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       YOU MADE MY DAY


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chapter 2.

 イエローキャブを拾い、クラクションの洪水渦巻く6番街をアッパーウェストサイドに向かう。
 江梨の泊まっているのは、12階建てのホテルの8階だ。
「古くさいホテルやな」
「20世紀初頭の歴史を感じさせるアール・ヌーヴォー風のホテルと言ってくれる?」
 旅行会社のパンフレットの文句そのままを引用した江梨はバッグからカード式のキーを取り出し、差し込むと振り向いた。
「入って」
「ええのんか?」
「今さら、なによ。わけを説明してもらうまでは、もう引っ込みつかないわよ」
 落ち着いた内装の部屋だった。
 晩秋の夕日はもう摩天楼に遮られているが、そのくちなし色の残像は向かいのビルのガラスに反射して、窓から部屋を染めあげている。
 窓際のコーヒーテーブルをはさんで、ふたりは向かい合って座った。
 コートを脱いで黒っぽいスーツ姿になった修悟を、まじまじと見る。
 襟をなぶる、さらりとした漆黒の髪。眉が濃く、はっきりした顔立ちに印象的な瞳。
 こうやって先入観抜きであらためて眺めると、案外な美男子だ。
 いや。案外どころではない。もしかすると、めちゃくちゃかっこいいのではないか?
 こんな最悪の出会い方さえしていなければ、一目ぼれしていたかもしれない。
「申し遅れました。わて、こういうもんですねん」
 真剣に見とれている江梨に対し、彼はおどけた調子で内ポケットから名刺を出した。
 ……それと、このコテコテの大阪弁さえなければ、だが。
 そう思いながら名刺を見ると、
『神園法律事務所 調査員 神園修悟』。住所は大阪の淀川区となっている。
「神園法律事務所?」
「そう。あ、その名刺見たら返してや。クライエントでもない奴に渡すのもったいないからな」
「弁護士か何かなの?」
「弁護士なのは、俺の姉貴。この事務所の所長、神園晃かみぞのあきら。俺のボスや」
「へえ、お姉さん」
「このボスが、安月給で人をこきつかいくさって、経費はケチるし、そのくせ人の嫌がるような仕事ばっかり引き受けてきよるし、とにかくとんでもない人使いの荒い女やねん」
 口をきわめて罵る。よっぽど酷い目に会っている様子だ。
「で、あなたはどんな仕事をしてるの?」
「いわゆる裏づけ調査ってやつやな。良く言えば私立探偵みたいな仕事。悪く言えばドブさらいね」
「ふうん」
「今度ニューヨークに来たんも、うちの事務所が引き受けた仕事の調査のためやってん。ほんまは依頼内容を口外したらあかんねんけど、実は某銀行のニューヨーク支店の不正経理の実態を調べとったんや」
 ……しっかり口外してるじゃないか。
「あ、言うてしもたわ。……って、そこでつっこんでくれへんかな。ひとりつっこみするの、しんどいねんからな」
「……」
「そのニューヨーク支店の支店長代理はクビになるまでのこの7年間で、数百万ドル単位の使い込みをしてたらしいんや。会社の内部調査では、大部分は株の損失の穴埋めに回してたんやけど、どうしても使途不明な日本円にして一億円近い金が存在した。 その行方を調査するのが、俺の仕事やったわけ」
「それで?」
「そいつはNY駐在中に、在阪の暴力団とつながりができたらしい。このところヤクザも国際化してるからな。そいつらに警備やアドバイザーの名目で、実際はカジノ賭博や売春で資金が流れていったらしい。
俺は数週間かけて、その資金の流れや賭博の実態の証拠をつかんだところやった。ところが、もう少しで逃げ出すっていうところで、奴らに見つかってもうた。追いかけられてたときに、きみとぶつかったわけや」
「じゃあ、地下鉄で追いかけてきた奴らって……」
「そう、ジャパニーズ・マフィアのお兄さんたち」
 楽しそうに笑う。
「も、もしあいつらに捕まってたら……」
「俺の一張羅のスーツも、ひとつしかないボディも、えろう風通しがよくなってたやろうな」
「やだ――っっ!」
 江梨は、悲鳴を上げて椅子から立ち上がった。
「そしたら、私も仲間だと思われてるってこと? いやああ。何でヤクザに命を狙われなきゃならないのよっ!」
「しかたないやんか。気ぃ失ってしもたのに、ほっとかれへんやろ? そら、俺一人が逃げたらよかったのかもしれへん。けどあんな裏道に、若い女を気絶したままにしたら何されるかわからへん。第一あいつらにきみが見つかったとき、何か知ってるて疑われたら……。 そう思って、とっさに担ぎ上げてしもたんや」
「ほっといてくれたら良かったのに! そしたら私、今頃……」
「あいつらの拷問受けとるかもしれんなあ」
「……」
「だいじょうぶや。ここのホテルのことは、あいつらも知らん。尾行されてないことは確かめたからな。江梨ちゃんの顔かて、覚えられるほどは見られてへんはずや。俺といっしょでなければ、きみが狙われることは……」
 そのとき、突然ドアをノックする音が聞こえた。
 3度。少しおいて、また3度。
「あら。誰だろう」
「ルームサービスかなんか、頼んだんか?」
「ううん。何にも頼んでない」
「待て!」
 修悟は立ち上がって、ドアに向かいかけた江梨を鋭い声で呼び止めた。
「……奴らかもしれへん」
「うそ……」
「まさかおまえ、なんかこのホテルの名前がわかるようなものを、現場に残したりしてへんか。あのショッピングバッグの中とか」
「あああっ!」
 江梨は顔面蒼白になった。
「スーツの、す、裾上げを頼んで、明日出来上がるからって、電話するからって、持ってたホテルカードを日本人の店員さんに見せて……、そのままレシートいれに」
「あほんだら!」
「知らないじゃん! こんなことになるなんて!」
 部屋の外にいる何者かは、いまやドアを打ち破りかねない勢いで激しく叩いている。
「くそっ」
 修悟はそう叫ぶと、髪をわしづかみにしてうろうろと数歩歩き、ふと思いついて窓の外をのぞきこんだ。
 窓ははめ込みで、開かない構造になっている。
 彼はためらわずに今まで座っていた椅子を振り上げると、窓ガラスに叩きつけた。
「きゃああっ、何すんのよ! ガラス代誰が弁償するの!」
「ここから壁をつたって、2メートル先の非常階段まで行ける。いっしょに来い!」
「だって、だってここ8階よう!」
 割れた窓から、ビル風がすごい勢いで吹き付けてくる。
 下をのぞきこんだ江梨は、目がくらんだ。
「おまけに、足場って30センチくらいの幅しかないじゃない」
「いやなら、ひとりでここに残れ。俺は逃げさせてもらう」
 修悟は急いでコートを羽織った。脇ポケットからのぞいていた茶封筒を大事そうに奥深くに押しこむ。
 ガラスの破片を取り除くと、ヒーターを足台にして、窓枠をまたぎながら振り返った。
「大阪やくざの拷問はきついで」
「わ、わ、私も行く!」
 江梨はバッグをたすきのように肩からぶらさげると、半分目をつぶりながら窓の外の足場にそっと足を乗せた。
「ひどいよ……、なんで……」
 膝ががくがくと笑い出した。
「なんで、こんなことになっちゃったのよう!」


