(5)
クリフォトの命令に、ナットと呼ばれた若者は、素直に銃をしまった。
それを見て、マルギットが泣きそうな声をあげる。
「そんな……ねえ、嘘だよね」
【グラナトゥス】に誘拐された彼女を最初に助け、部屋に匿ってくれたクリフォトが、【グラナトゥス】を創設した張本人であること。
「ほんとうだ」
彼女の疑惑と恐怖の視線を避けるように、クリフォトはナットに向き直った。
「今ここにいるのは、ふたりだけか」
「はい、店からの呼び出しで連れていかれた女は、今ごろマニが安全な場所に保護しているはずです」
「わかった。こっちのふたりは俺が引きうける」
「クリフ」
セフィロトが穏やかな声で会話をさえぎった。穏やかだが、有無を言わせぬ服従を命じる声。「どういうことか、わたしたちにもわかるように、説明しなさい」
黒髪のロボットは、叱られた子どものように、しぶしぶ振り向いた。
「【グラナトゥス】を創ったのは俺だが、今は組織を統率しているのは俺ではない、ということだ」
「たとえば――フェルニゲシュか」
噛みつくようなレイの問いかけを、クリフォトは肯定も否定もしなかった。
「説明はあとだ。すぐに女たちを連れてくる。フォボスからの脱出を手伝ってくれ」
「おまえの指図は受けない。俺の船に誰が乗るのかを決めるのは、俺だ」
若いパイロットは目を熾き火のように燃やしながら、機長としての威厳をもって答えた。
クリフォトはうなずいた。「わかった。それでいい。先に航宙ポートに行って待機していてくれ」
そのやりとりで、男たちの間に信頼関係が決して損なわれていないことを、マルギットは悟った。
ひとりで取り乱してしまった自分が恥ずかしかった。
三人は、元来た通路を駆けもどった。建物の外へ出て、地下アーケードを足早に歩き始める。
「タオ」
レイは通信機を使って、ポートで待つ機関長を呼び出した。
「救出した女性ふたりをクルーザーに乗せる。あんたはすぐに、火星行きの定期航路にもぐりこんでくれ。万が一、敵が搭乗ゲートで見張っていたとしても、あんたなら面が割れていない」
通信を切ると、セフィロトを見た。「クルーザーの定員は四人だ。女性ふたりと、マルギットと俺。ロボットは貨物扱いになるんだったな」
「はい。帰りはわたしも、女性を膝に乗せる至福を味わわせてもらえますね」
セフィロトは、茶目っ気たっぷりに言った。
フォボスの外壁の三分の一を占める航宙ポートは、火星との定期航路と観光シップ以外は、すべて金持ちの私用クルーザーで占められている。
七色に美しく色分けされた発着用ブースの各々では、最新型の小型クルーザーがずらりと並んで宇宙に機首を向けている。レイたちの乗ってきたクルーザーも、発射台の上でいつでも飛びたてるよう整備されていた。
ほどなく、クリフォトも、ふたりの女性を連れて現れた。
彼女たちは涙と汗にまみれ、息をきらしている。ほとんど引きずってきたのだろう、クリフォトにつかまれた手首は赤くなっていた。
「まったく、いくつになっても、きみは女性の扱いが下手だな」
セフィロトは呆れたように彼女たちを受け取ると、安心させるためにそっとふたりの背中をなでた。
レイは操縦席に飛び移ると、錬金術師のような手つきで、次々とコンソールのランプを点灯させていった。
続いて、マルギット、そしてふたりの拉致された女性が乗り込む。
「待て!」
ブースの入り口に、背後から強烈な照明を浴びて、宇宙防護服の不気味なシルエットがいくつも現れた。
「警察だ。市民の通報により、おまえたちを略取誘拐容疑で現行犯逮捕する」
「チ、なにが市民の通報だ。【グラナトゥス】の犬め、ふざけるな」
「クリフ! 乗れ」
セフィロトが彼をかばうように前に出ると、叫んだ。
「管制。離脱許可を」
レイは通信装置に向かって叫ぶが、応答はない。「くっそう。管制も、やつらとグルか」
「クルーザーのハッチを閉めろ」
と叫んだセフィロトは発射台から駆け出した。ブースの壁面パネルに取り付くと、すぐに躊躇なく操作を始める。
管制コンピュータの指令を無視して、ブースの発射ゲートを強制的に開くつもりだ。すぐに追手の男たちが彼を止めようと飛びかかり、揉み合いとなる。
「セフィ!」
クルーザーの内部で、マルギットの悲鳴が上がった。
『構わず離脱してください。ゲートはあと十秒で開きます』
レイの通信機から、セフィロトの声が聞こえる。
「だが、おまえは」
『自分の身は自分で守れます。あとで必ず合流しますから』
「わかったーーエンジンフルスロットル!」
レイは奥歯をぎりと噛みしめると、操縦レバーを力をこめて引いた。
発射ゲートが放射状に開き始める。とたんに、ブースの中の空気が猛烈な勢いで、真空の宇宙へと流れ出した。
その大気の奔流の中で、完全に開ききっていないゲートを鮮やかにすり抜けるように、レイの操るクルーザーは漆黒の空へと飛び出した。防護服の男たちとセフィロトは、あっという間に視界から見えなくなる。
「セフィロト」
クリフォトは喉の奥からしぼりだすように、うめいた。
シーダが言っていた――『もしかして、セフィはこのまま、故障して停止するつもりかもしれない』と。
(俺はセフィロトに、死に場所を与えてしまったのか)
最初の加速が終わり、安全ベルトが自動的に緩むと、クリフォトは前かがみになって額の髪をかきむしった。
機内で無言が永遠に続くかと思えたとき、クルーザーの外壁に異様な音がした。
コンコン。一瞬おいて、コンコンコン。まるでノックだ。
『すいません。ハッチを開けてくださいますか』
通信機に、デジタル音声の合成音が入る。
「セフィ!」
悲鳴に似た歓声があがった。
ハッチが開き、加圧が終わると、コックピットに入ってきたのは、果たしてセフィロトだった。
みな、幽霊を見るような思いで見つめる。
「ゲートが閉まる寸前に、間一髪で外に飛び出したんです」
と微笑むセフィロトは、息も乱していない。当然だ。彼は呼吸をしなくてすむロボットなのだから。
「でも、追いついて本当によかった。火星まで泳いで帰らなきゃいけないかと覚悟してたので」
搭乗者たちは驚き、そして顔をほころばせた。
クリフォトが【兄】の首に両腕を回して、ぎゅっと抱きついたのだ。
「ばか……心配させやがって」