(2)
いったん決意してからは、クリフォトの行動には迷いは微塵もなかった。
手近なコンピュータ端末をメインコンピュータから乗っ取ると、人間の耳には聞こえない高速のデジタル音声で、通信を始めた。
ただひとり、その内容を聞きとることができるセフィロトは、だんだんと顔をひきつらせ始めた。
「何をしてるんだ。クリフは」
「火星総督府のコンピュータと交信して――この基地の総攻撃を命じています」
「攻撃?」
「うわ、銀河連邦軍にも出撃を要請してる。全面戦争並みだ」
「冗談じゃないわ!」
マルギットは悲鳴をあげた。「やめさせて。たくさんの人間が、まだここにいるのよ」
「落ち着け」
レイが、パニックに陥りかけている彼女の肩を大きな手でつかんだ。「クリフだって、それくらいは考えてる」
「作戦開始時間は2400時に決定したと言っています。あと三時間あります」とセフィロト。
「おい、おまえ」
クリフォトは、この部屋の管理をまかされている渋川ヒロトに命じた。「あと三時間で、ここにいる胎児たちをひとり残らず基地から運び出せ」
「そんな、不可能だ」
「不可能でもなんでも、やるんだ」
その様子を見ていたセフィロトは、肩を落として深く嘆息した。
「やれやれ。やっぱりこいつは、組織のリーダーには向いていませんね」
そして、てきぱきと動き始めた。「ヒロトくん、搬出用の乗り物を手に入れてきてください。マルギット。わたしといっしょに人工子宮カプセルの搬出を手伝ってください。レイ。あなたはクリフのほうを頼みます」
「わかった」
長身の航宙士はクリフォトの腕をぐいとつかんだ。「行こう。マニを探すんだろう」
黒髪のロボットは、一瞬ためらうような表情を見せた。
「フェルニゲシュは、マニを囮に、俺たちを待ち伏せしている」
「だから、僕がいっしょに行くんだ。ロボットには人間に暴力をふるうことができないプログラムがあるんだろう?」
宇宙に出ていないときのレイ・三神の笑顔は、落ち着きと力強さを感じさせる。
「わかった。頼む」
クリフォトはうなずくと、部屋を飛び出た。
「あてはあるのか」
「内部の地図は持っている」
クリフォトは、片手をすっと前に差し出した。プラズマ化した空気に、ホログラムの立体画像が投影される。
「ここが、基地の中枢部だ」
と上層階の一点に指を突き立てる。「攻撃と防御の指令系統が集められている。フェルニゲシュがいるとしたら、ここだ」
「よし、行くぞ」
走り出そうとするレイを、クリフォトが引き止めた。
「待て、変だ」
あちこちの天井のパネルが開き、するすると胡乱な物体が降りてくる。
「奴ら、俺たちと総督府との交信に、やっと気づいたな」
ふたりが左右に飛びのいた次の瞬間、彼らの立っていた床は、四方からのレーザー光線で真っ黒に焼かれた。
装置からはずした円筒のカプセルは、セフィロトとマルギットの手でひとつずつ台の上に運ばれる。
渋川ヒロトはリフトローダーを操り、それらを慎重に積み上げた。充電装置が作動して、48時間は内部の胎児は酸素と栄養を安定的に供給されるはずだった。だがそれ以上放置すると、生命に危険が及ぶ。
羊水を思わせる液体の中で、球形の人工子宮はゆらゆらと揺れている。
それは、クリフォトの部屋でコップに浮かべたアボカドの種を思い出させた。そして、大勢の生命を乗せて宇宙に浮かんでいる地球や火星の星々を思い起こさせた。
セフィロトはときどき慈しみをこめた眼差しで、半透明のカプセルの中で浮かんでいる胎児をじっと見つめた。「だいじょうぶ。こわがらなくてもいいですからね」
「先生、こいつら、これからどうなるんだ」
ヒロトが訊いた。「銀河連邦法では、こいつらは違法な存在なんだろう。まさか処分されちまうなんてことは」
「そんなことはさせません」
セフィロトはきっぱりと答えた。「わたしの全存在を懸けて、この子たちは守ります。火星はこの子どもたちの誕生を待っているんです。地球が【すずかけの家】の子どもたちを待っていたように」
マルギットは思わず彼の顔を見た。遺伝子操作によって人間が生み出されることに、セフィロトは猛反対していたはずだ。
主義を貫くなら、この胎児たちを見捨てて闇に葬ってしまうこともできるはず。だがもちろん、この人間よりも人間らしいロボットには、そんなことは死んでもできないのだろう。
「ねえ、早く脱出しないと、銀河連邦のミサイルで粉々になっちまうよ」
「あと2時間19分23秒ですよ。急ぎましょう。ヒロトくん」
「ああ」
ヒロトは泣きそうに口をゆがめながら、大きくうなずいた。
彼自身もこの子たち同様、人工子宮でこの世に生を受けている。親というものの存在しない彼が、セフィロトたち教師によって、どれだけ愛され守られてきたか。長い放蕩の生活の末にすっかり忘れていたことを、彼は今ようやく思い出しているのだ。
全部で、40台の人工子宮カプセルがリフトローダーの上に積み上げられた。
「どうやって首都まで輸送するかですが」
セフィロトが最大の難問を持ち出した。「われわれの乗ってきたサンドバギーでは、とても一度には運べません」
「一度、大型のコンテナトラックから荷を降ろすのを手伝わされたことがある」
とヒロトが言った。
「出入り口は、どこだかわかりますか」
「上の階の一番端だったと思う」
「行きましょう」
先頭を切って歩き始めたセフィロトは、はっと足を止めた。
「まさか」
彼が開けようとしていた扉は、すでに開けられていた。
そして、そこにひとりの男が立っていたのだ。
鉄柱を連想させるほど硬く真っ直ぐな立ち姿。短く刈り込んだ顎ひげ。くぼんだ眼窩からは、感情の読めない真っ黒な瞳が覗いている。
「あ、あいつは!」
マルギットが悲鳴をあげた。見間違えようがない。彼女を、地球に行くと称して火星に連れてきた誘拐犯。
「フェルニゲシュ」
だが、セフィロトが呆然としたのは、敵のボス張本人が目の前に立っているからではない。
生命反応が感じられなかったのだ。だから、扉を開けられるまで気づかなかった。これほど間近にいるのに、心臓の鼓動さえも彼の耳には届かない。
「あなたも、ロボットだったのか……」