 夕暮れのマンハッタンは、クリスマスのイルミネーションのように輝き、その後ろのハドソン川の上に広がる濃いブルーの夜空が、凄絶なまでに美しい。
 そのパノラマを遮るものなく眼前にしながら、ふたりは風にあおられないようにそろそろと、黒い鉄の非常階段に向かって進んだ。
 夢だわ、こんなの。夢に決まってる。
 たとえ落ちたって平気、ベッドのシーツにくるまって目が覚めるんだわ。
 そう自分に言い聞かせながら、隣の修悟の風になびく髪だけを見つめて、足を数センチずつ動かす。
 非常階段まであとわずかというとき。
 一階下の非常口から奴らのひとりが飛び出して、カンカンという甲高い音を立てて駆け上がってくるではないか。
「こっちまで来ちゃった!」
「くそっ」
 修悟は、地上数十メートルの虚空を飛んだ。
 階段の鉄枠を両手でつかんで、振り子のように身体を使って、脚をひねりあげて追手を急襲する。
 大柄の男が階段の一階下の踊り場までふっとんで、伸びた。
「江梨! 早よ来い!」
「こ、こわい……」
「右手を思い切り伸ばせ。つかまえたる!」
 ドアをようやく蹴り破った男たちが、拳銃を手に窓に駆け寄ったとき、ふたりは小さな点になって階段から裏通りを走り抜けていくところだった。


