第9章 「コクマー(知恵)」 BACK | TOP | HOME 科学省の扉を無理矢理開いたクリフォトは、目を上げて、行く手に待ち構えている光線銃を持った男たちを睨みつけた。 「クリフォト。どこへ行く」 柏局長が部下を掻き分けて前に進み出て、小柄な体を威圧感でいっぱいに満たした。 「今すぐに、俺を破壊しろ」 「望みは喜んで叶えてやるよ。だが、その前に腕に抱えている荷物を、できるだけそっと床に置きな」 意識を失っている胡桃に向かって顎をしゃくり、「値打ちのある美術品だからな」と笑う。 「信用できない。人質を放したとたん、おまえらは俺を捕まえて、セフィロトの要求に負けて【すずかけの家】に連れ戻すに決まっている。今ここで、確実に破壊しろ」 「そんなまどろっこしいことをしなくても、自分で自分を破壊すればいいじゃねえか」 「できない」 クリフォトは、悔しげに視線を落とした。「【暴力禁忌プログラム】によって、ロボットは自己の破壊を禁じられている」 「不便なもんだな。人間はお手軽に、ひとつしかない命を自分で断てるのによ」 そのとき、セフィロトが扉から飛び込んできた。柏局長は、それを見て肩をすくめた。 「おまえが来るまで、時間は稼いでやったぜ。あとは自力でなんとかしろ」 「ありがとうございます」 セフィロトは慎重に間合いを計りながら、同胞に呼びかける。「――クリフ」 クリフォトは、冷たい眼差しで彼を見返した。 「胡桃を放してくれ」 「助けたかったら、俺を破壊しろ。おまえのその手で」 抑揚のない口調。クリフォトは先ほどの混乱状態からは脱しているようだった。少なくともリウ博士と自分を同一視はしていない。 「わたしは、きみを破壊したりしない。【すずかけの家】の子どもたちと約束した。絶対に無事に連れて帰ると」 「では、おまえを嘘つきにしてやる」 「クリフ。きみは」 セフィロトは大きく息を吸い込む仕草をし、口調を強めた。 「自分が愛されていることを、どうして認めない。きみは、タクくんたち【すずかけの家】の生徒たちに愛されている。教師たちに愛されている。そして、リウ博士も、きみのことを慈しんで創った」 クリフォトは、その言葉に体のどこかを刺されたように、ぴくりと身を震わせた。「……嘘だ」 「嘘じゃない。そうでなければ、きみの外見は、それほど丁寧に美しくは造られなかったはずだ」 聴覚回路に、リウ博士の声が脈絡なく再生された。 『鏡を見てごらん、クリフォト。おまえの顔は、俺と結衣の若い頃のホログラム写真を合成して造ったものだ。もしふたりの子どもができたら、こんな顔になったのかな……』 『おまえは、このままずっと変わらない。いつまでも若いままだ。人間という有限で狭量な存在を超え、永遠という高みに飛ぶことができる。人間はやがて死ぬ……だが、おまえは――』 「永遠なんて、必要なかった」 クリフォトは片手で、自分の肩までの黒髪を引きむしった。「いいかげんに、粗雑に作ればよかったんだ。どうせ捨てていくつもりだったんだろう。ならば、なぜ俺をこんなふうに永遠に生きなければならないように創った!」 「クリフォト。リウ博士は」 セフィロトはうめくように言った。「きみを捨てたんじゃない。愛していた。髪の毛一本まで慈しんで創った。きみと同じAR8型ロボットのわたしには、それがよくわかる。わたしも犬槙博士や古洞博士の愛情を一身にそそがれたから」 「そんなこと、今さら何の意味もない」 「意味はある!」 セフィロトが怒鳴ったとき、科学省の玄関ホールのガラスがぴりぴりと震えた。 「人は誰だって、誰かに愛してほしい。無条件で、絶対に消えることがない愛情が欲しい。何度裏切ってもケンカしても「愛してる」って言ってくれるような、そんなめちゃくちゃで無限大の愛情で満たされたいんだ。きみだって心の底ではそう願っているはずだろう」 「違う!」 クリフォトはわずかに拳の力を緩めた。それと同時に、腕の中の胡桃が身じろぎした。 セフィロトは、その機を逃さなかった。 次の瞬間、周囲をぐるりと取り囲んでいたはずの科学省の職員たちは、ふたりのロボットたちの姿を完全に見失った。彼らの動きが俊敏すぎて、肉眼で捉えることができなかったのだ。 彼らの髪や服の色だけが空気に滲み出したように見えたかと思うと、実体化して、ひとつにもつれ合った。そして、その空気の渦の中から、胡桃の体がふわりと舞い上がった。柏局長に向かって正確に、緩やかな放物線を描く。 「うげっ」 細心の注意を払って放り投げられたとは言え、生身の女性ひとりの体だ。受け止めようとした柏局長は、蛙のつぶれたような声を上げて、見事に胡桃の下敷きになった。 「う、う……ん」 そのショックで、ようやく完全に意識を取り戻した胡桃は、尻の下に柏局長を敷いているのに気づき、「キャア」と超音波のような悲鳴を上げた。 