We Will Rock You ウィ ウィル ロック ユー


           (3)


 早朝、扉をどんどんと叩く音がして、マルギットは目を覚ました。
 ソファの上で起き上がろうとしていると、奥の部屋の充電装置に入っていたクリフォトが、裸にシャツだけを羽織りながら出てくるところだった。
 彼はまったく下着を着けていないので、目のやり場に困る。
「クリフ、大変だ」
 扉から入ってきたのは、フォボスの【グラナトゥス】の隠れ家で会ったナットという青年だった。息を切らして、蒼白な顔をしている。
「マニが捕まったらしい。連絡が取れない」
 クリフォトは、それを聞いても眉をぴくりとも動かさない。
「やつは、どこにいた」
「【黒の洞窟】だよ。女を安全な場所に送り届けてから、あそこに向かうと言ってた」
「いつの話だ」
「三時間ほど前」
「わかった。助けに行く」
 置いてきぼりを食わないように、あわてて身支度を始めたマルギットに向かって、クリフォトは言った。「あんたはここにいろ」
「あたしも行く」
「だめだ。心細いなら【ポンチセ】に行って待ってろ」
「ひとりで行く気? セフィはどこにいるの?」
 「さあ」と知らぬふりをするクリフォトに、マルギットは気色ばんだ。
「ちょっとあんたたち、仲たがいしてる場合じゃないよ。こんなときこそ協力し合わなきゃ」
 クリフォトは、うんざりしたような表情を浮かべて振り向いた。
「そんなに簡単に見限ってくれる奴なら、苦労はしない」
 アパートの入口を出ると、果たしてセフィロトが待ちかまえていた。
 彼だけではない、一級航宙士のレイ・三神もいっしょだ。壁に積み上げた粗大ゴミにもたれて夜を明かしていたらしい彼らは、立ち上がって思い思いに伸びをした。
「そろそろ出撃か」
 レイは、うっすらと髭の生えた顎を気にするように撫でた。
「あんたたち、なんで、こんなところに?」
 と不思議そうなマルギットに、
「ふたりだけの夜を邪魔しちゃいけないと思いまして」
 セフィロトは、いたずらっぽい笑みを返した。「さあ。急ごう、クリフ。ナットのあわてぶりを見ると、緊急事態のようだし」
「全員ついてくる気か……」
 不平をもらしかけたクリフォトは、結局ことばを飲み込んだ。言うだけ無駄だということは、この三日間で否応なしに学んでいた。