 10番アベニューがハドソン川にぶちあたるところ、昔の赤レンガ造りの工場や倉庫が立ち並ぶあたりをチェルシー地区と呼ぶ。
 修悟の案内した部屋は、やはり古いビルの2階の、だだっ広い空間だった。
 天井近くの小さな採光用の窓から差し込む月明かりを頼りに電気を点けた。
 無機質な色をしたコンクリートのうちっぱなしの床の上に、原色の家具が点在している。
「すごいね。変わったアパート」
「昔の倉庫を改造してるらしい。このへんはみんなそうや。今は高級ディスコやブティックやなんかになってるところも多いけどな」
 彼は奥のキッチンの冷蔵庫から瓶入りの炭酸水を2本取り出して、一本を江梨に差し出し、残りを飲み干した。
「ここに住んでるの?」
「俺の友だちの部屋や。ニューヨークにいるあいだだけ貸してもろてる」
「ふうん」
「そっちがシャワールーム。使いたかったら使うてくれてええで」
「シャワー浴びたいのは山々だけど、着替えもなんにもない。荷物はホテルに置いてきたし。ああ。私のスーツケースとかどうなってるんだろう。壊れた窓ガラスと椅子を弁償するの、私なんだろうな」
「それと、奴らドアも蹴破りよったやろから、それも弁償せなならんで」
「人ごとみたいに言わないでよ。全っっ部あんたのせいよ。どうしてくれるのよ」
「弁償する。するけど、3年ローンにしといてな。俺マジ金あらへんねん」
「ないで済むんなら、世の中警察も裁判所もいらないわよ!」
「ああ、ええつっこみやな。傷ついた心にジーンとしみるわ。これでいつでも関西人のところに嫁に行けるで」
「誰が嫁に行くもんですか!」
 修悟は、アクリル製の透明なダイニングセットの椅子に疲れきったように腰を降ろして、吐息をついた。
「江梨ちゃん」
 神妙に深々と頭を下げる。
「すまん。悪かった。本当に、すまない。俺のせいできみをあんな危険な目に会わせてしもた」
 謝り続けるその声が、少し震えているのに江梨は気づいた。
 本当に心から悔やみ、自分を責めているのだろう。根はすごく真面目な人なんだ。
「きみの旅行をめちゃめちゃにしてしもた。あのホテルにも、ほとぼりが冷めるまで当分戻らんといてほしい。奴らがまだ見張ってるかもしれへん。日本に帰る予定はいつ?」
「3日後」
「それまでここにおってくれ。ここなら奴らには絶対知れてないから安全や。飛行機に乗るまで、俺が命に代えても守る」
「でも……」
 彼がただの責任感から言っているのはわかっているのに。
 こんなに熱っぽい目で懇願されると、何だか身体がふわふわしてくる。
 それに、3日間彼とここでふたりきり?
「着替えとか必要なものはちゃんと買うたる。ベッドも自由に使ってくれたらええ。俺はソファで寝る。絶っっ対に、なんにもせえへんから」
「……そんなに強調されるのも、かえってショックだな」
「えっ?」
 くるりと背中を向ける。
 好きになってしまったかもしれない。
 たとえ、それがドーパミンとセロトニンの作用にしても。
「服買ってくれるってほんと?」
「安いのでよければ」
「オーチャードストリートの古着でいい?」
「ああ」
「それと、自由の女神もまだ見てないの。連れてってもらっていい?」
「ええけど……」
 戸惑ったような修悟の声に、江梨はこみあげる笑いを抑えることができなかった。




(3)につづく
 

 






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