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ギャラクシー・ヴァカンス 2
〜 Galaxy Vacances 2 〜








「それで、ロロはどこが危篤状態なのかな?」
「危篤状態だなんて、言いましたか?」
 キャプテン・三神の呆れた声に、ベッドの上に起き上がっていたロロと、そのかたわらに立っていたチェンは、ばつが悪そうに顔を見合わせた。
「すみません、キャプテン。少し大袈裟だったことは認めます。ただ、ゆうべ気分が悪くなって病院にかけこんだとき、切迫流産になる恐れがあると聞いて、パニくっていたのは事実なんです」
「ロロさん、おなかに赤ちゃんが?」
「はい」
 ユナの笑顔に、まるで中学生のような童顔のインドネシア人女性も緊張をほどいて、笑みを返した。
「六ヶ月に入ったところです」
「待ってくれ。ロロ。それじゃあ、昨日までのフライトに、きみは妊娠を隠して乗り組んだことになる」
 レイは前髪をわしづかみにして、低くうなった。「なんてことだ!」
「嘘をついてすみません、キャプテン。私どうしても、歴史的な【磁気プラズマセイル計画】に、直に立会いたかったんです」
 ロロのつぶらな黒い瞳に、みるみる涙がたまる。「それにどうしても乗り組みたかったんです。これは私にとって最後のYX35便のフライトでした――チェンにとっても」
「チェンも?」
 レイは眉をひそめて、主任通信士を見た。
「ロロの言うとおりです」
 ゆっくりと息を吐き出し、チェンは迷いのない澄んだ声で答えた。
「僕も、このフライトを最後にYX35便を降りたいと思っています。生まれてくる子どものことを考えれば、月便かサテライト・ベース便に乗り組みたい。毎日地球に帰って、子どもの顔を見たいんです」
「ああ、そうだろうな」
「本当は、もっと早く相談したかったのですが、今までそのチャンスがなくて……すみませんでした」
「あやまることなどない」
 レイは、細身の中国人青年の肩をポンと叩いた。
「おめでとう、チェン、ロロ」
「ありがとうございます。キャプテン」
「結婚式は、この休暇のうちに挙げることになるだろうね」
「はい、そのつもりです。ただ……」
 ふたりはもう一度、顔を見合わせた。
「ロロは、厳格なイスラム教徒の家庭に育ったので……」
 レイは、ふたりの表情の曇りを見て、言わんとしていることを察した。
「わかった。僕もできるだけ力になる。必要なら、きみたちの上司としてロロのご両親を説得に行こう」
「ありがとうございます」
 病院を出たレイは、雨模様になってきた陰気な空を見上げた。
「婚前交渉による女性の妊娠は、一部のイスラムの家庭にとっては、23世紀の今でも死に値するほどの重罪なんだ」
「本当なの?」
「それでなくても、イスラム教徒以外との結婚は反対される。思いつめた末の行動なんだろう。だが、明らかに無謀だ。考えが足りなすぎる」
「そうかもしれないわ」
 ユナは、うなずいた。
 レイのことばが、いつになく激したものになるのは、彼がクルーに対して負う、強い責任感のあらわれだ。
「妊娠したことを隠して火星との二億キロを往復したと聞いたときは、目の前が真っ白になったよ」
「でも、周囲の状況が何も見えなくなるほど、彼らは愛し合ったのよ。そして、その結果を受け止めて、きちんと責任を取ろうとしている。生まれてくる子どもを大切に育てるために、YX35便を降りることまで決断したんだもの」
 夫の腕に、強く自分の手をからませる。
「何もかもが不安でたまらなかったのだと思うわ。あなたが『おめでとう』と言ったときの、ふたりの嬉しそうな顔、見た? あなたに真っ先に、そう言って欲しかったのよ。だから、あんな芝居を打ってまで、あなたに来てほしいと――」
