伯爵家の秘密


第4章「第一の秘密」


(5)

(この方は、会うたびに汗びっしょりで髪を乱している)
 ミルドレッドは、ぼんやりと考えた。
 暗がりの中でも、一目見てすぐにわかった。剣を片手に凛と立つ姿。光り輝く湖の水を手ですくうときのような、そんな色の目をしている。
 娼婦の胎から生まれた人。多くの娼婦に触れた手を持つ人。想像しただけで鳥肌が立つほどなのに、ふたたび会ったとたんに、体の奥のどこかがジンとうずいたのは何故なのだろう。
「エドゥアールさまって……まあ!」
 主にとって大切な人との思いがけない再会と知って、侍女のジルがおろおろと叫んだ。
「トマったら、何をしているの。この方は、お嬢さまの婚約者、ラヴァレ伯爵のご子息でいらっしゃるのよ」
「え、えーっ」
 今まで剣を交えていた相手が高名な伯爵家の出だとわかり、騎士の主従も腰を抜かさんばかりに驚いている。
 そしてエドゥアールも、ゆっくりと階段を降りてくる少女から目を離せずにいた。
 ドレスは、落ち着いた紺色。頭には同色のボンネットをかぶり、赤みを注した白い肌は、あの日と同じ、まろやかな光沢を放っている。
 だが、薄茶色の目は冴え冴えと冷たく、舞踏会ではずむように踊っていた快活な少女は、まるで生命のない陶器の人形に戻ったかのようだ。
「ふたたびお会いできて光栄です。エドゥアールさま」
 薄紅色の唇からなめらかな挨拶を紡ぎだすと、ミルドレッドは膝をかがめて優雅にお辞儀をした。
 そのよそよそしい仕草を見て、エドゥアールも豊かな表情を消し、儀礼的な会釈を返した。「こちらこそ」
 許婚(いいなずけ)たちの間に漂う冷めた空気に気づいて、周囲の者たちは居心地悪そうに顔を見合わせる。
「急ぐので、失礼」
 誰に向けたかわからない呟きを残して、脇をすり抜けるようにして伯爵子息がその場を去っていくと、ジルは泣きそうな顔をして、主を見た。「お、お嬢さま」
 ミルドレッドはまっすぐ前を向き、毅然と顎を上げたままだ。だが、その唇は抑えようもなく震え、長い睫毛は、朝露の降りたシダの若葉のように揺れていた。


