最終章「新たな時代」
(2)
ポルタンスほどではないが、かつては王都ナヴィルも水運の町だった。
滔々と流れる雄大なラロッシュ河を、外国から国内からの帆船が、王都十万の民の暮らしを満たすために物資を運んできた。
公道網の整備により、荷の運搬にもっぱら馬車が用いられるようになってからも、桟橋にはひっきりなしに大小の船が出入りする。
しかし海賊船が入港したことは、少なくともこの五十年、王都の住民の記憶にはない。
四本マストのフレガータと呼ばれる船は、驚くべき速度で河をさかのぼってきた。マストにドクロと王冠の印をはためかせた黒いその威容を、港の任務に就く兵や水夫たちはおろか、都じゅうの住民が唖然として見つめていた。
「砲撃準備!」
守備隊隊長の悲壮な命令が港にこだまして消え去る前に、王宮から使者が駆けつけた。
「王命を伝える。入港してくる海賊船を、国賓として丁重に迎えよ」
「……ほ、本当か」
舳先に黒い肌の乙女の彫刻を施した【ラフィユ・ノワール】号は、帆をたたみ、左右の船側から二十本のオールを誇らしげに高々と上げると、王家の桟橋に静かに滑り込んだ。
錨が下ろされ、もやい綱が固く結ばれたあと、緊張にみなぎる港に十人ほどの海賊が降りてきた。仰々しく迎えに出た使者団に先導され、彼らは大通りの中央を、王宮をめざして歩き始めた。
まるで戦勝した将軍の、凱旋の行進だ。
先頭は、黒い上衣に身を包み、曲刀をベルトに差した堂々たる体躯の船長。手下たちと揃いの真紅のスカーフに頭を包んでいる。
船長のすぐ後ろにつくのは序列から言えば航海士であるべきだが、歩いていたのは、まだ二十歳にも満たぬ若者だ。
見物の群衆は、通りの両脇をぎっしりと埋め尽くしていた。中には不安に泣きだしそうな女もいるが、男たちは彼らの運んできた冒険の匂いに酔い、とんでもないことが起こりそうな期待に目を輝かせている。
いずれにせよ、王都の状況がこれ以上悪くなることはない。戦争の噂と政治不安に息がつまりそうな日々を送っている民衆にとって、鬱屈した日常が打ち壊される予感は、むしろ喜ばしいものだった。
王宮に着くと、玄関に紺色の制服を着こんだ侍従長が迎えに出た。
「陛下がお待ちにてあられます。謁見の間へどうぞ」
丁重に、しかし断固たる口調で付け加える。「おそれながら、ここから先は、いかなる客人といえども武装を解いていただきます」
「なに?」
肩をいからせる手下のひとりを、『海の帝王』は手で制した。
「陸(おか)には陸の掟がある。てめえらは、ここで待っとけ。俺たちだけで行く」
先頭の三人、船長と若者と航海士は、腰に差していた剣とダガーを抜いて、衛兵に渡した。
船長は一歩退くと、ぽんと若者の背中を叩いた。
「ここから先は、おまえの戦場だ。俺たちは後ろで、ゆっくり見物させてもらう」
若者は黙ってうなずくと、先頭に立った。侍従長は彼を見て、もう一度深々と頭を下げる。
「ラヴァレ伯爵。お久しぶりでございます」
「うん、ギョーム。みんな元気か」
「それは答えるのが難しい問いでございます」
老僕は、おだやかな笑顔を浮かべた。「ただひとつ申し上げられることは、皆こぞって、あなたさまのお帰りをお待ちしておりました」
「ありがとう」
儀仗兵の先導を受けて、エドゥアールは胸を張り、決然と顔を上げて歩き始めた。
今までの彼は、王宮ではいつも目を伏せ、人前では斜に構えていた。それが長い間、秘密を守るための手段だったのだ。
だが、もう今は誰からも目をそらす必要はない。
謁見の大広間の扉が両側から開く。赤いじゅうたんの上を踏みしめながら、一歩一歩確かな足取りで、玉座に近づく。
玉座にはフレデリク三世。その脇にはプレンヌ公爵。リンド候セルジュ。
