Subterranean Homesick Blues ホームシックブルース


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「あんたも……ロボットなの?」
「はい。同じ【AR8型】で、クリフォトより三年前に造られました。ああ、クリフがロボットだって知ってて付き合ってくれてるんですね。うれしいなあ」
「だから、そんなわけないだろう!」
 そんな会話が三人で交わされたあと、クリフォトは仏頂面で、今夜あったことをかいつまんで話した。
「……結局その男にだまされたわけですね。で、気がついたら火星だったと」
 セフィロトは、ひどく痛ましげな顔つきになった。「かわいそうに。怖かったでしょう」
 マルギットはうなずく代わりに、何度もまばたきした。
 この表情の豊かさ。感情のこもった声。クリフォト以上だ。これでは、いくらロボットだと聞いても、頭が納得しそうにない。
「これからどうするつもりです?」
 マルギットは、首を横に振った。「わからない」
「やはり、地球に行きたいという気持は変わりませんか」
 マルギットは、首を縦に振った。「たぶん」
「明日の朝、YX35便の乗組員たちと、もう一度相談することになっているが……」
 クリフォトの低い声に、セフィロトは首を傾げて考え込んだ。
 【サテライト】や火星で生まれた、いわゆる【第二世代移民】たちが地球に移住することを、銀河連邦政府は法律で固く禁じている。
 ひとつでも例外を作れば、希望者は雪崩をうって地球に押し寄せ、歯止めがきかなくなる。地球には彼らを受け入れる余裕はもはやない。
 マルギットは【サテライト】に強制送還されるしかない。地球で暮らすという夢をかなえることは絶対にできないのだ。――ふたたび密航し、どこかに潜伏して不法滞在しない限りは。
 セフィロトは「忘れていた」とでも言うように、ポンと掌を拳で叩いた。
「ところで、マルギット。お腹すきませんか?」
「え?」
「途中でいろいろ買ってきたんですよ。どうせ、こいつは気が利かないから、コーヒー一杯すら出してくれないでしょう」
 セフィロトはいそいそと玄関に置いていた大きな買い物袋をキッチンに運びこみ、中から魔法のように皿やコップ、肉や野菜の真空パックや調味料を次々と取り出した。
「ちょっと待っててくださいね。すぐに何か簡単なものを作ります」
 鼻歌まじりに調理台に立ち、てきばきと鮮やかな手つきでサラダを作りはじめる。
「うわあ」
「肉と豆と野菜を和えるだけですが、美味しいんですよ」
「ロボットなのに……自分でも食べたりするの?」
 マルギットは彼の横顔を伺いながら、おそるおそる言った。【ビリー】は、レストランのウェイターをしていたが、食べ物を口にするところを一度も見たことはない。
「わたしは毎日三度の食事をしています。おかしいですか」
「充電すれば、必要なエネルギーは摂れるのに?」
「長い間の習慣なんですよ。妻といっしょにいつも食べていましたから」
「妻?」
 ロボットの口から出てくるのに、これ以上意外なことばはない。
 セフィロトは、ふいに忙しく動いていた手を止めた。
「結婚して一緒に暮らしていたんです。人間の女性と」
「その人は――」
「亡くなりました、八年前に94歳で。すごく長生きしてくれたと思います。死因は老衰でした」
 マルギットはあわてて「ごめんなさい」と叫ぼうとしたが、その前に彼は振り向いて、にっこり笑った。
「それに、食べながらおしゃべりするって、とても楽しいことでしょう?」
「うん……そうだね」
 クリフォトはキッチンの隅で、ふたりの会話には関心のないふりをして壁にもたれて立っている。
「さあ、できた。……ええっ。この家にはテーブルもないのか」
 収納ボックスの上に皿とインスタントワインのコップを三つずつ乗せて、キャンプのような夕食が始まる。
 セフィロトにしつこく促されて、クリフォトもしぶしぶ食べ物を口にしている。まるで兄に偏食を叱られている弟のようだ。
 マルギットは目の前のふたりを交互に見比べて、目を細めた。
「ふたりは【兄弟】なのに、ずいぶん違うんだね」
「鏡像のように真逆だと、よく言われます」
 「兄弟」と呼ばれたので、セフィロトはとても嬉しそうに微笑んだ。
「こいつは、無愛想で偏屈でしょう。生まれて75年も経つのに、まだ思春期のガキなんですよ」
「……うるさい」
「あはは。ほんとだ」
 マルギットは、なぜだか急におかしくなって、げらげら笑い出した。
「なんだか可笑しい」
「なにがですか」
「何もかもさ」
 店の金を盗んでまで、地球を目指して。それなのに、着いたところは地球だと思ったら火星で。
「命からがら逃げ出して、挙句の果ては、火星でロボットとご飯を食べてるなんて……あはは」
 笑いが止まらない。
 笑っているうちに、ワインと低い気圧と、目まぐるしく動いた一日のせいなのだろう。上半身が大きく泳ぎだした。
 崩れ落ちる自分の体を誰かが暖かい腕で抱きとめてくれたことを感じながら、気を失うように眠りに落ちた。


