WHEN YOU WISH UPON A STAR 星に願いを


                    (エピローグ)


『クリフ。元気にしてるかい?

 昨日の夜、【サテライト】経由でようやく地球に着いた。
【サテライト】では、マルギットのご両親に会って、彼女が火星に無事でいることを伝えた。たいそう安堵していらしたよ。置き手紙だけ残しての、突然の家出だったらしいからね。
 それから【AR9型】ロボットのビリーにも会ってきた。消息を調べてきてくれとマルギットに頼まれていたんだ。
 彼は無事だったよ。まだ同じレストランで働いている。初期化も処分もされていなかった。マルギットのことも記憶に残っていた。
 「どうして、マルギットの不正を見逃したんだい」と訊ねてみたが、そのときの自分の思考回路については説明不能だと答えた。わたしはそれを聞いても、別に驚かなかったよ。どんな原始的な構造の機械であっても、ときどき理屈では説明できないプログラム外の行動をするものなんだ。それが【心】と呼ばれるものであることを、わたしは信じて疑わない。

 悔しいことに、結局レイ・三神には会えなかった。
 入れ違いで火星に旅立ってしまったそうだ。そっちに着いたら必ず【ポンチセ】に来るだろうから、よろしく言っておいてくれないかな。
 「リングから先に降りてくれてありがとう」と伝えてほしいんだ。それだけで、彼には何のことか通じるから。
 実はね。きみの家の前で一晩野宿したとき、ふたりでいろいろ話したんだ。彼の背負う途方もない重荷のことも、そのとき聞いた。
 彼の場合、誰かとともに生きていくのは、むずかしいことなのかもしれない。でも、いつか彼にも、ふさわしい女性がきっと現われるはずだ。その重荷を分かち合える聡明さと強さを兼ね備えたパートナーがね。わたしはそう信じている。

 そうそう、忘れるところだった。東京に帰ったら、さっそく【すずかけの家】と同じ看板を注文して、そっちに送ることにするよ。【すずかけの家・火星分校】と書いてね。分校より姉妹校のほうがいいかな。園児数もちょうど40人ずつだしね。
 ヒロトくんは園長の職務を必ずやり遂げると信じているけど、何しろ初めての大役だから、きみも全面的にバックアップしてやってほしいんだ。【名誉園長】の肩書に恥じないようにね』

「あは」
 横で聞いていたマルギットが、思わずふき出した。
 『貴殿を、【すずかけの家】名誉園長に任ずる』と書かれた電磁シートを、セフィロトから手渡されたときのクリフォトの呆然とした顔を思い出したのだ。

『あの子たちの未来は、火星の未来だ。きみの志した人類改造の夢は間違っていたかもしれないが、あの子たちの誕生は間違っていない。彼らはこれからの火星を背負って立つ存在になるだろう。
 クリフォト。その未来を、40人の人生を見届けるために、これからも生きていってくれ。
 わたしが『すずかけの家』で、たくさんの地球の未来を見届けるために、これからも生き続けるように』

「おまえも、生き抜く覚悟を決めたんだな」
 小さくつぶやいたクリフォトは、目を閉じて記憶を再生した。セフィロトが火星を発つ前の夜、【ポンチセ】で飲んだときのことを。

 セフィロトは、ポケットからメダルを取りだした。
「胡桃のメダルだよ。半分に割って、古洞樹博士のメダルと合わせて同じものを二枚作った」
 そして一枚をカウンターの上に不器用にころがす。フェルニゲシュとの戦いで破損したままの右肩が、うまく使えないのだ。
「こっちをきみに持っていてほしい」
「なぜ、俺が」
「理由はうまく説明できないけど」
 セフィロトは、くつくつと笑った。「わたしたち二人の絆、ってところかな」
「バカバカしい」
「そういうことを言っていいのかな。きみは、胡桃に惚れてたんだろう?」
「な……何を」
「だから、あえて火星移民団に参加して、地球を離れた。それくらいのことはお見通しなんだよ」
 からかうようなセフィロトの視線を浴びて、クリフォトは自分の体表温度が一気に上昇する感覚を覚えた。頬を染めるなどというプログラムが自分の中にあったことすら、七十年間忘れていた。
 セフィロトは酒をひとくち含むと、ほうっとため息をついた。
「火星に来てよかったよ。自分が何のために作られたかを、もう一度思い出すことができた」
「じゃあ、もう安心だ。その肩も、シーダにちゃんと治してもらえよ」
「きみは、まだ誤解してるな。メンテナンスに行かなかったのはね。本当に忙しかったからなんだよ」
「そうか」
「今度の休暇だって、前倒しで仕事を片づけるのにどんなに苦労したか。めそめそしてる暇なんかないんだよ」
「それならいい」
 ふたりは黙って、カクテルを飲み干した。発光チェリーがころりとグラスの底でころがる。
「――でもね。胡桃がいないのは、やっぱり寂しいよ」
「ああ」
「胡桃のことを覚えている人が、回りからだんだんいなくなっていく。それが何よりも一番、寂しいことなんだ」
「俺が覚えているよ」
「うん」
 セフィロトはうなずき、組んだ両手に眉間を当てた。
 そこから一滴のしずくがポトリと落ちて、グラスの中のチェリーに当たった。