 それから三日後、王宮の広間で、エドゥアールの叙爵式が行なわれた。
 国王手ずからによる叙爵式が行なわれるのは、公爵から伯爵まで。人数の多い子爵以下の下級貴族の叙任は、侍従長の代理で式が行なわれる。
 参列したのは、王宮の主だった大臣や関係者たち。もちろんプレンヌ公爵は姿を現わさなかった。
 伯爵家側からは近侍のユベール・ド・カスティエ士爵のみ。
 国王の正装をしたフレデリク三世が玉座に立ち、同じく正装したエドゥアールに勲章と、王家の紋章の入った短剣を下賜する。取り次ぎ役たちによる代理会話によって、儀式は三十分ほどで終わった。新しい伯爵に、王は最後まで一瞥もくれることはなかった。
 この日を境に、エドゥアールは【伯爵子息】ではなく、【伯爵》と呼ばれることになる。
 その身分と財産は王宮により一生にわたって保護され、反逆罪などの大罪を犯さぬ限りは、たとえいかなることがあっても、そして彼の出自がいかなるものであったとしても、それを理由に爵位および領地が剥奪されることはない。
 これらのことは、【恩恵】と呼ばれるクライン王国法補則で事細かに定められている。それほどまでに、この国における貴族の権利は絶対なのだ。
 広間を出るとエドゥアールは、初冬の冷たい空気を肺いっぱいに吸いこんだ。
 肩の荷が降りた。一時は潰えたかに見えた彼の天命を、無事に果たし終えることができたのだ。
 回廊の向こうで、セルジュ・ダルフォンス侯爵が柱にもたれて、こちらを見ていた。太陽のような色の金髪に縁取られた細面には、驚くほど柔らかい笑みが浮かんでいる。
「受爵おめでとう。ラヴァレ伯」
 エドゥアールは近づいていって、彼の前に腰をかがめる。
「リンド候。あなたには、いくらお礼を申し上げても言い足りません」
「なに。正直言って陛下の決定を、きみごときが覆せるとは思ってもいなかったよ」
 侮蔑まじりなのに穏やかな物言いは、親しい友人の間に交わされる軽口とさえ錯覚させる。
「あの陛下のお心を動かすとはね。いったい、どんな魔法を使ったのかな」
「何も。ただ誠意をもって、お願い申し上げただけです」
「なるほど。ともあれ、きみを見直した。先々も、よろしくお付き合いのほどを願う」
 エドゥアールは顔を上げると、微笑を返した。
「おそれながら、許される限りは、もう王宮に来ることはないと思います」
「来ない? なぜ」
「領地に引きこもるつもりです。俺のような卑しい者の居場所など、ここにはありませんから」
「政治には関わらないと? きみには、野心というものはないのか」
「あいにく、そういうものは持ち合わせていません」
「ではこれから、何をするつもりだ」
「領地の経営に専念します。それが今の自分にできる、せいいっぱいです」
「国の政治を動かすほうが面白いと思わぬか」
「国政は大きすぎて、治める相手の顔が見えません。小さな谷のほうが俺の性分に合っています」
 セルジュは、エドゥアールの肩をぐいとつかむと、その耳にささやくように言った。
「もし、仮にきみに国王になれる資格があるとしたら、どうだ? それでも野心は生まれぬと言うのか」
 エドゥアールは目を伏せたまま、答えた。「はい」
「なんだ」
 セルジュは彼の肩を放した。あからさまに失望した声を漏らす。
「きみは、つまらん男だな」
 そして、興味を失ったおもちゃを後ろに放り出すように、踝を返した。
 その後ろ姿を見送ってから、エドゥアールも歩き出した。
「不思議なお方です、リンド侯爵は」
 背後でユベールが、珍しく焦れたような声を出した。「いったい、何を考えておられるのでしょう」
「さあな。でも、あいつのことは嫌いじゃない」
 玄関への歩みは、おのずと速まる。
 先ほどのセルジュへの答えは、本心からのことばだった。貴族社会などに興味はない。一刻も早く、この王宮を去って、あの美しいラヴァレの谷に帰りたい。
 玄関の広間に着くと、家令のオリヴィエと従者が最敬礼をもって迎えた。
「伯爵さま。受爵おめでとう存じます」
 そう、そこにいたのは、オリヴィエが先ほどまで、五歳児以下だの何だのと平気で嫌味を言っていた伯爵子息ではない。
 正式な爵位を受けた貴族。エドゥアール・ド・ラヴァレ伯爵だった。
「お待ちくださいませ。ラヴァレ伯」
 侍従長が小走りにあとを追いかけてきた。
「国王陛下からの召喚状にございます」
 エドゥアールの前に、彼はうやうやしく書状を差し出した。
「召喚状?」
「はい。これから月に一度、陛下の御前に参られるようにとのお召しでございます」
「月に一度?」
 寝耳に水のことばに、エドゥアールは思わず叫んだ。
「はい。恐れながら陛下のおことばを、そのままお伝えいたしますならば」
 侍従長は真顔で声をひそめながら、言った。
「『あの生意気で礼儀知らずな小わっぱを、さんざん虐めぬいて礼儀というものを叩き込んでやる。それが叙爵と引き換えの条件だ』――だそうにございます」
 呆気に取られたエドゥアール一行に一礼して、侍従長は去っていった。
「あ、あのクソだぬき! 今ごろになってそんな条件を!」
 顔を真っ赤にし、拳を固めて走り出そうとする若き伯爵を、近従たちは三人掛かりで引き止めた。


