BACK | HOME




ピエタ





-後編-




何故彼にそんな話をしてしまったのか。
今でも時々その嵐の夜を振り返りながら疑問に思う。
ぽつり、ぽつりとした話のあいだタケシは急かすことなく、隣に座って ただあいづちをうっていた。
外の雨で冷やされた室温の中でタケシの大きな掌の温度が肩に熱く、 幼い子供のように泣きじゃくる私の頭を親が子をいたわるように 優しく撫でていた。



一夏の間、タケシは一日と置かずにやって来ては家のことをしたり、 レポートを書いたり、何もせずに私の手元を日がな一日覗き込んだりして過ごした。
荒れ放題だった庭は彼の手によって昼下がりを過ごすガーデンテラスに造りかえられ、 埃だらけだった使われていない部屋も、隅々まで掃除された。
タケシは一体どうなっているのか、普段は大きくてごろごろとしているくせに、 一度黙り込むとまったくその存在感がなくなってしまう。
人がいるにも関わらず創作に打ち込めるのは初めてだった。
「この家の壁、真っ白で寂しいね」
「ん? そうね」
「何か壁紙でも貼ろうか。それか、絵とか写真とかでも飾ったり。 今まで描いて手元に残ってるのがあるでしょ? それでも飾ろうよ」
「ないよ」
タケシの目が点になる。
「完成した絵は全部藤崎が持ってくから」
「藤崎って?」
「画商」
「あ、もしかして二階にあった男物の服の人?」
「うん、そう」
仕事の都合で泊まり込むことがあるため、着替えのシャツや洗面用具 一式がもちこまれているのだ。
「絵はその人が全部持ってくの?」
「うん」
「何で手元に残しておかないの?」
「別に必要ないし」
「そういうもの?」
「そういうものです」
「じゃあさ」
手の中のカップを玩びながら、タケシはやや思案するようにしつつ言った。
「絵の題名をつけているのもその藤崎さん?」
題名?
「さぁ・・・そうなんじゃない?」
私はそんなものつけたことはないから、藤崎だろう。
それにしても題名なんてついてたんだ。細かい奴。
「俺さ・・・一番最初に見た優希の絵が枯山水を描いた水彩画だったんだけど、 あれね、絵の中にある多分桜の木かなぁ、枯れてるから冬の絵かなぁと思ったら ”初春”なんだよね。何で?」
「・・・そうなの?」
「うん。あ、知らなかった? 俺てっきり知っていると思ってたんだけど」
知らない。
第一、あれは木こそ枯れているものの描いたのは真夏なのだ。
「な、優希。壁紙買いに行こうよ。俺、ちょうど車で来てるし、今日は天気もいいし」
「は? 壁紙? わざわざ買いに行くの面倒だからヤダ」
「えー、優希ちゃんのいけず」
「はいはい。何とでもおっしゃい」
「そんなに閉じこもってばかりいると頭からキノコが生えるよ?」
・・・・・・・・・。
「わかった」
「え?」
「出かけるよ?」
「何? 壁紙買いに行く気になったの?」
「いいから車出して」
タケシを急かしながら車に乗り込み、途中で通りかかったコンビニでインスタントカメラ を買い、近くの湖に向かった。
別にピクニックではない。
湖につくと、まずボートを中央に浮かべて、ひたすらシャッターを切った。
39枚撮りを二つ使いきったあと岸に戻り、カメラをスピード現像にまわしている間に、 麓にある一番大きな画材屋で緑と青の絵の具を買い占め、更に厚手の白い布も購入した。
「優希、新しい絵でも描くの? それだったら写真じゃなくて向こうにキャンバスを 持ってったほうがいいんじゃない?」
「いいから。あ、しばらく来ないで」
「えっ。何。いきなり別れ話っ!?」
「いつからあんたとつきあってることになってんのよ」
ひどいと泣き崩れるタケシから荷物を奪い、更に足蹴にしてから私は山荘の中に入っていった。