 そこまで言うと、ユナは突然笑いだした。レイが面食らうほどに楽しげに。
「やっとわかったわ。YX35便のクルーたちが、なんだかんだと理由をつけて頻繁に連絡してくるのは、みんなキャプテン・三神に会いたくて、しかたないからなのよ」
「なんだって」
「だって、あなたは今度のフライトでは別のシップに乗っていたから、二ヶ月間彼らとほとんど会っていないでしょう。それに加えて、今から始まる四ヶ月の休暇。あなたが宇宙にいるあいだは私が寂しくてたまらないように、クルーたちは、あなたに会えなくて寂しかったんだわ」
 レイは、蒼白になった。
「冗談じゃない! タオだのスギタだの、あのむさくるしい男どもが寂しがってすり寄って来るなんて、想像しただけでも虫唾が走る」
「そうだ。いっそのこと、うちでホームパーティを開きましょう」
 ユナは妙案を思い立つと同時に、歩む足を速めた。
「あなたに会いたがっているYX35便のクルー全員を呼ぶの。チェンとロロの婚約発表も兼ねてね。きっとみんな大喜びよ。楽しくなるわ」
 レイは呆気に取られて、その後姿を見つめる。妻の性格を知り尽くしている彼には、嬉々として計画を発進させてしまったユナを、もう止めることなどできない。
 彼女が本当の家族のようにYX35便のクルーのことを案じてくれるのが、うれしくもあった。
 しかし同時に、もうひとつのことに気づいていたのだった。――ユナは、自分たちの子どもが与えられない寂しさを、はしゃぐことによって紛らわそうとしているのだと。


 次の日の夕方、三神家のパイロット専用の広いレジデンスには、世界中の体格・能力ともに並外れた男女たちがひしめき合っていた。
「はいはい、ちょっとどいて。先に通して」
 シェフ・ジョヴァンナがたくさんの食材を肩にかついで、巨体をキッチンに揺すりいれた。その後ろには、いつのまに連絡を取ったのか、YR2便に乗り組んでいたシェフ・スミトロが、コバンザメのようにくっついている。
「さあ、とっとと調理にかかるわよ。今夜は百人前のご馳走を作るんだからね」
「は、はいっ」
 タオ機関長は、紹興酒の入った小ぶりの甕を両脇に抱えてきた。すでに居間のテーブルの上には、あらゆる国の銘酒が所狭しと並んでいる。
 YX35便のクルーのほぼ全員が出席。YR2便からも十人近くが参加するという大所帯ぶりだ。
 コンピュータの【アルパード】は、この家の中がさながら本物のシップになってしまったことに感激している様子で、玄関にお客を迎え入れるたびに、念入りな口上を述べている。
 ドクター・リノは、やはりYR2便に乗り組んでいた日本人医師ドクター・ナクラを、襟をつかんで無理矢理引きずってきた。
「こいつは、医大で俺の後輩だったんだよ。くそぅ、キャプテンに三本も麻酔剤を打つなんて、よくも無茶しやがって」
「あいたた。三神船長には、もう何べんも謝りましたって」
「スィニョーラ」
 ナクラを放り出すと、ドクター・リノは、ユナの手にイタリア人らしい情熱的な接吻をした。
「先月、管制センターの研修で宇宙ステーションにいらしたと聞きましたが、お加減はいかがでしたか?」
「ええ、それが……」
 ユナは申し訳なさそうに、首を横に振った。
「そうですか」
 結局、ユナはわずか六時間の滞在中ずっと、ステーションのベッドに寝込んでいたのだ。結婚以来、ドクター・リノの指導を受けて体質改善に取り組んではいるのだが、ユナの重度の宇宙貧血はまだ治っているとは言いがたい。
 メカニック・チーフのスギタは、ペルー人の美人の細君を連れて自慢げにやってきた。その他にも、配偶者や恋人を同伴してきたクルーが何人かいた。