ティボー公爵は公には謹慎中の身であり、この場にいる資格を持たない。またテレーズ王妃は、祖国アルバキアと不明朗な手紙のやりとりをしていたという罪状で、離宮に閉じ込められたままだった。
離れた場所から、おそるおそる成り行きを見つめているのは、主だった大臣や侍従たち。真後ろには、緊張の面持ちで槍を握りしめた近衛兵たちが並んでいる。
広間にいる全員が、まばたきの間さえも目を離さぬように、無法者の一行を注視していた。
「お久しゅうございます。陛下」
エドゥアールは片膝をつき、わずかに頭を下げた。王宮規範で定められた作法ではない。背後に控える海賊たちに至っては、立ったまま黙礼するのみ。
いらだちと怒りにかすれたプレンヌ公の声が響いた。
「無礼な。それが下位貴族のクライン国王陛下に対する態度か」
「よい」
玉座のフレデリクは鋭くとどめた。「どこへ行っていた。ラヴァレ伯」
「船で、海をめぐっておりました。うしろにいるのは、海賊船【ラフィユ・ノワール】号の船長と航海士です」
「そなたが余を誘拐したという汚名は、とうに晴れたぞ。どこにも逃げ隠れる必要はない」
「おことば、身に余る幸いにございます」
そのやりとりを聞きながら、人々はかすかな違和感をいだいた。
ラヴァレ伯爵と言えば、ひどい下町なまりを話すことで有名だった。仕草にも、下層民らしい粗野さと落ち着きのなさが現れていた。
だが、目の前にいるこの男は、完璧な上流クライン語をあやつっている。海賊の衣服こそ身にまとっているものの、その所作には気品さえ漂う。
国王が玉座の腕をぐっと握りしめた。表情にはありありと驚きが浮かんでいる。
「ラヴァレ伯。その――かぶりものを外してみよ」
エドゥアールは顔を上げ、意味ありげな笑みを形作った。
「おことばのとおり」
頭を覆っていた真紅のスカーフに指をかける。
家臣団の中から、「あっ」という声が漏れた。
白い肌が褐色に日焼けすると同様に、南国の太陽に当たれば、海の潮風にさらされれば、人の髪はこのように色が変わるものなのか。
と、誰もが一瞬そう錯覚するほど。絹の下に隠れていたのは、広間の蝋燭の明かりを映して輝く、糖蜜色の髪だった。
驚かなかったのは、フレデリク王とアルフォンス公父子のみ。あとは王宮の全員が、呆然と固唾を飲む。
まるで定められた台詞を読むような調子で、王は口を開いた。
「その髪は?」
「これまでは、黒く染めておりました。ですが船上では染めることもかなわず、数ヶ月で本来の色に戻りました」
フレデリクは魅入られたように、エドゥアールの顔から目を離すことができない。
まっすぐに彼を見つめる水色の瞳。柔らかい光を放つ金色の髪。――あらためて見れば、あの美しい少女に生き写しだ。
「余の聞くかぎりでは、そなたの父親はエルンスト・ド・ラヴァレ伯爵。母親はクロエという娼婦であったはずだが」
「いいえ」
エドゥアールは、即座に否定した。
「父の名に間違いはありません。しかし、母親の名は――」
わずかに言いよどむ。しかし、それはためらいのためではなかった。なぜなら、エドゥアールの顔に浮かんでいる表情は、あふれるばかりの誇りと喜びだったからだ。
19年間ひたすら覆い隠してきた秘密を、公にできる喜び。
「わたしの母の名は、エレ―ヌ・ファイエンタール・ラヴァレ。陛下の妹君です」
国王は完全に玉座から立ち上がっていた。家臣団たちのざわめきが、潮騒のように遠くから聞こえる。
「嘘だ。何を世迷言を」
大臣のひとりが、吐き捨てるような口調で叫んだ。「その髪こそ染めたものであろう。畏れ多くも姫さまの名を騙るとは。気でもちがったか」
「嘘ではありません」
エドゥアールは気色ばむこともなく、静かに答えた。
「証拠は」
「わたしに宛てた、獅子と薔薇の紋章の入った直筆の文が一通」
「ふん。そんなものが何の証拠になるか。いくらでも偽造できる」