「・・・どうしたんですか、これ」
部屋に踏み込んだとたん約三十秒ほど固まった藤崎に、まるで子供のようだと思いつつ 勝利感を噛み締めた。
この男がこんな呆けた顔をするなんて、いい見世物である。
「ん? 壁紙」
「どうしてまた急に・・・」
「白い壁は寒いからって」
藤崎は少し黙った。
眉間に心なしか皺が寄っている。
「どうしたの?」
「いえ・・・。ところで個展のことですが、今私の手元にあるものだけでは少し数が少ないので、 来年の夏あたりうちの画廊で開こうと思うのですが」
「ああ、いいんじゃない?」
「ではそれまでにもう五枚ほど、お願いします」
「ん。解った」
頷きながら、また描きかけの絵に向かう。
そういえば、次に会ったら是非とも訊きたいことがあったのだ。
「ね、あんたさ」
手を止めずに、背中越しに声をかける。
「何で枯れている木があるのに”初春”って題つけたの?」
しばらく何も答えなかった。
背中がちりちりする。藤崎の視線がささっているのがわかる。
「さぁ、何故だと思いますか」
「・・・なんで?」
手が震えている。
線がぶれそうで、慌てて筆を置いた。
「あの木は桜でしょう。桜が蕾をつけるのは初春でしょう?」
「・・・私があれを描いたのは夏なんだけど」
「本当に?」
部屋の中を妙な沈黙が支配した。
「どういう意味よ」
声が少し掠れた。
ゆっくりと振り返ると、藤崎はいつも浮かべていた微笑を消して、 まっすぐに私を見据えた。



山の冬は早い。
十一月にもなると、雪が降る日も珍しくなくなった。
タケシがやっとお許しをもらって山荘を訪れたのは十二月下旬だった。
リビングに入ったとたん藤崎の三十秒の記録を破り、たっぷり一分、その場に立ち尽くした。
「なにバカ面さらしてんの?」
「・・・だって、これ・・・。壁紙じゃないでしょう?」
「はがさないでよ」
そろそろと伸ばされた手をピシリと叩いて釘をさす。油絵の具は剥がれやすいのだ。
珍しく自分でも気に入った作品が仕上がったのに、そうそう簡単に壊されてなるものか。
そんな滅相もないと言いながら、タケシは叩かれた手を引っ込めた。
「う〜ん、贅沢〜。壁紙が櫻井優希の壁画だなんて、あれだよね、ファンの人とかが 見たら泣くよね。俺ってば果報者〜」
「なんであんたっていちいちそう感情の起伏が激しいのよ」
「激しいかなぁ」
「自覚症状ないの? 重症だね」
「あ、ひどい言いぐさ。せっかくケーキ焼いてきたのに、拗ねそう・・・」
「は? ケーキ? なんで?」
別に誕生日でもないし、それに私、甘いもの好きじゃないんですけど。
「え? だって今日イヴだよっ!?」
んん? イヴとな?
「えーっ!!」
う・・・うっさい。鼓膜がグワングワンする・・・。
「知ってて呼び出したんじゃないの?」
ぷるぷる。
単に完成したからです。
タケシはこの世の終わりだというような顔をしてうなだれた。
別にそこまでがっくりするようなことか?
ああ・・・、耳が垂れてるのが見えるよ・・・。
「わかったわかった。ごめんね、タケシ君。良い子だから泣かないで」
ナデナデ。
「せっかくプレゼントまで用意したのに・・・」
「だからごめんってばぁ」
「じゃあ、お願いきいてくれる?」
「ん? なぁに?」
「結婚しよ」
「はいはい、判った判った。結婚しよ・・・って、なにっ!?」
結婚?
結婚ってあれですか、あれ。
英語でよく”結婚”は一人じゃ出来ないから他動詞で、 withとかはつかないぞって教師が頑張るあれですか?
「結婚しよう」
「・・・私が嫁入りするの?」
「お嫁さんになって」
「・・・せっかく描いたのに無駄になる」
「俺がこっちに来る」
「大学は?」
「地元の大学で教えないかっていうオファーがある」
「論文は?」
「そんなものはどこででも書ける」
「でも・・・」
「でもはなし。優希の気持ちだけでいい」
「・・・私は・・・だって・・・親、いないし・・・」
「そんなことはどうでもいいって言ってる」
「・・・・・・・・・」
「優希はどうしたいの?」
「私は・・・・・・」



実はこのとき、威は非常に緊張していたらしい。
断られたらどうしようと、心臓がバクバクしてたと、あとになってぼやいていた。

披露宴は絶対に嫌だと威の両親を相手に頑張った結果、極々身内だけでの挙式にとどまった。
山の中腹にある小さな教会で式を挙げたあと、出てきた私を涙ぐみながら抱きしめた 威のお母さんからは、母の甘い匂いがした。
そうして「いつのまにかわたしの仕事が威に取られちゃったわね」と苦笑して言った。
なかなか離してくれなかったのは、花嫁の泣き顔を他人に見られないようにするための配慮 だったのだろう。
三月を待って、威が山荘に引っ越してきた。
表札も櫻井から篠塚に変わり、二階の模様替えも終わった。
埃にまみれていたF15サイズのキャンバスは今、二階の廊下突き当たりにかけられている。
東京にいる水科には、威が葉書を出した。
後になって見せてくれた返信にはたった一言。
男の筆跡で”お幸せに”とあった。




NEXT



BACK | HOME