 聖マルディラ孤児院の広い庭に、子どもたちの歓声が響いている。
 クラリス院長が辞任してから、新しい院長のもとで、孤児院はいくつかの改革を行なった。孤児たちは、もう決して杖でぶたれることもなく、言葉づかいや成績のせいで罰を受けることもない。
 あらたに外部から教師を何人か迎え、きめ細やかで、ひとりひとりの必要に合った教育が始まりつつある。
 子どもらしい、のびのびとした様子を見つめながら、エドゥアールは久しぶりに心安らぐ時間を味わっていた。
 伯爵叙任にともない、今まで父エルンストが担っていた名誉院長の職が、正式に彼のものとなる。その着任式が、この日行なわれたのだった。
「若さまーっ」
 玉蹴りをしていた子どもたちが、ベンチに寝そべっている彼のもとに駆けてきた。
「今日は、戦争ごっこしないの?」
「悪いな。ちっと疲れてるんだ。大人になっちまったからな」
「おとなになると、つかれるの?」
「ああ、大人は会いたくもない奴に会って、したくもない話をしなきゃならねえ。それが毎晩、遅くまで続くんだ」
「ふーん」
 叙爵式が終わってからというもの、エドゥアールは連日連夜、上流貴族たち相手に招き招かれての祝賀の席に着かねばならなかった。
 表面ではなごやかに会話していても、腹の中では(娼婦の息子め)と馬鹿にしながら、なんとかして彼の無作法や無知を暴き出そうと目論む貴族たちに対して、あるときは進んで失笑を買い、あるときは博学で煙に巻く。
 丁々発止の駆け引きを演じる毎日は、さすがのエドゥアールでも心身にこたえた。
「会いたくない人に会うなんて、イヤだな」
「心配しなくても、子どものうちは会いたい人だけに会ってればいいんだ」
「わかさまは、とっても会いたい人だよ」
「そいつは、うれしいな。俺もおまえたちには、すごく会いたかった」
 孤児たちは集まってきて、寄り添うように彼のベンチの回りに座った。
「若さまのいちばん会いたい人って、だれ?」
「おとうさんとおかあさんにきまってるよ。そうでしょ?」
「バカ、そりゃ自分のことだろ」
「だって、ふたりとも、しんじゃったもん。もう会えないもん」
「おい、泣くなよ。わるかったよ」
「親に会いたいって泣くのは、子どもなんだぞ。おとなは、一番会いたいのは恋人なんだぞ」
「へえっ。こいびとって、なに?」
 子どもたちの賑やかなおしゃべりを聞きながら、エドゥアールは微睡みの中でぼんやりと、今目の前にいてほしい人の面影を胸に抱いた。
「あ、雪だ」
 孤児たちは、空から降ってくる白い粒を不思議そうに見上げながら、思い思いに両手を広げた。
 青く晴れていたはずの空は見る間に灰色の雲に塗りつぶされていく。王都で、この冬はじめての雪だった。


 ラヴァレの谷が、新雪に覆われているという知らせが届いたのは、その夜のことだった。
 例年よりも早いが、あり得ないことではない。王都で長い滞在を余儀なくされているうちに、冬至祭まで、あと一月を切っていた。
 病を得ている人や貧しい者にとっては、命にかかわるほど厳しい冬がやってきたのだ。
「伯領に戻る」
 主の突然の宣言に、居館の使用人たちは上を下への大騒ぎになった。
「お待ち下さい。まだ応じておられないお招きが」
 家令のオリヴィエが、あわてて押しとどめる。
「断ってくれ」
「しかし、その中には大切な……」
「もう十分、やつらの遊びには付き合っただろう!」
 新伯爵となって二週間。今まで黙々と義務を果たしてきた反動で、苛立ちが頂点に達したのか。ことのほか激しい返答に、家令は即座に口をつぐんだ。
 聖マルディラ孤児院の子どもが親を慕う声が、エドゥアールの耳にこびりついていたのだ。
『ふたりとも、しんじゃったもん。もう会えないもん』
 母には生涯でただ一度しか会えず、ようやく会えた父は今また死の宣告を受けている。両親の愛に飢えた幼子の恐怖が彼の心の奥底に巣食っていて、時折り顔をのぞかせる。
「承知しました。その代わり――」
 オリヴィエが、あきらめの溜め息を吐いた。「モンターニュ子爵の晩餐へのご招待だけは、お受けになって行かれませ」
 その名前を聞いただけで、ずきりと体の中がきしんだ。ミルドレッドに会わずに行きたいというのが、突然の帰郷を決めた理由の一つであったことを気づかないわけにいかない。
「……断れないのか」
「今夜でございますゆえ」


