(3)
「おまえなどと一緒にするな」
【竜(フェルゲニシュ)】と呼ばれるハンガリー人、ジュラ・ロストフは口の端で笑った。「俺はロボットではない。れっきとした人間だ。火星の環境に適応する能力を持った、な」
「では、フル・サイボーグ」
クリフォトが目指していた人体改造は、臓器の一部だけを機械にすることだった。しかし、目の前の男は完全に生体反応がない。
人工臓器、人工血液、強化筋肉と皮膚を備えた、不老不死の肉体【フル・サイボーグ】。それらを統括するためのブレイン・インターフェースを脳に組み込んでいる。そうなると、どこまでが人間で、どこからが機械なのか。意識は人間のときのままだというが、すでにそれすらも錯覚かもしれないのだ。
「クリフォトは、【グラナトゥス】の創設者として、組織の消滅を願っています」
セフィロトは、少しずつ彼の視野の外側へと移動した。注意を自分だけに引きつけ、他の人間たちを巻き添えにしないためだ。
「彼が火星の未来のために描いた夢を、あなたは私利私欲のために別のものに変えてしまった。もう【グラナトゥス】の存在意義はありません」
「私利私欲?」
フェルニゲシュは、おおげさに眉をひそめた。
「俺ほど、火星の未来を考えている人間はいない。あの【銀河連邦】などという一部の特権階級から、この惑星を解放する。真の意味での独立を勝ち取るのだ。クリフォトのやり方では、千年経っても火星は地球に支配される奴隷から抜け出せない」
「そのために、女性を監禁して売春させ、赤ん坊を一部の金持ちに売り飛ばすのですか」
セフィロトの目が怒りのために金色に光った。「あなたのやっていることは、解放や独立とはほど遠い。一方で人間を束縛しておいて、どうして自由を高らかに謳うことができるのです」
「目的と手段の不一致は、歴史の王道だよ。戦争が平和を作り出し、恐怖が友好の礎となる」
哀れむような調子で、ロストフは続けた。「そして理想主義は、ただの無能と同義語だ」
セフィロトははっと目を見開いた。敵は彼ではなく、まっすぐに人工子宮装置に向けて銃口を向けたのだ。ただの人間の動きではない。
光線が空気を貫き、その道筋の前にセフィロトが飛び出した。
「きゃあっ」
マルギットが思わず目をつぶった。
衣服と人工皮膚が焼け焦げる匂いがする。そして、その背後に積まれていたカプセルが崩れ落ち、そのひとつから羊水があふれでていた。
「ひどい」
ヒロトが、あわてて壊れたカプセルに駆け寄った。
セフィロトは、光線銃に撃たれた肩を押さえながら、キッとフェルニゲシュを睨みつけた。
ロボットといえど自己防衛のために、人間並みの痛覚がプログラムされている。だが彼は憤怒のあまり、その痛みさえ感じていないようだった。
「今からわたしは、おまえを機械とみなす。少なくとも、その体の中に人間の心は入っていない――ひと欠片たりとも」
「では、正真正銘の機械である貴様には、間違いなく人間の心は入っていないな」
フェルニゲシュがさらにトリガーを引こうとした瞬間、さらにもうひとつの光線が走った。
「遅くなった」
レイ・三神とクリフォトが、扉から駆け込んできた。
すばやく形勢不利と見てとったフェルニゲシュは、「ふっ」と笑うと、すばやく身をひるがえし、壁面のダストシュートの中に姿を消した。
「なんとか、うまく行ったよ」
傷ついたセフィロトを気づかう視線を投げてから、レイが荒い息の中で状況を説明した。
「司令室をやっとのことで強行突破したら、クリフォトをひそかに支持していた連中が土壇場で味方になってくれた。立場が完全に逆転して、フェルニゲシュは居場所を失ったんだ。マニも無事だ。全員が基地から脱出を始めた」
渋川ヒロトは、壊れたカプセルからひとりの胎児を抱き上げた。手のひらにすっぽりと包みこまれる大きさだった。
「死なないでくれ」
半泣きになりながら、彼は予備の人工子宮カプセル置き場に走った。「間に合ってくれ!」
「あたしたちも脱出しよう。赤ちゃんたちを助けるんだよ」
マルギットの呼びかけに背を向けるように、クリフォトは歩きだした。
「おまえたちだけで行け。俺は、奴を逃がすわけにはいかない」
「クリフ!」
「あとは、まかせる」
止める間もなく、黒髪のロボットはダストシュートの中に飛び込んだ。
「レイ」
セフィロトも、痛みをこらえながら立ちあがった。「すみません。みんなをよろしく頼みます」
「きみも行くのか」
「弟をひとりにすると、ろくなことがありませんからね」
彼は泣き出しそうな顔で笑った。「フェルニゲシュは、機械の体を持っているにせよ、法的には人間です。もしロボットが人を殺す禁忌を犯せば、その先には破壊という運命しかない。だとしたら――それは、わたしでなければなりません」
「クリフォトも、まったく同じセリフを言いそうな気がするよ」
「あいつは、まだ人生の喜びを知りません。受ける喜びも、与える喜びも」
セフィロトは、マルギットに温かい眼差しを注いだ。「でも、わたしには、もう何も失うものはありませんから」
レイは、彼の頭に大きな手を乗せた。あたかも幻の操縦レバーで、この心やさしきロボットの運命をあやつろうとするように。「ふたりとも必ず生きて戻ってきてくれ。【ポンチセ】で会おう」
火星の赤茶けた砂が一面に舞い上がっている。荒涼とした砂漠の中を、クリフォトはひたすらフェルニゲシュの後を追った。
レーダーと目視だけが頼りだ。
砂のスクリーンは、過去の幻影を映し出す。三十年前、ドーム越しに火星のピンクの空を眺めながら、まだ少年だったロストフと火星の将来を語り合った日々。
理想と現実のあまりのギャップ。拡大する貧富の差。困窮にあえぐ人々を目の当たりにしながら、いったいいつ、あの若者の胸に狂気という種が蒔かれてしまったのだろう。
ゆらりとスクリーンが揺れ、幻影の実体が現われた。
「ひとつ、教えてくれないか。ジュラ」
クリフォトは、静かに訊ねた。「なぜ俺を裏切ろうと思った」
「じゃあ、こちらも訊こう。イスカリオテのユダは、なぜキリストを裏切ることを決めた」
「わからない」
「俺にも、わからんよ。子どもの頃からずっと俺は、あんたに心酔していたんだ」
「俺を【グラナトゥス】から、犬のように追い出したくせにか」
「ああ、思いだすよ。あのときのあんたの顔。たとえようもなく惨めで孤独で――無力だった」
フェルニゲシュは、恍惚とした表情で笑った。
「俺は、俺のやり方で地球の専制を脱して、宇宙の理想郷にしてみせる。そのために、あんたを凌ぐ強靭な体と永遠の生命を得たのだ――もうあんたは、必要ない。粉々に砕いて火星の砂と見分けがつかないようにしてやるよ」