 充電装置の点滅が止まった。
「終わったよ。クリフ」
 カプセルの扉を開いて、セフィロトが呼びかけた。
 目を開いたクリフォトは、体の具合を確かめるようにゆっくりと起き上がる。
 眠ってしまったマルギットを、着ていた耐寒服に包んで床に寝かせたあと、セフィロトは、今からメンテナンスをしようと言い出した。
 クリフォトが正式のメンテナンスを受けたのは、もう十年も前だ。
 地球には、【SR2型】シーダがいるし、犬槙博士の後継者も数人いる。だが、火星には【AR8型】を保守点検できるだけの知識のある者は誰もいない。
 セフィロトは、使った工具をバッグの中に丁寧に並べる。
「消耗パーツは取り替えておいた。けれど、上距骨関節の修理は【国立応用科学研究所】に来ないと無理だ」
「別にこれでいい。不自由は感じない」
「なぜ、地球に戻ってこないんだ。最初のうちは、仕事の合間を縫ってでも数年おきに帰ってきてたのに」
 クリフォトは、黙って服を着る。
「きみの火星での役割は終わったはずだ。五年前に総督府の一切の職務を自ら退いたと聞いた。だったら地球に戻ってこいよ。みんな――」
「誰が待ってる?」
 クリフォトは吐き捨てるように答えた。「タクもカイリもエリヤも死んだ。犬槙博士も、胡桃も。俺のことを知ってる人間は、もう地球にはいない」
「わたしがいるだろう」
 セフィロトは唇を震わせた。「わたしではダメなのか。【すずかけの家】の子どもたちだって、きみに会える日を楽しみにしている。いつも、きみや火星のことを授業で話しているから。きみが地球に帰っても、絶対にひとりにさせない」
「嘘つき」
「え?」
「そっちこそ、パーツ交換を拒否しているくせに」
 クリフォトは、ふつふつと湧き出る怒りに唇を歪ませながら、彼を睨んだ。
「シーダがメールをくれた。『いくら言っても、セフィが【応用科学研究所】に定期健診に来ない』と」
「それは――このところ忙しかったから」
「『もしかして、このままパーツを取り替えずに、故障して停止するつもりかもしれない』と」
 セフィロトは答えなかった。今まで彼の顔を彩っていた豊かな表情は消え去っていた。そんな彼を見たのは初めてだ。
「本当なのか」
 クリフォトは思わず彼の襟を掴んだ。「それだったら、思春期のガキなのはそっちだろう!」
 なじるように叫んだ次の瞬間、セフィロトはふわりと彼の首に両手を回して、ぎゅっと抱きついた。
「……馬鹿だな」
「……」
「考えすぎだ。わたしは大丈夫だよ」
 眠れない子どもをなだめるような響き。「大丈夫」という言葉の裏に、「大丈夫じゃない」といううめきが聞こえるような気がするのは錯覚だろうか。
 クリフォトは苛立ちを抑えるために、ホームコンピュータに、いつもの曲を命じた。
 ボブ・ディランが3世紀前に歌った「地下街のホームシックブルース」。

いいかい坊や
真実はいつも闇の中
マンホールに飛び込んで
サンダルを脱いで
自分を蝋燭で照らすんだ

 セフィロトは体を離した。
「悪い。今晩は充電装置で寝かせてもらえるかな」
 弟に背中を向け、穏やかな声で言った。
「火星までの旅は――遠くてちょっと疲れたよ」


第一話「Subterranean Homesick Blues」 終