 モンターニュ子爵の居館は、大通りを三区画ほど下に降りたところにある。
 外観はひどく古い建物だが、土台石のひび割れなどは丁寧に補修してある。中に入ると壁紙も新しく、扉の真鍮部分はつややかな赤金色に輝いていた。
「みすぼらしい館ですが、伯爵さまをお迎えするのに、せいいっぱい手を入れたばかりでございます」
 モンターニュ子爵夫妻は得意げに、玄関から客間へと案内した。
(この改修費用を、出入りの商人から借りたと言いたいのだな)
 エドゥアールは暗い気持で考えた。(この借金のためにミルドレッドは俺との縁談を、嫌だと言い出せないんだ)
 客間で、執事によって食前酒がふるまわれているとき、扉が開いた。
 ミルドレッドは花のつぼみを思わせる淡いピンクの晩餐用のドレスをまとっていた。
「ようこそ。おいでくださいました。伯爵さま」
 視線を合わせることなく、彼女は非の打ちどころのないお辞儀をした。「そして、受爵おめでとうございます」
「先日は、失礼した」
 エドゥアールも立ち上がり、固い声で挨拶を返した。それきり二人は居心地悪く口をつぐむ。
「そろそろ晩餐の席へどうぞ。コックが何日も前から腕によりをかけて準備したものです」
 夫人の巧みな誘導で、彼らは食堂に移動した。
 豪華な晩餐のあいだじゅう、話していたのはもっぱら、パルシヴァルとダフニ夫妻だった。エドゥアールは相槌を打つだけだったし、ミルドレッドはほとんど会話に加わらなかった。
「ラヴァレ伯爵さま」
 居間で食後のチョコレートとリキュールが出される段になって、モンターニュ子爵は満を持して切り出した。「ミルドレッドのことなのですが」
 咄嗟に横にいる彼女を見たが、目を伏せて、何の表情もうかがえない。
「このような、身に余る光栄なお話をいただき、わたしどもも娘も、何の異存も――」
「すみませんが」
 エドゥアールはいきなり遮った。「その前に、ふたりだけで話をさせていただけませんか」
「あ、な、なるほど」
 父親は目を白黒させた。「そうでしたな。それは大切なことです。もちろんですとも」
 子爵は不安げに振り返る妻のお尻をぼんぽんと叩きながら、出て行く。使用人たちも退出し、居間には許嫁のふたりが残された。
 まるで凍りついたように隅の椅子にしがみついているミルドレッドをじっと見下ろすと、エドゥアールは詰めていた息を吐き、少し離れた椅子を選んで腰かけた。
「ミルドレッド」
「……はい」
「俺は明日、領地へ帰ることになった」
「そう……ですか」
「だから、きちんと決めておきたい。俺とあんたがどうするのか」
「父が申したとおりです。わたくしには何の異存も……」
「子爵の気持じゃない。あんた自身の気持を訊いてる」
「……」
 ミルドレッドはゆっくりと、エドゥアールに顔を向けた。
「本当に、これでいいのか。嫌いな男と結婚することに、あんたは本当に納得しているのか」
「嫌いだなんて」
 彼女は息苦しさのあまり、大きく胸を上下させた。「わたくしは、子爵の娘です。家名を重んじ、家の存続のためを一番に思うのは、当然の義務ですわ。最初から愛情のある結婚など、貴族にとってはありえないことです」
「はじめは愛情がなくても、ともに暮らしているうちに歩み寄ればいい。だけど、あんたには、俺に歩み寄る気はこれっぽちもないだろう」
 ミルドレッドは目を閉じて、ひたすら冷静さを取り戻そうと念じる。「いいえ。やれと命じられれば、何だってやってみせます」
 エドゥアールはそのことばを聞いて、目を吊り上げた。
「これでもか?」
 はじけるように立ち上がり、彼女の手首をぐいとつかんだ。
「きゃ……」
 身をよじり、顔を隠そうとするミルドレッドをすぐに放し、エドゥアールは冷ややかな言葉を浴びせた。「ほら、触れられるだけで虫唾が走るほど嫌いなくせに」
 ミルドレッドは、キッと憤怒の視線を返した。
「いいえ、そんなこと。あまりに乱暴なお振る舞いに、少し恐くなっただけです」
「どうせ、娼婦の子だと心の中で蔑んでるんだろう」
「あなたこそ、ご自分に引け目を感じておられるから、そんな勘ぐりをなさるんだわ」
「俺は引け目など感じちゃいねえ」
 エドゥアールは拳を震わせて、低く叫んだ。
「俺にとっては、娼婦だろうと貴族だろうと同じ女だ。同じ感情と同じ誇りを持つ人間だ。何も違わない」
「そんな――」
「答えてみろ。ミルドレッド――あんたと娼婦の、いったいどこが違う!」
 次の瞬間、鈍い痛みとともに頬が乾いた音を立てた。
「ええ、そうだわ」
 ミルドレッドは、真っ赤になった掌を反対の手で押さえながら、涙でいっぱいになった目で彼を睨みつけた。
「わたくしは、二十万ソルドで自分の体を売る娼婦ですわ。いさぎよく認めます。それで――それで、満足なの?」
 気の遠くなるほどの時間が経ったと感じながらミルドレッドが我に返ったとき、もうエドゥアールの姿は、どこにもなかった。
 「ミルドレッドや。どうしたの」と走りこんでくる母親の胸にすがりつきながら、彼女は大声をあげて、泣き伏した。