セフィロトとクリフォトの戦いはまだ続いていた。知らぬ人の目から見れば、たくましいとも強そうとも思えないふたりの若者たち。しかし今彼らの間では、想像を絶する身体能力と身体能力の衝突が行なわれているのだ。 やがて、セフィロトがクリフォトの腕をぐいと後ろにねじり上げ、床に組み伏せた。 「……くそぅ」 「柏局長!」 金色の目を荒々しく煌かせているセフィロトは、獲物をつかんでいる獅子のようだ。それを見ていた木田と武藤は、こいつだけは一生敵に回さないと固く心に誓った。 「な、なんだ」 さすがの柏局長も、たじたじとしている。 「【テルマ】の中に、わたしたちが入ることを許可してください」 「どういうことだ?」 「【テルマ】の中で擬似体となって、こいつを徹底的にぶちのめします」 【テルマ】は、国立応用科学研究所の超量子マザー・コンピュータだ。二年前にセフィロトは、軍事クーデタの黒幕を探るために、【テルマ】の内部に潜入したことがあった。 研究所に護送されたセフィロトは、クリフォトをしっかりと両手で捕まえたまま、柏局長によって開かれるゲートを次々とくぐっていく。 最奥のコンピュータ・ルーム。 点滅するランプで隙間なく被われた円錐形の塔の前で、彼らは立ち止まった。セフィロトが口をわずかに開くと、するすると二本のコネクタが延びてきた。 クリフォトは、もはや抵抗する意志を失ってじっとしている。コネクタを一本ずつ、それぞれの右の腋の下に差し込んだ。 「少し時間がかかりますが……局長。あとはよろしくお願いします」 セフィロトとクリフォトは同時に目を閉じ、互いにもたれかかるようにその場に崩おれた。 光のもやのたゆたう広大な空間の中に、ふたりのロボットは立っていた。 『ここは……どこだ』 『コンピュータ【テルマ】の内部に作られた仮想空間だよ』 クリフォトは不審そうな目つきで睨みつけた。『なぜ、こんなところに連れてきた』 もやが流れ、一箇所に集まり始めた。そこに現われたのは、白い服の女性だった。 マザーコンピュータの七つのセグメントの一人を司るのが彼女だ。もともとは八つのセグメントがあったのだが、ひとつのセグメントがユエ・コンツェルンのハッキングに汚染され、安全を確認するまで閉鎖されている。 『久しぶりですね。セフィロト』 柔らかな合成音が響く。 『テルマ。ご無沙汰していました』 『今度は、何があったのですか』 『お願いしたいことがあります。わたしと、ここにいるクリフォトの深層にある【人格移植プログラム】を元に、古洞博士とリウ博士の擬似体を再構成していただけませんか』 『なんだと』 クリフォトは驚愕に目を見開く。『やめろ……なにをする気だ』 『理由を聞かせてくれませんか』 『クリフォトは、リウ博士に関する情報を一部消去され、プログラムが不完全になっています。古洞博士とリウ博士の擬似体の会話を通して、記憶に整合性を取り戻せる可能性があるのです』 テルマの顔が次々と変わり、七つのセグメントの合議が終わった。 『願いを聞き届けましょう。拒否する理由は何もありません』 テルマは片手を上げ、すっと一本の指を突き出した。 三人の中央に、光で織り成されたクモの巣のようなものが現われた。そして、それらは渦巻き、次第に人間の姿を取っていく。 『奇妙なことです』 テルマは眉をひそめたように見えた。『セフィロト。以前にも、あなたの中の深層プログラムを元に古洞博士の擬似体を作ったことがありましたが、今とあのときとは、ずいぶん状況が違っています』 『はい。この二年間に、古洞博士の【人格移植プログラム】と、わたし自身のプログラムが徐々に不可分になってきています。やがてはひとつに結合されるのかもしれません』 『まさか。AR8型の人工知能の構造から言って、そんなことはありえません!』 『どうなっているか、自分でもわからないのです』 セフィロトは困ったように微笑んだ。『でも、このままでは博士の擬似体が作り出せませんね』 セフィロトの体が光に包まれ、見る間に溶け出した。それに従って、古洞樹の擬似体が形を取っていく。 『劉博士。起きてくれ』 『きみは……』 構成を終えたリウ博士の擬似体が、ゆっくりと顔を上げた。白髪混じりの40歳くらいの男性だった。痩せてひょろ長い古洞博士に比べて、中背でがっしりした体つきをしている。 『同じロボット工学博士の古洞樹だ。あんたや、助手の姫榁(ひむろ)博士とは、生きているときに二三度、電話で話したことがある』 『俺は、どうして、こんなところに』 『俺たちは、AR8型ロボットの【人格移植プログラム】から再構成された擬似体だ。本体はとっくに死んでいる』 『死んだ……』 『あんたの本体は、自殺した』 彼はぼんやりと、あらぬ方を見つめた。