玉座の国王が右手を上げて制すると、ふたたび広間は静寂に包まれた。
「いや」
なぜ初めから、このことばを口に出せなかったのか。余の意気地のなさが、妹を、そして、あれの愛した息子を長い不幸に陥れてしまった。
「いや、この者の言うことに相違ない」
今となってみれば、巨大だと思えた障壁は、これほど軽やかに乗り越えられるものだったのに。
「余が――兄である余が、証しするのだ。目の前にいるラヴァレ伯は確かにエレーヌの子。面立ちを見れば疑うべくもない」
しばらくは、息の音すら聞こえなかった。居並ぶ数十人の人間は、まるで彫像になったかのように身じろぎもしない。
その静寂を打ち破ったのは、この部屋に入ってからエドゥアールが、わざと一度も見ようとしなかった人物だ。プレンヌ公の嫡子セルジュ・ダルフォンス。
「なぜ、今になって?」
憎悪を叩きつけるような蒼のまなざしだった。「それまでは、わざわざ出自を偽っていたのだろう。何のために、真実とやらを打ち明ける」
同じ色の髪になって向き合ってみれば、二人の貴公子はとてもよく似ていることに誰もが気づく。
それも道理。プレンヌ公とティボー公が従兄弟同士であるのと同様、セルジュとエドゥアールもまた、従兄弟同士なのだから。
エドゥアールは顔を彼に向け、ゆっくりと口元をゆるめて笑った。いつもの無邪気な笑みではなく、腹に企みを隠し持つ狡猾な笑み。
彼は玉座に向きなおった。
「陛下。わたしがファイエンタールの血筋であり、第一の王位継承権を持つ者であることを、国内外に宣言していただきとうございます」
「なに」
フレデリクは、驚愕に目を見開いた。
「そなたは、クラインの王位を所望すると申すか」
エドゥアールは、広間のどこに立つ人間からも見えるように、深々とうなずいた。
「はい、陛下が退位なさるときには、その玉座をわたしにお譲りください」
突然わきおこった王位継承の大問題は、五大臣の合議により、臨時の貴族会議にゆだねられることになった。
そうと決まると、家臣たちはあたふたと四方に飛び出していった。貴族たちの意見をひとつに束ねるためだった。今までどおりにセルジュ・ダルフォンスに与し、いきなり王位継承権を主張し始めたならず者など相手にしないようにと。
広間を辞するあいだも、プレンヌ公はエドゥアールを、ひたと睨み続けた。
瞳に宿るのは、憎悪という生易しいものではない。むき出しの殺意だった。
臆することなくエドゥアールがまっすぐな視線を返すと、公爵は怒りに顔を黒ずませ、赤い礼装のすそをひるがえして歩み去った。
父親につき従っていたセルジュが、その場にひとり残った。かつての盟友を見つめる表情は、ぞっとするほど凍てついている。
「よく戻ってきたな」
「戻るとは想像もしていなかったか」
「わたしが、おまえを武器商人ギルドに売り渡したと思っているのだな」
「あのときの状況から見て、それしかありえぬだろう?」
エドゥアールは、負けず劣らずの冷やかな笑みを浮かべた。「王牢を出た瞬間に襲われたのだからな。偶然と呼ぶには、あまりにできすぎている。おまえの脱獄計画を真に受けたのが、愚かだった」
「それでわたしに復讐を? 王位を手にいれる気になったのは、それが理由か」
セルジュは、喉の奥でククと笑った。「わたしも愚かな男だ。またおまえを信じるところだった。王になる気はないと言っておいて、結局は機会を狙っていたのだろう」
「それは違う」
エドゥアールは、ふうっと息を漏らした。「あのときは本気でそう思っていたよ。けれど、つくづく嫌気がさしたんだ、真実を隠して逃げ続ける日々が。それならばいっそ、おまえたち親子と戦ったほうがましだと覚悟を決めた」
