ。ここから先は死の危険が待っている。女のきみでは……」 「心配することはない。わたしは男だ」 パミーナは微笑みながら、ローブを脱いだ。するとたちまち、腰に剣を帯びた戦士が現われた。 「いっしょに連れていってほしい。足手まといにならぬようにするから。どこに行こうと、わたしはあなたを離れない」 「なんという喜び。ついさっきまで、わたしは自分が女であることを呪っていたのに」 「タミーノ。……あなたもわたしと同じく、自分を偽っていたのか」 「なんという幸せ。どんな恐怖の門もこの幸せを奪い取ることはできない。どんな苦難と死の旅路も、ふたりでいられる幸せを壊すことはできない」 「横槍を入れるようで悪いけど、三人だ」 パパゲーノは、もったいぶって咳払いした。 「そのとおりだ。三人の仲間がいれば、ドラゴンにさえ屈することはない」 三人は互いの手をしっかりと握りしめた。そして、タミーノは彼らの先頭に立った。 「準備はできました。最後の試練の門を開けてください」 行く手には、激しい戦いが待っていた。 まず、風の道では、激しい暴風とともに、巨大なゴーレムが彼らに襲いかかったが、タミーノが魔笛を吹き鳴らすと、ゴーレムはぼろぼろと崩れ落ち、風はぴたりと凪になった。 次の氷の道では、叩きつけるような雹と、亡霊のようなチェスの駒たちが現われ、一歩も先に進ませなかったが、パパゲーノが銀の鐘を鳴らしながら歌うと、雹はやみ、亡霊は消え、春の花が道端を彩った。 最後の炎の道では、パミーナが先頭に立って、彼らを導いた。荒れ狂う炎は彼を恐れ、炎のガーディアンも、飼いならされた猫のように退いていった。 すべての道を通り過ぎると、そこには再び黄金竜が待ち構えていた。 三人は勇敢に戦った。最後にタミーノが持っていた魔笛をふりかざすと、笛全体が不思議な光を放ち、みるみるうちに一本の剣へと形を変え――。 気がつくと、すべてのものは消えて暗黒と化し、彼らは、《無数の扉の広間》に戻ってきていた。 広間の中央には、ザラストロ役のルギドが立っている。 「芝居はここで終わりだ」 「ここで?」 タミーノ役のエリアルが叫んだ。「もう少しで終幕なのにか? この後、夜の女王が滅びて、世界は光の力に覆われるのではなかったのか」 「それは、俺の望む結末ではない。ゆえに、この芝居に終幕はない。あとは、現実の世界に引き継がれる――そうだな、夜の女王、いや、レイアよ」 扉のひとつが開き、夜の女王役のレイアが入ってきて、ルギドをにらみつけた。 「私とあなたは、ふたたび現実の敵同士に戻るわけね」 「今のところは、そのようだな」 「約束を覚えているでしょうね。この茶番に付き合うかわりに、ユーグの命を助けると」 「覚えている。約束をたがえるつもりはない」 レイアは立ち去りかけたが、くっと顎を上げて、魔族の王に向かって憎悪に満ちた視線を投げかけた。 「何のつもりだったの? こんな大仕掛けなことをして」 「俺とおまえがティトスにもたらした悲劇を、形にしたかっただけだよ」 ルギドは、かつての妻に答えた。 「《魔笛》という芝居は、男性的価値観と女性的価値観との間の永遠の闘いを象徴したものだ。それが子孫の生き方に深い呪縛を与えている。その悲惨さを、俺たちは互いに知るべきだと考えた」 「知って、何が変わると言うの」 「何も変えられぬ。根源である俺たちではな」 彼は、若者たちに暖かい眼差しを向けた。「彼ら三人がティトスを変えてくれることを願うのみだ」 そのとき一番奥の扉が開き、客席にいたはずの招待客たちが立っていた。 「あれ、何で俺たち、こんなところにいるんだ」 「ダカラ、席ガ動イテ、ダストシュートミタイニ、ココニ放リ出サレタンデス」 「ルギド」 アシュレイが駆け寄った。「また会えてうれしい。こういう場を作ってくれたことを感謝する」 「ああ」 ルギドの微笑は、旧友との再会に深い喜びをたたえた。 「そして、皇女エリアルよ」 アシュレイとグウェンドーレン夫妻の前に、彼らの子孫であるエリアルは恭しくひざまずいた。 「陛下」 「帝国をここまでよく導いてくれた。礼を言う」 「いいえ、わたしはお言葉に値する者ではありません」 「自分をそのように蔑んではならないことを、この芝居で学んだだろう。自分の幸福を軽んじる者が、決して民全体の幸福を貴べるはずはない」 「はい。心に深く銘じます」 「おい、ジュスタンとやら。てめえ、それでも俺の子孫か。情けないぞ」 ギュスターヴは、ジュスタンの頭にぐりぐりと拳を押し付け、リグがあわてて止めている。「いつまでも、うじうじと昔の女に未練を残すな。絶対にラディクなんかにエリアルを取られるなよ」 「だ、大魔導士ギュスターヴって、こんな人だったんだ……」 「へえ、これがジークの直系の子孫」 ルギドとアローテの子どもであるジークとアデルは、瓜二つの顔を突き合わせて、ラディクを観察していた。 「やっぱり、聞いてたとおりだ。目つき悪いんだな」 「おまえらだけには、言われたくない!」 「曾、曾、曾、曾、曾、曾孫娘ヨ。ルギドサマニ、ヨクオ仕エシテクレタ」 「曾、曾、曾、曾、曾、曾おじいちゃん、会いたかったぁ」 ゼダとゼルも薄絹のような翼をぱたぱた叩き合って、喜んでいる。 家族のような交わりから少し離れたところに立ち、その様子を眺めていたレイアに、ルギドが近づいた。 「レイア。何を考えている?」 「……これが、おまえの狙いだったのか」 「何がだ」 「先祖との対面を通して、あやつらを鼓舞すること。これから襲う苛酷な未来に耐えうる力を与えるためにな」 「そうか。おまえも秘かに、奴らのことを心配しているんだな」 「心配などしておらぬ! 私とおまえたちは敵同士だと言っておろう」 「まあ、そのふりをしたいのなら、すればいい」 そのとき、一斉に仲間たちが振り向いた。 「まだやってる」 「おい、アローテ。おまえ、いい加減に意地張るのやめろ」 「お父さん、お母さん。早く仲良くして」 レイアは顔を赤らめ、いたたまれぬように、ぷいと横を向いた。 合唱 "Die Strahlen der Sonne" まもなく朝日が昇り 輝く道を照らす 迷信は消え 賢者が勝利を得るときが来る 人々の心に安らぎが戻り 地上は天国のようになり 人は神に近づく |