リウ博士の擬似体は、クリフォトに組み込まれたプログラムが基になっている。だから、クリフォトが完成するまでの記憶しか持たないのだ。 『俺はとうとう、結衣の後を追って自殺してしまったのか』 彼は片膝を立てて、光の床に座り込んだ。 『まったく、愚かなことをしたものだ』 樹は怒りのこもった目で彼を見下ろした。『生きたくとも生きられなかった俺たち【第12ロット世代】にしてみれば、あんたが無駄に捨てた残りの命が、どれだけ欲しかったか』 『クリフォトはどうなった』 『そこにいる。日本政府に預けられ、今は同じ型のセフィロトといっしょにいる』 『ああ……』 深く嘆息して、リウ博士はクリフォトを見つめた。 『リウ……博士』 クリフォトがこれほど表情を変えるのを、誰も見たことがなかった。まるで悪夢におびえている子どものように、彼は目を見張り、口元をひきつらせていた。 『クリフォト。すまない』 『教えてください、マスター』 しぼり出すような声が、喉から漏れた。『あなたはなぜ、俺を創ったのですか。ユエ・コンツェルンに脅されたから、しかたなく?』 『違う。ただ俺は、話を聞いてほしかったんだ。おまえなら、何も言わずに聞いてくれる。喜びも悲しみも共有できる。俺が結衣に抱いていた愛情も、結衣をなくした絶望も、誰かに聞いてほしかった。覚えていてほしかった』 『だから俺に、人間への憎しみを教え込んだのですか』 『確かに、俺は愚かな人間すべてをを憎んでいた』 博士の体が、激情を示すようにゆらりと揺れた。『ああ、憎んでいたとも。結衣の遺伝子を操作した日本の科学者たちを突き止めて、ひとりずつ殺してやろうかと思ったくらいだ。しかも、うんと長く苦しめて殺してやると』 『ああ。それは俺も何度も考えたな』 樹は至極まじめな表情で同意した。 『マスターは最期に、こんな世界滅びてしまえとおっしゃいました』 『そうか。そんなことまで言ったか』 リウ博士は、がっくりと頭を垂れた。『俺は、地獄へ行っただろうな』 樹は彼の肩に手を置いた。 『俺には、あんたがそう叫んだ気持が、よくわかるよ』 『結衣がいなくなった世界では、とても生きていられなかった。何度もやりなおそうとした。だがそのたびに、もっと深い闇まで突き落とされた。いけないとわかっていながら、誰かを憎まなければ、生きていられなかったんだ』 リウ博士は、嗚咽とともにしゃべり続けた。 『それでもな』 樹は言った。『あんたは死んではならなかった。クリフォトという新しい生命のために、歯を食いしばってでも生きるべきだった』 『ああ、クリフォト』 リウ博士の顔から、きらきらと微細な光の屑がこぼれ落ちた。まるで涙のように。 『すまない。赦してくれ。おまえを置き去りにするつもりじゃなかった。おまえは俺にとって、たったひとつの慰めであり、生きる希望だった』 クリフォトは呆然と、長い間その言葉の意味を噛みしめていた。 『俺は愛されていたのですか。マスター』 『ああ。愛していたよ』 『俺は、あなたに望まれて生まれたのですか』 『そうだ』 『あなたが亡くなった後も……生きていていいのですか』 『そうだとも』 クリフォトは目を閉じた。その人工知能の中でプログラムがめくるめく速さで流れ出した。 失われていた記憶が次々と再生される。 彼が初めて起動したときに、真っ先に視覚に映ったリウ博士の笑顔。部屋中を小躍りしていた。まるでダンスが好きだった結衣のように。 次々と記憶がよみがえってくる。結衣の思い出を話すときの、博士の涙。いつも最後には、呼吸ができなくなるくらい泣き出して、話を打ち切ってしまった。 『眠れないんだ。結衣みたいに頭を撫でてくれないか』 そう乞われて、何度夜明けまで博士の枕元に座っていただろう。 『ありがとう。クリフォト』 デバッグが終わるときに、マスターの声が聞こえたような気がした。目を開けると、博士たちの擬似体は消え、元通りにセフィロトが彼のかたわらに立っていた。 『クリフォト』 セフィロトは、背中に手を回して、彼を強く抱きしめた。 『クリフォト。きみは生きなければならない。きみは、リウ博士のありったけの愛情を受けて、リウ博士の思いを託されるために創られたのだから――わたしが、古洞樹博士から胡桃への愛情を託されたように」 彼は【弟】の額に口づけした。 『わたしたちAR8型ロボットは、そうやって未来に何かを伝えるために創られているんだ』 使用したお題「セフィロト十一題」および「クリフォト十題」は、霜花落処 さまからお借りしました。 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003-2009 BUTAPENN. |