 退院したロロとチェンも、クルーたちから花束を贈られ、次々と祝福の挨拶を受けている。
 クシロの航宙大学に通い始めたエーディクも、この日だけ戻ってきた。エーディク、チェン、ロロの三人は、次のフライトにはいないのだと聞かされて、パーティに少ししんみりした空気が漂った。
 その空気を吹き飛ばすように、次々と酒の栓が抜かれ、【磁気プラズマセイル計画】の成功を祝い、チェンとロロの結婚を祝い、エーディクの一年後の一級ライセンス取得を祈り、また、これから始まる四ヶ月の休暇を祝って、乾杯の嵐が延々と続く。
 どんな乾杯のときも、どの談笑の輪の中にも、必ずレイは中心にいた。
 YR2便のクルーたちも最初は、乗船中の彼と地上の彼のあまりのギャップに戸惑ったようだが、すぐにその穏やかな魅力に引き込まれていく。
 ここにいる誰もが、自分たちのキャプテンを好きで好きでたまらないのだ。
 次々と運ばれてくる繊細なオードブル、ダイナミックな羊や鴨や魚介料理がテーブルを華やかに彩り、大鍋のパエリヤやキッシュやミートパイは、飢えきった猛者たちの腹でさえ文句なしに満たした。
 宴もたけなわになったとき、看護師のハヌルが、不思議そうに部屋を見渡しながら言った。
「あら、ランドールは来てないの?」
「そういえば、見ないな」
「ちゃんと連絡は回したんだけどな。あまり乗り気じゃない口ぶりだった」
「大事なデートでもあったのかな」
 ユナはパーティの女主人らしく微笑みながら、あたりに気を配っていたが、彼らの会話を耳の端で聞いたとき、一瞬だけ笑顔がこわばった。
 ランドール。今聞くまで、彼のことを忘れていた。けれど、その名を聞いたとたん、体内のどこかがトクンとはねるのを感じる。
 あの卒業舞踏会以来、会っていない。管制の交信でことばを交わしただけ。
 どうしているのだろう。
 シェフ・ジョヴァンナ自慢の超巨大なキャラメルプディング・ディプロマットが歓声をもって迎えられた頃、ドアベルが鳴った。
 突然の予感に導かれて、ユナは急いで玄関へ向かった。
 扉を開けると、そこに立っていたのは、やはりランドール・メレディスだった。
「……いらっしゃい」
「遅れてすまない」
 走ってきたのだろうか。前髪が乱れて、少し頬を紅潮させながら、彼はうつむいた。
「ごめん……持ってこれるものが、家にはこれしかなくて」
 ランドールがユナに手渡したのは、ジンジャー・ビアが一瓶。今では入手困難な正真正銘の本物だった。
 彼女と視線を合わせぬように中に入ると、大勢のクルーたちが彼を拍手と歓声で迎えた。
「おお、遅かったな、YX35便の誇る名パイロット!」
「今ごろ来ても、酒はあらかた飲んじまったぞ」
 クルーたちの真ん中に引きずり込まれ、ようやく笑みを浮かべたランドールを見て、ユナはほっと安堵する思いだった。


 秋のクシロの空は、早々と夕暮れの雲影を地上に落としていく。
 食後のリキュールで火照った頬を冷まそうと思い立ち、ユナは庭に出た。
 オレンジの残照の中、彼女が丹精こめて庭で育てている花々が、心地よい夕風に揺れている。
「パーティを開いてよかった」
 透き通った半月を仰ぎながら、夫の楽しそうな様子を思い出して満ち足りた気分で呟いた彼女は、ふと背後に人が立つのを感じた。
 彼の髪は夕日を縁取らせてまばゆい金に輝き、その強い色はユナの目を痛いほど貫いた。
「ほんとうは、来るつもりじゃなかった」
 ランドールは低く、ひとりごとのように言った。
「あなたが自分の家で、キャプテンと寄り添って笑うのを見るなんて、まっぴらだった。だが、パーティが始まってからしばらくして、キャプテンが俺に通信をよこした――『命令だ。今すぐ来い』と」
「レイが……」
 なぜ? なぜレイがむりやりにランドールを?