 その夜遅く、子爵家の表の扉を、ラヴァレ伯爵の使者が叩いた。
「エドゥアール・ド・ラヴァレ伯爵は、令嬢ミルドレッドさまとのご縁談を白紙に戻したいと思し召しです」
 金髪の騎士は淡々と無表情に、そう述べた。
「先ほど小麦商人ベローを館にお呼びになり、二十万ソルドの借用証に主みずからが署名して、裏書をなさいました。ご令嬢に対する、せめてものお詫びの気持としてお納めくださいますように、とのことです」
 モンターニュ子爵夫妻は呆然とした表情で、その口上を聞くのみだった。
 夜が明け初める前、ラヴァレ伯爵家の居館の前を数台の馬車があわただしく出発しようとしていた。
 御者席のカンテラがゆらゆらと、冷たい風の中で揺れる。
 見送りに出た使用人の中には、居館執事ナタンのほかに、後片付けのために残るメイド長や近侍の騎士の姿があった。
「若さま」
 ユベールはエドゥアールの背中に向かって、咎めるように言った。
「ミルドレッドさまを、わざと怒らせたのですね」
 無言のまま、若き伯爵は紋章の入った二頭立ての馬車に乗り込む。
「本当に、これでおよろしいのですか。わたしには、何かが間違っているような気がしてなりません」
「間違ってはいない。計画どおりになっただけだ。はじめから言っていたはず――結婚はしないと」
 エドゥアールは抑揚のない声で答えると、革張りの座席に背を預けた。
 馬が軽くいなないて、馬車はすべり出した。
 華やかな王都を離れ、沈黙の冬が訪れようとするラヴァレの谷目指して。


                  第四章  終




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