「言っておくが、おまえが王位を主張しても、カルスタンとの軍事同盟への流れは避けられぬぞ。かえって貴族たちの危機感を煽り、反共和主義に傾くことになる」
「わかっている」
「それならば、よい」
セルジュは薄く微笑んで、踵を返した。「わたしとおまえは、どちらかが死ぬまで戦う運命だったようだ」
じっと後ろ姿を見送るエドゥアールのもとに、離れて傍観していたふたりの海賊が近寄った。
「エディ。あいつは、おまえの敵なのか」
釈然としないといった仏頂面で、船長が訊ねた。
「まさか。俺は、あいつのことが大好きなんだぜ」
ふりかえった伯爵は、すっかり元の下町ことばに戻っている。先ほどまでが別人と思えるほど、ほがらかな笑顔だった。
「その気持ちが、相手に伝わってりゃいいがな」
「ま、今は成り行きにまかせるさ」
扉が開き、侍従長のギョームが謁見の広間から出てきて、一礼した。
「陛下からのお言付けでございます」
「なんて?」
「『驚かすのも、たいがいにしろ』とのこと。今も玉座にてすこぶる不機嫌で、ものに当たり散らしておられます」
「ありゃ。俺の書いた手紙は、まだ届いてなかったのか」
「それが、ひとあし違いでございました」
ギョームは、ふところから書状を取り出した。「ポルタンスからグラン医師がお着きになったのは、つい先ほどでございます」
「ついさっき? イサドラから聞いた話じゃ、とっくに」
「二日間、道に迷っていらしたとか。そのあと落馬して、途中の村で介抱を受けておられた由にございます」
「……テオ先生」
エドゥアールは大仰なため息をつくと、侍従長の持っていた書状を受け取って、ふたつに裂いてポケットに収めた。
「よろしいのですか?」
「もう今さらの内容だよ。で、テオ先生は」
「診察を始めておられます」
エドゥアールは、さらに声をひそめた。「……陛下は、このことは?」
「いいえ。まったくお知らせする機会がございません。四六時中、あの方の監視が張りついておりますゆえ」
「わかった。じゃあ俺も当分は近づかないほうがいいな。ついうっかり口をすべらせそうだし。不機嫌な王サマのお守りは頼んだ」
「承知いたしました」
今となっては、王宮でただひとりの王の味方である侍従長は、まじまじとエドゥアールを見つめた。その目の端には、うっすらと涙がたまっている。
「あらためて拝見すると、本当によく似ておられます」
「母君を知ってるのか」
「おそれながら、ご幼少のときよりお仕えいたしておりました」
「いつか落ち着いたら、ゆっくり話を聞かせてくれよ」
エドゥアールは柔らかく微笑んだ。「俺には、なんにも母君の思い出がないんだ」
ギョームは「はい」とうなずくと、今度は、船長と航海士に一礼した。
「国王陛下より、くれぐれも皆さまのご苦労をねぎらうようにとのご命令でございます。なんなりとご希望をお申しつけくださいませ。王都で一番の宿を用意させましょう」
「ああ、心づかいはうれしいが、俺たちのねぐらは、世界中どこでも船の中だ」
長躯の船長は、腕組みをして侍従長を見下ろした。「そのかわりと言っちゃなんだが、俺の手下たちが港の界隈で、酒を飲んで女と騒ぐのを大目に見てやってほしい」
「わかりました。それでは、その飲み代はすべて王宮で負担させていただきます」
「ありがてえ。クラインの国王さんは豪気だな」
【海の帝王】は、エドゥアールの肩をぽんと叩くと、片目をつぶって見せた。「じゃあな。いったんお別れだ。しっかりやれよ」
「ああ、また会おう」
「気をつけないと、さっきの公爵さまが、刺客を差し向けてくるかもしれねえぞ」
「わかった」
「まあ、俺たちなんぞがいなくても、奴が守ってくれるだろうがな」
船長は顎をしゃくった。指し示した回廊の陰に目立たぬように立っていたのは、伯爵家の近侍の騎士だった。
「じゃあ、行くぜ」