 火星の地下都市は三十キロの深さまで広がっている。
 大気圧が地球よりも低く設定されている地上ドームに比べれば、地下のほうが高い気圧が得られ、酸素濃度も高い。つまり人間にとって、より快適な生活ができる。特に富裕な人々は、こぞって首都クリュスシティの地下三十キロの【オアシス】と呼ばれる都市に別荘を持ちたがる。
 だが、地下十キロ、二十キロポイントと呼ばれる気圧調整のためのエレベータ中継点には、ごみごみとした歓楽街が自然発生し、いかがわしい酒場や賭博場が軒を寄せ合っていた。闇が銀河中の犯罪者たちを引きつけたのだ。
 当然、火星総督府も、この無政府状態を黙って見ているわけではない。
 【地下十キロポイント再開発計画】――地下鉄によって火星の各ドーム都市を結び、観光と物流の中心となる安全な地下都市網を作る。
 この壮大な構想のもとに十五年前から始まった地下鉄建設だが、予算不足のため、今までもたびたび中断した。
 結局、工事の予定を縮小されたまま放置された一部の建設現場が、ますますホームレスや無法者たちの溜まり場となる悪循環に陥っている。
 クリフォトのアパートを出発した一行は、『関係者以外立ち入り禁止』の柵を乗り越えて、敷設中の線路に沿って進んだ。
 まだトンネル内の覆工が終わっていない箇所は、黄色い硫酸塩の地層がむき出しになっている。
 太古の昔、火山から噴出する硫酸と、地表の水とが混じり合って岩石が溶け、硫酸塩が発生したという。かつての活発な火星の姿を、地層は無言で示している。
 先頭に立って歩いていたナットは、突然、姿を消した。よく見ると、側壁にぽっかりと穴が開いている。
 やや下り勾配の脇道を、低い天井に頭をかがめながら、さらに地下へと進むと、ついに開けた場所へ出た。
 ここの岩肌は黒く、粘土質であることをうかがわせる。
 地下鉄建設用の資材置き場として作られたのか、それとも天然の空洞を資材置き場として使っているのかの、どちらかだ。
「ここが、黒の洞窟?」
 ファンタジックな光景を想像していたのか、少しがっかりしたようなマルギットの声が、壁に幾重にも反響している。
「便宜上、そう名付けただけだ」
 クリフォトは、にべもなく答え、口をつぐんだ。
 仲間の行方を探すために、赤外線をトレースし始めたのだ。セフィロトも同じ方向を見やる。
「この部屋に残された人の痕跡は五人。彼らが部屋を出たのは――2分前?」
 そのときナットが、持っていた明かりを頭上にかかげた。
 いきなり、その明かりが消えた。
 部屋の非常灯も同時に消え、部屋の中は漆黒の闇となる。
 セフィロトはとっさにレイとマルギットを両手に抱えて、床に伏せた。
 光線銃の痕跡がゆっくりと頭上を通り過ぎて、消えていく。
「ナット!」
 暗闇でも全く不自由を感じない目で、クリフォトは自分に銃を突きつけている仲間を真っ直ぐににらんだ。
「ゆ、ゆるしてください」
 おびえたようなナットの泣き声が洞窟に反響した。「こうしないとマニを殺すと脅されて、しかたなかったんだ」
 セフィロトはマルギットを壁ぎわまで移動させると、耳元に「ここにいて」とささやいた。
 彼女の耳のピアスが蛍光性であることに気づき、そっと取り外して手に握らせてから、離れていく。
 あとは息詰まるほどの闇。何も見えない。ただ隣から、浅く忙しい呼吸が聞こえてくるだけ。
(レイ、恐いんだわ)
 幼いころ、脱出用カプセルで宇宙を何日も漂流していた後遺症で、彼は今でも暗黒や閉所、不安定な地面を極端に恐れている。
 マルギットは体をよじり、レイの腕に触れようとした。だが次の瞬間、逆に抱きすくめられていた。
(え?)
 熱い感触が、ほんの一瞬だけ唇に押し当てられる。
 そのとき、暗闇の向こうから聞き覚えのない男の声が響いた。
「いいから、撃て。ナット。それだけの至近距離ならロボットでも破壊できる」
 氷のように冷たく、抑揚がない声。「大丈夫、相手はおまえに反撃できない。人間に危害を加えないように作られてるんだからな」
「フェルニゲシュ」
 クリフォトは怒りを抑えながらうめいた。声の主は、今【グラナトゥス】を支配しているハンガリー人ジュラ・ロストフに他ならなかった。
「撃たなければ、まずこいつから殺す」
「た、助けてくれ……クリフ」
「マニ、そこにいるのか」
 フェルニゲシュの背後に、拘束されたマニの姿を確認したクリフォトは反撃をあきらめ、だらりと両腕を下げた。
 ロボットの暴力禁忌プログラムのゆえではない。ひとりのリーダーとして、彼は自分の命を仲間の命に優先させるつもりはなかった。
「ナット、言われたとおりにしろ」
「……け、けど」
「マニが死んでもいいのか」
「い……いやだ。いやだ」
「撃て!」
「う、うわああ!」
 混乱した若者は、引き金を引こうとした。だが一筋の光線が走って、横殴りされたように吹っ飛んだ。
 いつのまにかレイが、光線銃を手に握っている。神経を研ぎ澄まし、ナットの銃の発射ボタンのかすかな点滅を捉えて目印にしたのだろう。正確無比の射撃だった。
 マルギットを片手で抱きかかえながら、航宙士はさっきとは別人のように落ち着きはらっていた。
「人間なら、いくらでも人間を撃てるんだぜ」