『ここからは、デジタル音声で送信する。
 万が一マルギットが聞いていても内容がわからないように、きみだけに伝えたいことがある。
 ひとつは、フェルニゲシュのことだ。
 砂地が崩落したとき、幸いにも、わたしたちふたりが這い出した場所は、火星地下鉄網の掘削工事跡だった。あれは、試掘の結果、地盤のもろさを指摘されて、工事が中止になったルートだそうだ。
 だが結局、フェルニゲシュの体はどこを掘っても見つからず、わたしたちは岩盤の下深くに永久に落ち込んでしまったのだと結論づけた。
 だが、あの試掘現場は、実は反対側にもうひとつあったんだ。フェルニゲシュはこっそり、そちらのほうに抜け出していた可能性がある。
 なぜそんなことを知ってるかって? 実は帰りの定期シップの中で、行くときにもいっしょだった母子に、また偶然出会ったんだ。息子のほうはわたしの顔を見るなり、大喜びして……いや、そんなことはどうでもいい。
 彼女の夫というのが地下鉄工事の現場責任者で、わたしは彼女の協力を得て、工事の詳細なマップをシップに送信してもらうことができた。
 フェルニゲシュはまだ、どこかに生きているのかもしれない。そんな気がしてならないんだ。
 たとえ彼が死んでいたとしても、その後継者は、いつの日かきっと出てくる。
 彼の掲げた正義は、純粋すぎて妥協がなく、人を惹きつける一方で、容赦なく踏みつぶす。暴力で理想を実現しようとする人間は、いつの時代にも決してなくならない。
 きみには、そういう種類の正義から、火星を守り続けてほしいんだ。

 もうひとつ、大事な用件がある。きみとマルギットのことだ。
 わたしは胡桃と結婚した夜、犬槙魁人博士からひとつのプログラムを渡された。それと同じものを、このメールに添付して、きみに託そうと思う。
 もし、きみが数十年の時間を彼女といっしょに過ごしたいと願うなら、そしてマルギットのほうも同じことを願ってくれるのなら。ふたりで話し合って、このプログラムを使うかどうかを決めてほしい。
 きみはためらうかもしれない。胡桃を喪った後の、わたしの情けない姿を見ているからね。でも、わたしは、胡桃を愛したことを決して後悔していない。
 だからきみも、マルギットとともに生きてほしいんだ。
 数十年後には、わたしと同じ悲しみを味わうことになるが、それを恐がらないでほしい。人を愛することによって、想像もつかないほど素晴らしい喜びを、きみは得られるはずだから。

 クリフォト。わたしの弟。いつまでも愛している。
 今夜は、クシロの【ポンチセ】で《ブルーコーラルリーフ】を飲みながら、マスターの弟と火星の話をするつもりだ。
 また必ず、きみに会いに火星に行くよ。それまでは、夜空を見上げるたびに、きみの幸せを祈って星に願いを懸ける』

「クリフ」
 メールを読み終わった彼の肩に、そっと小さな柔らかい手が乗った。
「あのね、今すごいものを見つけたよ」
「え?」
「セフィの置いていったアボカドの種。いつのまにか、芽が出てるんだ」
 マルギットに導かれてテーブルに近づくと、水の入ったコップの内部には、とぐろを巻くほど白い根が伸び、茶色の種は真っ二つに割れて、そこから芽が出ていた。
「ああ……きれいだ」
「うん、きれいだね」
 生命のおごそかな誕生を前にして、言葉は無力だ。
 クリフォトは、後ろから静かに彼女を抱きしめた。



               (了)