海賊たちが玄関に歩み去ると、エドゥアールはわざと、自分を試すような緩やかな足取りでユベールのそばに近づいた。
「怪我はもういいのか」
「なんのことでしょう」
主の前にひざまずいた騎士は、いたずらっぽい灰緑色の目を上げた。「夢でもご覧になったのではありませんか」
「そうかもしれないな。なんだか、ひどい悪夢だった」
「でも、夢は覚めれば、全てが元どおりの現実があるだけです」
次の瞬間、エドゥアールはユベールの首に強く、強くしがみついた。
「生きて……生きてて……くれたんだな」
「申し上げたではありませんか。わたしは死にませんと」
騎士は、あの日馬上で震えていた小さな背中を思い出しながら、主の背中を愛しげに何度もなでた。「あなたはもう、わたしたちのことでお泣きになる必要はないのです」
彼の肩に顔を埋めながら、エドゥアールは小刻みに何度もうなずいた。
「帰るぞ。ラヴァレの谷に。できるだけ早く」
「はい。そのつもりで、一番の駿馬を用意してきました」
ミルドレッドは編んでいたレースの襟飾りを取り落として、暖炉の前から立ち上がった。
空気が動いた。庭のほうで人が叫びながら走ってくる気配がする。
「若奥さま。大旦那さま!」
ロジェの珍しく狼狽した声が玄関から駆け上ってきた。「若旦那さまがお帰りです!」
ミルドレッドは、ドレスのすそを両手でたくしあげると、部屋を飛び出て階段を走り降りた。
待ち望んでいた時が、ついにやってきたのだ。
「どこですか」
「まだ、谷の入り口に到着されたところだそうにございます」
執事は、すっかり落ち着きを取り戻していた。「お急ぎにならずとも、まだ時間は十分ございます」
家令のオリヴィエ、メイド長のアデライド、コック長のシモン。ほとんど全員の使用人が玄関の間に集合する。どの顔も喜びにはちきれそうだ。
「みんな。お迎えの準備を頼みます」
言い置くなり、伯爵夫人は外に飛び出した。ジルやソニアがあわてて止める声が聞こえたが、じっとしてなどいられない。一秒でも早く、エドゥアールの姿が見えるところに行かなければ。
庭の坂道を走り降りる途中で、ピンがひとつはずれ、結い上げていた髪の房がはらりと落ちた。
再会のときは念入りに装い、髪型にも気を配ろうと決めていたのに。
門番が開けた門をくぐるとき、遠くの村から祝鐘の鳴る音が聞こえてきた。それはやがて、谷全体を覆う響きとなって彼女を包んだ。
冬ごもりでなまっていた体は、少し走っただけで息も絶え絶えとなる。目を上げれば、谷の両側に迫る斜面の森の頂に、雪は消えていた。小鳥たちが鐘の音に驚いて、空に舞い上がる。丘の上から見えるクレール川はキラキラと陽光を反射している。
(ああ、春が来たんだわ)
エドゥアールは、約束を違えなかった。ラヴァレの谷に春が来る日に戻ってくると。
乾いた道に土煙を蹴立てて、ものすごい速さで二頭の馬が走ってくる。
途中の村では、村人たちが沿道に走り出て手を振っているが、速度もゆるめければ、見向きもしない。
ただ一心に、ミルドレッドのもとへと。
気がつけば、彼女の顔は涙でびしょびしょだった。ハンカチさえも忘れてきてしまった。手の甲や袖で頬をぬぐいながら、それでも、よろよろと走り続けた。
丘のふもとまで来てエドゥアールは、まだ停まりきっていない馬から飛び降りた。
「ミルドレッド!」
息せき切って、転げそうになりながらも、エドゥアールは丘を駆け上がり、とうとうミルドレッドをつかまえた。
「会いたかった、会いたかった、会いたかった!」
「エドゥアールさま!」
汗と埃と涙と荒い息づかいを共有しながら、伯爵夫妻は固く抱きしめ合い、いつ果てるともない口づけを交わした。
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