「理由はわからない。たぶん、自分たちの仲むつまじさを、俺に見せつけたかったのだろう。だが、来てみて、やはりわかった。あなたは、彼のそばでだけ幸福になれる人なんだ。俺が入り込む余地なんて、これっぽちもない」
 沈黙するユナに、ランドールは自嘲するように笑いかけた。
「だからと言って、諦めたわけじゃない。これからも俺は、夢の中であなたを抱き続けると思う」
「……」
「すまない。あなたには、迷惑千万な話だな」
 ユナは耐え切れなくなって、その場を離れようとした。
「顔をそむけないでくれ、ユナ」
「……もうやめて」
「俺はどうすれば、あなたを忘れられるんだ? 教えてくれ。いっそ気が狂えばいいのか」
 バルコニーの窓が開いて、小柄な看護師が顔を出した。
「あ、いたいた。あんなところに。ランドー……」
 途中で、彼女ははっと口を押さえた。
 ユナとランドールの間に漂う、ただならぬ空気を察したのだ。
 そのままそっと、ハヌルは何ごともなかったようにバルコニーの窓を閉めた。


 最後の客を玄関から見送ったときは、もう真夜中をとっくに過ぎていた。
 テーブルの上の食器類を重ね始めた夫の手を、ユナは押しとどめた。
「片づけは明日にして、もう休みましょう。あなたもくたくたのはずよ。先にシャワーを浴びてきて」
「疲れているのは、きみのほうのはずだ。六十人もの大パーティを、女主人として最初から最後まで仕切ったんだから」
「いえ、私はだいじょうぶ。お正月前の大混雑の月航路を管制するのに比べたら、これくらい」
 レイは微笑んで、ユナの背中に腕を回し、キスした。
「今夜はありがとう。きみは最高の奥さまだ」
「あなたは、最高の夫よ」
「わかった。それじゃシャワーを浴びてくるよ」
 レイが部屋から出て行ったあと、ユナはほっとため息をついた。そして「よーし」と呟くと、食器を載せたトレイを持ち、キッチンと居間をてきぱきと往復し始めた。
【マダム、もう遅いです】
 【アルパード】が気遣わしげに言った。
【明日の朝一番に、キッチンロボットを手配しました。ここは放っておいて、おやすみください】
「ええ、わかったわ。じゃあ、あと一回だけね」
 ユナは居間に戻って、残っていたグラス類を運ぼうとした。
 ふとランプテーブルの上に、モスコミュールの飲みかけが置いてあるのに気づいた。
 確かランドールが飲んでいたモスコミュール。自分が持参したジンジャービアを使って、作ったものだ。
 ユナは、そのグラスを手に取った。
 まるで魅入られたようにゆっくりと、そのグラスの縁に唇を触れようと近づける。
 寸前、はっと我に返った。
(私ったら、今何をしようとしていたの?)
 動転し、あわててトレイをその場に置いた。うろうろと居間の中を歩き回り、心を落ち着けるために深呼吸をして、ようやく寝室に向かった。
 寝室の中には、明かりがなかった。
 部屋着に着替えたレイが、窓辺の安楽椅子に座っている。目を閉じて、音楽に聴き入っているようだ。
 西の空に傾いた月が、彼の横顔を淡く照らし出す。
 その唇は、かすかに動いていた。聴いている曲を、ともに口ずさんでいるのだった。
 イタリア語のテノールのアリアで、レオンカヴァッロのオペラ【道化師】の名曲、「Vesti la giubba」。
 それに気づいたとき、ユナは背中にすっと冷たい鉄の棒を当てられた心地がした。
 【道化師】は、旅回りの道化一座の座長が、彼の妻と村の若者との秘められた恋に気づいて、苦悩する話だ。
 劇中劇の中で、彼の妻演じる登場人物コロンビーナが浮気相手と逢引する場面を見て、現実と虚構を混同した座長は、舞台の上で妻を殺してしまう。
『ああ、笑うんだ道化師よ、お前の愛の終焉に。笑え、お前の心に毒を注ぎ込む、その苦悩を!』
 おそるおそる彼のもとに近づいたユナに、レイはうっすらと目を開けた。まどろみの世界から覗いているような、暗く焦点の定まらない目で見上げると、
「やあ、コロンビーナ」
 弱々しく、笑った。
 ユナはみぞおちが恐怖で締めつけられ、息が止まりそうになった。
「……レイ」
 震える手を夫の肩に置くと、彼は何度か瞬きをした。
「ユナ」
 さっきよりも、はっきりした声だった。
「まだシャワーを浴びてないのかい?」
「ええ」
 ユナは床にひざまずいて、彼の膝に頭をうずめた。
「レイ。私、今週の金曜から休みを取るわ。早くハンガリー旅行に行きましょう」
「それはかまわないけど、どうしてそんなに急ぐんだ? バカンスはまだ四ヶ月もあるのに」
「どうしてもよ。急に行きたくてたまらなくなったの」
「わがままな奥さまだ。まるで駄々っ子みたいだね」
 レイは優しくからかう口調で、クスクスと笑った。
 ああ、怖い。怖いの。
 早く、あなたの国に行きたい。あなたのことを知りたい。ひとときも離れずに、私のすべてをあなたで満たしてほしい。
 そうでないと、私はあなたから永久に離されてしまうような気がする。
「ユナ、愛してる」
 レイの大きな手が彼女の髪を撫でるのを感じながら、ユナは目頭を濡らす涙と必死に戦っていた。






「Vesti la giubba(衣装をつけろ)」 (R.レオンカヴァッロ作) 永竹由幸氏の訳を引用しました。

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